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現代文明学研究:第7号(2005):398-409
生命のアンビバレンスと宗教の不可能性
: 森岡正博の生命学
ウルリケ・ヴェール(著) 雨宮徹(翻訳)


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Ulrike WÖHR, ,,DIE AMBIVALENZ DES LEBENS UND DIE UNMÖGLICHKEIT DER RELIGION: MORIOKA MASAHIRO UND SEINE SEIMEIGAKU," -- Ursprünglich erschienen in: 11. Deutschsprachiger Japanologentag in Trier. Bd. I: Geschichte, Geistesgeschichte/Relgionen, Gesellschaft, Politik, Recht, Wirtschaft, hrsg. von Hilaria Gössmann und Andreas Mrugalla. Münster, Hamburg, London: LIT-Verlag, 2001: 675-689.

凡例
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[675/676]は原典のページ数を示す。

原典は、2001年にドイツ語で刊行された(ドイツ語全文)。尚、今回の翻訳にあたり、著者による加筆および削除、新たな改行の行われている箇所がある。その際、註番号(6)が抜けることになったが、原典との対応を考えそのままとした。

新しいパラダイム

 欧米には、「ニューエイジ」という概念で捉えられる、思想の世界およびその思想を掲げている運動が存在しているのだが、本論では、この「ニューエイジ」の日本版について考察する。さらに本論では、日本のニューエイジ運動の教典となった著書を書いた「霊性的知識人」とも呼ばれる著者たちが存在するが、この「霊性的知識人」という範疇を再検討する。これらの著者の中の一人として、倫理学者である森岡正博を紹介する。森岡は、日本の既成の学問制度を通じてキャリアを積んだ学者であるが(1)、数万人の人々に読まれてきた一般向けの諸著作と、テレビ出演によって有名になった(2)。まず、森岡の思想を再構築し、次いで、独特な読者層を形成している日本の「ニューエイジ」と、宗教学者の島薗進が作り出したカテゴリーとしての「霊性的知識人」とを考慮に入れて、森岡の思想を分析する。
 森岡は著作のなかで「新しい」学問を計画しているが、それは同時に新しい存在様式を基礎づけることとなる。森岡が唱える新しい「生命学」の根底に横たわる要請は、学科間の分離ばかりでなく、学問を隔離している象牙の塔の壁をも取り払うことである。[675/676]
 いわゆる「アカデミズム」を払拭しようとする「新しいパラダイム」は、森岡によればただ素人によってのみ、あるいは素人に相応する態度によってのみ構築されうる(森岡1988、266頁、1993a、207頁)。「素人」としての学問とは「自分の中にわきあがってくる問題意識に誠実に向き合って研究を進める」ことを意味する(森岡1993a、207頁)。人間の本当の生き方とはどういうものか、というのが倫理学者である森岡の根本的なテーマなのである。このことをより具体的に述べれば、人間の創造物である技術が、人間と社会をどのように変えているのか、人間は技術によって形作られた環境のなかでどのようにコミュニケーションをはかり、関係を結べばよいのか、ということになる(森岡1993a、7-10貢参照)。森岡の著作のなかで展開される「生命学」は、技術発展などに対する社会的責任を問題にしているだけではなく、人間の存在の意味を探究する方法論にもなっている。

いのちの概念

 森岡の見解によれば西洋の生命倫理学は、近代市民社会の理念に由来しているがゆえに、「近代のパラダイム」を乗り越えようとする要求を持つこともなければ、そのための方法論も備わっていないという問題を抱えている(森岡1994a、94頁)。森岡は、今日の日本人が「いのち」について抱いているイメージに基づき、生命についての自分の概念を展開しているのだが、使用されたデータは森岡自身の調査により取得されたものである(森岡1993b)。
 森岡は、実際に「いのち」に帰せられている特質が、それ自体矛盾していることを指摘している。「いのち」の一般的なイメージによれば、宇宙における生命は、一方では「個別性」(individuality)によって、他方では、繋がりが強調される「開放圏」(sphere)や「流れ」(stream)に対する帰属によって構成されている。「個別性」を強調すると「個別的・原子的」立場へ至り、「開放圏」「流れ」を強調すると「いのち」についての「ホーリスティックな」解釈を促進することになるが、森岡が理想としているのは、両方の原理がバランスをとっている状況なのである(森岡1993b、53頁)。
 「いのち」の「個別的・原子的」構成要素とは、先に引用された論文において森岡が「近代文明の諸傾向」と呼んでいるものと一致していると思われる。この「有害な」近代文明の諸傾向は「あまりにも深く根付いているので、お説教によって変えることは不可能だ」とされている(森岡1993b、49頁)。森岡が近代文明のもたらす害として特筆しているのは、世界的な環境破壊と、近代技術が医学へ適用されることによって生じる倫理的な問題などである。こうしたことが生じたのは、「『生命』の領域へ科学技術が浸透」したからなのだとされている(同上書、35頁)。しかし、森岡の「いのち」の思想に従うと、このように否定的に特徴づけられた諸力も、生命それ自体の座標のひとつとして受け入れられることになるのである。[676/677]
 このことは、森岡の思考における根本的な矛盾としてとらえることもできる。森岡はつまり、一方で根本的には近代批判的な立場をとりつつも、また一方で一見したところ対立しているように見える二つの原理――融合を意味する「ホーリスティックな」原理と、分離を意味する「個別的」原理――が、どちらもともに生命をなしていることを強調し、この二つの原理のあいだに調和をもたらすことを要求しているわけである(森岡1993b、53頁)。
 森岡の著作を年代順に読んでいくとわかるのは、生命や個人についての見解が継続して変化しているということである。この変化は、どちらかといえば「ホーリスティックな」立場から、どちらかといえば「個別的・原子的」立場への展開として捉えることができる。しかし、人々の生活を変えつつある近代的な現象を批判する立場とそれを肯定する立場との間での森岡の揺らぎは、継続的に観察でき、この揺らぎこそが森岡の思考の定数だと思われる。

「内なる敵」と人間の孤独

 森岡自身は、自分の立場の変化に注目し、その変化の理由としてある決定的な体験を挙げている。この体験以前の彼の立場は、次のように述べられている。

[...] 頭の中では依然として調和と共生とを思索していた。その調和と共生を破壊してしまった科学主義と近代システムをいかに克服すればいいかを、頭の中だけで考えていた。(森岡1996、131頁)

 森岡が自分の思考の「転機」(1996、132頁)と表現しているものは結局、頭で考えることによって引き起こされたのではなく、生命そのものによって引き起こされたのである。森岡は、三十歳のときに子供ができ、自分自身の主張に従って(3)できるかぎり、その子の面倒をみていた。けれども理想と現実は必ずしも合致しうるわけではなく、調和と共生を主張していたこの倫理学者はある日、非常にいらいらし、殺意に襲われ、よるべなく泣き叫ぶ赤ん坊へ暴力を振るう自分に直面せざるを得なかった(同上書、131-2頁)。

わが子に向けられた自分自身の暴力衝動を自覚したとき、私のそれまでの思索は無になった。[...] 敵は自分の外部にあるのではない。敵はほかならぬ自分の内部に巣喰っているのである(同上書、132頁)。[677/678]

 デカルト的機械論と二元論を克服する方法として森岡の最初の著作の中で主張された、あらゆる生命との共存をはかる哲学は、現代の社会システムによって巧みに商品化されてしまっている「底の浅い思想」で、「偽りの慰め」だったと述べられている(森岡1994a、193頁)。森岡によれば、われわれが環境破壊や社会道徳の空洞化による危機に陥っているのは、生命をないがしろにしているからではなく、生命そのものに巣喰っている生命の渇望によって、自然を屈服させ支配することへと駆り立てられているからなのである。デカルト的機械論と二元論が、すなわち近代の科学技術が続々と成功を収め続けているのは、それらが生命の強欲で利己的な側面にたやすく合致するものだからだ、と森岡は考えている。
 敵は人間の外側にではなく内側に求められるべきだという認識から、森岡の「煩悩の哲学」が展開される(4)。「煩悩の哲学」というのは何よりもまず、誰もが自分ひとりで完遂しなければならない、自分の「煩悩」や「凡庸さ」を見つめ、自分を変容させる過程を意味している。ここで注目に値することの一つは、「自分自身で」自分を見つめるという要求だと思われる。森岡の思想において人間の「孤独」は、存在論的な公理でもあれば(森岡1993a、120頁)、規範的命題でもある(1988、266頁)。
 森岡は、ひとりでいること、すなわち精神的な自立を主張している理由を、オウム真理教の恐るべき破滅と、自らの人気に乗り上げて座礁してしまったカリスマ的ロックシンガー尾崎豊(1966-1992)を例にひきながら説明している。森岡によればこの両者の現象に共通している破滅の原因は、共同体を作り、多くの人々の癒しと救済をたったひとりのカリスマ的なリーダーに任せてしまったことにある。悪の根源は、こういった共同体における責任転嫁、つまり考え、最終的な答えを出すことをひとりの人にゆだねてしまっている構造にあるのである(森岡1996、176-177頁)。
 自分自身で道を探ることは、新しいアイデンティティーを獲得するための基礎であり、「宗教なき時代」を生きるための鍵なのである。森岡はこのことを、一方では自分の信条として、他方では読者に対する提言として、次のように述べている。

しかし私は、宗教の道に入ることなく、私が存在していることの意味や、生と死の意味や、ほんとうの自分とは何かについて、どこまでも自分の目と頭で追求していきたいと考えている(森岡1996、56頁)。[678/679]

だから私と同じような問いに悩み、それらの問いをかかえたまま、どうしたらいいのか分からなくなっている人たちよ。あなたもまた、自分自身の足場と、自分自身のペースでもって、それらの問いにどこまでも立ち向かってもらいたいのだ(同上書、64頁)。

匿名のネットワーク

 森岡は、宗教団体や研究機関などで組織的に行われている真理の探究に対してさまざまな留保を付けているにもかかわらず、人間が最低限の精神的連帯を必要とすることは認めている。すでに初期の著書において彼は、硬化してしまったアカデミズムの構造に代わる、「ゆるく連結してゆく」人たちの情報交換ネットワークを構想したのである(森岡1988、266頁、1993b、54-55頁)。オウム真理教の悲劇は、森岡にネットワークの理念を「生きる意味」を探究している人々の「はげましあ」い(森岡1996、6頁)へ拡張させるきっかけとなった。もっともここでもまだ、責任転嫁の危険がひそんでいることを森岡は懸念している。そのため、ネットワークのもとであっても、孤独であるべき人たちの存在が「交じり合うこと」を否定し(同上書、65頁)、「かすかな電波を交信し合」うことによって「遠くから」「励まし合」うことしか許していないのである(同上書、4頁、65頁、216-7頁)。
 このネットワークのメンバーである人たちの関係は、匿名性(森岡1996、65頁)の概念によって特徴づけられる。匿名性を人間関係の原則とすることによって、森岡は近代文明批判の鍵となっている概念を肯定的に評価しなおしている。「意識通信」という、独特なコミュニケーション論を展開している著書(森岡1993a)においてすでに、匿名性の概念に重要な意味が与えられている。電話からコンピューターに至る電子メディアによって媒介されるコミュニケーションに共通している特徴は、その参加者の匿名性が、部分的にあるいは全体的に保証されているということである。そして、このように参加者の素性が明白ではないことに、このメディアの特殊な可能性が基づいているのだと森岡は指摘している(森岡1993a、10-12頁)。相手の素性の知れなさによって想像力が刺激されるとともに、ふだんは表面に出ない、道徳規範などに抑圧された深層意識が、匿名性の庇護のもと、表現できるようになるのだとされている(同上書、40-41、131-134頁)。
 さらに森岡は、「匿名性のコミュニティ」という、新しい社会学的カテゴリーまで提示している(1993a、76-80頁)。その例として、東京の六本木や原宿などといった大都会の、匿名性を保証する空間をぶらつき、身に付けているファッションを通じて徴妙に意志を疎通しあっている人々の「コミュニティ」を挙げている(同上書、67-68、78頁)。さらなる例としては、仮名(ハンドルネーム)を用いて不確定の数の匿名の参加者がチャット画面という「虚構空間」で出会い語り合う、インターネットチャットが挙げられている。(同上書、22頁以下、78頁以下)。[679/680]

メディア・テクノロジーとポップ・カルチャー

 現代的現象を肯定的にとらえる森岡の立場は、最新のメディア技術やファッション、アニメーション映画、ポップミュージックといった現在の一般的な文化形式に対する態度にもあらわれている。
 たとえば電話、ラジオ、パソコン通信といった「匿名性の制限グループメディア」は、社会を癒す機能を有しているとされている。実際の例としては、視聴者が電話をかけて積極的に参加できる、ラジオにおける生放送のコール・イン番組が挙げられている(森岡1993a、157-158頁)。こうした番組は、匿名の義務を負わせるわけではないが、匿名に参加することを可能にする「意識交流場」であるから、「社会の無意識」にたどり着き、「真の『社会の夢』」を出現させることを可能にしているということである(同上書、153-157頁)。
 森岡は、ホストが司会するコール・イン番組やそのインターネット版である「パーソナリティ」つきのリアルタイム・チャットといった形式を、将来可能となるべきマルチメディア技術に投影し、架空のSFのシナリオを描いている。「ホスト」や「パーソナリティ」のような、このマルチメディアの世界での案内人の姿は、「ドリーム・ナヴィゲイター」といった「夢の作業」の専門家として構想されているのである(森岡1993a、153-161頁))。
 それでも、近代のテクノロジーに関する著者のアンビバレンスがところどころあらわれている。たとえば一方で森岡は、『電脳福祉論』という対談集において「他界」という概念を拡張した「電子他界」を導入し、そこから癒しが生まれることを空想している(森岡1994b、11-12頁)。しかしまた一方で、近代のテクノロジーが人間の根本的な要求に答えていないことも指摘している。すなわち、老いること、他者との関係のなかで自分が変わることなどに関する要求は、『すばらしき新世界』的な「操作型知性」によってはコントロールされえないものだと主張されているのである(同上書、31頁)。しかし、以下の発言からも窺えるように、森岡の新しいメディアやテクノロジーに対する基本的な態度は、楽観的といっていいほど肯定的である。

考えてみてほしい。「電話」の普及によって、どれほど多くの一人暮らしの高齢者たちが不安から解放されたか。そして、電話でのおしゃべりによって、どのくらい多くの慰めを得たか。「テレビ」の普及によって彼らがどのくらい孤独から解放されたか。[…中略…]「電子ゲーム」や「マルチメディア通信」は、これらと同じ慰めを、高齢者たちの人生に追加するのである(1994b、iii頁)(5)。[680/681]

 森岡の現代メディア・テクノロジーに対する柔軟な態度は、彼の著書のなかで頻繁に見られる現代大衆文化への言及にも現れている。森岡が、尾崎豊の運命にカリスマの危険性を重ね合わせているのは前述の通りだが、その一方で、森岡が唱える「煩悩の哲学」に共通したものを尾崎の歌詞のなかに見出してもいる(森岡1996、140-157頁)。尾崎の音楽を聞くことによって自分が絶望してしまいそうな時期に慰められ、孤独を耐え抜くことができたと語っているし(同上書、140頁)、尾崎が破滅したその地点から森岡自身の仕事が始まるのだと宣言している(同上書、179頁)。また、森岡の著書におけるアニメの扱いに注目すると、それが文化理論の対象としてばかりでなく、鑑賞者、つまり消費者の視点からも述べられていることがわかる。たとえば世界的な人気を得た宮崎駿の「エコ物語」(Schilling 1997、141頁)、『風の谷のナウシカ』について森岡は、主人公である少女ナウシカが当時、若い男性としての自分に大きな印象を与えたと言っている(井上/森岡1995、127-128)。
 けれども結局のところ、森岡は現代的現象の背後から、単なる消費者の視点を越えた、より深い意味を探り出すのである。たとえばそれは、電子メディアを用いたコミュニケーションにおいて表出する、社会の意識の深層であったり、あるいは孤独なロックシンガーの歌詞に窺える意味の探究(森岡1996、141頁以下)、および彼の悲劇的な破滅の本当の意味であったり、あるいはナウシカという少女に感じられるエロスすなわち宗教性が、人々の意識を清め、地球に対する態度を変える可能性であったりするのである(井上/森岡1995、132頁以下)。

科学、宗教、そして「第三の道」

 善、認識、そして「ちっぽけな私の生と死」の超越に向けた努力を、森岡は「宗教性」と呼んでいる(井上/森岡1995、132、135頁、森岡1996、157頁)。この宗教性は、森岡の著書において一貫してポジティブに評価されている。発せられた問いが「人間の生命の本質」に触れているとき、それは宗教性として定義される(森岡1996、61頁)。それに対して森岡の言う「宗教」とは、一人の教祖や指導者に従い、ある教義や一定の集団活動に統一的に準拠させられている団体あるいは運動のことを意味している。宗教の信者には、自分自身で考え、疑うことを放棄し、他人が教えてくれる「絶対の真理」をそのまま自分のものとすることが要求されるのだ、ということである(同上、52-57頁、61頁)。
 森岡の記述によれば、彼が長年にわたって抑圧してきた自分の「こころの病い」を受け入れ、組織化された[681/682]宗教に対する考え方を決定的に改めることを可能にしたのは、オウム真理教を巡る事件であった(森岡1996、228頁)。森岡は、麻原彰晃の命令に従って毒ガスサリンを作っていた若い科学者たちの精神状態と、少し前までの自分の精神状態とのあいだに類似を見出し、当時の彼自身の試行錯誤について語っている。森岡の「宗教なき時代」を生きるための助言は、この試行錯誤のプロセスから得られたものなのである。
 森岡は、「生きる意味」や「いのち」の問題に関する思考を放棄している現代の科学と、信仰に基づく宗教という二つの道のどちらにも満足できず、存在の意味を自分自身で探究する人たちの「第三の道」を創り出す。この道と「生命学」とは同一のものだとされている(森岡1996、58頁)。ところで、この「第三の道」が全くの真空状態からできあがったのかと言えば、そうでもない。そこには森岡の気功の経験や学生時代に興味深く読んだ瞑想やヨーガに関する本(同上書、97頁)の内容などが反映されているに違いない。
 宗教性を帯びたものとしての生命学は、理念ばかりを提唱するような学問なのではなくて、理念を提唱しつつ体験から始まる道なのである。けれども神秘体験それだけでは、人間が良い方向に変わるとは限らない。悟りに達したいという要求は、権力欲や自己顕示欲等によって動機付けられている場合が多いし(森岡1996、72-89頁)、自己と宇宙の融合などの体験は誇大妄想をもたらす可能性があるからである(同上書、88頁)。ここで警戒されている事柄は、森岡が主張している生命のアンビバレンスにも関連づけられる。すなわち生命の、結びつけ癒す側面と、分離させ破壊する側面との対立が、神秘体験への動機付けにも現れている、ということである。このような結果にならないように、神秘的な全体性の体験に容赦のない自己分析がともなっていなければならない。そして、森岡は自らその手本を示して見せたのである。

主観主義と自己反省

 徹底した自己反省性の要請は、いわゆる「煩悩の哲学」の中に含まれており、最初から生命学の核心部分を形成していたのである(7)。森岡にとっての課題は、日常的な無知――すなわち「自分自身に目隠しをしていくダイナミズム」――を明るみに出すことなのである。
 自分を対象とする学問、すなわち徹底して自己反省的な学問を樹立しようとする森岡の諸々の挑戦を統合しているものとして、学問でありながら自己療法でもある「自分史」の理念が挙げられる。[682/683]

[...]真の学問は「自分史」であらざるを得ない[...]。「自分史」の裏付けをもったときはじめて、人文系の学問は光り輝きはじめる。[...]私の目指している学問というものは、「正義のいやらしさ」や「権力のドロドロ」をも自らのものとして引き受け、そのうえでそこに還元できない「愛」や「倫理」を見失うことのないような地平で、それらすべてとの永遠の格闘を――つまり答えのない闘争を――続けるようなものになるはずなのです(井上/森岡1995、172頁)。

 この自分史の要請は、自然科学の前提と方法に対する批判にもなっている。追試によって繰り返すことのできない、そして法則として定式化することのできない現象が存在する。個々の人間のかけがえのない、取り替えようのない「いのち」――「自分史」という形式において森岡の新しい学問の基礎となった「いのち」――もこのような現象なのである(森岡1996、44-50頁)。
 「自分史」の理念へと通じる学問と宗教性の結びつきは、森岡の著作にはっきり現れているが、それは書かれている内容に限ってのことではない。新しいパラダイムを探求する途上で、森岡は叙述の新しい形式についても実験を試みている。この新しい形式は「形式論理学」ではなくて「可視論理学」から生じるのだという(森岡1993a、188頁)。その見本として、15頁以上にわたって「イメージ連鎖」という表現方法でイメージされた「ドリームナヴィゲイター」の意識の旅が示されている。この旅は、シャーマンの旅に類似しているかのような印象を与えるのだが、実際にそういう意図があったということを、著者は本のまさに最後において確認している。

「ドリームナヴィゲイター」は社会の無意識をその深層から表層へと運び、社会に夢を見させるための、媒体=メディア=シャーマンなのである。(森岡1993a、203頁)

 シャーマンは自分自身を癒すことによって社会を癒すための力を獲得する。作家は自分自身を治療することによって彼の読者の手本となる。そして学者は自分の「病」を許容することによって生命の本質についての洞察を得るのである。

森岡正博は「霊性的知識人」であったのか

 日本の人文科学者のなかに、先に見たシャーマンのような役割を演じる人が少なからずいることはリーゼット・ゲーブハルトが指摘したとおりである(Gebhardt 1996、2000)。「精神世界」とも呼ばれる日本のニューエイジ(8)の言説を拠り所とし、また自らその言説に貢献している学者たちのことを、島薗進は「霊性的知識人」と名付け(Shimazono 1993、1996、274頁以下、Prohl 2000、Wöhr 1997も参照のこと)その代表者の一人として森岡正博の名前も挙げている(9)。
 「霊性的知識人』と呼ばれる学者の特徴の一つは、彼らの著書が商業的に成功しているという点にある(島薗1996、251頁)。日本の巨大なノンフィクション市場で一般の読者をターゲットにし続けている学者はもちろん、「霊性的」とよばれている人たちだけではない。「精神世界」と「霊性的知識人」にかぎらずこの市場は、意味についての取引が行われる開かれた空間として、多様な仕方で知的生産物に反作用を及ぼすのである(10)。
 森岡の特徴は、こうした状況を反省する点にある。とりわけ人文科学においては「純粋な」学問的な知と「不純な」一般的な知とを切り離して考えることが、ほとんど不可能であるのだが、こうした事実は、生命学の根本的な主張にも反映されている。つまり、アカデミズムを批判し、平等な立場から問題を追求する可能性を示す「素人」という概念を打ち出し、生命学のプロジェクトに参加することを読者に積極的に呼びかけることのうちに、森岡が「学問的」な知と「一般的」な知との境界を無くそうと努力している様子が窺えるのである。島薗(例えば Shimazono 1993、12-15頁)が繰り返し「霊性的知識人」の典型例として挙げている梅原猛(11)のような著者も、西洋の学問の基礎であるデカルト的二元論を批判している。しかし梅原はこの立場を、読者へ対する態度に反映させてもいなければ、アカデミズムの制度に対する具体的な批判へ展開させているわけでもないのである。「アカデミズム」のなかで出世してきた森岡がアカデミズムを拒絶し、自分の所属している研究所のヒエラルキー構造について(井上/森岡1995、160頁)、そして梅原猛のような権威についておおっぴらに批判を行うということは、確かに分裂的だと言うこともできる。それでもともかく、森岡の非礼さはすがすがしい印象を与えるものであり、彼の諸著作の成功に一役買っているようである。[684/685]
 森岡の思想が精神世界の思想とよく似ていることは否定できないものである。地球の未来を心配し、意識改革を通じての癒しに希望を抱き、自ら孤独を選択し、「第三の道」「新しいパラダイム」を開くために従来の「救済型宗教」を拒絶すると同時に、近代合理主義および近代の学問をも拒絶することは、森岡の著作の特徴でもあれば、精神世界の特徴でもある(島薗1996、序文の1頁および9頁以下)。森岡の著作のマニュアル的な性格や、読者に呼びかけるような、強い心理的影響力を持った文体も、彼が精神世界にとっての神学者(同上書、250頁)のような存在であることを暗示している。にもかかわらず森岡は、島薗が典型的に描いて見せた「霊性的知識人」とは異なっている。森岡の梅原猛に対する批判を見ることで、その相違が明らかになる。
 日本の文化および宗教についての梅原の論述に対して森岡が採る立場は、次の二点に集約される。第一の異議は、生命の調和と全体性へ立ち戻ることによって、デカルト的思考に基づく現代文明の破壊的影響から世界を救うことができるという、梅原の希望に向けられている。このことに対して森岡は、生命それ自体に潜む渇望や破壊欲に目を向ける必要を指摘している(森岡1994a、190-193頁)。もう一つの批判は、梅原の自己オリエンタル化と、「日本」・「東洋」が西洋に優越しているとする彼の主張に向けられている。梅原によれば、自然との調和を基礎としている東洋の文明は自然との関係を断ち切った西洋文明より優れているということになる。このことに関して、森岡は次のように述べている。「『西欧・対・東洋』という枠組みで世界を語ろうというのは、時代錯誤でしょう。それは、一世紀以上昔のパラダイムです。」(森岡1994a、41頁)(12)
 「エコ・ナショナリズム」に対する森岡の批判は、「生命の欲望」自体が技術文明を作り出したという認識に基づいている。したがって当然のこととして、彼の文明批判は西洋や現代文明についての単純な批判ではありえないのだが、島薗が「霊性的知識人」の典型として紹介している著者たちにおいては,そうした単純な批判を見出すことができる(島薗1996、384-385頁)。森岡が告白するところによれば、彼の梅原に対する批判は、森岡の考えがまだニューエイジ(13)やエコロジー運動のパラダイムにとらわれていたときに彼自身が掲げていた主張[685/686]についての批判でもあるとのことである(1994a、199頁、202頁)。
 森岡自身は、島薗が「新霊性運動」と名付けているものから明らかに距離をとっているにもかかわらず、この運動の「イデオローグ」(Shimazono 1993、12頁)の一人であると言えよう。そのことを裏付ける三つの理由を挙げることができる。
 まず第一に、森岡の思想は国粋主義的であるわけではないが、だからといって決して相対主義的であるわけでもない、ということが挙げられる。彼の「生命の本質」に関する研究は普遍主義的観点から行われているし、彼の生命学はより良い「いのち」のため、そして癒しをもたらす思想に向けて、文化や宗教が異なる多くの人に受容できるように計画を展開することになっている(森岡1993b、37頁)。森岡の人間主義的な普遍主義は結局のところ、生命学を規範的なものにしていると言えよう。その点において、森岡の倫理学者としての動機や思想的背景が窺えるのである。
 第二に、森岡は人間の利己主義を見抜いているという意味では現実主義者であるけれども、癒しが可能であるという確信を手放すことはない。生命学は、「生命の欲望」を視野に入れた根本的な文明批判に則って、現在の文明を越えたところを指し示すであろう、人間の「もう一つの本質」を見出さなければならないということである(森岡1994a、193頁)。
 森岡が精神世界に親近性を持っているということの、第三の、そしてもっとも重要な根拠は、社会のアトム化、商業化、技術化という、彼が「近代的」と呼んでいるものに対する、まさに彼自身のアンビバレントな態度にある。近代批判と、現代的現象に対する肯定的な態度とのあいだでの森岡の揺れは矛盾だと言えば矛盾なのだが、このような揺れはニューエイジの、そしてその日本的バリエーションの特徴でもある。つまり、一方の一元論的な教説と他方の自ら選び取った孤独とのあいだの、資本主義批判と商業化肯定とのあいだの、そして意識開発と高度テクノロジーとのあいだの揺れである。
 島薗によれば、こういった矛盾を抱えている知識人や大衆レベルでの運動は、ポストモダンの典型的なあらわれだということになる(島薗1996、363頁)。島薗は、ポストモダンを解明する様々な文献を参考にし、「新霊性運動が近代とは異なる、どのような特性を持つか」(同上書、366頁)についての正確な理解を得ようとしているのである。
 このことに関して私は、リータ・フェルスキ(Felski 1995)、コルネリア・クリンガー(Klinger 1995)、ホルスト・シュテンガー(Stenger 1993)等「近代」におけるロマン主義的・宗教的運動を論じてきた著者を参考にしたい。彼/彼女らからみれば、島薗のいう「新霊性運動」に見られる主観主義や現状に代わるべき代替社会の様々な構想は、近代や近代化に対する――その人の立場によって反動的だと言われたり、または進歩的だと言われたりする――抵抗運動ではない。クリンガーによれば、それらを「近代化のプロセスにおける他の要素と同格の『役者』(gleichrangige
,,Akteure")としてまじめにとらえること」(Klinger 1995、8頁)が必要だということである。このことが意味しているのは[686/687]、広く言えば精神世界を、特定して言えば森岡正博のような著者を「ポストモダン的」とみなすのではなく、彼らに示された代替案が回帰的あるいはユートピア的に見えたとしても、それをまさに近代の「意味工作」(Sinnbasteln)のあらわれとみなすということなのである(Stenger 1993、53頁)。
 森岡が現状に代わるものとして示した現実は、しかしながらユートピア的なヴィジョンにおいてではなく、著者自身が読者の手本となって見せる意味探求あるいはアイデンティティ探求のプロセスにおいて見出されるのである。読者に向かって自分の成長過程を振り返ってみせた森岡自身の叙述において突出しているのは、物理学者になる夢の挫折、自分自身の子どもに対する攻撃的な感情の爆発、そしてオウム真理教の顛末という出来事なのだが、これらの出来事をシュテンガーの言う「人生の節目」(biographische Brüche)(Stenger 1993、53頁)として捉えることができる。「人生の節目」として経験される状況は、「現代社会の文化システムによって生み出された状況」なのであり、こうした状況には「(見かけ上)私的な意味の探求および建立という実存的な要請が、システマティックに含まれてしまっている」(同上書同頁)のだということである。そしてニューエイジが成功したのは、それが主体にとって「意味工作」の能力を身につけるに際して有用だったからということである(同上書同頁)。シュテンガーによれば現代人は、「反省的距離」を取ることで「アイデンティティの形成とアイデンティティに関する自己決定」が可能になったが、この「反省的距離」は、現代社会の精神状況に特徴的な懐疑というもう一つの現象を生み出してしまったのだという。そしてこの懐疑というものは、改めて反省のプロセスに取り入れられ、それを促す機能をもつものであると、彼は言っている。(同上書、49頁)。
 このような懐疑は、森岡の思想に意識的に統合され、その原理になっていると言えよう。そう考えると、森岡の本にみられる現代社会を肯定したり、批判したりする、矛盾しているかのような態度も、「懐疑の統合」という意味で筋が通っていることが分かる。そして森岡が、現代社会の空想的な代案しか提供していない梅原のような著者と区別されるのは、懐疑の原理という点においてである。ひょっとすると、梅原の完全なユートピアより森岡の屈折を経たアイデンティティのほうが現代の日本人の「意味工作」にさいして役に立つのではないか。その答えは、今後出版される森岡の著作の販売部数にも示されるであろう。

(1) 森岡正博(1958-)は1988年に、助手として勤めていた東京大学から、ちょうどその頃に設立された国立の研究施設である国際日本文化研究センターへと移った。1997年に現在勤めている大阪府立大学に移転した。

(2) 1999年現在、森岡のもっとも成功した出版物である『生命観を問いなおす』(1994)は、38,000部に達している(森岡1999(自己紹介/著書紹介/単行本/4))。一般向けのテレビ番組では、たとえば、1995年の夏にテレビ朝日放送の深夜のライブトークショー『朝まで生テレビ!』(テーマはオウム真理教)、1997年NHK教育放送による特別番組『生老病死の現在』などに出演している。

(3) 森岡が基本的にフェミニズムに賛同していることは、井上/森岡1995、11-38頁および森岡1996、202-211頁などから窺える。

(4) 「煩悩」というのは仏教の専門用語でもあるが、残念ながら森岡は自らが作り出した概念としての「煩悩」(森岡1996、133-136参照)と仏教における「煩悩」との関係については言及していない。

(5) この点については、視覚障害者である情報科学者の石川准によせられた批判を参照のこと(石川1996、49-50頁)。石川は、電子メディアが老人や障害者に本当の安心や慰めを与えるのか、それとも彼らの生活をより非人間化してしまうのかといったことは、それらのメディア自体によって決まるのではなく、そのメディアの発達と使用の背景にある社会的要因によって決まるということを指摘している。森岡はこの「きつーいコメント」を自分のホームページに載せ、石川に謝辞を述べている(森岡1999(自己紹介/著者紹介/共著・対談/2))。

(7) 森岡はすでに『生命学への招待』(1988年)において、われわれが自らの「他者を捨てる」行為(「姥捨行為」)を隠すために作り上げている自己正当化や自己弁護のシステムを認識し、解消するように呼びかけている(1988、239頁以下)。また井上/森岡1995、172頁も参照のこと。

(8) 島薗は、ニューエイジと精神世界を同一視し、それを世界中に見られる一つの大きな現象として把握しようとしており、「新霊性運動」または「新霊性文化」という、日本の現象と欧米の現象を含めた概念を用いている。けれどもこの論文では、この現象の日本的特徴に言及するかぎり、「精神世界」という概念を用いることにする。

(9) 「ニューエイジ」におけるシャーマニズムについては、ツィンザー(Zinser 1989)を参照のこと。

(10) フリューシュトゥック(Frühstück 1995、3頁)参照。この論文において、フェルト/ノヴォトニー/タッシュヴェル(Felt/Nowotny/Taschwer 1992)を引き継ぎ、「学界」対「一般社会」の二項対立の脱構築が行われている。

(11) 梅原猛(1925年生まれ)は京都大学で西洋哲学を専攻した。最初、立命館大学で教壇に立ち、ついで京都市立芸術大学で教え、1987年には国際日本文化研究センターの所長となった。自分の研究において、梅原は早くから日本の精神史、とりわけ仏教の実存思想に取り組み、1970年代には日本の古代史をテーマにしはじめた。1970年代の終わり頃から、縄文文化を日本の根元とし、生命によって人間と自然、人間世界と他界が結びつけられている「アニミズム」を「本来の日本の土着の信仰」とした、一般向けの著作を数多く出版してきた(Prohl 2000、16-22頁、Shimazono 1993、12-15頁)。

(12) 森岡は、梅原に対するこの批判を間接的にしか述べていない。というのも、梅原が「西欧の文明」を「怒りの文明・力の文明」と名付け、そして「東洋の文明」を「安らぎの文明・慈悲の文明」と名付けたことに基づいて他の人が書いた新聞記事を引用しているだけだからである。梅原がこうしたことを実際に書いたのかどうか、出典が明確でない以上確認することはできなかったが、この引用において述べられている趣旨は明らかに間違っている、と森岡は言っている(森岡1994a、40頁)。梅原が実際にそのように述べているということは、簡単に確認できる。梅原1976、53-61頁参照。Prohl 2000、21-22頁、Shimazono 1993、15頁、Wöhr 1997、404-406頁も見よ。

(13) 森岡はここでは「ニューサイエンス」という概念を用いているが、日本に伝わった当初、西欧の「ニューエイジ」が「ニューサイエンス」と呼ばれたということである(森岡1994a、97頁)。

文献目録

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