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上野千鶴子ほか編『岩波講座現代社会学第14巻・病と医療の社会学』岩波書店 1996年3月
223−238頁
<Overview>「死」と「生命」研究の現状    森岡正博
 

1 「死」の研究

 「死」と「生命」についての研究は、一九六〇年代から七〇年代にかけて大きな変貌をとげたように思われる。「死」に関して言えば、「死とは何か」といった宗教的・形而上学的・実存的な思索にかわって、具体的な「死にゆく人間」の行動パターンや思考過程の調査にもとづいた実証的な研究が浮上してきた。そして、それらの知見をもとに、現に死んでいこうとしている人間に対して、どのような援助ができるのかを考えようとする実践的な研究も並行して開始された。
 一方、「生命」に関する研究もまた変貌した。「生命とは何か」といったテーマを、伝統的な宗教や哲学の視点から論じるものにかわって、具体的な生命操作や臓器移植などのテクノロジーの展開にそくして、我々の「生命」のあるべき姿を考えようとする「生命倫理」的アプローチが前面に踊り出てきた。
 もちろん、「死」と「生命」の研究の現状についての総説を書くのは不可能である。この領域はとてつもなく広く、その全体像を把握することはできない。ここでは、私の興味関心にそくして、その広大な領域から、最近のいくつかのトピックスを中心に論述することにしたい。
 さて、「死」に関する研究は社会学と深い関係にある。デュルケームの自殺に関する研究は近代社会学の出発点のひとつであった。自殺の研究は、その後も着実に進められている。しかし、六〇年代以降の「死」の社会学研究の素材として大きく注目されはじめたのは、自殺ではなく、病院の中でみずからの死に直面した「終末期患者」のふるまいかたであった。社会全体の医療化と、疾病構造の変化にともなって、先進国では病院の中で死を迎える人の数が激増した。病院の中で、ガンなどの病気によって回復不可能になった患者に、どのように対処すればいいかが、社会問題となって浮上しはじめた。「死にゆく人間」「死に直面した人間」というカテゴリーの存在者が、我々の前に本格的に登場したのである。
 社会学は、このような「死にゆく人間」のふるまいかたに注目し、彼らと、彼らを取り巻く人々のあいだの相互作用を解明しようと考えた。病院という特殊な空間の中で、みずからの死という極限状況に直面している人間、あるいはそれを意図的に隠蔽されている人間という、きわめて興味ある社会学的対象が出現したのである。六〇年代アメリカでなされた画期的な研究のひとつが、グレイザーとストラウスによる死の終末認識研究である。一九六五年に発表されたAwareness of Dying(邦訳『死のアウェアネス理論と看護』)は、終末期患者をめぐる人々の相互作用研究の古典であり、彼らの提供した認識枠組みは、その後の関連領域にはかりしれない影響を及ぼしている。おなじく、六〇年代になされた重要な研究に、サドナウのPassing On: The Social Organization of Dying(邦訳『病院で作られる死』)がある。これは、病院の中で、医療スタッフによっていかに「死」という事象が産出されるかについてフィールドワークを行なったものである。社会学の隣接領域である精神医学の視点から、死にゆく患者の精神状態と、彼らへの看護の可能性を研究した画期的な書物に、キュブラー=ロスのOn Death and Dying(邦訳『死の瞬間』)がある。これは、死にゆく人間の精神状態の移りゆきに関する独特の仮説で一世を風靡し、その後の「死の臨床」研究のバイブルとなったものである。
 ここでは、まず、これらの三つの研究を簡単に紹介したい。これらはすべて六〇年代になされたものであるが、その後の関連領域の研究スタイルに大きな影響を及ぼしたという意味で、現在でも古びてはいない。
 グレイザーとストラウスの『死のアウェアネス理論と看護』は、ガンなどによる終末期患者が増大していたアメリカの病院に常駐し、そこで収集された資料をもとに構築された社会学理論である。彼らの学問的関心は、死にゆく人間をめぐって、人々がどのような相互作用を行なうのかを解明することにあった。それを解明するために、患者自身や、医療従事者や、家族たちが、患者の死に関する「どのような情報を持っているのか」に注目した。この着眼点が、グレイザーとストラウスの最大の功績である。たとえば、医師は患者の病状が回復不可能であるということを知っているが、患者はまだ自分が治ると信じている場合、彼らのあいだの相互作用は、ある独特のパターンをたどることになるだろう。患者は自分が胃かいようだと思っているが、家族は患者が胃ガンであることを知っている場合も、ある典型的な相互作用のパターンが観察される。だから、そのような「情報の獲得」というファクターに注目することによって、終末期患者をめぐる人々の相互作用が、明快に解明できると彼らは考えたのである。
 グレイザーとストラウスは、このような視点、すなわち「相互作用に関与する一人ひとりが患者の医学的病状判定について何を知っているか、そして彼が知っていることを他の人々はどこまで知っていると彼自身思っているのか」という視点のことを、「認識文脈」と呼ぶ。患者の運命について、それぞれの人が何を知っているのかが、終末期の状況を説明する強力な説明変数になると考えたわけである。
 彼らの提唱する「認識文脈」に従って終末期医療の実状を調査してみると、そこは、お互いがお互いのことばの裏を読み合ったり、あるいは相手を試してそこから真実を引き出そうと試みたりするような、複雑な戦略の交錯する場であることが分かる。
 ひとこと注釈しておけば、アメリカの終末期医療は、一九六〇年代から七〇年代にかけて大きく変貌する。六〇年代初頭には、患者が末期ガンにかかったときでも、ほとんどの医師は患者にガン告知を行なわなかった。ところが、医療費の高騰と患者の権利意識の高揚にともなって、七〇年代にはほとんどの医師がガン告知を行なうようになった。
 しかし、グレイザーとストラウスが調査を行なった六〇年代前半は、まだ医師は患者にガン告知を行なわないのが通常であった。彼らは書いている。「アメリカの医師はこうした直接告知はまずしないのが普通である。むしろ、ていねいに遠回しに話し、自分の状態について知りたがっている患者ならばその意味を正確に読み取るだろうと考える医師の方が圧倒的に多い」(二二頁)。医師が基本的にガン告知をしないという前提があるから、患者は自分の病状についてつねに不安に思い、いろいろと医師を試すことになる。医師や看護婦の方も、隠していることを悟られたくないから、それをかわすテクニックを身につけていく。こうやって、患者の死をめぐるかけひきは、とてつもなく難解なものへと落ち込んでいく危険性がある。
 逆にいえば、グレイザーとストラウスのこの相互作用研究は、アメリカの医師たちがまだガン告知をしていなかった六〇年代前半だからこそ可能になったとも言える。皮肉な話ではあるが、ガン告知をほぼ一〇〇%行なうようになった現在のアメリカの病院では、彼らの枠組みは修正を余儀なくされるにちがいない。しかし、ひるがえって考えれば、一九九〇年代の日本は、まさにアメリカが六〇年代に経験したのと同じような状況にある。日本のガン告知率はまだ二〇%台にとどまっている。日本の終末期医療の通常のケースでは、まずガン告知は患者の家族になされる。そして本人への告知は、家族の了解があってはじめてなされるのである。患者の権利運動やインフォームド・コンセントの流れがしだいに強くなりつつあるので、ガン告知率はいずれ上昇してゆくと予想される。しかし当分のあいだは、グレイザーとストラウスが提唱した認識枠組みは、実は、現在の日本にもっともよく当てはまるのである。当時のアメリカに見られた、家族と医療スタッフによる、患者を安心させる虚偽の儀式であるとか、ガン告知が家族の中で最もしっかりした人になされるなどの事実は、日本でもよく耳にする出来事である。
 さて、彼らは、患者の病状についてそれぞれの人間が何を知っているのかという認識文脈を「閉鎖認識」「疑念認識」「相互虚偽認識」「オープン認識」の四つのカテゴリーに分類した。
 まず「閉鎖認識」とは、間近に迫った患者の死を、スタッフは知っていても、患者自身は知らないようなケースである。当然、正しい病状の告知は行なわれない。家族も医療スタッフの側について、患者には嘘をつく。医師が患者に告知をしない理由のひとつは、告知にともなっておきる様々なトラブルを回避したいからである。たとえば医師は、告知をすれば患者は「立ち直れないほどのショック」を受けると主張する。いったん医師が告知をしないと決めれば、病院という場所は、患者から情報を隠すためにうまくできている。そして、医療スタッフはみんながぐるになって、患者に真実を知らせないためのフィクションを演じるゲームをしなければならない。看護婦たちは、嘘をつく負担を軽減するために、嘘を言わなくてもいいように話題をコントロールする。たとえば、死期が目前に迫った患者に対しては、遠い将来のことは話題にせず、すぐ目先の話題に限定する。このように、閉鎖認識状況でいちばん苦労するのは看護婦である。グレイザーとストラウスは、看護婦が病院のシステムの中に構造的に押込められているその苦しい位置を、繰り返し告発している。
 「疑念認識」とは、告知はされていないのだが、患者自身が自分の病状を疑いはじめているようなケースである。自分がガンではないかと疑いはじめた患者は、医師や看護婦に向かって、様々な質問を投げかけたり、彼らを試そうとしたりする。一方、医療スタッフの側も、患者からの問いかけを意図的にそらしたり、虚偽を貫きとおしたりする。このように、ここでは、患者とスタッフとのあいだに、たえまない「かけひき」が繰り返されるのである。このケースでは、患者は、スタッフや家族を相手に、ひとりで孤独な戦いを続けなければならない。そしてそこから引き出される情報を、自分ひとりで解釈しなければならないのである。
 「相互虚偽認識」とは、患者の死が避けられないことをスタッフも患者自身も知っているにもかかわらず、お互いに知らないふりをして、あたかも死が近付いていないかのようにみんながふるまうことである。患者は、自分が死に直面していないかのように演技し、スタッフもまた通常の患者に対するのと同じような対応をする。いわば、みんなで一緒に、お芝居をしているような状況である。これは、たしかに患者の尊厳を確保する方法ではあるが、しかし患者にとっては真実を話すべき相手が誰もいなくなる。
 「オープン認識」とは、患者の死が避けられないことを、みんなが知っているようなケースのことである。この状況になると、患者はみずからの将来の闘病と死に方について、スタッフや家族と話し合うことができるようになる。そのかわりに、患者は、自分がどのように死んでいくのかについての、死にゆく自己像をみんなに提示しなくてはならなくなる。看護婦にとっては、このオープン認識文脈が、もっともやりやすい。死との戦いに看護婦が参加できるときに、看護婦は本当の充実感を得ることができる。
 グレイザーとストラウスは、以上のカテゴリーを駆使して、終末期医療に見られる人々の具体的な相互作用を記述し、関係性のあり方を説明している。「死とは何か」という泥沼の問いに落ち込まずに、「人々が患者の死について何を知っているか」という側面にのみ神経を集中して相互作用を記述するという彼らの戦略は、社会学が取り得た最良の選択であろう。そして彼らの分析は、病院における「死の社会学」が到達できたひとつの極点であると言ってよい。そしてそれは、単に医療社会学の中での業績にとどまらず、現代の終末期医療におけるスタッフの具体的な援助のあり方を考えるうえでも、大きな示唆をもたらすものである。
 さて、同じように、病院での死を社会学的に分析してみせたのがサドナウである。彼は、病院の中で遺体がどのように取り扱われるか、あるいはスタッフが死に対してどのようにふるまうのかを、エスノメソドロジーの立場から記述する。サドナウによれば、「死」とは、抽象的な概念としてどこかにあるのではなく、病院スタッフの日常的な仕事の相互行為によってそのつど「構成される」ものである。すなわち、「「死」と「死につつあること」とは、病院スタッフが病棟で一日の仕事をする過程において、これらの用語を使うときに遂行される一組の実践なのである」(一八頁)。そして、それらの実践、「つまり、検査、診察、処置、告知、宣告、死体の搬出、死体の梱包などなどの実践は、ひとつに括ると「死んだ人や死につつある人を作り出す」「産出」活動とでも呼ぶべきものを構成している」のである(一九頁)。要するに、病院スタッフが、死にゆく人や遺体を取り扱うその行為の累積によって、病院における「死」というものそれ自体が産出されるということだ。
 だから、病院における「死」というものを解明するためには、とりもなおさず、患者や遺体に対するスタッフの行為を記述しつくさなければならない。サドナウは、死にゆく患者をめぐる病棟活動の組織的な組み立てを重要視する点で、自分の方法はグレイザーとストラウスの方法とは異なっていると述べている。サドナウは、そういった視点から、たとえば死亡した患者を部屋から移すときに、看護婦が「レントゲンに行きましょう」と死体に話しかけて、それが死体であることを周囲に悟られないようにするといった実例を記述する。あるいは、病院内の店舗の店員が、廊下を歩く死体安置室係員の姿を目にするだけで、その次にくるであろう事態に無意識的に対処する姿を観察する。
 こうした病院の中の人々の行為と相互作用によって、病院の中における「死」というものが産出され、病院の中における「死」の意味空間が創出されていくのである。
 グレイザーとストラウスが言説戦略に注目したのとは対象的に、サドナウは死にゆく人間や死んだ人間の取り扱いに注目する。これもまた、病院空間において「死」を社会学的に捉える際のひとつの方法なのである。
 これらとは対象的に、ガンの告知を受けた患者の精神状態の移りゆきのプロセスに注目したのがキュブラー=ロスの研究である。彼女は精神分析医の出身であるがゆえに、「死」の研究に心理学的側面を取り入れて、画期的な成功をおさめた。
 グレイザーとストラウス、サドナウらの医療社会学の観点では、結局、「死」というものが、社会的相互作用をもたらす一変数としてしか捉えられていなかった。これに対して、キュブラー=ロスのアプローチでは、患者がみずからの死にどのように立ち向かうのかという点に関心が絞られている。告知を受けた患者が、みずからの死にどのように立ち向かうのか、そしてスタッフや家族は彼らをどのように援助できるのか。そういう問題意識が基本にある。
 彼女は、死を告知された人間が、どのような精神状態を経てみずからの死に向き合っていくのかを、告知された本人へのインタビューを通して明らかにしていった。そして、死を告知された人間が見せる心の揺れを、五つの段階に整理した。まず第一段階は「死の否認」である。自分が死に直面しているなんて真実ではないという否定の態度が最初に出てくる。これは、衝撃的なニュースを聞かされたときに人間がとる、心の緩衝装置である。第二段階は「怒り」である。どうして私が死ななければならないのだという怒りがこみ上げてくる。第三段階は「取り引き」である。たとえば、多少の延命と引き換えに神に生涯を捧げるという取り引きを、神に向かってしたりする。第四段階は「抑鬱」である。抑鬱には、告知の衝撃のあまり落ち込んでしまう「反応抑鬱」と、末期患者が世界との訣別を覚悟するために必要な「準備抑鬱」の二つがあると彼女は言う。この準備抑鬱の時期を経過することによって、患者はその後の死の受容と平和の段階に至ることができる。第五段階は「受容」である。受容の段階とは、死を受け入れた幸福の状態ではない。受容の段階とは、もはや自分の運命について抑鬱も怒りも覚えず、嘆きも悲しみも終わり、ある程度静かな感情もって、近づく自分の終焉を見つめている状態である。そこでは、ほとんどの感情はなくなっている。患者は、そっとひとりきりにされたいと望む。患者は、親しい人の手を握り、黙ってすわっていてくださいと頼むだけである。
 キュブラー=ロスの、死の受容五段階モデルは、その後の「死の臨床」研究に決定的な影響を与えた。しかし、彼女の研究の真の目標は、単に、死に直面した人間の心の変容のプロセスを図式化することにあったのではない。そうではなく、むしろ、死に直面した末期患者と、その家族とが、避けられない死を目前にしてその運命と立ち向かい、あわよくば死を受容して死んでゆけるために、我々がどのようなサポートをすればいいのかを解明することにあった。
 したがって、彼女の切り開いた死の研究は、終末期医療の重要な一部として、医療の内部へと組み込まれていくことになる。終末期医療では、死にゆく患者とその家族への心のケアが重要視されているが、この方面にかんする心理学・社会学・倫理学の貢献は、今後ますます強く要請されるであろう。
 以上に述べたような「死」の研究は、日本ではとくに一九八〇年代から盛んになる。日本の場合は、グレイザーとストラウスのような言説戦略からのアプローチよりも、キュブラー=ロスのような「死の臨床」アプローチの方が歓迎されたように思われる。「日本死の臨床研究会」や「死の準備教育」などが八〇年代に開始された。九〇年代に入って、生命倫理学や、社会科学もこの領域に入り込みはじめている。

2 「生命」の研究

 「生命」をめぐる研究もまた、一九六〇年代後半から大きく変貌するようになる。産業化と科学技術の進展は、我々の生命や、我々を取り巻く自然環境へとするどく介入しはじめていた。六〇年代から七〇年代にかけて、環境汚染や資源枯渇などの環境問題が自覚されはじめ、遺伝子操作技術の確立にともなって生命テクノロジーへの歯止めが問題となり、脳死の人からの臓器移植や植物状態患者の安楽死などの医療技術をどこまで進めてよいかという倫理問題が噴出してきた。
 これらの事態を受けて、あらたな学問の必要性がこの時期にいっきに認識された。それは、これら生命と自然にかんする現代的問題を、「倫理」の問題として統一的に把握し、社会へと問題提起していこうとする動きである。一九七〇年前後に、あいついでこれらの動きが表面化した。まず、ポッターが「バイオエシックス」ということばを造語し、人類の生き残りをかけた新しい学際的学問を、生命科学の上に打ち立てるべきだと宣言した。それと並行して、ヘイスティングス・センターやジョージタウン大学・ケネディインスティテュートが設立され、現代医療が投げかける倫理的ジレンマを、社会に開かれた形で議論し、政策決定に影響させていくべきであるというスタンスを打ち出した。
 その後、アメリカでは、バイオエシックス=生命倫理学ということばは、もっぱら「医療倫理学」という意味で用いられるようになり、ポッターが主張した環境倫理的なニュアンスは周辺へと追いやられた。アメリカ的なバイオエシックスは、八〇年代前半に、倫理的行為の原則を示す形の規範主義生命倫理学として一応の制度化を達成した。そして、日本やヨーロッパなどに影響を広げていった。しかし、九〇年代に入ってからは、現場の医師や、看護婦たちからの違和感が噴出し、フェミニズムからのアプローチも加わり、さらに一度は周辺部に追いやられた環境倫理からのアプローチも出はじめて、ふたたび混沌とした学問状況になりつつある。さらに、生命倫理の問題が国際的に広がったことから、文化差を考慮に入れた比較文化的なアプローチの必要性まで語られはじめている。
 医療と健康政策の倫理問題を中心としたこれらの研究の全体像をここで紹介することはできないが(拙著『生命観を問いなおす』など参照)、これらの先端的な「生命」の問題群が、「倫理」という観点からすくい上げられたことの意味については注目しておく必要がある。ひとつには、もちろん、現場で医療スタッフが直面する倫理的ジレンマの大きさというものがある。重い障害を持って生まれた子どもをどうすればいいのかといったジレンマが、医療技術の進展にともなって続出してくるのである。もうひとつの理由として、私は当時の冷戦構造があったのではないかと考えている。つまり、医療と健康政策が生み出す問題には、倫理的ジレンマのほかに、当時の西側先進諸国の自由主義経済構造に医療が依存していることや、階層間格差が問題をさらに複雑なものにしていることなどがあったはずである。ところが、そういった社会構造の問題を突き詰めていくと、必然的にアメリカの自由主義社会の根本を疑うような研究につながりかねない。これは、冷戦を戦っていた当時の体制にとってはまずい。だから、それらの問題を、上部構造的な「倫理」の問いへと変換して議論することによって、それら下部構造的な社会・政治・経済の問題を隠蔽したのではないか、と私は考えている。
 そうだとすれば、冷戦が終わったいま、医療と健康政策をめぐる社会問題を、「倫理」の束縛から解放することが求められるはずである。先端医療技術や医療政策のかかえる問題を、たんに倫理の側面だけから捉えようとするのではなく、文化人類学、社会学、政治学、女性学などの多方面から協力して把握解明しようという動きが必要である。
 「生命」研究の将来の方向性について、私見を交えながら述べてみたい。
 たとえば体外受精という先端医療技術がある。この技術は受精卵凍結、代理母、借り腹、受精卵診断、胚の研究利用など、大きな社会的問題をはらむケースに臨床応用されている。従来の生命倫理学の枠内での研究では、まず体外に取り出されて受精した卵が、倫理的配慮をするべき存在と言えるのかどうかということをまず第一に議論する。そして、受精卵を操作してよいのは、受精後何日までにするべきかということを議論する。
 しかし、社会学や政治学などの観点からすれば、もっと別のこともまた議論されなければならないはずである。たとえば、それら先端生殖技術は、「不妊治療」という名目で研究開発されている。では、そういう「不妊治療」のニーズというのは、どこからでてくるのか。子どもの生まれないカップルが、不妊治療のために病院を訪れてくるそのプロセスはどうなっているのか。彼らは、どこで、どのようにして不妊治療のことを知ったのか。家族からのアドバイスがあったのか、それともかかりつけの医師から紹介されたのか。
 このように考えていくと、不妊治療を受けたいと思うカップルをめぐる、医師と家族のあいだの情報操作や権力関係というものが、研究の対象に上がってくる。そして不妊治療を受けたいというニーズをもとにして、科学者たちは自分の研究を推進して論文を量産していくわけだから、それは科学者集団の欲望ともまた結びついているはずである。
 その研究はさらに奥深いところにまではいっていくだろう。たとえば、なぜ「不妊」の治療をしたいとカップルが思うのか。その背後には、「子どもがあって一人前」という思想があって、それがカップルに内面化されているのかもしれない。あるいは、女性のひとつの充実形態として出産・育児が思念されている可能性もある。それは、フェミニズムの問題群と交差してくる。あるいは、そういう「子どもがあって一人前」という圧力を、カップルが親戚などから強く受けてノイローゼ状態になっていることがあるという報告もある。これは、日本において、「家族」や「家」の観念がどのように働いているのかとも関連してくる(お茶の水女子大学生命倫理研究会、一九九二参照)。
 だとするとその研究は、人々がつがいを組んで、子孫を残していくときにどのような形態があり、それぞれの形態に対してテクノロジーがどのように関与することになるのかという、家族社会学と先端技術論が一緒になったような研究領域へと展開するかもしれない。現に、先端医療技術をもちいた不妊治療がいまの社会で浸透していけば、それは「子どもがあって一人前」という戦後日本の近代家族イデオロギーを追認するテクノロジーとして機能することになる。このような、先端テクノロジーと、非先端的家族イデオロギーとの結合という事態も生じているのである。
 先端生命テクノロジーは、さらに科学社会学の視点からも研究される必要がある。たとえば、体外受精の技術をもちいた生殖技術の研究開発は、様々な方向へと邁進しているが、その研究を押し進めている原動力はいったい何なのか。ひとつの答えは、不妊に悩むカップルからのニーズである。彼らのニーズに答えるために、不妊治療は進められるべきであると研究者は言う。それと並行して存在するのが、研究者の欲望である。自分が研究していることを、一直線に展開してその可能性を確かめてみたい。そして、世界の科学研究のレースでトップに立ちたい。そういう原動力がある。それに加えて、医療関連産業からの思惑が交錯する。あらたな医療技術が確立すれば、それを臨床応用するときの医療機器や薬品などの需要が生まれ、新しいマーケットが出現する。
 このような、患者からのニーズと、研究者の欲望と、産業界の思惑が交差するなかで、先端生命テクノロジーは開発され、次々と臨床応用されていくのである。そして、遺伝治療や臓器移植などのように、社会に対する影響力が大きいとみなされたものにかんしては、倫理委員会で審査したり、関連学会がガイドラインを作ったり、あるいは国会に法案が提出されたりしてゆく。政治の論理が、科学研究と臨床医学に組み込まれてくるのである。このあたりのシステムが、どのような仕組みで働いているのかを解明することは、社会科学に課せられた急務であると思う。国際的視野を入れた萌芽的研究が始まったばかりであるが(三菱化成生命科学研究所、一九九四)、将来の社会学の大きなテーマのひとつであることにまちがいない。
 一九七〇年代以降の世界の「生命」研究は、多かれ少なかれ「バイオエシックス=生命倫理学」の影響のもとに進められてきたと言ってよい。その事情は、一九八〇年代以降の日本においても同じである。しかしながら、現代社会における「生命」の問題群が、単に「倫理」や「道徳」の観点からのみ解明できるはずはない。我々は、これらの「生命」研究を、もっと幅広い社会システムの問題群として、より豊かに展開していかなければならない。現代の「生命」研究を、社会科学と、広い意味での人間学の方向へと、これまで以上に開いてゆくという課題が、いま我々に課せられているのである。
 

引用文献

お茶の水女子大学生命倫理研究会『不妊とゆれる女たち』学陽書房 一九九二年
キュブラー=ロス、E『死ぬ瞬間』読売新聞社 一九七一年(原著一九六九年)
グレイザー、B・G、ストラウス、A・L『死のアウェアネス理論と看護』医学書院 一九八八年
 (原著 一九六五年)
サドナウ、D『病院で作られる死』せりか書房 一九九二年 (原著 一九六七年)
三菱化成生命科学研究所『Studies 生命・科学・社会』No.2  一九九四 年
森岡正博『生命観を問いなおす』ちくま新書 一九九四年

参考文献

石井美智子『人工生殖の法律学』有斐閣 一九九四年
今井道夫・香川知晶『バイオエシックス入門』東信堂 一九九二年
黒田浩一郎編『現代医療の社会学』世界思想社 一九九五年
進藤雄三『医療の社会学』世界思想社 一九九〇年
日本死の臨床研究会『死の臨床1〜6』人間と歴史社 一九九五年
 

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