本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです
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雑誌『仏教』(法藏館)に足かけ4年間にわたって連載された「現代生命学入門」シリーズの第1巻です。最初は、本にしようと思ったのだけれど(全体で400字詰め350枚はある)、もう一回完璧に書き直すつもりなので、本にはしません。でも、いまのところ、「生命学」の広がりを示す唯一の文献なのだ。まだまだ浅い記述が多いので恥ずかしいのだが、あえてここに全文を公開する。引用するときには、オリジナルの雑誌に当たって、ページ数を確認してください。
リード文は、雑誌連載時に編集者がつけた文章です。
引き裂かれた生命(3)[98/2/9] 生命の本性のうち「自己利益の本性」とは何か。その四つの内容−−自己防衛、自己生存、苦痛の除去、快適さの追求−−を考察し、さらに「自己」とは何かを、ヒューマニズムやナショナリズムを絡めて考える。(1996年)
引き裂かれた生命(4)[98/3/7] 自己利益の本性の発現には様々な側面がある。国家・民族に自己同化すれば、それは「連なり」に基づくという逆説を生む。差別と平等の共犯関係をもたらすこともあり、その結果として暴力とも結び付きやすい。(1996年)
引き裂かれた生命(5)[98/3/7] 私たちはなぜ助け合おうとするのか。なぜ、ときにいのちまで捨てて自己犠牲をするのか。それら「ささえの本性」は本当に、常に他者のためになるのか。利他行為を利己的遺伝子の戦略とする流行の議論の不毛を衝く。(1996年)
引き裂かれた生命(6)[98/3/7] 利他的援助は賞賛され、利己的援助は否定されるべきなのか。この二つの援助のあり方は、明確に区分できるのか。援助のあり方や、その主体・客体を超えて生じる「助けたい」という思いの連鎖をうまくつなぐには。(1997年)
引き裂かれた生命(7)[98/3/7] 目の前の困っている人を助けたいという「ささえの本性」が権力支配関係を生み出すのはなぜか。集団の全体や主要部分を配慮し、種を生き延びさせたいという願いが「ささえの本性」を変質させる過程を検証する。(1997年)
引き裂かれた生命(8)[98/3/7] 強者が弱者のためを思って良い方向に導こうとするパターナリズムは、往々にして権力支配関係を生じさせる。子を思う親の「愛という名の支配」は、子どものパーソナリティ形成にどのような影響を与えていくのか。(1997年)
引き裂かれた生命(9)[98/3/7] 自然保護と開発をめぐる対立や、人工妊娠中絶に関する論争の底に横たわっている、人間の本性とは何か。内に矛盾を抱えた三つの本性が、さらに激しく衝突する避けがたい構造を、現場に即して具体的に考える。(1997年)
引き裂かれた生命(10)[98/3/7] 人間に刻み込まれた三つの本性はさまざまな局面で衝突を繰り返し、その中で我々の生命はたえず引き裂かれている。その衝突を具体的に考察し、そこで翻弄される人間の姿を通して、現代文明の本質を明らかにする。(1998年)
引き裂かれた生命(11)[98/6/27] 私たちの生命は三つの本性の間で引き裂かれており、誰もそれを避けることができない。ではどのような引き裂かれ方を選択し、そこでどういう生き方をすべきなのか。新しい生命論を展開した、話題の連載の完結篇。