本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです


 

森岡正博『生命学への招待』勁草書房 目次+本文抜粋

はしがき

序章 生命学は何でないか

T 人間<非>中心主義への架橋

 第1章 環境倫理学から生命圏倫理学へ
   1  環境と生態学
   2  環境倫理学
   3  生命圏倫理学
 第2章 生命圏の原理と他者の原理
   1  生命圏と他者
   2  二つの行為原理
   3  生命圏と人間の共生モデル
 第3章 拡大身体としての生命圏

U バイオエシックスを超えて

 第4章 生命学と科学倫理学
 第5章 生命倫理、いま問われているものは
   補論 日米バイオエシックス比較
 第6章 生命倫理学の日本的変容
   1  バイオエシックスの相対化
   2  フォックスとスワジーの批判
   3  日本的変容

V 医療空間における<他>なるもの
 第7章 他者としての患者
 第8章 脳死をめぐる言説構造と倫理
 第9章 パーソン論の射程 −− 人格理論か他者理論か
 第10章 姥捨山問題
 終章  生かすことと生かされること

あとがき
初出一覧
索引



序章より抜粋

生命学の問うもの

 生命論の歴史、それは生命の定義の歴史でもある。「生命とは何か」という問いをめぐって、生命論は様々な試行錯誤を繰り返してきた。
 しかし今日、生命の定義は、私たちの第一関心事ではない。というのも、現在最も切実であるのは、生命をどう定義するかという問題ではなく、強力な科学技術を手に入れた人間が生命とどのようにかかわってゆけばよいかという問題だからである。
 すなわち、現在まず第一に問うべきものは
  現代文明と現代科学のもとで
  私たちは生命とどのような関係に置かれているか
  そして
  私たちは生命とどのようにかかわりあって生きてゆけばよいか
という問いである。
 生命学はそれらのことをまず第一に問う。
 生命学は、生命の定義を探求する生命論ではない。



あとがきより抜粋

・・・そうではなく、アカデミズムの中に仮りに身を置きながら、アカデミズムの外で、問題テーマ群ごとに専門の壁を超えて人々が集まり、自由で活発な議論を積み重ねてゆくこと。そのような、肩書きも学歴も全く問わない研究グループが、雨後のタケノコのように自由自在に出没し、お互いに情報を交換し、ゆるく連結してゆくこと。このネットワークの中でこそ創造的な営みは醸成され、静かに賛同の輪を広げてゆくに違いない。ただし決して<組織>を作らないこと。それはもうひとつのアカデミズムを生むだけだ。

・・・サラサラの砂漠で遊び疲れた僕らは、やがて砂の上に根を降ろして銀の糸をつむぎ始める。そして糸をつむぐ人々の回りから、学問の流れは少しずつ良い方向へと向かってゆくであろう。僕たちは仲間を必要とする。
 <僕たちは連帯はしない。そのかわり、ゆるやかなネットワークの触手を、お互いに敏感に触れ合わせるだろう。>



ひとつ前に戻るホームへ