本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです
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森岡正博(1958年生まれ)
自己紹介
Photo copyright:AsahiShimbun 1996
大阪府立大学総合科学部人間科学科教授でございます(写真は朝日新聞学芸部撮影1996年。いまはもうちょいおじさんになっている)。1997年4月からこの大学に移ってきました。この学科は、人文科学、社会科学にまたがった総合的研究をめざしています。私はそのなかで、現代思想・現代倫理学みたいなことを好き勝手にやっています。担当科目は、一般教養の現代思想・倫理学、専門科目の倫理学演習などですが、扱う内容は、生命倫理、環境論、ジェンダー論、臨床心理学、科学論、現代思想などめいっぱい学際的にやっています。卒論などのテーマも、めいっぱい広げてもらってます。でも、基本的には現代の社会と人間の問題にしていただいていますが。(私は過去の文献学はできないもので・・・・・・)
1998年4月から、大学院修士課程(総合科学研究科)、博士課程(人間文化学研究科)も担当しています。学部と同じように、学際的・総合的な研究をサポートしていきます。
99年は、なんとかしていま連載中の「無痛文明論」に形を与えたい。でも、これってどういうふうになっていくんだろう。われながら、行き先不明なのです。いま「無痛文明論」(4)まで書いている。たぶん、あと2回くらいは連載して、今年が終わるだろう。それから、その残りをじっくりと書き上げて、本にして出版したいと思ってます。懸案の勁草書房から出すはずの論文集、なんとか今年中に形にしたい。がんばろう。
自宅は堺市にあります。職場まで30分で行けるのでありがたいのだが、堺市というと、自然環境が最悪というか、ダイオキシン濃度日本最悪、大和川は一級河川での汚染最悪(完全にドブだもんね)など、地方都市の矛盾に直面しております。地球環境よりもまず、地域環境をなんとかしないといけないとはじめて思った。
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著書紹介
単行本
1『生命学への招待−バイオエシックスを超えて』勁草書房 1988年4月
全269頁 本体2301円
(7刷りから2700円に値上げするらしい(^^;))
ああ、いまやなつかしい最初の本です。たしか大学院博士課程にいたときに無我夢中で書いたんだよなあ(詳細は生命学ライブラリ1にある「ある哲学者の内面構造」参照)。生命倫理と環境倫理を同じ土俵で考えて、生命と科学と文明を総合的に捉える「生命学」の必要性を訴えたもの。初版は2000部刷って、なんとか年末に増刷されました。その後、ちびちびと増刷されていまは7刷7000部くらいまでいってるんじゃなかったっけ。でも、いま読みなおすととてもはずかしくて抹殺したくなる。意味あるのは、そのなかにある「姥棄山問題」だけだな。あとは、生命学を1988年に提唱したという歴史的事実だけ。でもまあ、不思議なことに、この本のファンという方々がおられるのです。足を向けては寝られません。最初の本では、思いっきり恥をかいたほうがいいのかもしれん。
目次+本文抜粋
2『脳死の人』東京書籍 1989年3月 全237頁
→福武文庫 1991年6月 全259頁 本体612円
これが事実上の出発作だと思っております。当時は、立花隆の『脳死』が注目を集めていたが、なんか違うような気がして、上記の本を出してからすぐに書き始め、夏休みから秋にかけて一気に書き上げた。脳死を、人と人との関わり合いとして捉えなおしたもの。その後の「脳死の人」という言い方は、この本から定着したみたいです。私が書いた本のなかで、いちばん「いい本」だと思う。授業で使うために読みなおしてみたけど、まだ内容は生きてる。でも、こういう本は、もう二度とかけないと思う。単行本版は5000部刷って完売。文庫のほうは、いま2刷で1万6000部くらいだっけ。でも、もう10年もたつのに、この本の医療批判がまだ意味をもっているとは、日本の医療界って、何なの?
目次+本文抜粋
書評 『脳死の人』
3『意識通信』筑摩書房 1993年4月 全220頁
本体1893円
一転して、電子メディア論を書いてしまった。でも、この本のためにまるまる4年間かけてしまった。当時は、まだ日本に電子メディア論というのはほとんどなかった。なんせ、インターネット以前の時代です。1991年にアメリカに1年間いて、資料を調べまくったが、アメリカの大学にもまだインターネットはなかったぞ。前半は、「意識通信」というあたらしいコミュニケーション・モデルを提唱しています。触手のうごめきと意識の変容という図式。はっきり言って、これは全面的に新しいです。海外でもこんな考え方は存在しません。輸入物ではない社会学のモデルです。たぶん、いずれ英語世界にも紹介されるでしょう。この部分は、その後のメディア論の教科書などにも引用されるようになってきています。後半は、なんと言いましょうか、いまある学問という枠を超えてしまった。学者が読むと拒否反応で鳥肌が立つと思う。「ドリーム・ナヴィゲイター」の旅なんですけど。ちなみにこの命名は「ネットスケイプ・ナヴィゲイター」以前です。この後半部分は、どの業界からも完全無視されておる。引用、言及ほぼなし。電子メディアの海の集合的無意識の深層に旅するということなのだが・・・。4000部くらい刷ったがいまだ在庫あり(^^)。第9回テレコム社会科学賞というのをもらってしまいました。不思議。
目次+本文抜粋
書評 『意識通信』・その1
『意識通信』・その2
4『生命観を問いなおす』ちくま新書 1994年10月 全205頁
本体660円
5『宗教なき時代を生きるために』法藏館 1996年3月 全229頁
本体1942円
6『自分と向き合う知の方法』PHP研究所 1997年6月 全235頁
本体1333円
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共著・対談
1『「ささえあい」の人間学』法藏館 1994年1月 全353頁
本体3495円
1988年に京都の研究所に就職して、『脳死の人』を出版してから、それまで東京で生命倫理について一緒にやってきた仲間4人(赤林朗・斎藤有紀子・佐藤雅彦・土屋貴志)と、21世紀の社会のなかでの生命の問題とはなんだろうということを考える研究会をつくった。それで、2ヶ月に1度くらい東京に集まって、自由にいろいろ議論してみた。そして、毎回、みんなが何か自分の考えを文章にまとめて交換しあって、それをもとに議論しようということになった。そんな研究会を3年間ほどやってみたら、次の人が前の人の意見を受け継いで批判したり展開したりする一連の論文集みたいなものができあがってしまった。それをその順番でまとめたのが、これです。はじめたときには、私が30歳で最年長だったから、若かったなあと思う。私としては、恥ずかしい文章もたくさんあります。いろいろ言われてきました、はい。いまとなっては赤面です。初版はえいやっと思い切って2000部。でも、なんと増刷していまは3刷4000部までいっています。この堅い内容でよくぞここまで読んでくれたと、ほんとうに感激です。たしかに、社会福祉の哲学をここまでしこしこ議論している本はめずらしいかもしれない。
2『電脳福祉論』学苑社 1994年11月 全201頁
本体1456円
3『生命・科学・未来』(養老孟司との対談) ジャストシステム 1995年4月
全254頁
本体1748円
ジャストシステム、そう、あの一太郎の編集部門の編集者が、対談の話をもってきた。で、養老孟司さんとならやりたいと言ってみたら、ほんとうに実現してしまった。天下の養老さんと対談本を出せるなんてなんとラッキーなやつ、と思いながら対談に臨んだのだが、なんと当日胃炎になってしまって、おいしそうに学士会館で食事をする彼を前に、私は食パンをちびちびとかじっていたのだった。そのせいもあってか、対談ではずっと押されっぱなし。がんばろうとしたが、胃が痛い(笑)。テープおこしをあとでもらってから、徹底的に手を入れました。養老さんは、ほとんど手を入れませんでした(笑)。で、できあがってみると、けっこういい本に。マニアックな編集者のつけた註も見もの。対談集としては、最高水準までいってるんじゃないのかな。出版と同時にオウム事件がおきた。この本の内容も、いまから考えれば、オウム的な雰囲気を先取りしていると言える。初版7000部。直後に1000部増刷しました。
4『男は世界を救えるか』(井上章一との対談) 筑摩書房 1995年7月
全196頁
本体1650円
美人論研究者、井上章一と行なった「知の格闘技」爆笑対談集。でも、内容は、すんごく濃いぞー。序章の「男は世界を救えるか」は、フェミニズムをまじめに受け止めたり、おちょくったりしながら、お互いのトラウマを突っつきあったあやしい対談。発表当初から、フェミニズム陣営より非難ごうごう。まじめなフェミニストからは絶交されてしまいました。「教授会のあいだに読んで、笑い声を押さえるのに必死だった」という有名フェミニストもいるにはいたが。そのほか、売春と臓器移植の同型性をえぐったものや(1990年初出。いまから考えると時代を先取りしていたなあ)、ロリコン、禁煙などもりだくさん。こんな本を書いた者がフェミニズムに理解を示すなんてけしからんという声がいまだに浴びせられております。過去の汚点はきえません。みなさんも気をつけましょう。3500部刷ったが、いまだに在庫あり。マニアックな方々しか買ってくださいませんでした。ナルシスティックな本は、そうなります。私自身は、最終章の「禁煙運動における愛と権力」がいちばん好きです。
書評 『男は世界を救えるか』
5『現代文明は生命をどう変えるか』(6名との対談)法藏館 1999年1月
全237頁 本体2400円
97年にNHK未来潮流で放映された私の対話編「生老病死の現在」の収録テープを、その未発表部分をも含めて活字化したもの。放送では流れなかった「濃い」対話部分や、おいしいところが、きちんと再録されている。放送を見た方は、ぜひ放送との違いを確かめてね。テレビって、どういうところをカットするのか、とかさ。対話者は、柴谷篤弘「洗脳としての科学文明」、玉井真理子「生命選択の技術と倫理」、大越俊夫「不登校と命の活性化をめぐって」、柏木哲夫「ホスピスが支えるいのちの意味」、多田富雄「老いと死を見直す視点」田沼靖一「二重にプログラムされた死」です。とくに、柴谷さんと、多田さんのものは、未放映部分が面白い。あとがきにも書いたけど、「思想とサイエンス」の現在を浮き彫りにしたような本になったと思います。でも、この収録、ようやったなあと思う、ほんとに。対話してくださったみなさん、ありがとう! 初版3500部。しかし、表紙に活字の多い本やなあ。でも不思議にスマートな装丁。
出る予定の本
1 『生命と他者(?)』勁草書房 ジェンダー論ということでまとめようと思っていたが、挫折。そのまま延期していたが、今年の脳死臓器移植に触発されて、生命倫理についての論文集としてまとめようと思い立つ。そのなかに、フェミニズム生命倫理を含み込もうと考えています。『生命学への招待』の書き直しみたいなものになるのかな。ああ、思い立ったら、はやくやらないと・・・・。ことし中になんとか出版したい。このライブラリに入っているものを、いくつか使う予定。ライブラリにわざと入れてないものをいくつか加える。いい本になりそうなんだけどな。
2 『無痛文明論』法藏館 (雑誌連載終了は2000年か)・・・・・・生命学第2巻は10年は出ませんと言っていたが、急遽、出ることになった(笑)。そうです。『宗教なき時代を生きるために』の続編なのです! ひとりで盛り上がっています。切れる少年、自傷行為、生殖技術などを意識した現代文明論。生命と身体の関係論に新たな枠組みを提示します。前著をうわまわるパワーと構想力で書き上げるぞ。季刊『仏教』誌に特別集中連載しております。7月に連載第4回が掲載されます。このページに遅れてアップします。書き直すときに、みなさんのご意見を聞きたい。まちがいなく、私の代表作になる(10年たったら、これを超えるものを書きたいのだがな)。
3 あと、新書とか、書こうかなって思ってるよ。まったくの未定。
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