本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです
森岡正博『宗教なき時代を生きるために』法藏館 目次+本文抜粋
はじめに
第1章 宗教なき時代を生きるために
「はじめに」全文
宗教なき時代を生きるために。
そのために、私はどうすればいいのだろうか。
生きる意味とは何か、私が存在するとはどういうことか、これらの問いに自然科学は何も答えてくれない。
しかし、それらの問いに解決を与えてくれるという宗教を、私はけっして信仰することができない。
科学にも満足できず、かといって宗教の道にも入ることのできない、この宙ぶらりんの私は、どうやってこの世界で生きていけばよいのだろうか。
一九九五年におきたオウム真理教事件は、私にとって、とても重い出来事だった。その事件をきっかけとして、私は、生命とは何か、この社会のなかで生きることの意味は何かを、繰り返し考えた。
この本で、私が執拗に追い求めたのは、「オウム真理教とは何であったか」という問いではなく、「オウム真理教の時代を生きなければならない<私>とは何か」という問いである。
なぜなら、オウム真理教事件が我々にほんとうに問いかけているのは、「オウムとは何か」ということではなく、「オウムを見てしまったあなたとは何者なのか、あなたはあしたからいったいどういうふうに生きていくのか」ということだからである。
科学に満足することもできず、宗教の世界にも入れない人間が、「生きる意味」や「ほんとうの自分」について自分の目と頭で考えようとするとき、その人はどうしようもない孤独に落ち込んでしまう。なぜなら、そういった根本問題に対する解答を、自分自身の内側から発掘してこなければならないからである。
それは、とてもつらく、しんどい作業だ。
でも、そういう作業を孤独のうちに続けているのは、けっしきみひとりではない。この広い世界のなかには、きみと同じ苦しみに耐え、きみと同じ穴ぼこのなかでもがいているたくさんの人々がいるはずだ。
この私もまた、そのなかのひとりである。
だから、そのような「ひとりで立とうとする」人々のかかえる孤独を、多元的にささえあい、遠くからはげましあってゆく何かの仕組みが必要なのだ。閉じた癒しの共同体を作るのではなく、孤独のささえあいのなかから希望を見いだしていくこと。
世紀の変わり目を前にして、いま「哲学ブーム」なのだという。
しかし、たんに、哲学史や思想史を、分かりやすいことばで整理しなおすことが哲学なのではない。哲学とは、いまここで一回限りの生と死を生きているこの私が、その全存在を賭けて、世界のあり方と、生きることの意味を、自分自身の頭とことばで考え抜いていくことであるはずだ。
私が本書で行なうのは、そのような試みなのである。
オウム真理教事件を、どのくらいの深さで受け止め、それと対決してゆくのか。この点に注目することで、同時代を生きる思想家のことばが、本物であるか、偽物であるかが明らかになるであろう。
「あとがき」より抜粋
・・・執筆期間中に、たくさんの貴重な体験をした。
なかでもいちばん貴重だったのは、自分のこころの奥底にあったトラウマ(傷)を意識上に引き上げてくるドラマを、実際にこの身で体験できたことである。
四月に村井氏が殺されてから、八月に本書を書こうと思い立つまで、私はオウム事件のことを忘却しようとつとめていた。なぜなら、その事件は、私が心の底に押し込めて、もう二度と思い出したくなかった私の二十代のさまざまな出来事を、このうえなくきびしく刺したからである。それを思い出したくない私の意識と、それを思い出させて決着をつけさせようとするもうひとつの意識が、そのあいだずっと、戦い続けていたのだ。
八月、病いにふせり、そして身体がふたたび回復に向かいはじめたとき、その戦いに決着がついた。身体の病いが癒えていくプロセスのなかで、私は自分が圧し殺していたこころの病いを、ありのままに許そうという気持ちになった。こころのベールがするすると上がり、これから書くべきことがすべて見通せた。
私がなぜオウム真理教について書かなければならないのか、その理由を自分自身のこころの奥底から引き上げてくるのに、四ヶ月もかかっている。この事実は、私にとって新鮮な驚きであった。そして、この作業をしたがゆえに、なぜ私が「生命学」を構築しなければならないのかについても、いま、私は、はっきりと自覚できる。本書は、私にとっての転機となるだろう。