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"transplant community" の二つの意味
てるてる著


 USAの移植関連の文献やホームページを見ていると、"transplant community" という熟語にしばしば出会う。この"transplant community" には、狭義と、広義と、二通りの用法がある。狭義は、移植コーディネーターや移植医など、文字どおりの移植関係者。広義は、そのような職業的な移植関係者に加えて、レシピエント、ドナーの家族、その他、移植に関わるより多くの人々全体をさすようである。
 

狭義の"transplant community"の用例

>a tool to help the transplant community, hospitals and OPOs implement a 1998 rule issued by
>HHS' Health Care Financing Administration to promote the best practices in organ donation.

>Working with donor families, the transplant community, health care professionals, and
>bereavement and pastoral care specialists, HHS developed this guide to help train hospital
>staff and others to talk sensitively with families about organ donation.

(HHS News - September 2000, HHS announces Increase In Organ Donations And New Tool To Support And Empower Families Making Donation Decisions, Cala Creek http://www.calacreek.com/health/hhs/200009002.html)

 この "transplant community" は、病院や臓器調達機関(Organ Procurement Organization, OPO)とは別にくくられている。そして、他の医療専門職、グリーフケアの専門家とともに、まだドナーになると決まっていない患者の家族に、臓器提供を承諾してもらうために働きかける人々でもある。

 次の用法では、幾つかある、日本の臓器移植ネットワークのような働きをする機関の総体を、"transplant community" と呼んでいるのがわかる。

>There is a large donor/transplant community in the United States consisting of:
>Organizations which seek to educate would be donors, issue donor cards,
>and (in the case of The Living Bank) register donor information
>Organ procurement organizations, which are federally franchised to actually procure
>donor organs, send surgical teams into hospitals of the donors to take the donated
>organ(s) and to transport the organ(s) to the hospital where the chosen recipient waits.

 臓器提供の意思表示をするように教育したり、ドナーカードを発行したり、ドナー情報を登録したりする、Living Bankのような機関と、実際に臓器を摘出するために、外科医のチームを派遣したり、臓器を搬送したりするOPOのような臓器調達機関とが、別々にあるわけだが、その両方をあわせて、"donor community" または、"transplant community" と呼んでいる。なお、国立で、ドナー情報を登録する機関は、Living Bankだけだが、ドナーになるための教育広報活動をする団体や組織は、幾つかあり、それらとLiving Bankは連絡し協力し合っている。

>The Living Bank is the oldest and largest donor education organization in the country, and the
>only national one that keeps computerized records of donor data for future retrieval in an
>emergency. But there are other groups and organizations that encourage organ and tissue
>donation. The Living Bank cooperates at every opportunity with them, eagerly supporting any
>group or organization whose activities generate more committed donors or facilitate actual
>donation.
(The Living Bank http://www.livingbank.org/main.html)

 このように、人々に臓器の提供を求めて働きかけ、移植に結び付けるために協同している機関・団体・組織を総称して、"transplant community" と呼んでいる。

また、次の用例がある。
>to contribute to the successful rehabilitation of the nation’s transplant patient community;
(Patient Perspective ? Winter 2000, U.S. Transplant Games, by Dick A. Hawkins,
Transplant Services http://fairviewtransplant.org/transplantgames.htm)

 これは、先の、臓器移植ネットワークや臓器調達機関などをさしたものと特に区別して、「移植患者のcommunity」と表現している。

 次の2例は、ドナーコーディネーターとレシピエントコーディネーターをさしていると思われる。
>The complex issue of whether and to what extent organ recipients and donor families should
>interact or communicate has gained increasing public awareness, thereby creating an area of
>major ethical and legal concern for the transplant community.
>As the public becomes more educated about organ donation and the issue of recipient and
>donor family relationships, the transplant community will likely experience even more
>requests for such meetings.
(Journal of Transplant Coordination 1999 June;9(2):81-6, "When donor families and organ recipients meet.", Clayville L, Gonzaga University, Spokane, Wash., USA.)

>In the past, communication between donor families and recipients has been anonymous and
>highly controlled, with much inconsistency among and within the transplant community,
>leaving many involved in the process confused and frustrated.
(Journal of Transplant Coordination 1999 December;9(4):219-24, "Clinical decision making and ethics in communications between donor families and recipients: how much should they know?",
Albert PL, Donor Family Services, New England Organ Bank, Newton, Mass., USA.)

 ここでは、ドナーの家族とレシピエントとが、お互いに、相手と連絡を取りたいという希望が強く、それに対して、"transplant community"は、今まで制限することが多かったが、より積極的に応えることが要望されるようになったことが述べられている。
 この"transplant community" は、移植を行なうために働くだけでなく、移植後の精神的ケアとサポートを、ドナーの家族とレシピエントと両方に対して行なうことが必要とされている。

 ここまでが、狭義の"transplant community" で、これは、「移植患者を中心にした、移植患者のための community」だと言えるであろう。
 

広義の"transplant community" の用例

>UNOS, through its extensive committee structure, has representation of all members of the
>transplant community, including recipients, donor families, organ procurement agencies,
>transplant physicians and surgeons, nurse coordinators, ethicists, the lay public and other
>scientists.
(Transplant Policies Must Not Fall Victim To Politics, by Dr. R. Patrick Wood,
Appeared in the Houston Chronicle Section A Page 25, Thursday April 9, 1998,
Texas Liver Coalition http://www.texasliver.org/doctor/art1.htm)

>to involve entire transplant community - including physicians, allied professionals, patients,
>donor families and related organizations.
(Patient Perspective ? Winter 2000, U.S. Transplant Games, by Dick A. Hawkins,
Transplant Services http://fairviewtransplant.org/transplantgames.htm)

 レシピエント、ドナーの家族、臓器調達機関、移植医、看護婦、コーディネーター、倫理学者、一般の市民や科学者を含めたすべての"transplant community" のメンバーと言ったり、医者、その他の医療専門職、患者、ドナーの家族と関係機関を含めた完全な"transplant community" と言ったりしている。
 このように、広義の"transplant community" では、はっきりと、ドナーの家族が含まれている。
 臓器不足を解消するために、ヨーロッパでもUSAでも、コーディネーターや集中治療室の看護婦や医師が、病院に運ばれる患者が潜在的ドナーになりうるかどうかすべて確認する、患者の家族に話し掛ける技術を磨くなど、さまざまに、制度を整えたり訓練を施したりしている。そして、ドナーの家族とレシピエントとの交流も、移植医療の肯定的なイメージを社会に広め、臓器提供者をふやすのに役立つという理由で、促進しようという傾向が出てきている。
 広義の"transplant community" は、ドナーの家族とレシピエントとの交流の促進の必要性が主張されるようになってから、移植医療にとって、ドナーの家族がレシピエントと同等に重要であることが意識されるようになって、使われるようになってきたのではないか、と思われる。

 広義の"transplant community" も、「移植患者を中心にした、移植患者のための community」には違いなく、つまり、移植によって患者を治療するために結びついた人々である。ドナーやドナーの家族は、何も治療してもらえるわけではない。しかし、ドナーの存在なくしては移植そのものが成り立たず、ドナーの家族のための、臓器提供後の精神的サポートなしに、レシピエントのための移植後の精神的サポートも充実しないのである。狭義の"transplant community" にとって、ドナーの家族は、より正確には、潜在的ドナーの家族であって、臓器提供を承諾してもらうために働きかけ、悲嘆のケアも、臓器獲得の目的遂行のために行なった。しかし、悲嘆のケアは、臓器を提供したら終わりではなくて、むしろそこから始まると言ってもよいぐらいである。それゆえ、広義の"transplant community" では、ドナーの家族とレシピエントとが、ともに、ドナーの死を悼み、悲しみを分かち合い、レシピエントの健康な人生を喜び合い、そのために、コーディネーターなど狭義の"transplant community" も協力することが求められる。もっとも、狭義の"transplant community" も、広義の"transplant community" の働きを、臓器提供希望者の増加に、より多くの臓器獲得に結びつけようと努力しているわけでもあるが。

 この二通りの"transplant community" は、次のように考えることができる。
     狭義の"transplant community" は、移植に携わる人々である。
     広義の"transplant community" は、移植に関わる人々である。
 

"transplant community" と「脳死」

 森岡正博著『脳死の人』では、「1章 脳死は人と人との関わり方である」で、集中治療室の「脳の働きの止まった人」のまわりに、医師、看護婦、家族、さらにさまざまな病院関係者、地域住民がいて、「脳死」の本質は、これらの人と人との関わり合いにある、と述べている。これは、「ひとりひとりの脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」だと言える。

>病院の集中治療室というところにひとりの「脳の働きの止まった人」がいます。その
>人を取り巻いて、医師という人、看護婦という人、家族という人、さらにさまざまな病院関係者の人、地域住民がいます。
>「脳の働きの止まった人」を中心とした、このような人と人との人間関係の「場」のことを、私は「脳死」と呼びたいのです。
>言い換えれば、「脳死」の本質は、人と人との関わり合いにあることになります。
(森岡正博著『脳死の人』法藏館、2000年、p.9)

 この考え方に従うと、脳死状態からの臓器提供の意思を事前に書面で表示するということは、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」から、広義の"transplant community" へ移る、切符のようなものを持つことではないか、と思われる。
 無論、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」は、「ドナーのcommunity」ではない。たとえば、阪井裕一は、脳死について、次のように述べている。

>脳死と臓器移植は本来全く別の概念である. 医療者がまず最初に行うべきは, 脳死の診断を行い,
>集中治療を継続することが患者や家族の利益になるのか否かを問うことである. 呼吸・循環管理が
>大きく進歩した現在, 臓器移植ばかりを先走らせずに, 集中治療の現場において日常頻繁に遭遇す
>る「どこまで治療を行うべきか? 治療により患者の得られるものは何で, 失うものは何か?」とい
>う問題を討議するべきである. (「脳と発達」32巻5号, page442-444, 2000.09)

 これは、集中治療室での治療を行なう医師の目からみた脳死の問題である。つまり、集中治療室での治療の継続と中止に関する問題、いつ、どのように治療を終えるか、ということについて、医師や看護婦や患者の家族やお見舞いにくる友人知人などが関わり合い、患者本人の生前の意思表示があればそれを中心にして、どう決めるかということである。
 結局、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」というのは、集中治療室(ICU)の患者を中心としたコミュニティと言えるのではないだろうか。ICUには、回復する人もいるし、植物状態になる人もいる。が、「脳の働きの止まった人」も、臓器提供の意思表示をしていなければ、臨床的に脳死と診断されようと、人工呼吸器をはずそうとつけたままでいようと、心臓が止まるまでは、ICUの患者であることには違いない。集中治療室にいる患者のなかで、終末期医療の対象となるのが、「脳の働きの止まった人」であり、そのためのコミュニティがあると考えられる。

 ただ、USA では、州によって事情は異なるが、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」というものは、あまり考えられていないのではないかと思われる。集中治療室の医師や看護婦は、「脳の働きの止まった人」の家族に、臓器提供を承諾するように働きかけるべく、教育・訓練を受ける。「脳の働きの止まった人」とその家族は、その人なりの終末期医療の対象としてよりも、まず第一に潜在的ドナーとみなさなければならないかのようである。宮林郁子は、ドナー側のコーディネーター(CPTC)たちが病院職員の教育も行なうことを報告している。

>コーディネーターの仕事のひとつに病院啓発や教育があるが, この中には, 医療関係者の教育も含ま
>れている. 家族へのアプローチはまず, 主治医や受け持ちの看護婦によって行われるが, 彼らの認識
>不足で, 数多くのドナーとなりえる患者を見過ごしていたり, あるいは、アプローチの仕方が不適切
>で、家族に理解してもらえていない等の問題が多いからである. (「脳と発達」32巻5号, page445-447, 2000.09)

 USAの狭義の"transplant community" たちが、このような積極的な働きかけを「脳の働きの止まった人」の家族に対して行なうのは、本人の事前の書面による意思表示がなくても、家族の同意だけで臓器提供をすることができるからである。
 しかし、日本では、本人が事前の書面による意思表示をすることが、広義の"transplant community" への入り口に立つことであり、いわば、切符を持った人しか入れません、という制度を敷いている。これでは臓器提供者が少ないと言われている。しかし、このほうが、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」を、狭義の"transplant community" の干渉から守り、その人なりの終末期医療を保障できるのではないだろうか。
 それに、日本で既に行われた脳死状態からの臓器移植では、皆、本人が同意しているからこそ、移植を受ける人も、ドナーの遺族も、少しでも精神的負担が減っているのではないだろうか。もしこれを、本人の事前の書面による意思表示はいらないということに法律を変えたら、どんなにか精神的負担が増すのではないかと思う。
 今後、日本の臓器移植では、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」と、広義の"transplant community" と両方を認識し、働きを深めることが必要である。
 広義の"transplant community" に関しては、「ドナー家族の会」が作られ、会員の手記も発表されている。吉川隆三著「ああ、ター君は生きていた」(河出書房新社、1300円)には、脳死と診断されたときから、臓器提供後まで、いっさいのフォローやケアがなかった場合の、ドナーの遺族の苦しみがなまなましく語られ、その体験に基づいて、移植医療を推進する人々への意見も述べられている。日本の狭義の"transplant community" は、このようなドナーの遺族の声に、積極的に応えていく必要がある。それとともに、ドナーの遺族の声が、移植患者にも届くことによって、広義の"transplant community"が、働きやつながりを強めていくことができると思う。
 もう一つ、ドナーにならなかった、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」も、もっと重視される必要がある。こちらのほうも、インターネットで体験者の手記が発表されている*が、まだまだ、社会的に認識されていない。

* 99年度明治学院大学応募論文 「脳死移植について」 母の脳死体験を通して 大野綾子
http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/keijiban/kanso018.htm

 「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」は、広義の"transplant community" の外にあるものである。臓器不足を解消するためには、狭義の"transplant community" にとっては、むしろ邪魔にさえ見えるかもしれない。しかし、そもそも、脳死の絶対数を考えれば、数を揃えることは、到底不可能である。それよりも、「脳の働きの止まった人を中心としたcommunity」もたいせつにして、移植を受ける人にとっても、臓器を提供した人の遺族にとっても、満足できる医療をめざすほうが、広義の"transplant community" にとってよい未来が開けるのではないだろうか。

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