本ページは「生命学HP」1999年10月12日付のスナップショットです
森岡正博『自分と向き合う「知」の方法』PHP研究所 目次+本文抜粋
はじめに
序 限りある生命と向き合う−老いの世紀末
第1章 自分と向き合う「知性」とは
人は何のために学ぶのか
誰もがいま、何のために生きるのか、学ぶのか、分からなくなっている/
自分が生きるために必要な「知」とは/など
「欲望」に振り回されない生き方
原子力発電は人間の欲望の産物/生命に巣くう「欲望」と向き合う/など
「はじめに」全文
私たちが大学で学んできたものは、要するに、自分のことを棚上げにしたままで、社会や世界について考えるための、「知の方法」だった。大学で、自分の「こだわり」や「思い」をこめた卒論を書いたりすると、「きみはまだ客観性が足りない」などと先生から文句を言われたりする。それは、つまるところ、「きみはまだ自分のことを充分に棚上げできていないじゃないか」ということなのだ。
この本で、私が言いたいのは、自分を棚上げにする思想は終わった、ということだ。自分のことを棚上げにしているかぎり、自分に都合のいいようなものごとしか見えてこない。自分に都合のいいことばかり見続けるのは、とても気持ちの良いことなのだけど、そうやっているうちに、だんだん真実から離れていく。
ひとりひとりが、自分のことを棚上げにせずに、そして自分にとって都合の悪いことからも最後まで目をそらすことをせずに、どこまで自己と世界を見つめ続け、考え続けられるか。それが問われている。
人は、ものごとを、自分に都合のいいように正当化しよう、正当化しようとする。
私もまた、そういう罠に、何度も落ちてきた。
だから、「自分のことを棚に上げて考えよう」とか、「自分に都合のいいように正当化しよう」という無意識のこころのはたらきが出てきたときに、それを最後のぎりぎりのところで食い止められるような知性が、いまどうしても必要なのだ。
この本の最初のテーマは、<自分を棚上げにしない思想>とは何かということだ。たとえば、「差別」について、自分を棚上げにせずに考えるためには、「自分はそもそもなぜ差別というテーマについて考えようと思ったのか」というところからスタートしないといけない。そうやって、「差別」という社会問題と、それを考えようとしてしまう(あるいはそこから目をそらそうとしてしまう)自分とは何者なのかという問いのあいだを、行きつ戻りつすることだ。これは、人はなぜ学ぶのかという問いとも関係する。
第二のテーマは、<欲望>である。たとえば、環境問題を考えるとすぐに分かるのだが、できるだけ快適な暮らしをしたいとか、陽が沈んでも明るい部屋でテレビを見ていたいという欲望があるから、自然破壊が起き、地球環境問題が起きている。そういう欲望が原因なのだと頭では分かっていても、私たちはそう簡単には欲望から逃れられない。このあたりを、どう考えていけばいいのだろう。
第三のテーマは、<エロス>である。エロスと性愛は、私たちにかぎりなく大きい快楽を与えてくれるのだが、それは同時に、女と男のあいだ(あるいは同性のあいだ)の根深い相互不信や支配関係を生み出してしまう。その泥沼にはまったものは、そこから抜け出したいと思うのだけれど、自分自身の頭とからだに染みついてしまった価値観から自由になるのは、とてもむつかしい。九〇年代のフェミニズムは、とくにこの問題と闘おうとしている。そして、これは、男にとっても無縁なことではないのだ。
第四のテーマは、<生と死、老い、宗教>だ。いまは元気にこうやって本を書いている私も、いずれは老いて死んでゆく。この本の読者もまた同じだ。なぜ人は、老いて、死んでいかなければならないのだろう。死にゆくときに、私はいったいどのような絶望に陥り、どのような幻影を見ようとするのだろうか。しなやかなからだでセクシーに踊っているあの若者もまた、いずれは老人施設でひっそりと死んでゆくしかないのだ。そのとき、人は、宗教になにかの救いを求めようとするのだろうか。自分を超えるものに対して、何かの願いをかけようとするのだろうか。
第一章で、いまの私の基本的な考え方がはっきりと示される。自分と向き合う「知」の方法と、自分を棚上げにしない思想こそが、私がもっともこだわりたいメッセージである。私はまだそれを充分に展開できていないし、もちろん実践もまだできていない。しかし、もうこの地点から後退するつもりはない。
第二章以降は、短いエッセイを集めたものだから、肩肘張らずに読んでいただけるはずだ。いま述べた四つのテーマをめぐって、いろんな角度から迫ってみた。エッセイあり、小説みたいなものありで、楽しんでいただけると思う。
この本で問題提起した様々な論点については、これからの著作のなかで、しっかりと受け止めて答えを探してゆくつもりだ。読者からのご意見もお聞きしたい。
あと、個人的に強い思い入れのある文章を、無理をお願いして本書に収めてもらった。それは、このあとすぐに続く「限りある生命と向きあう」(序)、最後の「もうひとつの世界・もうひとりの私」「政治経済学者、村上泰亮氏との対話」(第四章)の三本である。エロスと老いと死について、一気に書き下ろしたものだ。ほぼ情念だけで書いたものであるだけに、第一章の著者とは別の面がほの見えるかもしれない。