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小原秀雄監修『環境思想の系譜・3』東海大学出版会 (1995年5月) 152−162頁

エコロジーと女性−エコフェミニズム    森岡正博

  一九六〇年代から七〇年代にかけて、先進諸国でフェミニズムの運動が同時多発的に起きた。これを第二派フェミニズムと呼ぶが、そこではラディカル・フェミニズム、マルクス主義フェミニズムなどが新たな展開をとげた。一九七〇年代は、フェミニズムの歴史の中でも、とくに大きな達成がなされた時代であった。女性たちによって担われた七〇年代フェミニズムは、八〇年代に入って、科学史、心理学、文化人類学などの様々な領域に決定的な影響を与えはじめる。私の身近な領域で言えば、生命倫理学の分野にもその影響は及び、最近ではフェミニズム生命倫理学という潮流が登場してきている。
 さて、そのようなフェミニズムの影響力は、当然、エコロジー・自然保護にも及んだ。エコフェミニズム、あるいはエコロジカルフェミニズム(エコ=フェミと略されることもある)がそれである。ひとことで言えば、いままでのエコロジー運動・思想は、男性によって作り上げられたものであり、この社会を規定している「女性支配の構造」を、そのまま反映する形になっている。だから、男性が言うとおりにエコロジー運動を進めていっても、女性支配の構造は解消されない。いや、それだけではなく、そもそも人間による自然支配の構造と、男性による女性支配の構造は同根なのだ。男性社会が作り上げた、この支配の構造それ自体を解消しない限り、環境問題も、女性支配もなくならない。と、こういう主張にまで行き着くのである。
 たしかに、エコロジー運動では、「自然は人間によって搾取されてきた」という言い方をすることがある。フェミニズムは、女性が男性によって搾取されてきた構造を転換しようとするのだから、搾取される側に立つほかなかった「自然」と「女性」を重ねて理解するのは当然かもしれない。
 エコフェミニズムとは、フェミニズムとエコロジーが接することによって誕生した、実りある成果である。その主張は、以下に述べるように、きわめて多様であるが、今後のエコロジーは、このエコフェミニズムの達成を無視して済ますわけにはいかない。
 「エコフェミニズム」ということばは、一九七四年に、フランスの作家フランソワーズ・ドボンヌによって作られたと言われている。しかし、女性とエコロジーとの関わりという点から見れば、それ以前にも注目すべき人物はいた。たとえば、いまから一〇〇年も前の女性科学者エレン・スワローは、一八九二年に「エコロジー」という学際的科学を、ヘッケルとは独立に提唱した。彼女は、環境破壊を解決するためには、ひとりひとりの生活の仕方を見直すことが必要だと考えた(クラーク 一九七三年)。もうひとりの女性は、一九六二年に『沈黙の春』を出版したレイチェル・カーソンである。彼女のこの本は、除草剤がもたらす環境破壊を訴えてベストセラーとなった。そして、六〇年代以降のエコロジー運動のバイブルのひとつとして読み継がれた。このように、エコロジーの歴史の節目では、女性からの発言が大きな転機となっている。彼女たちを、初期のエコフェミニストだと考えることもできる。
 エコフェミニズムの運動は、一九七九年のアメリカ・スリーマイル島の原発事故をきっかけに、一九八〇年に六〇〇人の女性たちによってアメリカのアムハーストで開催された「女性と地球の生命―八〇年代エコフェミニズム会議」によって、大きく盛り上がった。この会議でエコフェミニズムのネットワークができあがり、一九八〇年、八一年にはアメリカのペンタゴンを包囲して軍事政策を批判する「女性ペンタゴン行動」へと展開した。イギリスへも飛び火した。エコフェミニズム運動は、観念的な男性社会批判としてではなく、男性社会の支配構造の権化である軍事施設をターゲットとした反核運動によって、本格的に開始されたのである。このことは、強調されてよいと思う。
  八〇年初頭のアメリカのエコフェミニズム運動をリードしたのは、イネストラ・キングである。彼女の主張を見てみよう。
 彼女は言う。地球の環境破壊と、核による人類絶滅の脅威は、いままで女性の身体や性を抑圧してきた男性優位の思想によってもたらされた。その背後には、男性が維持してきた家父長制がある。とくに、西欧の白人男性文化の持つ帝国主義は歴史上最も破壊的な権力であった。その権力によって、自然支配が進み、女性や少数民族が抑圧されてきた。
 男性社会とって「自然は、支配者とは本質的に異なる何かであり、対象化され、従属させられたる「他者」となったのだ。家父長制社会においては、自然と同一視される女性も同様に対象化され、従属させられてきた。この意味において、女性と自然は、本来的に「他者」ということになる。」(ロスチャイルド編 一九八三年:六七頁)
 いまや女性たちはそれらに立ち向かう。戦争に反対し、女性に対するあらゆる暴力に反対する。それだけではなく、先住民に対する差別や、地球に対する暴力にも反対する。自然を否定する文化は、女性を否定する文化である。「この自然と、平和と自由の名において私たちの文化を再生すべき時が来た。それができるのは女性である。私たちは見えない人々の声、政治の領域で語れない人々の声、まだ生まれていない子どもたちの声、精神的抑圧体制の中で沈黙を強いられている女性たちの声を代弁しなければならない。私たちは家庭や子どもや地域社会を守ってきた。早くから観察すること、注意すること、育てることを学んでいる。私たちが生物学的な意味での母親になろうとなるまいと、日常の仕事に取り組むときにはこの育てる力を使っている。」(カルディコットほか編 一九八三年:二四頁)
 女性たちは、現在のような、生態系と労働者を破滅させてゆくような仕事に加担してはならない。女性たちは、非暴力思想に立ち、どんな人間たちをも客体=「他者」として搾取してはならない。そして、軍国主義や暴力に対しては、直接行動で立ち上がる。戦争マシンをストップさせ、自分自身の身体とセクシャリティの権利や、毒性のない豊かな地球に対する権利を主張するために、直接行動に参加する。「エコ・フェミニストとして私たちは、地域社会の、個人的なつながりを大切にする小さな集団の女性と共に働き、さまざまの関心や自分たちがつながりを持っているという感覚を共有している。しかし、地域や近隣を越える支配の制度と対決するために、私たちは全国的に、また国際的に行動を共にしている。」(同書:二七頁) キングのめざしている社会とは、「生命と生命の循環を尊重する女性たちが中心となった社会」であり、「平和と解放を進める新しい科学技術をも持つ、序列のない文化を再建する」ことなのである(二七頁)。
 男性による女性支配と、男性による自然支配が同根であるという主張は、すでにキャロリン・マーチャントの『自然の死』(一九八〇年)によって徹底的に遂行されていた。この科学史的労作と、スーザン・グリフィンの詩的書物『女性と自然』(一九七八年)が、八〇年代初頭までのエコフェミニズムに大きな影響を与えた書物である。これらの土壌の上に、運動としてのエコフェミニズムが開花した。そしてそれを理論化してゆく作業が蓄積され、様々なエコフェミニズム理論が生まれた。
  さて、フェミニズム理論はきわめて多様である。リベラルなものからマルクス主義の影響濃いものまで、女権論から母性論まで様々である。エコロジーとフェミニズムの境界領域で立ち上がったエコフェミニズムもまた、それら多様な立場を反映して、複雑な様相を呈している。キャロリン・マーチャントは、最近のテキスト『ラディカル・エコロジー』(一九九二年)において、エコフェミニズム思想を、(1)リベラル・エコフェミニズム、(2)カルチュラル・エコフェミニズム、(3)ソーシャル・エコフェミニズム、(4)ソーシャリスト・エコフェミニズム、という四つの類型に分類している。
 まず、リベラル・エコフェミニズムは、現代の自由資本主義の社会体制を基本的には肯定する。人間は自己の利益を最大化するように行動する合理的主体であり、資本主義が人間にとって最適の経済構造である。そして、各個人が自分自身の潜在的生産力を最大化することが望ましいとされる。このように、合理的主体としては男性と女性の差異はないのだが、教育と経済の機会から女性が閉め出されてきたおかげで、男性社会が生まれた。したがって、女性が男性と同様の社会的な役割を引き受ければ、問題は解決に向かうのである。
 環境問題とは、あまりにも急激な自然開発や、環境汚染物質の規制の失敗から生じた。だから、それらの問題が環境的観点において健全化されれば、環境問題は改善されると考える。「それ故、よりよい科学、保全、法律が資源問題を解決するのにふさわしいアプローチである。」(同書:二五七頁)
  カルチュラル・エコフェミニズム(文化派エコフェミニズム)は、女性の生物学的・心理学的特質のせいで男性よりも見えやすい諸価値を、正当に再評価すべきだと考える。というのも、それらの諸価値は、男性中心の家父長制の歴史の中で不当におとしめられて来たからである。シェリー・オートナーのフェミニズム文化人理学が明らかにしてきたように、多くの文化の中で、女性は男性よりも「自然」により近いものとみなされ、男性よりも一段低い位置におかれてきた。そして、出産・育児・家庭を担当させられ、社会からは隔離された。
 これには歴史的経緯があるとカルチュラル・エコフェミニズムは考える。家父長制が出現する以前の先史時代では、「自然は妊娠した女性の姿、木、蝶、そして蛇によって象徴されていた。そして女たちは生命を生み出す者として大いに尊敬されていた。」(二五九頁) しかし、家父長制の出現によって女性の地位はおとしめられ、科学革命後の機械論はその傾向に輪をかけた。
 いま必要なのは、ふたたび先史時代のように女性と自然の地位を高めることである。女性の身体に内在する自然のリズムや宗教性を称揚するような文化が必要である。彼女たちは、直観、ケア倫理、人間と自然との網状の関係性を重視する。 女性たちが担っている大衆的なエコロジー運動の背後には、このカルチュラル・エコフェミニズム的発想があるとマーチャントは言う。たとえば、核廃棄物、原発、農薬などが、子どもや地球上の生命体に危害を及ぼすと主張して反対運動を行なうとき、その背後にはこの思想がある。公害と闘う多くの女性活動家たちは、自分が流産を経験したり、子どもへの危害が明白になったときに活動をはじめる。そして「母なる大地」などの母性主義イメージを使うこともある。
 ソーシャル・エコフェミニズムは、現代社会の家父長制と資本主義をともに乗り越え、社会を分権化された、人間的な顔をしたコミュニティとして作り変えることをめざす。人間が人間を支配するという、すべての支配システムを終わらせることによってのみ、自然支配もまた終わるのである。具体的には、結婚、核家族、恋愛、資本主義、家父長制による女性への抑圧を打倒し、女性の生のすべての側面、子宮までをも侵している市場的社会関係を変革することである。この立場は、マレイ・ブクチンの提唱するソーシャル・エコロジーを、エコフェミニズムに適用したものと言える。
 マーチャントによれば、ソーシャル・エコフェミニズムは男性と女性の生殖能力の違いは認める。しかし、それらの差異が性的なヒエラルキーと支配とを必然的に導くわけではない。男性も女性もともに、ケアリング(世話活動)にもとづいたエコロジカルな倫理を実践することはできるはずであると考える。
 ソーシャリスト・エコフェミニズムは、マルクス主義フェミニズムのエコロジー版である。資本主義経済システムとそこでの再生産のあり方にとくに注目する。資本主義社会のもとでは、男性たちが交換のための商品の生産を分担し支配する。そして、女性たちは家事と育児といった、労働力と社会的諸関係の再生産を担わされる。そして、女性たちによる家庭内労働には賃金が支払われず、女性たちの担う再生産は、男性たちの担う生産よりも低い位置しか与えられない。この点をまず改革すべきである。
  新しい形態の社会主義によって、それは可能となる。「資本主義は経済成長と競争を前提しており、そこでは自然と廃棄物はともに利潤を最大化することにおいて外部性をなす。それ故、資本主義の論理は持続可能性を妨げる。これに対して、社会主義の論理は人々の貪欲ではなく、欲求の充足を基礎においている。」(二六九頁) だから、新しい形態の社会主義は、持続可能な経済にもとづいて社会を運営し、「人間の生産と再生産を、自然の生産と再生産に調和させる」のである。
 人間の再生産は、女性の身体をとおして行なうしかない。だからいままで、女性の身体は資本主義の道具として利用されてきた。ソーシャリスト・エコフェミニズムは、女性の再生産の自由と権利に着目してそれを守ろうとする。この視点は、とくに第三世界でのエコロジー運動にとっては重大である。
 マーチャントは、以上のように類型化してエコフェミニズム思想を整理している。この枠組みはきわめて簡略なものであり、詳細な主張内容は、それぞれの文献に当たってみなければならない。しかし、複雑なエコフェミニズム思想の大枠をとらえるためのツールとしては有効であろう。
 これらの思想は、主に北米・ヨーロッパなどの先進諸国の女性たちによって提唱されてきた。しかし最近では、第三世界の女性たちの環境保護運動や思想をもエコフェミニズムの枠組みでとらえてみようという動きが出ている。たとえば、インドの女性たちが、一九七〇年代に、木に抱きついて木を伐採から守る「チプコ」と呼ばれる運動を始めたが、これもまたエコフェミニズムの実践である。植民地支配によって先進国から支配され、国内では伝統的な男性社会によって支配されてきた第三世界の女性たちが環境保護に立ち上がるとき、そこにはまた位相の異なったエコフェミニズム思想が芽生えているはずであろう。『ステイン・アライブ』(邦訳『生きる歓び』)を書いたヴァンダナ・シヴァたちがその代表的論客である。
  さて、エコフェミニズムの思想は、一九八〇年代初頭に日本にも上陸した。一九八三年に出版された、青木やよひ編『フェミニズムの宇宙』に、青木やよひは「女性性と身体のエコロジー」という論文を書き、エコフェミニズムの立場を鮮明にした。この書物は、フェミニズム入門という体裁をとっているが、その内容はさきほどのマーチャントの整理で言えば「カルチュラル・エコフェミニズム」が中心である。まず冒頭で、「ニューサイエンティスト」であるフリッチョフ・カプラの「陰・陽バランス」という論文が翻訳され、男性原理と女性原理の相補的調和という思想が提示されている。そして、いままでの西洋文化は男性原理であったが、これからは女性原理にもとづいた新しい文化の流れを作ってゆかねばならないと訴える。カプラは、ここで、エコロジーとフェミニズムの結合を強く訴えている。この考え方がこの書物の基調となっている。
 その他、「エコフェミニズム」ということばを作ったとされるドボンヌのエッセイや、エコフェミニズムの代表的な論文であるスーザン・グリフィンの「いけにえの羊」が訳出されており、エコフェミニズム特集号の趣がある。
  青木やよひは右記の論文で次のように述べる。女性がみずからの女性性を無視して単に男性との平等だけを追求するようなフェミニズムは、近代社会の欺瞞を男性とともに上塗りするだけである。いま必要なのは「女性性」を探求することであり、それはフェミニズムに逆行することではなく、むしろよりラディカルな地平へと至ることである。
 しかし、青木が言う「女性性」とは、男性が女性に一方的に付与してきた「女らしさ」のことではない。それは、人間の心身の奥底に刻み込まれた「天なる父と母なる大地」という宇宙観と見合った形で存在する、雌雄性の分類の一方の極のことである。その女性性のひとつの極限は、「みずからのうちに生命を宿しそれを産み出すという、宇宙の母なるエロスとの一体感に支えられた」妊娠と出産である(同書:二五五、二六七頁)。この女性原理は、かならずしも女だけに見られるわけではなく、「女性的なるもの」として男の中にもあり得るものである。そしてこのような女性性の復権は、女性性が刻印されている身体性の復権でもある。このフェミニズムとエコロジズムの思想的出会いの方向にしか、人類の生きのびる道はないのではないかと青木は結論する。
 青木のこの論文が、日本におけるエコフェミニズム宣言であった。この論調は、あきらかに一九八〇年初頭の英米でのエコフェミニズム運動の盛り上がりと呼応して生じたものであろう。しかし、この青木の論文は、当時論客として登場しはじめていたマルクス主義フェミニスト上野千鶴子から痛烈な反論を浴びることになる。上野は、青木のような「女性原理」派フェミニズムが、既存の男性文化を相補的に補完するにとどまってしまう点を鋭く指摘し、「女性が「男のよき左手」になることに、男性が反対するはずもあるまい」(上野 一九八五年:一五五頁)と切り捨てた。これをきっかけに、いわゆる青木―上野のエコフェミ論争が生じたが、実りある結論が導かれたわけではなかった。むしろ、この論争を通じて、エコフェミは反近代主義・母性主義を導く危険思想だという雰囲気がフェミニズム陣営に共有され、これ以降八〇年代後半にかけてエコフェミニズムが一種のタブーになった感すらある。そのあいだも、海外では、エコフェミニズムは着々と議論を積み重ね、論文集や教科書が出版されるようになっていた。この数年間のブランクは、日本のエコフェミニズムにとって大きな損失であったのかもしれない。
 日本のこのような状況は、一九九三年ころまで続く。九三年にイギリスのメアリー・メラーの『境界線を破る!』が翻訳されたころからふたたび状況は変わりはじめる。海外の書物が翻訳されるようになり、海外のエコフェミニストを呼んでの会合なども開かれるようになる。一九九四年四月には、エコフェミニストであるマリア・ミース、メアリー・メラーらを呼んでシンポジウムが開催された。その司会には、青木やよひ、上野千鶴子らが当たっている。上野はその会議のレポートで、ヨーロッパのエコフェミニズム運動を評価し、環境問題に対する女性の闘いこそ今後のフェミニズムの重要課題であると述べている(上野 一九九四年)。上野千鶴子のこの「転回」によって、日本でもふたたびエコフェミニズムの議論は活性化しはじめるであろう。それにしても、一九八〇年代半ばから約一〇年間の空白期間を許してしまうこととなった日本のフェミニズムの屈折、とくにそれが「母性主義」に触れたときに見せる屈折については、改めて深い考察を加える必要があると思う。
 以下には三本の論文が収められている。まず、最初のジュディス・プラント「新たな世界へ向けて」は、一九八九年に出版されたエコフェミニズム論文集『傷を癒す』の冒頭に収められたエッセイである。エコフェミニズムの簡潔な立場表明である。次は、イネストラ・キングのOOOO年の論文「傷を癒す」である。最近の知見を取り入れて書かれた、エコフェミニストの代表的論客による重厚な論文である。最後に、アリエル・サレーの「ディープエコロジーよりも深いもの」(一九八四年)を載せた。これは、ディープエコロジーの中に潜むジェンダーバイアスを暴いたもので、これをきっかけにディープエコロジー対エコフェミニズムの論争がわき起こった曰く付きの論文である。
 

<参考文献>

青木やよひ編 (一九八三年)『フェミニズムの宇宙』新評論
青木やよひ (一九八六年、九四年増補)『フェミニズムとエコロジー』新評論
上野千鶴子 (一九八五年)「女は世界を救えるか」『女は世界を救えるか』勁
 草書房(一九八六年)所収
上野千鶴子 「「進歩と開発」という名の暴力」『世界』一九九四年一〇月号:
 二二五〜二三三頁
カルディコット、レオニー+ルランド、ステファニー編『地球の再生』三一書房
 (翻訳一九八九年)
クラーク、ロバート (一九七三)『エコロジーの誕生―エレン・スワローの生
 涯』新評論(翻訳一九九四年)
桜井裕子 (一九九〇年)「エコロジカル・フェミニズム論争は終わったか」江
 原由美子編『フェミニズム論争』勁草書房:一一九〜一四六頁
ダイヤモンド、イレーネ+オレンスタイン、グロリア (一九九〇年)『世界を
 織りなおす』学芸書林(翻訳一九九四年)
マーチャント、キャロリン (一九九二年)『ラディカルエコロジー』産業図書
 (翻訳一九九四年)
メラー、メアリー (一九九二年)『境界線を破る!』新評論(翻訳一九九三年)
ロスチャイルド、ジョアン編 (一九八三)『女性vsテクノロジー』新評論
  (翻訳一九八九年)
 
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