作成:森岡正博 |
力による平和を
Waging peace with muscle
Copyright 2001 The Buffalo News Sep.26
http://www.buffalonews.com/editorial/20010926/1044964.asp
翻訳:てるてる (+若干の修正)
思想の多様性を尊ぶ文化では、民衆の圧倒的多数の意見に反する視点であっても、寛容に受け入れるべきである。 その点は、今月、ニューヨークとワシントンで起こったテロリストの攻撃のあとに続いて起こった、平和運動についても例外ではない。 しかしながら、悪を前にして無抵抗であることと平和とを同一視するのは、まちがっている。
テロリズムに対しては、強い対応が要求される。アメリカは、復讐心にとらわれずに正義によって答えなければならないが、 それと同時に、テロリズムが公共の安全を脅かし、脅威を増し続けるのを、やめさせなければならない。 わが国の第一の回答は、まさしく、法に則って訴えるものであったにもかかわらず、タリバンによって拒否されたのである。 テロリストの組織を解体するdismantleためには、結局、彼らを破壊destructionすることが求められるのだとすれば、そうするしかない。
より深く文化の相互理解を進めることや、アメリカの外交政策を見直すことは、それ自体では、何も悪くない。 しかしそれらは、9月11日に起こったこととは、何の関係もない。 この日に露わになった憎悪の深さは、異文化理解の次元などはるかに超えている。 世界貿易センターとペンタゴンへの攻撃は、ペンシルヴェニアの、墜落によって未遂に終わった攻撃と同様に、 純粋な悪の顔を見せている。我々が何をしたかではなく、我々が何者であるかを理由として憎むという悪である。 彼らは、我々が、彼らが信じるものを信じない、という理由で、我々を憎むのである。
それが、恐怖の後では、我々にとって、団結と献身が、唯一の可能な反応であった理由である。 それが、我々が、国家への賛歌で、軍隊の姿を想い描いて声を高めるよりもずっと多く、 導きと守りへの願いをこめて、"God Bless America"を歌った理由である。 これが悪の響きが消える前でさえ、(=消える前に、すでに)善が現われた理由である、 そしてそれが、我々が、断固としてより多くの悪の脅威に立ち向かうことができる理由である。
思慮深いアメリカ人は、まだ羽が生え揃ったばかりのような平和運動のなかにいても、このことを理解している。 西部ニューヨーク平和センターのようなグループは、正しくも、無実のアラブ系アメリカ人との団結を支持するという声明を出すとともに、 平和支援は、テロリズムを耐えることと同義ではない、と注意した。しかし、暴力を常に避けられるわけではない。
軍事的な攻撃を排除することがテロリストの暴力を終わらせると考えるのはナイーヴである。 そうではない。 我々への攻撃が我々の過ちやアメリカの傲慢の結果であると信じるのはまちがっている。 そうではない。 アメリカが正義ではなくて復讐を求めていると考えるのはまちがっている。 我々は、既に充分、法の遵守を求め続けてきた。
そのうえ、アメリカの外交政策だけが、アメリカへの攻撃を焚きつける憎悪の理由になっているわけではない。 誰に聞いても、オサマ=ビン=ラディンの憎悪の最大の理由は、アメリカがイスラエルを支持するからではなく、 湾岸戦争と、イスラムの故郷、サウディアラビアへのアメリカ軍の駐留であるという。 たしかにアメリカは、石油輸出国地域に国家の安全のための関心を有していたけれども、同時にアメリカ人が、イラクによって侵略されたイスラム国家を解放するために戦ったことAmericans fought to free an Islamic nation overrun by Iraq、 最近の三つの軍事行動(湾岸、ボスニア、コソヴォ)はムスリムを守るためだったことにもまた注意を払うべきである。
そういうことは、イデオロギーや宗教上の狂信や、あるいは、メディアに"Great Satan"と西洋とを攻撃することを奨励して、自分たち自身から批判をそらそうとしているアラブの体制によって、 アメリカを憎むように教えられた中東の人々にとっては、効果がないのだ。 アメリカはまた、イラクに対して制裁をしたために中傷されているが、 アフガニスタンへの9900万ドルの食糧援助を含む、多くの国々への支援をしていることは認められていないのだ。
アメリカは、テロリストのキャンプを盲目的に攻撃したり、テロリストが滞留しているアフガニスタンに空爆をしたりするかわりに、 ビン=ラディンの引渡しを求め、彼を世界の前に引き出すために、苦心して証拠を示そうとしている。アメリカの要求ではなく、これに対するタリバンの反応が、未来を決めるだろう。
アメリカの対応が如何なるものになるにせよ、憎悪に身を焦がしながらも冷徹に計算された攻撃のできるテロリストが、チャンス到来時に再度攻撃をふっかけることを躊躇するなどということは、歴史的に見てまったくありえないのだ。 慈悲への余地もなければ、ましてや異文化理解への余地もないほど、ゆがんだ宗教的な狂信にかりたてられた9月のテロリストたちは、なだめることはできないし、そうすべきでもない。 彼らは世界的な脅威を引き起こした。彼らのネットワークは、根絶されなければならない。
戦争は、テロリズムによって既に宣戦布告されており、それは、なだめられることも鎮められることもないだろう。 平和はすでに破られた。平和は正義なしには回復できないし、テロリストの攻撃に終止符を打つことなくしては、回復できない。 そして、もしそれが我々に残された唯一の選択肢ならば、力を使うしかないby force。
*誤訳があるかもしれません。ご一報ください。
Re: 力による平和を
投稿者:岩田憲明
森岡さんご紹介の記事を読んで報復を支持する人たちの論点がかなりずれているのではないかと考えました。
てるてるさんの掲示板での発言「毎日インタラクティブでも、Yahooの掲示板でも、武力報復に反対する人に対して、テロの犠牲者を悼む気持ちがないのか、テロを防ごうと思わないのか、という批判がありますが、武力報復反対がすなわち、反米だとか、テロ賛同だとかいうのとは違いますね。」
まさに、てるてるさんが指摘されたとおりですね。戦略的に考えれば、イスラム世界の国々をも含めた国際法廷を開くことを条件に米国が武力報復の放棄を宣言することが最も効果的な報復になると思います。ありえないことだとは思いますが、それによってテロリストをイスラム社会から孤立させ、第三世界に蔓延している反米感情を消し去る大きな効果があるはずです。結果的にテロリストは武力を行使するよりも確実に追い詰められます。
例の記事を読んでまず感じたのは、米国がテロの容疑者を逮捕するために善意の第三者であるアフガンの人々を犠牲にできる正当性を示していないということです。そこにはアメリカ人とテロリストたちとの対抗関係しか意識されていません。ブッシュ大統領はテロリストとの交渉を否定しましたが、武力行使によって被害を被るであろう人々との交渉をも否定しているのでしょうか。
仮にこの英文の著者が主張するように、法的な手段も講じたとするならば、米国内でテロの重要容疑者(犯人とは確定されていない)を逮捕するためには、無関係なアメリカ市民を(大規模に)殺害してもよいということになります。しかし、アメリカの法律ではそのようなことが許されているのでしょうか。少なくとも <<米国民は自らが善意の第三者としてテロリスト逮捕の犠牲になっても良い>> ということを表明したうえで武力行使を支持すべきではないかと思います。
ぴこたんさんの掲示板での発言「そうそう、私はテロリズムには軍事的な力では絶対に勝てない、という確信があります。」
私も ぴこたんさん と同じように考えます。そもそもテロリズムの根絶は不可能なのです。自分の命をかえりみなければ、個人でもテロは可能です。これは毒物を用いたテロを考えていただければ良いかと思います。そのテロリストが「蛇頭 (スネーク・ヘッド)」のような柔軟性の高いネットワークを形成しています。これに国家のような組織が力で対抗すれば、どれだけの税金がかかるでしょうか。
てるてるさんの掲示板での発言「ただだいじなことは、新約聖書に書いてあった、次の一節だと思うんです・・・。」
先日、福岡在住のムスリムであるムガールさんという方と会ってきました。そこでテロネットワークに対抗するためには無神論者も含めた宗教的ネットワークが必要ではないかという話になったのですが、いずれにしてもテロに対抗するには草の根レベルのネットワークが必要かと思います。
私はイエスの屈辱的な十字架上での死を究極のジハードだと考えています。約三百年の歳月をかけてローマ帝国を神に帰依させたのですから。私もテキサスにいましたから、多くのアメリカ人がよく「Jesus (ジーザス=イエス)」の名を口にしているのを知っています。今回の試練は彼らが本当にクリスチャンであるかどうかが試されているような気がします。少なくとも人の行為に「Infinite Justice」という名前を付けた人間がクリスチャンだとは私には思えません。
最後になりましたが、ムガールさんは28日深夜1時からのテレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演されました。参考までに、ムガールさんのHPをご紹介します。
ムガールさんのHP http://www2.gol.com/users/mughal/