本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです
生命学ライブラリ(1)論文・エッセイ・講演
姥捨山問題[99/4/13]★★・・・・・・拙著『生命学への招待』第10章がデジタル化されました。無痛文明論の原点、というか「生命学」の原点、森岡の原点であります。「生命学」ってこの論文からはじまったんだもんなあ。HPに公開できて、とても感慨深いです。久保文彦さん入力ありがとう。1988年。
人間の本性と現代文明[98/3/23]★・・・・・・上の連載の元になった原稿。連載を読むのがしんどい方は、これで概要はつかめる。が、連載のときに細部はかなり変更されたので注意。1995年。
現代日本の哲学をつまらなくしている三つの症候群について[98/3/16]★★ 未発表 ・・・・・・最初期作品。1986年ころか。当時、大学院生だった私が、大学院の学問のおかしさを告発するために書いたもの。友人たちに見せただけだったが。これをいま読むと、人間の思想的態度というのは、もう20代で決まってしまうということがよく分かる。『宗教なき時代を生きるために』の私が、すでにここにいるではないか。
現代において哲学するとはどのようなことなのか[99/4/5]★★・・・・・・日本哲学会という学会から、1999年5月の総会の「時代の危機と精神的価値」というシンポジウムで発表するように依頼があった。その原稿を書けとのこと。ふ、ふ、ふ。依頼原稿だぜ。ぜったいに、没にはならないな。しめた、こっちのもんだ。というわけで、じゃーん、白日のもとに日本哲学会批判を書いてしまったのだった! 上の「三つの症候群」論文を引用しつつ、限りなく過激に挑発しまくっておる。すでに、公刊直後からかなりの反響が・・・。でも、この論文、学会誌の冒頭に載せた(載せざるを得なかった!?)日本哲学会の度量には感謝しておこう。日本哲学会員でないみなさん、このHPで読んでください。
この宇宙の中にひとりだけ特殊な形で存在することの意味[98/4/2]★★ ・・・・・・いまや現代日本哲学が生み出した最高の達成である永井均の<私>論だが、それとがっぷり4つに組んで、その意義をクリアーにして、かつ永井が語らなかった方向へと一歩を踏み出した論文。<私>論を、ここまでクリアーに誤解なしに解明し、かつ永井の決定的な誤謬を指摘したものはないと思う。ようやくHTML化できた! うれしい。1994年の作品。思い入れ強し。
デレク・パーフィットと死の予感[98/3/13]★・・・・・・1988年発表。初期作品。パーフィットという知る人ぞ知る哲学者についてのエッセイ。この人は、脳を分割したら私はどちら側に行くかなどの思考実験をしたが、私はそのなかに死のにおいを見いだしたのだった。文章は硬いが、奇妙な味があって、自分でも好きな作品です。
見立ての論理学[98/3/16]★ 未発表 ・・・・・・芸術表現に見られる、何かを何かに見立てるということをエッセイふうに考えた。後半は、もっと展開できると思う。あるところに人質に出されてる文章だが、もう数年はなしのつぶて。どうなってんの?スズキさん。 1992年ころ執筆か。
脳死との出会い[98/3/11]★★ ・・・・・・1997年発表。脳死になって死んでしまった藤原好さんと私の出会いと別れ。私の人生でこういうことがおきるとは思っていなかった。ご両親の手記を読むと、好さんの心臓が止まるまでは、娘さんが死んでいるとは感じ取っていない。このような人たちのリアリティを尊重し、守ることからしか医療は良い方向には向かわない。お母様には「未来潮流」にも出演していただいた。思い入れの強い文章です。
脳の人工臓器化と脳蘇生術の発展に伴う脳死概念の変容[98/4/13]★★ ・・・・・・脳死になりそうな脳に、将来、人工臓器技術やマイクロマシンなどをがんがんぶちこんでいけば、かなりすごいことがおきそうだと思って、専門書を勉強して書いた論文。『生命倫理』誌に1994年に発表されたが、その内容の異様さのせいか、完全に黙殺されております。英語になおしたとしても、やっぱ黙殺だろうな。50年後にはたして再発見されるのか? 99年のアメリカの生命倫理専門誌「ヘイスティングス・センター・リポート」に、脳にチップが埋め込まれる時代の倫理を考えておくべきだという巻頭論文が載っている。わしの、この論文なんか、読まずに書いてんだよねー。(当たり前か、やつら、日本語読まないから)。
脳死移植に考える[99/4/5]・・・・・・99年の脳死からの臓器移植再開のときに京都新聞に書いたエッセイ。「臨床的脳死」ってことば、やっぱり変だと思う。まだ使ってる新聞とかあるぞ。
脳死移植を考える[99/4/5]・・・・・・同じく東京新聞に書いたエッセイ。日本の脳死論議は世界でいちばん進んでいるのだ。アメリカの人たちもようやく気づきはじめたのだ。アメリカ崇拝って、もうやめようね、見苦しいから。でも、その裏返しの欧米叩きも吐き気がしそう。戦争に負けたこと、そこまで根に持つなよ。
男性から見た避妊[98/2/10]★★・・・・・・1997年のエッセイ。避妊について書いてくれといわれて、妊娠におびえたり無頓着になったりする男性の性意識について書いてみた。しかし、同じ雑誌の沼崎一郎さんの論文を読んで、きちんと展開しようと思ってしまったのだった。
暴力としての中絶[98/2/10]★★・・・・・・1997年の中絶論。マイナーな雑誌に発表されたが、賛否両論を巻き起こしてしまった。中絶が暴力であるという、フェミニズムが聞いたら「なんでいまさら?」と言いたくなるような主張をした。このあとに続くべき男性論を書かないといけない。論文末尾にある男性への呼びかけに呼応して、97年夏に大阪で開かれたメンズフェスティバルで「中絶をさせてしまった男についてのコンシャスネス・レイジング」を行なった。女性には遠慮してもらって開かれたこのセッションは、おそらくこのテーマで男性たちが率直に語り合った日本で最初のイベントだったかもしれない。
週間読書人「読書日録」[98/3/14]★・・・・・・1994年に、「読書人」にリブ、フェミニズム、南北問題についての超短いコラムを3回書いたが、意外に好評だった。リブについて触れる男性は、まだ珍しかったのだろうな。「Looking for Kumiko」の監督の栗原さんがこれを見て手紙をくれて、ただで試写会に行けたのだった。
書評『親指Pの修業時代』[98/3/19]★・・・・・・松浦理英子『親指Pの修業時代』の書評。話題になった本だが、セクシュアリティ論から読むと、こういう感じになるんじゃないのかな。けっこう好きな書評です。同世代の小説家にこういう人がいるのはうれしい。1994年。
レイプと買春について[98/3/21]★・・・・・・男性のレイプと買春についてのどうってことのないコラム。でも、この方向で考えていきたい。1996年。
生命と優生思想[98/2/13]・・・・・・1998年、優生思想と生命倫理について書いたもの。障害を持った子どもを選択的に廃棄してゆくことをサポートするテクノロジーが急激に進んでいるが、それをどう考えればいいのか。障害者たちからの批判をどう受け止めればいいのか。締め切りに追われながらとにかく書きなぐったもの。ああ、書き直さないといけない。でも、いまのところ、このテーマで書いたものとしてはこれしかないのだが。でも、不満たらたらだし、誤りも多そうなので、書き直します。批判してください。
生殖技術とフェミニズム[98/2/13]未発表・・・・・・1995年頃に書いたものだと思うが、いろんな事情から未発表のまま。前半は、既発表論文「ウーマン・リブと生命倫理」山下悦子編『女と男の時空・現代編』藤原書店(1996年 37−67頁)のレジュメ。後半は上の論文「生命と優生思想」を補完するものだが、甘い。なので、書き直すことを前提に、参考程度に見ておいてください。それにしても、このテーマでけっこう書いているなあ。ほとんど人目には触れていないが。実は、まだあるのです・・・・・・。
自然を保護することと人間を保護すること[99/5/10]★★・・・・・・環境倫理学の大難問である「保全」と「保存」の対立について分析したもの。その対立を、さらに「自然への介入」「非介入」という観点から検討して、4つのマトリックスとした。俗に言う(誰が言っとるねん!)4つのマトリックス理論である。自然保護思想への入門としても使える(はず)。1999年。
エコロジーと女性[98/3/11]・・・・・・エコフェミニズム思想の概説を、エコロジー翻訳論文集に書いた。おもにアメリカの動向だが、いまとなってはもうデータが古くなっているはず。概観を見るときに使ってください。1995年。
ディープ・エコロジーと自然観の変革[98/3/11]・・・・・・ディープ・エコロジー思想の概説を上記の翻訳論文集に書いたもの。ネスの73年論文のくわしい翻訳みたいなものをつけたのが特徴かな。これまた概観用。1995年。
国際的かつ比較文化的な生命倫理学にむかって[98/3/13]・・・・・・福井の国際学会のときに、欧米、アジアの学者を前にしゃべったものの日本語版。それなりに受けたが、でもみんな疲れてたなあ。1994年。
生殖系列細胞の遺伝子治療をめぐる倫理問題[99/7/7]NEW・・・・・・気がついたら、わしの論文が他のサイトにアップされていた。ヒトゲノムプロジェクトのために書いたものだが、千葉大の資料集のほうが原典なのかも。論点の整理と言ったところ。1995年。
治験システムと医療界の体質改善[98/3/14]・・・・・・薬の臨床試験(治験)についての学会で話をしたら、医学雑誌に論説を依頼された。書いているうちに、腹が立ってきました。なんでこんなに医療に対して怒るのだろう。なんか、トラウマでもあるんかな。森岡選手、怒ってます。1996年。
「死」と「生命」研究の現状[98/3/14]・・・・・・医療社会学が生と死をどうとらえてきたのかについての概説。おもにアメリカ合衆国について書いた。グレイザーとストラウス、ザドナウなど。まあ、参考程度に。1996年です。
「生命と現代文明」序説[98/3/23]★★ ・・・・・・1993−95年にかけて国際日本文化研究センターで開催されたいまや伝説の共同研究会の報告書に書いた序論とあとがきと会合一覧。生命をめぐる総合学への意気込みがあふれているなあ。こういう研究会は、もう二度と不可能だと思う。みんな若かったね! 1996年。
読売新聞連載エッセイ[98/3/10]★ ・・・・・・1996年11月、大阪読売新聞に連載したエッセイ。当時、私は国際日本文化研究センターで助手をしていたが、このエッセイの後半で繰り広げられた「日文研批判」「助手任期制」の記述は、ボスたちのはらわたを煮えくり返らせたものである。でも、あたってるんだから仕方ないよねー。関西方面以外の方には、初登場の文章。これを書いて4ヶ月後にわたしは京都を去ったのであった(でも、これを発表した時点ではまだ転職は決定していなかった(^^;))。
エロティックな出来事[98/3/13]★ 未発表 R指定・・・・・・いつごろ書いたんだろう。たぶん、1995年前後じゃないのかな。若かったなあ。顔にチョコでもついてたのかしらね。もう二度とないでしょう(笑)。ちなみに没原稿です(当たり前か)。でも、エッチやなー。複数の女性読者から不快感が表明されましたので、R指定といたします。
ジュリアナ東京観戦記[99/8/3]★ R指定 NEW・・・・・・バブル崩壊直前、東京の女たち(の一部)は、ジュリアナ東京というディスコで、ワンレンボディコンミニスカでお立ち台に上り、パンツを見せながら踊り狂っていたのだった。その模様を、ルポした迫真のエッセイ(笑)。このエッセイ発表後、ジュリアナは突如閉店したのでした。バブリーだったみなさん、いまごろ、どうしてるのかな? 1993年。写真がR指定でございます。
*R指定とは、画一的な性別役割規範や価値観・審美観にもとづく断定的な表現があり、特定の人々を不快にさせる恐れのある文章が含まれていることを意味します。
*以下、続々登場予定だよ
*上記のリストにあるものは、出版社へのオークションとしても機能し得ます(^^)。ご相談に応じます。(いまのところ「ウーマン・リブと生命倫理」「男性から見た避妊」「暴力としての中絶」は、勁草書房に予約済みでございます。マツノさん、ありがとう)