本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです
『仏教』36号 1996年7月 176−187頁
読者の声が聞きたい
本を出すたびにいつも思うのは、私の本を読んでくれた読者がいったいどんな感想をもってくれたのかを知りたいということ。日本の読者は、見知らぬ著者に手紙を出したりするのがおっくうなのか、それとも、やっぱり恥ずかしいのか。出版後に私のところに手紙をくれるのは、ほとんどが講演依頼か原稿執筆依頼である。読者からの反応は、多くて二〇通ほど。
返事を書くべきだと思ったお手紙には、きちんと返事を書いている。約半分くらいに返事を書いたとしても、一〇通かそこら。ちょっと拍子抜けするような数である。
とくに精魂込めて書いた本に対しては、何かの形で、読者からフィードバックがほしい。ここが面白かったとか、ここはこういうふうに展開したらもっといいとか、ここはこういう理由でつまらないとか、そんな声が届けば、「書いてよかったなあ」「次からは反省して気をつけよう」と、はげまされる。
だから、読者と意見交換ができるような、なにかうまい方法はないものかと考えていた。
今年の三月に『宗教なき時代を生きるために』を法藏館から出版した。これは、オウム真理教事件を素材にして、この時代に生きなければならない我々の生のありかたを、自分自身の体験に基づいて徹底的に論じ詰めたものだ。私自身、科学者への道を断念して精神世界の探求に入っていったわけだから、オウムの科学技術省の若者たちのことをひとごととは思えない。自然科学は、「生きる意味は何か」という問いへの答えを与えてくれなかった。しかし、それを与えるという「宗教」にも、私は入ることができなかった。だから、私は、科学にも行けず、かといって宗教にも乗れずに、そのあいだで中ぶらりんになりながら、ひとりで生の意味について考え、もだえ苦しみつづけている。
でも、そういうふうにもがいている人は、私だけではないはずだ。この世界のなかには、私と同じような悩みに取りつかれ、同じような穴ぼこでもがいているたくさんの人たちがいるはずだ。
私がまだ出会ったことのない、そのような人たちに、「きみだけではないんだよ」とメッセージを送り、それぞれの孤独を多元的にささえあっていく何かのネットワークができないものか。
私はそう訴えた。
いままで何冊か本を書いてきたけれど、『宗教なき時代を生きるために』は、私にとってほんとうの転機をなすものであった。こんなふうな形で、見知らぬ読者にメッセージを送ったのははじめてのことだし、その内容も、えげつないまでに自分というものをさらけ出している。原稿を読んでくれた人の何人かは、「これ、ほんとうに出版するんですか」と顔をひきつらせた。
でも、オウム事件がおきた以上、もう自分を傍観者の安全地帯においたまま、評論家づらをして「生命学」なんて語れない。そういう思いにつき動かされて、自分の人生を賭けて出版することにした。(実際、この本の出版で、私の学者生命は断たれた感がある)。
この本のメッセージは、オウムのような共同体を作ることなく、人々が孤独のまま遠くから多元的にささえあっていくことはできないのだろうか、というのものだ。そして、そのような形のささえあいを可能にするようなネットワークを見出したい。これが、私の言いたいことの核心である。
だから私は、私のことばを読者のこころの奥底まで届けたかったし、逆に、読者からのメッセージをどうしても聞きたかった。この本を媒介として、「私もここにいるよ」という交信のネットワークを読者とのあいだに成立させたかったのだ。なぜなら、そういう人々のあいだで反響しあう交信のさざ波を生み出さないかぎり、この本の出版の目的は達成されないと思ったからである。そして、そのようなさざ波の運動こそが、私の構想している「生命学」の基盤となるはずだからである。
パソコン・ネットを利用する
本を出版して、あとは出版社まかせにして安穏としていたくはなかった。本を書店の棚に並べるということ以上の、何かの試みができないものか。読者とつながるための、何かの方法。
そのときに思いついたのが、パソコン通信である。
私は、一九九三年に『意識通信』(筑摩書房)というメディア論を書いて以来、ニフティーサーブという商業パソコン通信を、生活の一部として使っている。ニフティーサーブは、会員数も一〇〇万人を超える国内の最大手のパソコン通信ネットである。古参のユーザーを多くかかえ、インターネットともつながっているので、とても重宝している。これを利用する手はないかと考えた。
『宗教なき時代を生きるために』の初校の直しができたのが今年の一月はじめ。中嶋編集長の許可を得て、ためしにその完成原稿を、ニフティーサーブに流してみることにした。
二月はじめに、ニフティーサーブのなかに自分専用の会議室を開設し、そこに『宗教なき時代を生きるために』の全原稿を流し込んだ。原稿はハードディスクにはいっているから、簡単にできる。それから、ニフティーサーブの掲示板(誰でも見ることができる告知版)やフォーラム(特定のテーマで議論している公開の会議室)に、「広告」を出してみた。「オウム論を書いたので、三月の出版前に見にきませんか」という内容のものだ。
掲示板に乗せたメッセージを何人の人が見たのかは、自動的にカウントされる。私があちこちにばらまいておいたメッセージを見た人は、半月ほどで、それぞれ一〇〇件を突破した。それらのメッセージを見た人たちが、三月の半ばころから、ぞくぞくと私の会議室に入ってきて、原稿をダウンロード(自分のパソコンに原稿をコピーすること)しはじめた。こうやって、三月の出版以前に、私の原稿は数十名の見知らぬ人々の手に渡ってしまったのであった。
これは一種の実験なのであるが、実はいろんな問題があった。ひとつは著作権と営業権の問題である。出版前の原稿を電子的にばらまくということは、それが勝手にコピーされて悪用される恐れもある。それに、出版社側にしてみれば、出版後の読者をそのぶん失うかもしれないので、戦々恐々である。でも、三月出版までに悪用する人もいないだろうし、もし読者を失ってもせいぜい数十人だろうから目をつぶろうということで、妥結した。もうひとつの問題は、ニフティーサーブの掲示板にそういうメッセージを載せることを、ニフティー側が「商業的行為」だとみなして苦情を言ってくるのではないかというものであった。これはボーダーラインのケースだと思ったが、思い切ってやってみた。すると、ある掲示板に載せたものをニフティーの管理部門が発見して、私宛に警告文書を送り付けてきて、そこのメッセージは強制的に削除されてしまった。やはり、「商業的行為」に当たるというのである。私は、「ごめんなさい」メールを送って和解したのであった。やれやれ。
電脳会議室の実態
ところで、会議室には、原稿を読んだ人が自分の意見を自由に書き込めるようにしておいた。こうしておけば、読んだ人からのリアルタイムの意見やメッセージを受け取ることができると思ったからである。それに、この会議室に意見を書き込むと、ここを覗きにきたすべての人がその意見を読むことができる。そして、その意見について何か言いたいことがあれば、その意見のあとに自分のメッセージを貼り付けることができる。みんなが見ている前で、矢印を付けて、次々と意見を黒板に書き込むようなことができるのだ。
記念の第一号のメッセージは、ある女性からのものであった。それを皮切りに、ぼつぼつと意見が寄せられるようになった。私も、寄せられた意見に対しては、できるかぎりコメントをするようにした。すると、そのコメントを読んで、ふたたび意見を書いてきたりする。こうやって、みんなに見えるところで、何本もの対話や座談が続いていく。
こうやって、三月の出版以前に、すでに一〇名ほどの人々によって、本の内容にかんする討論がはじまっていたのである。発言していたのは一〇名ほどであったが、その討論を見ているだけのギャラリーは、その数倍はいた。パソコン通信の慣例で、発言する人は自分のことを「ニックネーム(ハンドルネーム)」で呼ぶことが多い。会議室では、その人が本名を明かさないかぎり、実名は分からない。私は会議室の管理者だから、どのようなニックネームと会員番号の人が、いつ会議室に入ってきたかが、すぐに分かるようになっている。結論から言うと、私の会議室にいままで入ってきた人の九五%は、私の知らない人である。そのような見知らぬ他人の前で、見知らぬ他人を相手にしながら、「宗教」や「生命」なんかについて多人数で討論を続けているという情景は、パソコン通信ならではのものである。
さて、三月一〇日に出版された本の最後のページには、ニフティーサーブの私の会議室への入り方が載せてある。本を買った人が、たまたまニフティーの会員であった場合、その人は本を読み終わったあと、すぐに会議室に入って討論に参加できるわけである。私の側から見れば、読者からのリアルタイムの意見を知ることができるわけだし、読者にしてみれば、本を書いた著者とすぐにコミュニケーションできる。それに加えて、会議室に入ってくれば、本を読んだほかの読者たちがどういう意見をもっているのかを知ることもできる。
三月の半ばころから、出版された本を読んで会議室に入ってくる人が出はじめた。彼らは、それまでに蓄積された議論をダウンロードして会議室の様子をうかがったり、たんにメッセージのタイトル一覧だけを流し読みしてそのまま去って行ったりした。そのうちに、本を読んで入ってきて、会議室で発言する人たちがぼつぼつと現われた。書籍というメディアの通路がついたおかげで、パソコン通信のBBSを経由しない人たちが続々と参加するようになり、参加者のバラエティが多様になった。四月ころになると、本の書評が新聞等に載りはじめた。新聞を読んで本を買い、会議室に入ってきたと言う人も出てきた。私が出演したテレビ番組を見て本のことを知った人もいた。こうなってくると、本の最後の頁にパソコン通信の会議室のアドレスを公開するという手法が、一種の「マルチメディア」「メディアミックス」として機能したことになる。新聞、テレビ、雑誌、書籍、そしてパソコン通信。メディアの種類を超えたネットワークを伝って、いろんな人がパソコン通信の会議室に流れ込んでくる。
六月一三日現在、この会議室に入ってきた人は一八〇名。蓄積されたメッセージの数は、三一一件。今日現在で、三〇〇番のメッセージまで読んでいる人を数えてみると、四六人いる。自分のペースで読んでいる人と、ポインタにひっかからない形で読んでいる人を含めれば、おそらく六〜七〇名くらいはフォローしているものと思われる。アクティブにメッセージを書き込んでいる人は、だいたい一五人前後か。いまなお、一日に一名くらいが新たに入ってきている。
これを、活発な会議室だと見るのか、それとも沈滞していると見るのかは、とてもむつかしい。他人のメッセージを読むだけで、自分からは書き込まないROMと呼ばれる人々の割合や、入ってそのまま出ていく人々の割合が、ほかの会議室ではどうなのか分からないからだ。(ちなみに、私が世話人のひとりをして<現実世界>で開催している研究会では、毎回二〇〇人くらいに郵便で案内を送り、参加者が数十名、ディスカッションで発言する人が十数名だから、現在のこの電子会議室と同じ状況だということになる)。
でも、この会議室を運営して、みんなのメッセージにコメントを付けていく作業を四ヶ月続けてきた私の実感から言えば、いろんな意味でとてもエネルギーを使う空間であることだけは間違いない。なぜかと言えば、発言する人のなかには宗教を信仰している人もたくさんいるし、宗教は信じないと言う人も同じくらいいる。そして、その宗教も、名乗りを上げているだけで、キリスト教、仏教、創価学会などがあり、ROMの人たちのあいだにはもっといろいろな宗派の人もいるだろう。オウムの人もいるかもしれない。そういうバックグラウンドをもった人たちが、「宗教とは何か」とか「森岡の本はほんとうは宗教書ではないのか」とかの話題を毎回繰り出してくるわけだから、これは疲れる。それに加えて、意見のすれ違いや、ときにはけんかみたいなことも起きそうになるので、それを調整しないといけない。実際にこの作業をやってみると、みんなからのメッセージを読んで学ぶことが多い半面、とてもしんどい気分になることもある。はじめは、全員からのメッセージにコメントしようなんて思って実行していたが、途中からさすがにそれはできなくなった。いまはもう、流れにまかせて、反応すべきだと思ったものだけにコメントをつけている。
第三の道をめぐる激論
さて、この会議室では、どんな論議がなされてきたのだろうか。
ほんとうは、このエッセイはそれを紹介する目的で依頼されたのだが、いろんな事情があって、その具体的な「書き込み」をここで紹介するわけにはいかない。というのも、この会議室は、そこでの発言を無断で他に転載しないという暗黙のルールのもとで運営されているのである。だから、その内容を雑誌に引用したりすることは、参加者に対する背信行為となる。そういうことがないのだという気分で、みんな発言しているのだろうから、やっぱりやってはいけない。それに、実は、著作権の問題もある。電子情報の著作権というのは、いま法的にもめている案件であり、取り扱いが微妙である。
だから、私の記憶に残っている議論を、私自身のことばでかいつまんで紹介することにしたい。これならば、参加者のみなさんのお許しを得られるだろう。
議論が繰り返し集中したのは、私の言う「宗教でも、科学でもない、第三の道」というのがいったい何なのかという点と、私の言う「ささえあいのネットワーク」の実体が分からないという点だった。
私は本のなかで、科学では満足できないが、かといって宗教にも乗れない人々が、科学でも宗教でもない第三の道をとおって、生きる意味を模索していくことはできないのかと問いかけた。
しかし、その第三の道というのも、結局は「生きる意味をどこまでも模索していく」という「信仰」で結ばれた、一種の宗教的な共同体になってしまうのではないかという疑問が、参加者たちから何回も出された。とくに、本のなかで、私は、自分自身の煩悩をどこまでも見据えていく「煩悩の哲学」というものを提唱しているが、それこそまさに「仏教」がやろうとしたことなのであり、実は森岡も「信仰」をめざしているのではないか。
さらに、次のような意見も出た。森岡は第三の道と言っているが、たとえばこの会議室の様子を見ていると、これは森岡という教祖を囲むファンクラブみたいに見える。ほんとうは、こういう形の宗教教団を作ろうとしているのではないか。森岡は、それを回避するために九月一〇日にこの会議室を閉鎖すると言っているが、解散することでこの会議室が「伝説」になっていくことは予想されており、そうやって森岡はカリスマ度を高めていくのではないか。
その他にも、宗教や信仰を否定すると書いているが、本を読んだ印象から言えば、むしろ森岡の文章から「信仰」みたいなものを実感するという感想もあった。
これらの意見に対して、私は「そうかもしれないが、でも、ぜったいに宗教には行かないよ!」という返答を繰り返すしかなかった。第三の道って何なのか見せてくださいという問いに対しては、いまはまだ模索中なのでお見せできませんが、これから作り上げていくつもりですと答えるしかなかった。なさけないのだが、この点を突かれると、私はこう答えて防戦する以外にない。
次のような問いかけもあった。第三の道では「生きる意味」や「私はなぜ存在するのか」について「答え」を与えることができない。でも、そういう答えを待ち望んでいる人はたくさんいる。そういう人たちに、森岡のことばは届かない。それに、第三の道を行くという人たちは、ほんとうに、「答えがない」という状況に耐え続けられるのか・・・・。
ただし、集まってくる人たちをいつ「離れされる」かということを念頭に置いているかぎり、その集団は閉じた宗教教団にはならないのであり、そこに気を付けていれば第三の道でもいいのだというような反論もあって、私はちょっとなぐさめられたりした。
ささえあいのネットワークは可能か
ささえあいのネットワークについては、賛否両論あった。私は、生きる意味を求めて孤独に立つ人たちが、遠くからお互いの孤独をささえあっていく多元的なネットワークが必要だと書いた。そして、パソコン通信のような電子メディアで、なにかのきっかけをつかめないものかと考えていた。
参加者のなかには、この会議室を知って、ここに意見を書き込むことで、なにかしらこころが安らぐと言う人もいた。ここで、いろいろと意見を交わすことは、とても大事なことだと言う人もいた。
しかし同時に、森岡の言うネットワークとは具体的に何なのかが分からないという批判もたくさん出た。それは、この会議室のような電子的なネットワーク、あるいはインターネットみたいなサイバースペースのことなのか、それともそれ以上のものを意味しているのか。森岡はネットワークのささえあいと言っているが、書き込んでくる意見にきちんと対応しているわけでもなく、参加者を放り出していることもあるじゃないか。結局は、尾崎豊の作った空間みたいなものになっているのじゃないのか。などなど、いろんな疑問が飛び交った。
私の言う「孤独のささえあいのネットワーク」というアイデアについては、全く異なる二種類の反論があった。
ひとつは、それが「きびしすぎる」というものである。人間はそんなに簡単に孤独に立てるわけではない。「答えがない」かもしれないときに、それでもひとりで立ち続けられるほど人間は強くない。にもかかわらず、森岡はそんなきびしいことを呼びかけている。この世の中には「おすがりしたい」人もたくさんいるわけで、そういう人たちのところまで、その呼びかけは届かない。
もうひとつは、逆にそれは「甘え」であるというものだ。ひとりで立つと言いながら、でも仲間を求めて群れようとしている。これは、結局、ほんとうにはひとりで立てない人間の「甘え」なのであり、お互いに寄り掛かって、舐めあう共同体を作ろうとしているように見える。群れるためのネットワークなんて作らなくていいんだ。
このように、まったく逆の方角から同時に批判されると、いったいどう答えればいいのか分からなくなる。「きびしすぎる」こともないし、「甘え」でもないという反論をしても、説得力はないかもしれない。いまだに、頭を悩ませている。
あと、ネットワークが必要だと言うけれども、世の中にはこの本をけっして読まないような人がほとんどなのであり、そういう人たちへのネットワークをどうしていくつもりなのかという意見があった。これも、きびしい意見である。
また、この本での森岡や、尾崎豊などは、「まじめさ」が突出しているのであり、そういう「まじめさ」が暴走するとオウムになってしまう。だから「まじめさ」でむすばれたネットワークというのは恐いという意見もあった。(井上章一との対談『男は世界を救えるか』(筑摩書房)を読むと、それが誤解だということは分かるはずなのですけどね)。
このように、ネットワークにかんしても問題点が山積しているのであるが、でも二〇〇名近い人たちがこの会議室を覗きにきているということは、そういうものに対する予感や期待めいたものを、多くの人たちが抱いている証拠であろう。全然、楽観はできないけれど、しかしこの方向への模索を続けていくしかない。
教育の問題
あと、派生して出てきた重要な論点として、現在の「学校教育」をどう考えればいいのかという議論が続いている。私の本と同時期に出版された、鳥山敏子の『賢治の学校』(サンマーク出版)をめぐって、体制的学校へのアンチテーゼとして、ほんとうにそれが機能しているのか、「賢治の学校」からドロップアウトした人はどうすればいのかなど、かなり深い問題提起がなされている。
学校教育で「いじめ」が深刻になったり、「不登校」が激増しているという事態こそが、オウムを生み出す土壌となったのだという認識は、けっこう共有されているという印象を私はもっている。その意味で、教育の問題と、オウムの問題は、はっきりと通底しているのだ。だから、学校教育へのアンチテーゼである「賢治の学校」やフリースクールの実践内容は、どこかしらオウムの修行に似てくる。みんなで歌をうたったり、集団で身体運動をしたり、カリスマ的な力を持った人がたばねていたり。ニューエイジ的な世界観が共有されていたりすることも多い。
宗教を考えることが、教育を考えることにつながるという視点は、大事にしていきたいと思う。
その他にも、日本企業の問題や、トランスパーソナル心理学との関連性など、いろんな話題が持ち出されている。
いま紹介したのは、あくまでも私のことばによるおおざっぱなまとめである。正確な内容を知りたい方は、会議室に入って確認していただきたい。
二月初旬から四ヶ月この会議室の運営をやってみて、正直なところ、疲れがたまってきている。電子メディアで会議をすると、議論進行のペースが異様に早くなる。へたをしたら、毎日アクセスしていないと、流れがつかめなくなる。だから、たいへんな集中力が必要となる。実際に経験して言えることは、会議室のシスオペ(運営係)はあまりお勧めできません、ということだ。やるんなら、よっぽど腰を据えてかからないと、たいへんなことになる。でも、九月まで、なんとか乗り切っていきたい。
今回のメディアミックスの実験は、たくさんの可能性の芽を生み出したと思う。読者が、匿名のまま、著者やほかの読者たちとリアルタイムでやりとりできるというのは、いままでなかったことだ。それも、本を購入したその時点から参加できる。会議室を開いた私も、最初は目から鱗が落ちる思いがしたが、読者のほうもきっとそうだったであろう。今回は、ニフティーサーブという商業パソコン通信を利用したが、今後はインターネットのほうがいいのかもしれない。メディア論の実験としても、とても面白かった。九月にはこの会議室は閉じられるが、ここを覗いた人たちに、なにかの意味ある印象を残すことはできたと思っている(会議室への入り方は、拙著『宗教なき時代を生きるために』の最後の頁にあります)。
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