現代文明学研究:第4号(2001):311-347
「子ども買春・子どもポルノ禁止法」をどう考えるか
その背景・内容・課題
宇佐美昌伸
はじめに
正確な数字を得ることは困難であるが、世界で商業的性的搾取――即ち、買春、ポルノ及び性的目的での人身売買――の犠牲となっている子どもの数は100万人とも150万人とも言われている。富裕な国の国民にとって相対的に海外旅行が容易になっているため、様々な地域に子ども買春観光客が出掛けている。もとより、子ども買春は買春観光という形のみならず、地元の住民が客となるものが多く行なわれている――実際、外国人によるものより多いと指摘される――。日本におけるいわゆる「援助交際」もその現象の一つである(注1)。また、インターネットが広まっていることで、買春観光の情報が得やすくなっているのみならず、元々写真、ビデオといった形で出回っていた子どもポルノの流通が大きく促進されている。さらに、売買春、ポルノ製造などの性的目的での人身売買も国内、国際様々なルートで行なわれている。このような事態と闘うためにエクパット(アジア観光における子ども買春根絶キャンペーン)が始まり、1996年に「(第1回)子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」(ストックホルム会議)が開催されて子どもの商業的性的搾取の根絶が約束された。今年(2001年)12月には横浜で第2回世界会議が開催される。日本においても、1999年11月に「子ども買春・子どもポルノ禁止法」(正式名称は「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」)が施行された。
本稿ではまず第1章で子どもの商業的性的搾取に対する取り組みを巡る世界と日本の動きを振り返り、第2章で「国連子どもの権利条約」とストックホルム会議で採択された「宣言及び行動アジェンダ」を参照しながら、この問題に対して求められている又現に行なわれている取り組みを概観する。続いて、第3章で「子ども買春・子どもポルノ禁止法」制定以前の日本の法律状況を見た上で、第4章で同法の意義と内容について法案作成過程に触れながら説明する。第5章では2002年に予定されている同法の見直しにおける論点や運用の改善策に関する筆者の提案を示す。以上の各章においては単なる解説ではなく、筆者の見解を交えて論じるが、第6章ではまとめとして子どもの商業的性的搾取への筆者の視点を示す。
筆者はストックホルム会議の日本政府首席代表を務めた清水澄子参議院議員(当時)の秘書として同会議に参加するとともに、「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の立案作業に携わり、その後もこの問題に対する取り組みに関わっている。本稿は筆者なりにこの間の動きと課題をまとめたものであり、その目的は、第1に子どもの商業的性的搾取に対する取り組みと日本の「子ども買春・子どもポルノ禁止法」について紹介すること、第2に「子ども買春・子どもポルノ禁止法」見直しの論点やこれらの現象への視点を提示し、商業的性的搾取からの子どもの保護の向上に向けて議論を喚起することである。
第1章 ストックホルム会議と日本における「子ども買春・子どもポルノ禁止法」制定
1.エクパットからストックホルム会議へ
1989年、国連総会で「子どもの権利条約」が採択された。この条約の第34条はあらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から子どもを保護することを定めており、子どもの商業的性的搾取に対する世界の取り組みの基礎となっている。1990年代に入ると、国際社会、地域及び国のレベルでこの問題に対する注目が高まり、法改正を含む対応も加速した。この動きを先導したのがNGOの運動であるエクパット(ECPAT)である。エクパットは「アジア観光における子ども買春根絶キャンペーン」の略称であり、1991年に開始された。そもそものきっかけは、東南アジア諸国が観光による外貨獲得を国策としていたことの負の効果として子ども買春観光が増加しているのではないかという危惧を抱いたNGO関係者やソーシャル・ワーカーたちが東南アジア6カ国で調査を行なったことであった。当時は経済開発の御旗の下に、子ども、大人を問わず売買春産業が黙認されていた状況にあったが、この調査は子ども買春観光がそのように見過ごすことが許されない程の問題となっていることを明らかにした。そうして、エクパットが立ち上げられたのである。エクパットはアジアのみならず世界各地域に広がるとともに、子ども買春だけでなく、子どもポルノ、性的目的での人身売買も対象にした。この3つは独立の問題ではなく、子ども買春による虐待の記録として子どもポルノが作成され、それが子ども買春観光の宣伝に使われたり、他の子どもを虐待する際に「手本」として使用されたりし、人身売買は性産業に子どもを供給する役割を果たしているというように互いに絡み合っていることは容易に理解できるであろう。大人の利益や性的満足のために子どもたちが利用され、虐待、搾取されているのである。一方、東南アジアに買春観光に訪れているのは、西欧、北欧を中心とするヨーロッパ諸国、北米(カナダ、アメリカ)、オセアニア(オーストラリア、ニュージーランド)、そして日本の国民である。さらに、子どもの商業的性的搾取は東南アジアに限らずアジア全般、中南米、アフリカ、中近東、東欧、旧ソ連諸国と世界全体に広がっているし、上に挙げたいわゆる先進国の国内も例外ではない。背景にある要因は地域毎に様々であるが、例えば、貧困、紛争、経済体制移行などの影響が子どもたちに先鋭的に現われ、彼らは他に生存手段がないために売春を余儀なくされたり、人身売買される危険に晒されたりしている。なお、エクパットは1996年に正式名称が「子ども買春・子どもポルノ・性的目的での子どもの売買根絶」(End
Child Prostitution, Child Pornography and Trafficking in Children for Sexual
Purposes)に拡張され、5大陸に国内グループ及び関連団体を有するグローバルな組織となっている(注2)。
さて、エクパットのキャンペーンが最高潮に達したのが、1996年8月にスウェーデンのストックホルムで開催された「(第1回)子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」である。この会議はエクパット、ユニセフ(国連児童基金)、スウェーデン政府及び「子どもの権利条約NGOグループ」の4者が共催するというユニークな形で開催され、122ヶ国の政府、約20の国連機関、そして多数のNGO関係者が対等な立場で参加した。参加者は総勢1200名であった。この会議では「宣言及び行動アジェンダ」が採択され、世界の取り組みを促進することとなった。「はじめに」で述べたように2001年12月には横浜で第2回世界会議が開催されることとなっており、この5年間を評価し、新たな課題について議論をするとともに、子どもの商業的性的搾取の根絶に向けて具体的な行動を取るべくストックホルム会議でのコミットメントを新たにすることが求められる。
国際的な取り組みについて付言すると、1999年6月にILO(国際労働機関)の「最悪の形態の児童労働に関する第182号条約」、2000年5月に「子どもの売買、子ども買春及び子どもポルノに関する子どもの権利条約選択議定書」、そして、2000年11月に「国連国際組織犯罪条約」とその「人、特に女性及び子どもの売買の禁止及び処罰のための議定書」が採択され、それぞれに子どもの商業的性的搾取の問題が重要な課題として明記されている。これらについては、子どもの商業的性的搾取に対する闘いの推進に効果的であるという評価がある一方で、取り組みが重複し、資源が分散しかねないという懸念も表明されている。
2.日本における動きと「子ども買春・子どもポルノ法」制定
次に、日本の動きについて概観しておきたい。エクパット開始当初からいくつかのNGOが会議に参加したり、国内で取り組みをしたりしており、女性国会議員も数名が個人的に関心を持っていたが、総じて政府も国会も無関心であった。日本は1994年に「子どもの権利条約」を批准したが、その際の国会審議において、政府は第34条についても既存の国内法で十分対応していると言い張り、一切法改正を提案せず、国会もそれを認めたのであった。しかし、そうしている間に日本と同様に子ども買春観光の送り出し国となっているヨーロッパ諸国やオーストラリアなどが新規立法や法改正を通じて、国外で子ども買春犯罪を犯した自国民を処罰するいわゆる「国外犯処罰法」を導入又は強化していたため、子ども買春観光犯罪に占める日本人の割合が相対的に高まることとなった。さらに、日本は子どもポルノに関しても無策であったため、一時は世界の子どもポルノの80%が日本製であると言われる状況になってしまった。ストックホルム会議についても、日本政府は従来の無関心に加え、正式の国連会議ではないという理由から、参加表明国が100ヶ国を超えた時点でも代表団派遣に消極的であった。しかし、NGOからの要請を受けつつ、女性国会議員が精力的に働き掛けた結果、ようやく代表団派遣を決定し、以前からこの問題に熱心に取り組んでおり、日本政府のストックホルム会議参加を強く訴えていた清水澄子参議院議員・経済企画政務次官(当時)が首席代表となった。ストックホルム会議における清水首席代表のスピーチでは、関係省庁の抵抗のために、法改正を約束することは盛り込めなかったが、日本がこの問題において加害国となっていることを認めるとともに、「宣言及び行動アジェンダ」にコミットし、積極的に取り組みを進めることを公約した。日本政府代表団には外務省、警察庁、厚生省(当時)及び総理府男女共同参画室(当時)の官僚もメンバーとして入ったが、一様に日本の取り組みの遅れを痛感し、このままでは日本が子どもの権利後進国として国際社会から非難を浴びかねないと危機感を募らせた。
しかし、ストックホルム会議後も関係省庁の取り組みは遅々として進まなかった。辛うじて「子ども買春は犯罪です」と訴えるポスターが作成され、配布されたが、法改正は議題に上ることはなく、政策の推進体制も「省庁間連絡会議」止まりで、推進本部のような強力な機構が設けられることもなかった。清水議員はストックホルム会議前から新しい法案作りに着手していたが、政府の対応の遅さに議員立法で進めることを改めて決意し、法案作成作業を急いだ。それでも、従来の法的枠組や法解釈が壁となり、参議院法制局との作業は困難を極めた。その一方で、世界各国の取り組みはますます進み、日本でもエクパット・グループ(ECPAT/ストップ子ども買春の会、エクパット・ジャパン関西など)や日本ユニセフ協会などのNGOが懸命な活動を行なっていた。当時、自由民主党、社会民主党及び新党さきがけの3党が連立与党を構成していたが、社会民主党に所属する清水議員はこの問題こそ与党で取り組むべきと訴え、自民党内でも動きが生まれつつあったこととが相俟って、1997年6月、「与党児童買春問題等プロジェクト・チーム」(以下、「自社さPT」)が発足した。座長は自民党の森山真弓衆議院議員(現・法務大臣)が務め、当初は同年秋の臨時国会に法案を提出することを目標としていた。しかし、様々な論点について各党間の意見の隔たりが大きく、作業は困難を極めた。結局この目標は修正され、公式会議だけでも30回以上、非公式会議を含めたら恐らくは約50回を重ねた末、1998年3月に法律案要綱で合意し、同年5月「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案」(以下、「自社さ案」)を衆議院に提出するに至った。しかし、この時の国会はその他に重要法案が多く、紛糾していたため、自社さ案は審議に付されることなく、継続審議となった。また、自社さ連立政権が解消され、7月の参院選で自民党が大敗するなど、国会の勢力図も大きく変わった。結局、その後の臨時国会でも自社さ案は審議されず、そのまま年末を迎えることとなった。
そこで、1999年1月、7会派(自民・民主・自由・公明・共産・社民・参議院の会)の議員が超党派で参加する「児童買春問題勉強会」(以下、「超党派勉強会」)が発足し、自社さ案及びその対案としてまとめられた民主党案(国会未提出)をベースに新たな法案の検討に入ることとなった。これは、法案作成の段階で自民党から共産党までが参加するというのは恐らく初めてではないかと思われる程珍しいことであったが、それは取りも直さず、子どもの商業的性的搾取に対する新たな法律の必要性については各党一致していたということである。また、自社さ3党は連立を解消したもののこの法案に関しては協力して成立を図ることを確認しており、法案をたな晒しにしては日本の国際公約を果たさないことになるという危機感を抱いていた。1999年は「子どもの権利条約」採択10周年、日本の批准5周年に当たっていたし、ストックホルム会議からも長い時間が経過していた。とは言え、参議院においては自社さ3党で過半数に達していなかった。もとよりこの法案は各党が対立すべきものではなかった。そのために、「超党派勉強会」発足に至ったのである。しかし、この「超党派勉強会」でも商業的性的搾取からの子どもの保護という入口については一致していても、各論では激しい議論が闘わされた。それでも、1999年3月に合意に達し、参議院に7会派共同提案で新たな法案(名称は自社さ案と同じ)を提出するに至り、衆議院に提出されていた自社さ案は取り下げられた。そうして、同年5月参院、衆院の両院で全会一致で可決され、成立したのである。この法律は同年11月1日に施行された。
国内におけるその後の関連した動きとしては、2000年5月に「児童虐待防止法」と刑事訴訟法改正等の被害者保護のための法律が成立した。2001年2月には「ストックホルム行動アジェンダ」に定められた期限からは遅れたものの、日本政府が「児童の商業的性的搾取に対する国内行動計画」を発表した(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/csec01/j_kodo.pdf)。
第2章 「子どもの権利条約」と「ストックホルム宣言及び行動アジェンダ」
1.子どもの権利条約
子どもの商業的性的搾取に対する世界の取り組みの基礎にあるのが「子どもの権利条約」、特に第34条である。まず条文を筆者の訳で示す。
第34条 締約国はあらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から子どもを保護することを約束する。この目的のために、締約国は特に以下のことを防止するためのあらゆる適切な国内、二国間及び多国間措置を講ずるものとする。
(a)いかなる不法な性的活動に従事するよう子どもを勧誘し又は強制すること
(b)売春その他の不法な性的行為において子どもを搾取的に使用すること
(c)ポルノ的な実演及び素材において子どもを搾取的に使用すること
この第34条はあらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から保護されるという子どもの普遍的権利を謳ったもので、言い換えれば、そのような権利を保護する普遍的義務を定めたものである。なお、「子どもの権利条約」はアメリカとソマリアを除く全国連加盟国が締約国となっている。このことは世界のどの場所にいようとも子どもはあらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から「法律上は」保護されていることを意味するのであり、それを現実のものとするために国内、地域、国際のあらゆるレベルであらゆる措置を講じることが求められる。
ところで、(c)の「ポルノ的な実演及び素材」は原文では“pornographic
performances and materials”である。日本政府はこれを「わいせつな演技及び物」と訳し、子どもポルノも刑法175条で処罰対象となっていると主張していた。しかし、後述するように、「わいせつ」と「(子ども)ポルノ」は全く視点の異なる概念であり、これを「わいせつな」と訳し、それを根拠に子どもポルノへの対応云々を議論するのは欺瞞以外の何者でもない。ともあれ、これが日本政府の取っていた立場であった。
その他にも「子どもの権利条約」には第19条(親その他の保護者による虐待・放置・搾取からの保護)、第32条(経済的搾取・有害な労働からの保護)、第39条(被害に遭った子どもの回復・社会復帰)など、性的搾取・性的虐待からの子どもの保護や被害に遭った場合の回復・社会復帰について定めた条文が存在する。子どもの商業的性的搾取に対する取り組みにおいてはこれらも十分に考慮しなければならない。
以上は、性的搾取・性的虐待に具体的に関わる条文であるが、そもそもこの問題を考え、取り組みを進める上では「子どもの権利条約」に掲げられた一般的原則を当然踏まえなければならない。その中でも特に重要なのが、第1条(子どもの定義=18歳未満のあらゆる者)、第2条(権利の尊重・確保における差別の禁止)、第3条(子どもの最善の利益)、第6条(生命への固有の権利及び生存・発達の確保)及び第12条(子どもの意見の尊重)である。即ち、18歳未満の子どもは全て、一切の差別なしに性的搾取・性的虐待から保護されるべきであり、生きる権利が認められ、生存・発達が保障されるべきである。そして、そのための取り組みにおいては子どもの意見が尊重され、子ども自身が参加できるようにしなければならない。大人の責任として子どもを性的搾取・性的虐待から保護するのは当然であるが、彼らは単に保護されるだけでなく、その保護の仕方を決め、具体的に施策を講じる上で主体として参加することを保障されるべきなのである。だから、この問題への対応として、「性」から子どもたちを遠ざけるというのは全くの間違いであり、逆に子どもたちの性的自己決定権、セクシュアル・ライツを認め、このような権利を侵害する搾取・虐待をなくすために、子どもたちとともに考え、取り組みを進めることが求められる。
付言しておけば、「子どもの権利条約」はあらゆる性的搾取及び虐待から子どもを保護することを求めているが、18歳未満の者は性交をしてはならないと規定しているわけではなく、むしろこれは子どもの性的自己決定という全く別の問題である。子どもの商業的性的搾取は権力関係の偏り(明示的、黙示的とを問わず)に基づく行為であり、言い換えれば、商業的性的搾取は子どもが性的自己決定権を真に行使することを妨げ、侵害するものである。もちろん、子どもが「自発的に売春をしている」ように見える場合でも、その子どもが置かれている状況や立場(加害者との関係を含む)のためにそうすることを余儀なくされている/強制されているのであって、これを「自己決定」と呼ぶことは犯罪の正当化以外の何者でもない(注3)。性的搾取及び虐待からの保護の対象となる年齢と性交同意年齢は厳然と区別するというのが世界の共通理解であり、実際各国の立法でも性交同意年齢と、性的搾取や虐待からの保護対象年齢は明確に区別されている。
2.「ストックホルム宣言及び行動アジェンダ」と求められる取り組み
次に、子どもの商業的性的搾取に対する取り組みにおいて「子どもの権利条約」と並ぶ基礎となっている「ストックホルム宣言及び行動アジェンダ」に沿いながら、何が求められており、実際どのような取り組みが進められているかを概観する(注4)。
(1)基本的認識
「ストックホルム宣言」では、まず「毎日、世界中でますます多くの子どもが、性的搾取及び性的虐待の犠牲となっている。この事態を終わらせるためには、地方、国内、地域及び国際レベルでの協調行動が必要である」(第2パラ)という基本的スタンスを確認する。そして第3及び第4パラでは上に述べた「子どもの権利条約」の原則を明記している。その上で第5パラでは「子どもの商業的性的搾取は、子どもの権利の根本的な侵害である」という認識をはっきりと打ち出すとともに、「それは、大人による性的虐待、及び子ども又は第三者に対する現金又は現物による報酬提供によって構成される」という定義を示す(注5)。さらに、「子どもは性的な対象物、そして、商業的な対象物として扱われる・・・・・・子どもに対するある種の強制及び暴力を形成しており、強制労働及び現代的形態の奴隷制に等しいもの」という性質を明らかにする。
(2)根本原因と防止
第6〜8パラは子どもの商業的性的搾取の原因に関わるものである。第6パラでは「複雑な寄与要因は多岐にわた」るとし、「貧困・・・・・・経済的格差、不公正な社会経済構造、家庭の機能不全、教育の欠如、拡大する消費主義、都市−農村間の人口移動、性差別、男性の無責任な性行動、有害な伝統的慣習、武力紛争、子どもの売買など」を挙げる。さらに第7パラでは「犯罪者及び犯罪ネットワーク・・・・・・主に男性の客が性市場において生み出す需要」という直接的加害者について言及するとともに、「腐敗並びに搾取への共謀、法律の不在並びに/若しくは不十分さ、法執行の緩さ、及び子どもに与える有害な影響に対する法執行職員の感度の低さ」という寄与要因の存在を示す。続いて第8パラでは「社会のあらゆるレベルの、広範に渡る個人及び集団」、即ち「仲介人、家族の構成員、企業部門、サービス提供者、客、コミュニティ・リーダー及び政府職員」などが「無関心、子どもが被る有害な結果に対する無知、又は子どもを経済的商品とみなす態度及び価値観の維持を通じて、搾取に寄与する」として、これらの者が言わば間接的加害者の立場にあるという認識を明確にする。
以上はどういうことか。子どもの商業的性的搾取は、様々な経済・社会問題の影響が子どもにもたらされた「結果」であり、様々な矛盾が「現象」したものであるということである。さらに、経済・社会問題や矛盾は子ども、女性、障害者、民族的・人種的マイノリティなど「弱者」の立場に置かれている人々に最も影響をもたらすものであり、子どもの商業的性的搾取の場合も同様である。つまり、このような形で子どもに被害が集中する構造そのものが問題としてある。以上のことから、子どもの商業的性的搾取という「結果」又は「現象」の場面のみを見て対処しても、何の解決にもならないということが言える(注6)。だから、犯罪者を処罰するだけでは――もちろんそれも重要なことであるが――不十分であり、根本原因をなくすための防止が最重要であることに十分留意しなければならない。また、子どもの商業的性的搾取は、直接子どもを性的に虐待する者やそのような行為によって利益を得る者のみに責任があるのではなく、間接的に利益を得ている者や無関心、無策などを通じてこのような行為を許容する者全てが加害者的立場にあることを忘れてはならない。例えば、子ども買春が行われるかもしれないことを知りながら黙認する旅行業者、子ども買春観光の宣伝や子どもポルノの流通の可能性に対してあえて対策を講じないインターネット・サービス・プロバイダー、このような問題を興味本位に報じるメディア、従業員は18歳以上であっても「援助交際」的イメージを売り物にする風俗業者、子ども買春を助長し得ることに気付きながら知らぬふりをするテレクラ業者や出会い系サイト運営者、人身売買の可能性に気付きながら何もしない出入国管理職員、夫やパートナーの子ども買春を黙認する女性など間接的に子どもの商業的性的搾取に寄与している者は多いのであるし、対応しない政府や議会、それを求めない市民も責めを免れることはできない。また、機会があれば自身が子ども買春をし、子どもポルノの消費者となる可能性があり、それを問題と感じない者も潜在的加害者であり、子どもの商業的性的搾取を許容する雰囲気の維持に荷担している(注7)。
このように考えると、それぞれの対象に様々な仕方でアプローチする意識喚起キャンペーンを始めとする防止活動が非常に重要である。海外では、例えば、旅行者をターゲットにした飛行機内上映ビデオやメッセージ入り航空チケット、インターネットに関する教育キットといった工夫を凝らした手法が活用されており、旅行業者やプロバイダーに行動規範の制定を促す取り組みなども行なわれている。また、貧困や教育・職業機会の欠如の故に子どもが自ら売春をしたり、親が子どもにそうさせていたりする地域では貧困解消のための所得創出活動や教育・訓練機会の提供などの活動やストリート・チルドレンに対する援助、家族やコミュニティーに対する教育・啓発活動などが行なわれている。さらに、少数民族、外国人、女性などに対する差別が往々にして底流にあるため、このような差別をなくすための取り組みも必要である。日本の場合でも、いわゆる発展途上国で子ども買春をする男性の中には「貧しい子どもたちを助けている」といった論法や、「どうせ彼らは売春をしているのだから」といった偏見、さらに外国人(特に発展途上国の人々)に対する差別感情も認められる。ここには子どもたちが耐えている苦しみ、身体や心に負う傷は全く省みられていない。このような意識こそ変革しなければならないのである。子どもポルノや「援助交際」の場合でも同様である。防止のためには、以上に述べてきた点を踏まえつつ、地域や対象となる集団それぞれの状況に応じた策を講じる必要があるし、全体としては、子どもの商業的性的搾取を許容しない社会作りが根本的に重要である。
防止においては、危険に晒されている子どもたち自身、そして家族やコミュニティーのエンパワーメントが非常に重要である。上に述べたような貧困解消策や教育・訓練を行なうのは当然のことであるし、商業的性的搾取が子どもたちに負わせることになるリスク、そして、あらゆる性的搾取・性的虐待から保護される権利が子どもたちにあるということを知らせなければならない。子どもたちは往々にして「ノー」が言えない、自分は尊重に値しないと思わされているが、そうではないという自信をつけられるように支援すべきである。また、どのようにすれば危険を避け、身を守ることができるのかといった知識や技能が得られるようにしなければならない。さらに、子どもたちが性的搾取・性的虐待を受けることなく、真の意味での性的自己決定権を行使できるために、必要な知識を身に着け、自己決定能力を獲得できるような性教育も不可欠である。以上のことは、ここで例に挙げたような貧困地域に限られるものではない。日本においてもこのようなエンパワーメントはまだまだなされていない(注8)。
ここで直接の加害者について若干述べておきたい。第1に、子どもの商業的性的搾取の加害者には女性もいるが、圧倒的に男性が多いと考えられる。被害者は女の子、男の子の両方であり、しばしば、男性による男の子の虐待が話題になるが、全体としてみれば異性愛者が大半を占めている。異性愛者、同性愛者、両性愛者の全てが虐待者になり得るが、このような性的指向によって問題が引き起こされると考えるべきではない。同性愛者による事件は往々にして衝撃的に伝えられるが、それは社会そのものにおける同性愛者差別の反映であると言えるのであり、加害者の性的指向によって事件の評価を歪めることがあってはならない。むしろ、上に述べたような様々な社会的要因や加害者の個人的歴史、背景がなぜ子どもの商業的性的搾取という形で現われたのかを問うべきである。
第2に、この問題では必ず「ペドファイル(小児性愛者)」というカテゴリーが登場する。もちろん、ペドファイルの存在はこの問題において見逃してはならないし、世界各地でペドファイル・ネットワークの活動が白日の下に晒されている。しかし、数的に見れば、加害者の多くはペドファイルではないという指摘が多くなされている。子どもに対する性犯罪者のうち、性的欲求が思春期(注9)以前又は前後の子どもに向けられ、性的接触を持つ者を「選好的犯罪者」と呼ぶが、機会があれば子どもと性的接触を持つ「状況的犯罪者」が加害者の多数を占めていると言われている。彼らが子どもと性的接触を持つ理由は様々である。買った相手がたまたま子どもだった場合もあれば、値段が安い、交渉がしやすいという場合や刺激を求めてという場合もある。また、子どもの方がHIV/エイズに罹りにくいという思い込みから子どもを求める場合もある。極端な場合にはそれが処女を求めることにつながる。処女についてはある種の文化・慣習において、男に力や幸福をもたらすという俗信があって、そのために処女を求める場合もある。さらに、大人の女性と関係を持ちにくいと感じる者が子どもを求めるということもあろうし、日本における「女子中高生」に対する感覚のようにある種の幻想が背景にある場合も考えられる(注10)。以上のことは、子どもポルノに関しても言える。いずれにせよ、この問題と取り組む上では「選好的犯罪者」と「状況的犯罪者」の両方を視野に入れることが重要である。
第3に、上でペドファイル・ネットワークに言及したが、確かにこのようなネットワークや犯罪組織が子どもの商業的性的搾取には多く関わっているし、より緩やかな形のネットワークも存在している。しかし、これも問題の断片に過ぎず、個人が多く犯罪に関わっているのである――もちろん、「団体買春ツアー」のような集団的行為もある――。
第4に、特に子ども買春の場合、買春観光という形で外国人が行なう犯罪が強調されるが、買春観光目的地となっている国においても客の多数は地元住民である。このことは日本人が東南アジアなどで子ども買春をしている一方で、国内でも「援助交際」などのような形で子ども買春が多く行なわれていることを見ても明らかであろう。
以上、4点を指摘したが、ここで言えることはあらゆる背景の者が子どもの商業的性的搾取の加害者となっており、なる可能性があるということである。防止や取り締まりにおいてもそれぞれの側面に対応した取り組みをバランスよく行なうことが求められる。
(3)被害者の回復と再統合
ここまでは、子どもの商業的性的搾取の原因について述べ、防止が根本的に重要であることを強調してきた。しかし、現実には多くの子どもたちが犠牲となっている。不幸にして犯罪が行なわれてしまった場合には、被害者の回復や再統合(社会復帰)を支援しなければならない。往々にしてこの問題を論じる時に犯罪者の処罰に偏るきらいがあるが、いくら犯罪者を捕まえて処罰をすることができても、被害者が傷を負ったままでは肝心の部分が抜け落ちてしまう。そこで、第9パラでは「子どもの商業的性的搾取は、子どもの身体的、心理的、精神的、道徳的及び社会的発達に対して、深刻で、一生続く影響をもたらすものであり、命を脅かすことさえある」とし、「彼らが子どもの時期を楽しみ、生産的で、報いられ、尊厳ある生活を送る権利は著しく侵害される」という事実を強調する。そして、第12パラの「コミットメント」(公約)の1つとして「被害に遭った子どもの保護並びに支援を行ない、及び彼らの回復並びに社会への再統合を促進するため」の措置を立案し、実施することを示している。これには医学的・心理学的治療、カウンセリング、教育・訓練などが当然含まれるが、そこにおいて重要なのはその子どもの心身の状況や被害に至った過程、家庭的背景など、個別的事情に十分に留意して、適切な対応を図ることである。また、被害に遭った子どもはその経験の故に自らを価値の低い者と考え、自尊心が大きく損なわれてしまったり、被害に遭ったのは自分が悪いのだという自責の念に駆られたりしてしまう場合があるが、その傷から回復し、自己肯定感を取り戻すことのできるような支援も欠かせない。さらに、防止について述べたことと重なるが、その子どもが再び商業的性的搾取の危険に晒されることなく生活を送り、社会に参加していけるようなエンパワーメントが求められる。
ここまで述べてきたような本格的な回復・再統合過程に入る前の段階――もちろん、それと並行する場合もあるが――、即ち、加害者に対する刑事手続きにおける被害者の取り扱いの問題も重要である(注11)。この段階において、被害によって負った傷がさらに深まることがないようにしなければならない。まず、大前提として、「被害に遭った子どもが処罰されないこと」(第12パラ)が求められる。つまり、被害に遭った子どもが売春や(人身売買の場合)不法入国などの罪に問われて犯罪者扱いされたり、「非行少年」として扱われたりしてはならない。この視点は回復・再統合を支援する際にも必要である。その子どもを「問題行動」を起こした者として「矯正」したり、「更正」させたりするのではなく、被害者として負った傷を癒し、被害に至った背景にある要因への解決策を見つけ、回復を図るべきである。これは日本における「援助交際」などの被害者への対応においても同様である。
さて、被害者の子どもは捜査や公判においては重要な証人となる場合が多いが、事情聴取や尋問を通じてその子どもが再被害を受け、既に被った傷が深められる恐れがある。これに対して、いわゆる「子どもにやさしい刑事手続き」の導入、強化が必要である。前提として犯罪の立証に不可欠ではない不必要な事情聴取や尋問は避けること、また、できるだけ早期かつ迅速に手続きを進め、被害者が本格的な回復・再統合過程に集中できるようにすることが求められる。被害者からの事情聴取は専門訓練を受けた者が当たることが望まれるし、警察官、検察官、裁判官、弁護士や関係職員など、被害者――潜在的被害者も含め――に直接、間接に接触する者に対しても教育・訓練が必要である。さらに、事情聴取などに当たってはその子どもの希望する者や適当と認められる者が付き添い、彼/彼女の精神的負担を和らげることが可能とされるべきである。また、公判などで被害者が加害者(被告)と直接相対したり、多くの者に取り囲まれたりすることでプレッシャーが掛からないよう、被告などとの間を遮蔽したり、公判を非公開としたりすることに加え、被害者が別室でテレビモニターを介して証言するビデオリンクの採用も認められるべきである。そもそも、被害者は警察、検察そして公判の場と何度も同じ証言を繰り返すことになり、その度に被害が再現され、傷が深められるリスクを負っているが、これを回避するために捜査段階での事情聴取をビデオなどに記録し、証拠として採用する仕組みも導入を図るべきである。これは証言の繰り返しを避けるだけでなく、被害者を刑事手続きから早期に解放するためにも必要である。以上のような子どもにやさしい手続きは確かに捜査・司法機関の側に負担が掛かるものであるが、被害に遭った子どもの傷を深めず、できるだけ早い回復を支援するために、創造的な手法や設備を導入するとともに、関係者の教育・訓練をしっかりと行ない、あらゆる段階で被害者への配慮がなされるようにすべきである。
回復及び再統合に関して見落としてはならないのは、家族など被害者の周りの人々や加害者のリハビリテーションである。特に、加害者のリハビリテーションについては後回しにされがちであるが、子どもを相手とする性犯罪を起こすに至った背景を突き止め、それを治していくことが犯罪の再発を防止するためには不可欠である。加害者は自身が虐待の被害者であったり、何らかの形で傷を負っていたりして、それが子どもへの虐待行為という形で表現される場合も多い。そうであるならば、癒されていなかったその傷を癒すことがその加害者自身のためにも必要である。
(4)保護(取り締まりと処罰)
現に子どもの商業的性的搾取が起こってしまった場合には当然ながら取り締まりと処罰がなされなければならない。第12パラでは「子どもの商業的性的搾取を、その他の形態の子どもの性的搾取とともに、犯罪とし、現地住民であると外国人であるとに係わらず、犯罪者を有罪とし、処罰すること」とされている。これは犯罪を犯した者に正当な裁きを与えるというだけでなく、犯罪を抑止するためにも重要である。その大前提として、各国の法律を調和させ、世界中から犯罪者にとって「安全な場所」をなくす必要がある。即ち、あらゆる国において子どもの商業的性的搾取を犯罪とする法律が制定され、より重要なことであるが、それが執行されなければならない。そうしなければ、子ども買春観光客は法律のない/緩い国を求めるであろうし、例えばインターネット上の子どもポルノ・サイトもそのような国に設置されてしまうであろう。さらに、国境を越える犯罪の場合には二国間・多国間の協力も欠かせない。子どもの商業的性的搾取に係る行為はそれを助けるものも含め犯罪とすることが求められるが、処罰のあり方については第4章及び第5章で述べることとして、ここでは国際的側面を持つ犯罪について説明する。
子ども買春観光犯罪の場合、基本は犯罪が行なわれた国で逮捕、処罰されることである。しかし、犯罪者が逮捕前にその国を離れたり、逮捕されても保釈されて――途上国の場合、先進国の犯罪者にとっては保釈金が相対的に安い場合も多い――逃亡したりする場合もある。その時の対応としては、犯罪者を逃亡先で逮捕して犯罪地の国で裁くべく引渡す方法と、犯罪者の出身国又は居住国で裁判をするいわゆる国外犯処罰という方法がある。どちらの方法にも長所、短所があるし、法律的な制約がある場合もある。いずれにせよ、このような方法を取る場合には当該国間及び/又はインターポール(国際刑事警察機構)などの国際機関との捜査・司法共助が欠かせない。証拠収集や証言録取などの手続きについても各国それぞれに法律や慣行が異なるし、そもそも言語や文化の違いが共助の妨げになる場合もある。このような障害を回避し、刑事手続きや共助を円滑に進めるためには、個々の事件の際に適切な対応を図ることはもちろんのこと、予め関係国間で手続き面の整備をするとともに、関係者が国際的な犯罪への対処方法や共助に関する知識や技能を身に着けられるよう教育・訓練を行なう必要がある。また、手続きの整備のみならず、それを迅速に進めるために引渡しや共助に関する二国間又は多国間の条約や協定を締結することも有効である。さらに、相手国に警察のリエゾン・オフィサー(連絡調整担当官)を常駐させたり、犯罪者などについての情報を共有して犯罪者の監視をしたりするといった協力策は防止の面でも、取り締まりの面でも効果がある。二国間・多国間の協力は国際的な犯罪組織やネットワークが関与している場合にも非常に重要である(注12)。
以上に述べたことは子どもポルノや子どもの売買にも共通する。若干付言すると、まず子どもポルノの場合、輸出入という形である国で製造されたものが他国で出回る場合もあるし、インターネット上では瞬時に国境を越えて子どもポルノが流通する。その場合には、上で挙げたような協力だけでなく、捜査段階での同時・共同行動が必要になる場合がある。国際的な広がりを持つ子どもポルノ取引集団の場合、ある国で捜査が行なわれたら、その情報がすぐに他国のメンバーに伝わり、彼らが証拠隠滅を図ったり、逃亡したりする恐れがある。例えば、イギリスを中心とする「ワンダーランド・クラブ」という子どもポルノ・ネットワークの摘発においては、10数ヶ国で決められた時間(グリニッジ標準時の1998年9月2日午前4時)に同時に捜査が行なわれた(注13)。また、人身売買の場合には、事後だけでなく、水際防止も重要となるが、そのためには関係国が国境管理や出入国管理などについて協力する必要がある。
なお、(3)で言及したので繰り返さないが、以上のような刑事手続きにおいて子どもが犯罪者扱いされてはならず、子どもにやさしい手続きが実践されることが不可欠である。また、特に犯罪組織が関わっている場合には被害者を含む証人の保護が重要である。
(5)子どもの参加
何度も繰り返してきたことであるが、この問題は子どもの権利を基礎として考えられ、取り組まれるべきものである。そうであるならば、その当事者たる子どもたちや近い立場にある若者たちが関与することが基本とされなければならない。第3パラでも「子どもに関わるあらゆる行動において、子どもの最善の利益が第一に考慮されるべきであり、彼らの権利はいかなる種類の差別もなしに享受されるべき」であり、「子どもに影響を及ぼすあらゆる問題に関して、子どもの意見が、その年齢及び成熟度に従って、正当に重視されなければならない」という「子どもの権利条約」の原則が確認されている。さらに、第12パラでは「子どもの商業的性的搾取の防止及び廃絶における、子どもをはじめとする市民の参加の役割を高めること」をコミットメントとしている。
以上をパラフレーズすれば、第1に子どもに関わる法律、制度及び政策の立案及び決定に子どもが参加し、子どもの意見が反映されること、第2にそれらの実施に子どもが参加すること、となる。前者について言えば、1でも述べたが、大人が保護主義的、パターナリスティックに子どもを守る法律などを決めるのではなく、被害に遭った又は遭うかもしれない当事者である子どもの利益が第1に考慮され、子どもの意見が反映されなければならない。後者についても、大人が立案した活動に子どもが動員させられたり、大人の補助的に使われたりするのではなく、子どもたち自身が及び/又は子どもと大人が協力して立案し、実施する、即ち子どもたちが活動主体として参加することが求められる。性的搾取や虐待のサバイバーである子どもや若者がピア・カウンセラーとして他の子どもたちの回復を支援し、同時にそれを通じて自らもエンパワーされるというようなことも考えられるし、子どもを対象とする教育・意識喚起活動なども子どもが立案した方がより届きやすいものとなるケースもあろう。
このように言ったからといって、子どもたちに全てを任せて大人は何もしないということではない。むしろ大人には子どもたちの参加を支援し、彼らの活動の環境整備をするという重要な役割がある。子どもたちはその場があり、知識や技能を得れば、自ら考え、意見を表明し、実践をする能力を発揮できるものである。しかし、そのためには大人がそのような機会を提供しなければならないのである。例えば、子どもの意見を聞こうとしない環境においては、子どもの参加は不可能である。また、子どもを性から遠ざけようとする社会でも同様である。大人は子どもたちを信頼し、当事者として、対等なパートナーとして尊重し、支援、協力することが求められる。
(6)調整と協力
子どもの商業的性的搾取に対する取り組みについて様々な要素を提示したが、そのいずれもが各国間や関係者間での調整と協力抜きに実行できるものではない。できたとしても、効果は大きく減殺される。第11パラでは、「このような搾取と対抗するためには、政府、国際機関及びあらゆる社会部門の間で強力なパートナーシップを構築することが不可欠である」と強調している。まず、この問題は相当程度国際的側面を持っていることから、二国間・多国間の協力は必須である。また、政府だけ、NGOだけで全てに対応できる訳ではないし、旅行業者、インターネット・サービス・プロバイダー、メディアなど企業部門も重要な位置を占めている。さらに、学校などの教育機関、医療・福祉機関、コミュニティーなども重要である。そうであるならば、これらの主体の間の調整と協力が不可欠である。調整と協力を効果的に進めるためには、関係者がこの問題に対する意識を持ち、知識や技能がなければならないし、調整と協力の必要性を認識し、その意志を持っていなければならない。もちろん、調整と協力のための様々な仕組みの整備も必要である。最後に、(5)の延長であるが、子どもと大人の間のパートナーシップの重要性は強調し過ぎることはない。
(7)「ストックホルム行動アジェンダ」
以上、「ストックホルム宣言」を紹介しながら、子どもの商業的性的搾取に対して求められる取り組みを説明してきたが、「ストックホルム行動アジェンダ」ではこれらの点を含め、地方、国内、地域及び国際レベルで取るべき行動が5つの分野に整理されて示されている。即ち、調整及び協力、防止、保護、回復及び再統合、子どもの参加である。そして、この「行動アジェンダ」において各国に課せられた責務の中で中心的なものは、2000年までに、国内行動計画を策定すること及び国内拠点とデータベースを確立することである。しかし、2000年末までに国内行動計画を策定した国は約30ヶ国であり、日本は少し遅れて2001年2月に策定した。国内拠点とデータベースについては、国内行動計画以上に認識が低く、達成度は極めて残念な水準に止まっている。
国内行動計画について付言すると、第1に、子どもの商業的性的搾取を防止し、また現に起こっている問題と闘うために、買春、ポルノ及び人身売買をバランスよく取り上げ、上に挙げたそれぞれの分野における取り組みを網羅する包括性が求められる。第2に、文書として策定されるだけでなく、適切に実施されることが非常に重要である。これは、法律の執行にも言えることである。そして、適切な実施を確保するためには、特に、(a)目標と戦略が明確であること、(b)施策が具体的であること、(c)施策の実施主体が特定されていること、(d)NGOや企業の参加や協力を含め、調整と協力の強化策が盛り込まれていること、(e)国家委員会や部門横断委員会の設置、担当省・機関の特定など、実施・推進機構が確立されること、(f)実施の時間的枠組みが明確に示されること、(g)調査やデータが整備されること、(h)実施のための資金など資源が配分されるとともに、人材の開発・訓練を始めとして能力の拡充が図られること、(i)実施の監視及び評価の指標や仕組みが確立されること、(j)全体として子どもと若者の参加が保障されるとともに、彼らの取り組みが支援されること、が求められる。
なお、日本政府が策定した国内行動計画は以上の基準に照らしてはなはだ不充分であると言わざるを得ない。策定がなされたこと自体は評価すべきだが、効果を上げるためには抜本的な改善が必要である。
第3章 「子ども買春・子どもポルノ禁止法」制定以前の国内法規定
本章では「子ども買春・子どもポルノ禁止法」制定以前に子どもの商業的性的搾取に適用可能であった――もちろん、現在でも犯罪の態様によっては適用される場合もある――主な法規定について、その問題点を含め説明する。当時の日本政府の主張とは反対に、いかに抜け穴が多かったかが理解されるはずである。
1.子ども買春関係
(1)刑法
「強制わいせつ罪」(第176条)と「強姦罪」(第177条)が基本となる。前者は「13歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、6月以上7年以下の懲役に処する。13歳未満の男女に対し、わいせつな行為をした者も、同様とする」と定め、後者は「暴行又は脅迫を用いて13歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、2年以上の有期懲役に処する。13歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする」としている。なお、第178条には「準強制わいせつ及び準強姦」(人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心身を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為又は姦淫をすること)、第179条には第176〜178条の未遂罪が規定されている。
第176条と第177条により性的自己決定年齢は13歳であると定められていることになる。つまり、13歳未満の者を相手にした性的行為は暴行又は脅迫を伴わず、相手の同意があっても犯罪となる。「姦淫」とは「性交」と同義で「男女の性器の結合」のみを指す(注14)。そもそも第177条は相手を「女子」に限定しており、同性に対するレイプは強制わいせつ罪となる。なお、判例では射精は要件とせず、男性器の挿入で足りるとされている。また、強制わいせつ罪の成立要件は「その行為が犯人の性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図の下に行なわれること」であるとされている(昭和45年1月29日最高裁判決)。これに対して、被害者の「性的自由を侵害したと認められる客観的事実があれば」成立するという意見もある(上の最高裁判決の少数意見)。
さて、子ども買春は対償の供与が要件となるが、刑法では13歳未満の者を相手に性的行為をした場合は一律に犯罪となる。相手が13歳以上の場合は対償の供与があっても暴行又は脅迫が伴わない限り犯罪とならない。また、第176〜179条は公訴に当たって被害者からの告訴を必要とする親告罪であり、2000年に刑事訴訟法が改正されるまで告訴期間は6ヶ月に制限されていた(注15)。被害者が大人の場合でもこれらの犯罪から立ち直り、告訴することは難しいものであるし、子どもの場合、犯罪時点では行為の意味を理解できないこともある。さらに、被害者の側も売春、非行などの責めを法律的、社会的に負わされる可能性があることや、途上国などで売春を生存の手段としている子どもたちの場合には「客」を訴えることに困難があることなども告訴をする妨げになると考えられる。なお、2人以上の者が現場において共同して犯した場合(例えば、輪姦)や第181条に定める強制わいせつ等致死傷は親告罪となっていない。
また、刑法第3条は国民の国外犯を定めており、第176〜179条の罪を国外で犯した日本国民に刑法が適用される。国外犯訴追には様々な障害があるため、この第3条はほとんど活用されたことがなく、その存在もあまり知られていないと思われるが、1996年以降タイやフィリピンにおける子ども買春事件について筆者の知る限りで4件の告訴が行なわれている。しかし、国外犯訴追そのものに係る障害に告訴期間の制限が加わり、これらの告訴に関わった弁護士やNGOは非常に苦労をしており、告訴が検討されながら実現しなかった事件もあると思われる。なお、犯罪者の引渡しに関して、「逃亡犯罪人引渡法」では条約の定めがない限り、日本国民を外国に引き渡すことはできないとしている。現在引渡条約が締結されているのはアメリカとの間だけであり、長期1年以上の拘禁刑にあたる犯罪など一定の犯罪については日本国民を引渡すことができる。また、引き渡しができるのは、当該犯罪行為が引き渡しを要求された国においても犯罪となっている場合に限られる(双方可罰性の要件)。
ところで、強制わいせつ罪及び強姦罪は、現在は「個人の性的自由に対する罪」であると説明されているが、わいせつ物頒布等の罪や重婚罪と同じ章に置かれていることから明らかなように、元々は「善良な性風俗に対する罪」または「家・夫の所有物としての女性を侵害する罪」という意味が中心であったと考えられる。性犯罪に関する刑事法規定については、この観点からも検討が必要である。
(2)売春防止法と児童福祉法
日本国内における子ども買春については、刑法以外にも適用可能な法律がある。即ち、売春防止法と児童福祉法である。まず、売春防止法は「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照らして売春を行なうおそれのある女子に対する補導処分及び保護更正の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする」ものである(第1条)。ここでは、善良な性風俗の維持の観点が強く出ているとともに、売春者――但し、本法では「女子」に限られる――を矯正の必要な問題のある者として位置付けていることが見て取れる。そして、「売春」を「対償を受け、又は受ける約束で不特定の相手方と性交すること」と定義し(第2条)、「何人も売春をし、又はその相手方となってはならない」として売買春両方を禁止している(第3条)が、あくまで罰則抜きの理念規定であって直接の買い手は処罰されない。なお、売春行為そのものも処罰されず、処罰されるのは以下に示すような売春を「助長する」行為である。第4条では「適用上の注意」として、「国民の権利を不当に侵害しないよう留意しなければならない」とされているが、これは主として買い手を指すものであると理解されている。
さて、処罰対象となるのは、まず、第5条の「勧誘等」でいわゆる街娼などが対象となるが、伝言ダイヤルに「援助交際」希望のメッセージを残した女子高生に適用された事例がある。次に、第6条の周旋等で、これはいわゆるポン引きなどが対象である。そして、業者など売春をさせる者が処罰対象となっており、困惑等によって売春をさせること(第7条)、対償の収受等(第8条)、売春者への金品の前貸等(第9条)、売春をさせる契約(第10条)、場所の提供(第11条)、売春をさせる業(第12条)、資金等の提供(第13条)が処罰される。
つまり、子ども買春の関係では、子ども買春を周旋したり、いわゆる「管理売春」のような形で子どもに売春をさせたりした場合には処罰をすることができるが、上に述べたように直接の買春者は処罰されず、逆に買われた子どもの側が勧誘等の罪で摘発される場合がある。
次に、児童福祉法であるが、この法律はそもそも子どもの「健全育成」を目的としており、子どもは権利を持つ主体というよりも、保護・育成の客体として位置付けられる。この点は「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の立案過程でも大きな論点となったところである。ともあれ、同法の第34条は「児童保護のための禁止行為」を定めており、違反した者は懲役刑又は罰金刑に処せられる。子ども買春と関わるのは「児童に淫行をさせる行為」(同第1項第6号)と「児童の心身に有害な影響を与える行為をさせる目的をもって、これを自己の支配下に置く行為」(「有害支配」・同第9号)である。例えば、子どもに売春をさせた場合には「淫行をさせる行為」に該当する。「淫行」とは「(金銭の提供などの)不当手段により行なう性交又は性交類似行為」又は「単に自己の性的満足のための対象としてのみ扱う場合の性交又は性交類似行為」であるとされる(昭和60年10月23日最高裁判決)。「性交類似行為」とは、性交と同視し得る程度の性的な行為で同性間の行為も含むものとされ、具体的には、肛門性交、口唇性交、性交を連想させる態様での性器と身体との接触・手淫・器具の使用などが当たる。なお、性交又は性交類似行為の直接の相手方――即ち買春者――は「淫行をさせる」者に当たらないという解釈がなされてきたが、直接の相手方を本条に基づき有罪とした判決もある。
売春防止法も児童福祉法も子ども買春の一定の側面には対応できるものであるが、そのような行為を子どもの権利を侵害したからではなく、健全な成長に有害な行為に子どもを関与させたから処罰するのである。言い換えれば、善良な性風俗という規範から子どもが外れることを恐れているのである。もちろん、現場には、子どもの権利を守るために使える法律を利用するという考えを持っている者もいるであろうが、そのような善意もこれらの法律の性格によって大きな枠をはめられてしまう。確かに、権利擁護を基礎とする「子ども買春・子どもポルノ禁止法」は制定されたが、子どもの権利、さらには女性の権利の観点からこれらの法律も抜本的に見直す必要がある
ところで、刑法も第182条(淫行勧誘)で「営利の目的で、淫行の常習のない女子を勧誘して姦淫させた者」を処罰するとしているが、この第182条は児童福祉法及び売春防止法の制定によって事実上死文化している。
(3)都道府県条例
長野県以外の都道府県は「青少年健全育成条例」等の子どもの健全育成に関わる条例を制定している。これは名称からも明らかなように、子どもの権利の観点からは問題の多いものであることは児童福祉法と同様であるが、これらの条例にはいわゆる「淫行処罰規定」が盛り込まれており、子ども買春にも適用されていた(注16)。条例の文言は都道府県によって様々であるが、大きく2つのパターンに分けられる。第1に、抽象的に「淫行」とだけ定めるものである。ここでは、その例として「福岡県青少年健全育成条例」を挙げる。(2)で言及し、「淫行」を巡って引かれることの多い最高裁の判決(昭和60年10月23日)はこの福岡県条例違反事件についてのものである。同条例第31条(いん行又はわいせつな行為の禁止)は「何人も、青少年に対し、いん行又はわいせつな行為をしてはならない」(第1項)及び「何人も、青少年に対し、前項の行為を教え、又は見せてはならない」(第2項)としている。
第2に、「淫行」の内容を具体的に規定するものであり、例えば「大阪府青少年健全育成条例」がこれに当たる。同条例第23条(みだらな性行為及びわいせつな行為の禁止)は、(a)青少年に金品その他の財産上の利益、役務若しくは職務を供与し、又はこれらを供与する約束で、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと、(b)専ら性的欲望を満足させる目的で、青少年を威迫し、欺き、又は困惑させて、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと、(c)性行為又はわいせつな行為を行うことの周旋を受け、青少年に対し当該周旋に係る性行為又はわいせつな行為を行うこと、及び(d)青少年に売春若しくは刑罰法令に触れる行為を行わせる目的又は青少年にこれらの行為を行わせるおそれのある者に引き渡す目的で、当該青少年に対し性行為又はわいせつな行為を行うこと、を禁止し、処罰対象としている。
このような「淫行処罰規定」は解釈の余地が広く、問題のない交際をしているカップル間の行為にも適用される可能性があり、プライバシーを侵害する恐れがあること、そして、そもそも子どもの健全育成を目的としているため、子どもの性的自己決定に対して逆の作用をすることから、反対論が根強い。これに対して、「淫行処罰規定」を定めていなかった東京都は1997年に「青少年健全育成条例」を改正し、「買春等処罰規定」のみを導入した。同条例第18条の2(青少年に対する買春等の禁止)は、「何人も、青少年に対し、金品、職務、役務その他財産上の利益を対償として供与し、又は供与することを約束して性交又は性交類似行為を行つてはならない」(第1項)及び「何人も、性交又は性交類似行為を行うことの周旋を受けて、青少年と性交又は性交類似行為を行つてはならない」(第2項)と規定している。これは、あくまで「健全育成条例」の枠内であるが、「淫行処罰規定」の導入を見送ってきた東京都における従前の議論を踏まえ、子どもの性的自己決定権を尊重したものであると説明されている。この「買春等処罰規定」については、子どもの権利の観点からも賛否両方の議論がある。
2.子どもポルノ関係
刑法第175条(わいせつ物頒布等)は「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者」及び「販売の目的でこれらの物を所持した者」を処罰対象としており、一定の子どもポルノには適用可能である。しかし、本条の要件はあくまで「わいせつ」であり、周知のようにその基準は緩和されてきている。そのため、子どもポルノであっても、「わいせつ」に該当しなければ――端的には性器が写っていなければ――処罰されない。以下に述べる児童福祉法も同じであるが、子どもが裸でポーズを取っているだけで、性器も露出していなければ処罰されることはなかったのである。「わいせつ」とは「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的同義観念に反するもの」(昭和26年5月10日最高裁判決)とされる。なお、類似概念として「卑わいな言動」(迷惑防止条例など)があり、これは「通常人の道徳的感情に反し、性的羞恥心を害し、嫌悪を催させるような言語及び動作」を指すとされる。詳しくは次章で述べるが、子どもポルノを禁止し、処罰するのはそれが子どもの権利の侵害であるからであり、公序良俗の維持を保護法益とし、被写体となった個人の権利を保護法益としない「わいせつ」概念とは全く方向性が異なる。
なお、子どもポルノに強姦罪又は強制わいせつ罪に当たる行為が描写されていた場合には、それぞれの規定で処罰することは可能である。但し、子どもポルノが犯罪となるのではなく、あくまでこのような行為の証拠となるだけである。もちろん、性器が写っていれば第175条に抵触するが、ぼかしが入っていれば同条違反とならない。さらに、このような行為を描写した「裏ビデオ」を「紹介」するような雑誌もあったが、行為者でもビデオ製造者でもなく、ぼかしも入れられていれば、その雑誌は合法となってしまっていた。
子どもポルノの一定のものには1で説明した児童福祉法の「淫行をさせる行為」「有害支配」が適用可能である。例えば、子どもをいわゆる「本番ビデオ」に出演させた場合にはこれが適用される。しかし、そのようなビデオの製造者ではなく、単に売っただけの場合は適用されないし、前段落で挙げたような場合も同様である。
刑法第175条も児童福祉法も国外犯には適用されない。そのため、日本の外で出回る日本製の子どもポルノについて日本が対処することはできなかった。また、日本に設置されている子どもポルノ・サイトについて海外から要請があっても、そのポルノが日本国内で合法であれば警察等が動くこともできなかった。世界で流通する子どもポルノの80%が日本製と言われた状況でも何もできなかったのである。
ところで、子どもポルノ業者は以上のような法規定をよく認識していた。しばしば子どもポルノ雑誌には、児童福祉法などによって描写できる行為が制約されていることを伝える「おことわり」や、日本国内では合法であるが、国外に持ち出した場合には逮捕される可能性があるという「警告」が記されていた。
3.子どもの売買
刑法第226条(国外移送目的略取等)は「日本国外に移送する目的で、人を略取し、又は誘拐した者」(第1項)及び「日本国外に移送する目的で人を売買し、又は略取され、誘拐され、若しくは売買された者を日本国外に移送した者」(第2項)を、第227条(被略取者収受等)は第226条の罪を犯した者を幇助する目的で「略取され、誘拐され、若しくは売買された者を収受し、蔵匿し、又は隠避させた者」を処罰するとしており、国民の国外犯にも適用される。しかし、一見して分かるように日本国内への人身売買は対象となっていないし、外国間の人身売買に関与した日本国民を処罰することもできない。これらはいわゆる「からゆきさん」のような現象が問題となっていた当時の日本の状況に対応したものである。現在日本は人身売買の受け入れ国となっているのであり、成人女性の売買を含む今日的状況に対応したものとは言えない。
第4章 「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の意義と内容
1.意義
「子ども買春・子どもポルノ禁止法」については、評価がされる一方で、様々な形で批判もされている。報道や論評などにおいて「児童買春・児童ポルノ処罰法」と称されることが多いが、処罰を中心に理解されていることもその一因と思われる(注17)。確かに、これまで全く又は不十分にしか処罰されていなかった行為を明確に処罰対象とした点はこの法律の重要なポイントの一つではあるが、この法律の意味及び含意はそれに止まらない。法案作成作業に関わった筆者自身も現在の形の法律に満足している訳ではないが、前進であり、子どもや女性の権利にとって新たな道を拓くものであることは間違いないと考える。立場はどうあれ、この法律について建設的な議論を行なうためには、まずこの法律の意義をしっかりと確認する必要があるし、それによって法律の改善も進むはずである。以下、この法律の意義を6点に整理して示す。
(1)国際社会からの批判・要求に遅きに失したが応え、子どもの商業的性的搾取を明確に犯罪と規定したこと。また、「子どもの権利条約」、特にその第34条を具体的に実行するものであること――この点については第1章が十分な説明となっているはずである。国際的には、子どもポルノに対する処罰や被害に遭った子どもたちへの対応などについて課題が残されていると指摘されつつも、大きな前進であると評価されている。
(2)「子どもの健全育成」や「善良な性風俗の維持」ではなく、「子どもの権利の擁護」を目的に掲げた初めての法律であること――第3章で説明したように、これまで子どもの商業的性的搾取に適用されてきた法律や条例は子どもの健全育成や「わいせつ」の視点によるものであり、被害者の側も否定的な評価や取り扱いに晒されることが多かった。運用上の課題があるとは言え、法律としては子どもの権利の擁護の視点が貫徹しており、日本でこのような法律ができた意味は大きい。本法は子どもの性的搾取・虐待の商業的側面に絞ったものであるが、その後2000年5月に制定された「児童虐待防止法」と併せて、日本における子どもの権利の促進にとって重要な一歩を記したものである。当時法案作成に当たっていた筆者たちも、この法律の制定がゴールではなく、これをスタートとしてあらゆる形態の搾取及び虐待から子どもを保護するための新法制定や法改正が必要であると認識していたが、引き続き子どもの権利の擁護のための法律が整備されることが望まれる。
(3)子どもを対象とするものに限られるが、法律として初めて性を買う行為(買春)を処罰対象とするとともに、ポルノを「わいせつ」ではない観点から犯罪としたこと――(2)と重なるが、性犯罪/性暴力の文脈においても、「加害者」が明確に処罰対象となった意味は大きい。これを裏返せば、これらの行為における「被害者」の立場が明確となったということである。これは性の商品化という現象についてのみならず、性を巡る現象一般についても重要な前進である。本法は子どもの商業的性的搾取という性の商品化又は性暴力の一側面に特化し、緊急課題として取り組んだものであるが、立法者の視野には売買春やポルノ、そしてその他の性暴力が入っていた。性暴力を含む女性に対する暴力に関しては、2001年4月には「DV法」(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律)が制定されたが、これを強力に推進した議員たち、特に女性議員たちが「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の制定においても大きな役割を果たしたことは偶然でない。本法に関して、「なぜ(18歳未満の)子どもだけが対象となるのか」という声がこのような法律に賛成する側からも反対する側からも聞かれることがあるが、本法には「子ども」と「性的搾取及び性的虐待」又は「性暴力」の両方に強調点があることを指摘しておきたい。
(4)国外犯処罰規定を設けるとともに、捜査や犯罪防止のための国際協力を規定したこと――この点についても第1章及び第3章が説明となっているはずである。但し、その運用については課題が残されている。
(5)処罰だけで問題は解決しないとの観点から、捜査・公判における子どもの人権への配慮、子ども買春などを防止し、子どもの権利に対する理解を深めるための教育・啓発及び調査研究、被害に遭った子どもの回復・再統合支援を規定したこと――この点が子ども買春などの犯罪化と並んで、非常に重要である。第2章でも強調し、以下でも随所で言及することになるが、この問題の解決には加害者の処罰だけではなく、被害者の保護、そして社会全体の意識の変化を始めとする防止が欠かせない。処罰以外の規定が実効性の観点からは弱く、実際に実施体制の拡充が求められている点が課題であるが、本法にこれらの規定が置かれたことは――刑事特別法であることに鑑みても――非常に重要であり、注目されるべきことである。捜査・公判における被害者の保護については、2000年5月に刑事訴訟法が改正され、一定の措置が具体化され、虐待を受けた子どもの保護についても上述の「児童虐待防止法」において強化が図られているが、これらは「子ども買春・子どもポルノ禁止法」と同一線上のものであると考えるべきである。
(6)NGOの運動が法律として具現したこと――第1章で述べたように、世界における子どもの商業的性的搾取に対する取り組みはNGOが先導し、それによって各国が法改正を含む対応を取り始めたのであった。日本においてもNGOが地道に運動を進めた結果として「子ども買春・子どもポルノ禁止法」が立案され、制定された。もちろん、具体的な法案取りまとめ作業は与党のプロジェクト・チームや超党派の集まりの場で、衆参の法制局が加わって行なわれたのであるが、この問題を国会に持ち込み、立法の必要性を訴えたのはNGOであるし、少なくとも筆者たちは法案作成過程を通じてNGOその他の関係者と相談をしていた。法案を国会で通過させるためには与党内や各党間で合意をする必要があったため、NGOなどの要求が100%反映された訳ではないことは確かであるし、筆者たちも妥協を迫られる場面に度々遭遇した。それでも、政府や国会が積極的でなかった問題について、NGOの運動がきっかけとなって法律の制定を見たことの意義は大きい。
2.内容
本節では「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の内容について解説をする。本法の解釈については、国会審議で立法者の意思が示されているため、衆参の法務委員会の議事録が資料として重要である他、園田(1999)では国会審議や関係文献等に基づき、個々の用語の法律的解釈を示しつつ逐条解説がされているので参照されたい。本稿では各条がどう理解されるべきであるかということと併せて、法案作成作業における議論を紹介すること、さらには今後の課題を浮き彫りにすることに重点を置く。なお、以下は法案作成過程において提出された文書や内部用としてまとめたメモなどの資料を参照してまとめたものである。
(目的)
第一条 この法律は、児童に対する性的搾取及び性的虐待が児童の権利及び利益を著しく侵害することの重大性にかんがみ、児童買春、児童ポルノに係る行為等を処罰するとともに、これらの行為等により心身に有害な影響を受けた児童の保護のための措置等を定めることにより、児童の権利の擁護に資することを目的とする。
(1)自社さPTでは、社さが「子どもの権利の擁護」(個人法益)のみを目的とすることを、自民が「子どもの健全育成」(社会法益)も含めることを主張した。そして、「健全育成」という社会の側に立った文言を入れることに反対する社さと、「健全育成」のニュアンスを盛り込みたい自民及び衆院法制局との間の調整を図った結果、「児童の心身の健やかな成長を期し、あわせて児童の権利の擁護に資することを目的とする」として、両者の間の妥協を図りつつ、子どもを主体とする文言に落ち着いた。しかし、超党派勉強会では民主党が「子どもの権利の擁護」に一本化することを主張し、法案成立を急ぎたい自民はこれを「丸呑み」――当時は小渕政権であった――し、上記の文言となった。もちろん、社さにはこの修正に反対する理由はなかった。
(2)目的規定は法律全体を貫徹するものであり、全ての条文が「児童の権利の擁護」の観点から解釈されることになる。なお、国会審議で明言されてはいないが、ここで言う「児童の権利」にはセクシュアル・ライツ/性的自己決定権が含まれるものと解釈すべきであり、この行使を妨げる商業的性的搾取を禁止、防止するものと考えるべきであろう。
(3)これまで述べてきたように、本法は世界的にこの問題が議論され、取り組みがなされる中で立案されたものであるが、同時に日本において「ブルセラ」「テレクラ売春」「援助交際」などと称される現象が社会問題となり、法規制のあり方を含め様々な議論がなされた時期――もちろん現在もなされている――に進められたものであった。言うまでもなく、この法律は日本人による買春観光と並んで日本国内におけるこれらの子ども買春行為も視野に入れて制定されたものである。この法律が「援助交際」なども対象とすることについては法案作成時においても批判の声が上がり、現在も問題視する議論がある。特に、プライバシーに属する性に権力が法律を以って介入することを問題視する意見や子どもの性的自己決定権を侵すものであるという意見が強く存在する。また、それと重なる形で「誰にも迷惑はかけていない」「自分の身体なのだから他人から口を出されたくない」といった「当事者」の声や、自分はともかくとして「他人が「援助交際」をすることは構わない」といった子どもたちの態度が紹介されている。このようなことを背景に、自社さPTでは、「援助交際」をする子どもは性的搾取及び性的虐待から保護される権利を自ら放棄したとみなすことができ、それ故「子どもの権利の擁護」という目的にそぐわないのではないか――よって、「援助交際」という形で行なわれる子ども買春も処罰対象とするのであれば「子どもの健全育成」を目的に含めることが必要――という、上とは逆の方向からの意見も出た。
いずれにせよ、本法がこのような形で成立したのであるから、(2)のような視点で解釈することが適当であるのだし、「買う」という行為の問題性に標準したところに眼目がある。とは言え、本法は「援助交際」への処方箋の一つであるに過ぎず、問題の解決のためには買春者処罰に止まらない分析と対応が求められる。
(4)子どもポルノを「わいせつ」ではなく、「子どもの権利の擁護」の観点から処罰対象としたことについては説明を加えておく必要があろう。
まず、ストックホルム会議のバックグランド・ペーパーとして作成されたヒーリー(1997)は子どもポルノの利用目的を次のように整理している――(a)自らの興奮、欲求充足、(b)小児性愛行動の正当化(他人もこのような行為をしている)、(c)虐待相手の子どもの抑制を低めたり(普通のことであると思わせる)、すべき行為を教えたりする手段、(d)好みの年齢の子どものイメージの保存、(e)虐待した子どもを沈黙させるための脅迫手段、(f)他の子どもポルノとの交換手段、(g)子どもの商業的性的搾取に係わる市場やネットワークへのアクセス手段、(h)利益獲得。
これらの議論を踏まえ、自社さPTで社民党が基本的立場を示すものとして提出した文書(97年8月20日付)では、規制の根拠となる子どもポルノの害悪を4点に整理した――(a)撮影の際の虐待行為による、被害者となった子どもへの身体的、精神的影響。(b)撮影されたポルノが残存している(と被害者が信じている)ことによる、被害者となった子どもへの精神的影響。(c)子どもが子どもポルノに晒されることによる害悪(性的抑制の低下、誤った性的行動の学習など)。(d)子どもポルノ流通による、子どもを安易に性の対象と見なす風潮の促進(「社会の鈍感化」)。
そして、「子ども買春・子どもポルノ禁止法案」の国会審議において提案者は子どもポルノ処罰の理由に関して、「児童ポルノを製造、頒布する行為は、その児童ポルノに描写された児童の心身に長期にわたって有害な影響を与え続けます。また、このような行為が社会に広がるときには、児童を性欲の対象としてとらえる風潮を助長することになるとともに、身体的及び精神的に未熟である児童一般の心身の成長にこれもまた重要な影響を与えるものと思われます」と答弁した(平成11年4月27日参議院法務委員会における円より子議員の答弁)。
(定義)
第二条 この法律において「児童」とは、十八歳に満たない者をいう。
2 この法律において「児童買春」とは、次の各号に掲げる者に対し、対償を供与し、又はその供与の約束をして、当該児童に対し、性交等(性交若しくは性交類似行為をし、又は自己の性的好奇心を満たす目的で、児童の性器等(性器、肛門又は乳首をいう。以下同じ。)を触り、若しくは児童に自己の性器等を触らせることをいう。以下同じ。)をすることをいう。
一 児童
二 児童に対する性交等の周旋をした者
三 児童の保護者(親権を行なう者、後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)又は児童をその支配下に置いている者
3 この法律において「児童ポルノ」とは、写真、ビデオテープその他の物であって、次の各号のいずれかに該当するものをいう。
一 児童を相手方とする又は児童による性交又は性交類似行為に係る児童の姿態を視覚により認識することができる方法により描写したもの
二 他人が児童の性器等を触る行為又は児童が他人の性器等を触る行為に係る児童の姿態であって性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
三 衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態で性欲を興奮させ又は刺激するものを視覚により認識することができる方法により描写したもの
(1)「児童」(注18)の定義である「18歳未満に満たない者」とは実在の者を指すものであり、「18歳未満に見える」18歳以上の者や実在しない子どもは含まれない。つまり、18歳以上の者が女子高生を演じたポルノや、実在のモデルなしに描写されたコンピュータ・グラフィックス、コミックなどは含まれない――実在の児童に第3項に規定する姿態を実際にさせて描写した場合は「児童ポルノ」となり得る――。但し、第3項に規定する子どもの姿態を描写したものに改変を加えたもの(コラージュなど)は事例に即して判断されるものであるが、本法の適用対象となり得る。なお、自社さPTではコミックやコンピュータ・グラフィックスなどのいわゆる「擬似子どもポルノ」(pseudo
child pornography)も処罰対象とすべきかどうかについて議論されたが、表現の自由との関係などから見送られた。しかし、「擬似ポルノ」の規制は国際的な課題であり、法見直しの際には中心的な検討事項の一つとなる。海外では日本の「マンガ」におけるポルノ描写は有名であり、今回法規制の対象とならなかったことに対して、失望・批判の声がある。
(2)「児童買春」及び「児童ポルノ」の定義に関して、自社さPTでは自民党及び衆院法制局が「淫行」「わいせつな行為」「卑わい」(第3章参照)といった既存の法令にある文言を用いることを主張したが、社さは立法趣旨に反するとして反対した。つまり、第1に本法の目的は善良な性風俗や道徳を維持することなどではなく、子どもの権利を擁護することであること、第2にこれらの文言を用いて定義をした場合に、買春やポルノ描写の対象となる子どもの行為や姿態も「淫ら」「わいせつ」「卑わい」として(法律的にではないとしても)道徳的に非難することになりかねないこと(注19)、などがその理由であった。この点については議論がかなり紛糾したが、双方から案を示しながら詰めた結果、これらを用いない文言となった。
(3)第2項中「性交等」の丸括弧内の「又は自己の性的好奇心を満たす目的で」以下は、「性交類似行為」に当たらない性的行為も含める意図である。「性交」及び「性交類似行為」の定義については第3章を参照のこと。
(4)第2項中「対償」とは、子どもが性交等をすることの反対給付としての経済的利益のことであり、現金に限られない。例えば、高価なプレゼント、借金の帳消しなども対象となる。
(5)第3項中「その他の物」には、絵や電子データ(ネット画像やCD−ROM画像など)などが含まれる(実在の子どもに実際にさせた姿態を描写したものに限る)。なお、「物」とは有体物を言うものであるので、無体物である電子データの場合、データそのものではなく、これを蔵置したハードディスク、フロッピー、CD−ROMなどが「物」にあたる。これは、刑法第175条の解釈を踏襲したものであるが、自社さPTではその是非について議論があり、「電磁的記録」など、直接電子データを指す文言を用いるべきという提案もされていた。また、自社さ案では「写真、絵、ビデオテープその他の物」として、「絵」を明示していたが、民主党がコミックとの関係から懸念を表明し、例示はしないこととなった。しかし、効果は変わらない。
(6)「児童ポルノ」は「視覚により認識できる方法により描写したもの」に限定され、小説、音声などは含まれない。
(7)第3項第1号及び第2号は、ここで規定された姿態を描写したものであれば要件を満たすという意味であり、性器等そのものが描写されている必要はない。同様に、性器等にぼかしを入れた場合も「児童ポルノ」に該当する。
(8)第3項第2号及び第3号で「性欲を興奮させ又は刺激するもの」を要件としたのは、医学その他の学術目的の写真や芸術作品等は「児童ポルノ」としない目的である。しかし、その判断は個々のケースごとに行なわれるものであり、たとえ学術・芸術目的で撮られた写真であっても、「性欲を興奮させ又は刺激する」目的で用いられた場合には「児童ポルノ」に該当し得る。いわんや、学術・芸術目的を装って製造されたものであっても、「性欲を興奮させ又は刺激する」目的で、即ちポルノを意図して製造された場合には処罰を免れることはできない。なお、この要件は刑法第175条の「わいせつ」(第3章を参照のこと)よりも広いものであるが、描写された子どもがどう捉えるかではなく、見る側の主観に委ねられる面があるため、適切かどうかについては引き続き検討が必要である。
(9)「衣服の全部又は一部を着けない」姿態とは、社会通念上着衣しているとはみなされない姿態である。必ずしも性器等が描写されている必要はなく、また、透明・半透明の素材でできた衣服を着ている場合などもこの要件に該当し得る。
(適用上の注意)
第三条 この法律の適用に当たっては、国民の権利を不当に侵害しないように留意しなければならない。
(1)この規定は自社さ案にはなかったものであるが、子どもポルノに関する捜査、摘発が過度に行なわれることを懸念した民主党の強い主張により盛り込まれたものである。しかし、権利擁護を目的とした法律にこのような規定を置くことに筆者自身は違和感を覚えるし、超党派勉強会でも反対意見が表明された。いずれにせよ、この規定は子どもの権利擁護以外の目的で本法が濫用されることを防ぐためのものであり、加害者がこれを隠蓑にすることが許されてはならない。
(児童買春)
第四条 児童買春をした者は、三年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処する。
(児童買春周旋)
第五条 児童買春の周旋をした者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 児童買春の周旋することを業とした者は、五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。
(児童買春勧誘)
第六条 児童買春の周旋をする目的で、人に児童買春をするように勧誘した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する。
2 前項の目的で、人に児童買春をするように勧誘することを業とした者は、五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。
(1)第4条の法定刑は自社さ案では「五年以下の懲役又は百万円以下の罰金」であったが、民主から重すぎるのではないかとの疑問が示され、軽減された。その理由は買春者に対する刑罰(懲役刑)が業者と同じであるのは均衡を欠くというものであった。しかし、それは合理的な理由というよりも、感覚的なものであると言わざるを得ない。買春者よりも業者の方が罪が重いとは断定できないはずである。
(2)本法における犯罪は全て非親告罪である。その理由は第3章で強制わいせつ罪、強姦罪などについて述べた通りである。しかし、そうであるだけ、被害者の非処罰や捜査・公判手続きにおける適切な取り扱い(子どもにやさしい手続き)が求められる。なお、議論の過程では非親告罪化だけでなく、一部の国のように公訴時効の起算点を被害者が成年に達した時とすることなども提案されたが、現行刑事訴訟法の枠組そのものに関わるものであるため見送られた。
(児童ポルノ頒布等)
第七条 児童ポルノを頒布し、販売し、業として貸与し、又は公然と陳列した者は、三年以下の懲役又は三百万円以下の罰金に処する
2 前項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを製造し、所持し、運搬し、本邦に輸入し、又は本邦から輸出した者も、同項と同様とする。
3 第一項に掲げる行為の目的で、児童ポルノを外国に輸入し、又は外国から輸出した日本国民も、同項と同様とする。
(1)例えば、インターネット上で画像を提供することは(データを蔵置するハードディスク等の)公然陳列に当たる。これは第2条同様、刑法第175条の解釈を踏襲したものであるが、この解釈には疑問も出されており、また、ここで列記した行為類型でコンピュータやインターネットを利用した犯罪に十分対応できるかという問題もあるため、インターネット等の技術の進展に即した新たな規定が必要であると考えられる。
(2)本法では、私的利用目的での製造や所持(単純所持)は処罰対象となっていない。自社さPTでは特に社民が「単純所持」の処罰を主張したが、自民党や衆院法制局などはプライバシー侵害の懸念があるとして反対した。とは言え、子どもポルノは存在することそのものが子どもの人権を侵害しているという点では一致し、「何人も、自己の性的好奇心を満たす目的で、児童ポルノを所持してはならない」という罰則抜きの禁止規定が盛り込まれた。しかしながら、超党派勉強会では、民主・共産が強く反対し、この理念規定そのものも削除された。
(3)なお、自社さ案では「頒布、販売、業としての貸与又は公然陳列に係る広告をした者」も処罰対象(正犯)として明示していたが、民主から懸念が示され削除された。ただし、広告をした者は幇助犯に当たるため、処罰対象となることには変わりない。但し、従犯であるため、単独では立件されないとともに、刑罰は1/2に減軽される。
(児童買春等目的人身売買等)
第八条 児童を児童買春における性交等の相手方とさせ又は第二条第三項第一号、第二号若しくは第三号の児童の姿態を描写して児童ポルノを製造する目的で、当該児童を売買した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。
2 前項の目的で、外国に居住する児童で略取され、誘拐され、又は売買されたものをその居住国外に移送した日本国民は、二年以上の有期懲役に処する。
3 前二項の罪の未遂は、罰する。
(1)第3章で説明した通り、刑法には日本国外への人身売買に対応する規定はあるが(刑法第226条及び227条)、日本国内への人身売買を直接処罰できる規定は存在しない。日本が人身売買受け入れ国となって久しいにも関わらず、明治時代以来の規定が改正されないのはおかしなことである。この状況を受けて設けられた本条は一国内(日本も外国も)、複数国間とを問わず、性的目的で子どもを売買した者を処罰するものであり、ミャンマー→タイというような外国間での売買も対象となる。なお、行為地が外国の場合の処罰対象は日本国民のみである。
(児童の年齢の知情)
第九条 児童を使用する者は、児童の年齢を知らないことを理由として、第五条から前条までの規定による処罰を免れることができない。ただし、過失がないときは、この限りでない。
(1)本法は原則として故意犯のみを処罰するものであり――言い逃れは許されないことは言うまでもない――、子どもの年齢を知らなかった場合には処罰されないが、本条は児童を使用する者については年齢確認義務を課すものである。
(国民の国外犯)
第十条 第四条から第六条まで、第七条第一項及び第二項並びに第八条第一項及び第三項(同条第一項に係る部分に限る。)の罪は、刑法(明治四十年法律第四十五号)第三条の例に従う。
(1)刑法第3条は「国民の国外犯」に係る規定である。第3章を参照のこと。
(両罰規定)
第十一条 法人の代表者又は法人若しくは人の代理人、使用人その他の従業者が、その法人又は人の業務に関し、第五条から第七条の罪を犯したときは、行為者を罰するほか、その法人又は人に対して各本条の罰金刑を科する。
(捜査及び公判における配慮等)
第十二条 第四条から第八条までの罪に係る事件の捜査及び公判に職務上関係のある者(次項において「職務関係者」という。)は、その職務を行うに当たり、児童の人権及び特性に配慮するとともに、その名誉及び尊厳を害しないよう注意しなければならない。
2 国及び地方公共団体は、職務関係者に対し、児童の人権、特性等に関する理解を深めるための訓練及び啓発を行うよう努めるものとする。
(記事等の掲載等の禁止)
第十三条 第四条から第八条までの罪に係る事件に係る児童については、その氏名、年齢、職業、就学する学校の名称、住居、容貌等により当該児童が当該事件に係る者であることを推知することができるような記事若しくは写真又は放送番組を、新聞紙その他の出版物に掲載し、又は放送してはならない。
(1)第12条及び第13条は、捜査・公判などを通じて被害者が二次被害を受けることを防止するために設けられたものであり、諸外国でも、法的・行政的措置が講じられてきているところである。なお、2000年の刑事訴訟法改正では、第12条に関係するものとして、(a)証人尋問の際の証人への付き添い、(b)証人尋問の際の証人の遮蔽、(c)「ビデオリンク」方式(テレビ・モニターを通じて行なうもの)による証人尋問が法制化された。
(2)自社さPTでも超党派勉強会でも、買春等の被害者である子どもが売春防止法で犯罪者として摘発されたり、ぐ犯少年(少年法)として扱われたりすることがないよう法で明示すべきであるという議論があったが、個々のケースによって事情は異なるため、一律に非処罰とすることは困難であるという理由で見送られた。この点については、本法律の趣旨が現場の警察官等にまで徹底され、被害者が適切な取り扱いを受けられるかどうか懸念する声も上がっている。
(教育、啓発及び調査研究)
第十四条 国及び地方公共団体は、児童買春、児童ポルノの頒布等の行為が児童の心身の成長に重大な影響を与えるものであることにかんがみ、これらの行為を未然に防止することができるよう、児童の権利に関する国民の理解を深めるための教育及び啓発に努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、児童買春、児童ポルノの頒布等の行為の防止に資する調査研究の推進に努めるものとする。
(1)本条以下は、処罰だけでは問題は解決しないという観点から、社民が強く主張して盛り込まれた規定であるが、いずれも理念規定に止まっており、具体的施策につながるかどうかは心もとない面がある。なお、第14〜17条に照らして行なわれるべき施策については第2章を参照のこと。
(2)第2項の調査研究の規定は、未然防止のためには実態に即した対策が講じられるべきであるという観点から社民が強く主張して盛り込まれたものである。
(心身に有害な影響を受けた児童の保護)
第十五条 関係行政機関は、児童買春の相手方となったこと、児童ポルノに描写されたこと等により心身に有害な影響を受けた児童に対し、相互に連携を図りつつ、その心身の状況、その置かれている環境等に応じ、当該児童がその受けた影響から身体的及び心理的に回復し、個人の尊厳を保って成長することができるよう、相談、指導、一時保護、施設への入所その他の必要な保護のための措置を適切に講ずるものとすること。
2 関係行政機関は、前項の措置を講ずる場合において、同項の児童の保護のため必要があると認めるときは、その保護者に対し、相談、指導その他の措置を講ずるものとする。
(心身に有害な影響を受けた児童の保護のための体制の整備)
第十六条 国及び地方公共団体は、児童買春の相手方となったこと、児童ポルノに描写されたこと等により心身に有害な影響を受けた児童について専門的知識に基づく保護を適切に行うことができるよう、これらの児童の保護に関する調査研究の推進、これらの児童の保護を行う者の資質の向上、これらの児童が緊急に保護を必要とする場合における関係機関の連携協力体制の強化、これらの児童の保護を行う民間の団体との連携協力体制の整備等必要な体制の整備に努めるものとする。
(1)これらの条文における「保護」とは回復及び再統合支援、いわゆるケア・リハビリを含む幅広い措置を包含した用語である。
(2)自社さPTでは、社さが児童相談所の機能強化や新たな専門機関の設置など実効性ある施策を盛り込むべきであると主張したが、盛り込まれなかった。しかしながら、子どもの虐待問題で児童相談所の過重負担がつとに指摘されており、また、性的搾取・虐待を受けた子どもの回復及び再統合支援については研究も途上にあり、専門プログラムや人材も不足しているのが現状である。また、NGOなどの民間団体も資金や人材不足に悩んでいる。
(国際協力の推進)
第十七条 国は、第四条から第八条までの罪に係る行為の防止及び事件の適正かつ迅速な捜査のため、国際的な緊密な連携の確保、国際的な調査研究の推進その他の国際協力の推進に努めるものとする。
(1)国外犯事件については、現状では国際捜査共助法に則った手続きが取られることになるが、いくつもの機関を経由して手続きが進められるため捜査や公判においては迅速性が犠牲となる。また、インターネット経由で流通するポルノや人身売買などのように国際協力が不可欠の事件も多いため、本条を実効ならしめるためには二国間・多国間協定の締結など制度の整備が必要である。同時に、外国やインターポールなどとの情報共有の仕組みの強化、人材育成、ノウハウ蓄積なども重要である。
附則(抄)
(条例との関係)
第二条 地方公共団体の条例の規定で、この法律で規制する行為を処罰する旨定めているものの当該行為に係る部分については、この法律の施行と同時に、その効力を失うものとする。
2 前項の規定により条例の規定がその効力を失う場合において、当該地方公共団体が条例で別段の定めをしないときは、その失効前にした違反行為の処罰については、その失効後も、なお従前の例による。
(1)これは、都道府県の青少年健全育成条例における「淫行処罰規定」などのうち、本法で規定する買春等の行為については効力を失い、その処罰が本法に一本化されるということである。ただし、本法で規定する買春等以外の「淫行」については従来通り条例は有効であり、この点を問題視する声がある。
(検討)
第六条 児童買春及び児童ポルノの規制その他児童を性的搾取及び性的虐待から守るための制度については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行状況、児童の権利の擁護に関する国際的動向等を勘案し、検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるものとする。
(1)これまで述べてきたように、自社さPTでも超党派勉強会でも多くの論点が上がったが、意見の一致を見ずに盛り込まれなかったものも多い。そのため、この検討規定が置かれた。このような検討規定は連立を組む党や野党に配慮し、アリバイ的に設けられただけに終わることも多いが、特に本法に関してそれは許されるべきではない。この検討における課題については第5章で提案をする。
(2)法律施行が1999年11月1日であるため、2002年11月1日で3年が経過する。
第5章 「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の見直し及び運用改善の課題
第4章では法案作成作業において議論となった部分に焦点を当てつつ、「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の内容について解説した。この中で既に法律見直しや運用改善の課題についても言及したし、特に第2章に照らして問題点が自ずと明らかになっている事項もあるが、本章ではこれらを含め整理をし、筆者なりの提案を示したい。特に子どもポルノについては議論が分かれるところであるので、筆者の見解を詳しく述べることにする。
1.見直しにおける原則
「子どもの権利」の観点から法律全体をチェックすること。これには商業的性的搾取からの子どもの保護について抜け穴がないか、また本法が当事者である子どもの視点から見てどうであるかといった点について点検し、必要な改善を図ることが含まれる。
2.定義等
(1)子ども買春の定義
例えば、子どもを裸にしたり、自慰をさせたりしてそれを眺める、子どもの性器等(法第2条第2項)に触れずSM行為をする、子どもに獣姦をさせるといった行為はどうなるかといったことが法案作成過程や国会審議においても問題となった。性交等(同)が全く行なわれず、これらの行為のみがなされた場合には本法に定める「児童買春」と見なすことはできないと思われるが、これらを厳密に定義することが難しいこと、そして、そのような事態が現実にどれだけ想定できるかということなどが議論され、今回は上記のような文言に落ち着いた。実際、定義も運用も困難を伴うものである(注20)が、検討は続けるべきであろう。もちろん、以上の行為そのものも性的虐待であることは間違いない。
(2)子どもポルノの定義
そもそも、子どもポルノの法的規制については反対論が強く、法案作成過程や国会審議においても様々な議論が交わされた。反対論又は慎重論の理由としては、表現の自由や思想・良心の自由の保護、そして権力によるプライバシーへの介入に対する警戒などが挙げられる。確かに、内面で空想を抱くことが現実の行為につながるのか、逆に空想で充足を得て行為が抑止されるのかは証明が難しい問題である。行為として現実化していない内面を法律で裁くことは思想・良心の自由の観点から問題があるし、そのような処罰規定は別の目的のために恣意的に利用される恐れがある。しかし、子どもの権利は思想・良心の自由と同じ重さを持って保護されるべき人権である。そうであるならば、子どもの権利を直接侵害する行為だけでなく、そのような侵害行為を誘発し、正当化し、又は侵害に対する抵抗や抑制を低めるような行為も許容されてはならない。内面的な嗜好又は空想と言っても、それが表現されれば、たとえ言葉だけであっても、既にして行為である。その行為が上に述べた子どもの権利の侵害に当たるのであれば、思想・良心の自由を盾に保護されることがあってはならないし、表現の自由に関しても同様である。
筆者は子どもポルノの基本的な性質は、子どもを(単なる)性的存在に矮小化し、対象物とする/モノ化するものであると考える。そして、(被写体が実在する場合の)子どもポルノは製造の際に子どもが被った――又はその時点では認識していなくても、事後にそのように想起される――傷を固定化し、被害を反復するのであり、一旦撮られたものは――コンピュータ、インターネットの場合は特にそうであるが――永久に残る可能性がある。又は、被写体となった子どもはそれが永久に残り、幾人もの手に渡り続けることを想定せざるを得ない。これは、その子どもがポルノ製造の際には同意していたり、意味が分かっていなかったりした場合でも、後に後悔したり、意味が分かったりしたとしても、既に遅いということを意味する。さらに、子どもポルノは本人や家族などに対する脅迫手段としても利用され得る。
子どもポルノがもたらす効果としては、性的存在としての子どものイメージ(例えば「援助交際」する女子中高生)を再生産するという点が重要である。それは、子ども自身にもフィードバックされ、「これが普通だ(自分は普通でない)」「みんな/多くの人がやっている」という考え(幻想)を植え付ける可能性があるし、逆に自らを(単なる)性的存在に矮小化する暴力的な視線に苦痛を感じる者も多いであろう。現実の犯罪を誘発するか、抑制するか(安全弁説)については、検証が困難であるが、少なくとも「子どもはこういうもの」であるとか、「機会があればセックスしたい」という考えは広めるであろう。さらに言えば、子どもポルノは利用者の望むイメージに子どもを矮小化し――ポルノの中の子どもは受動的である――、逆に現実性を付与する効果があると考えられる。特にこのことはコミックなどの「想像」による子どもポルノに顕著であると思われる。日本の文脈では単に子ども/女の子というだけでなく、「女子中高生」(さらには「女子小学生」)、「コギャル」、「セーラー服」といった修飾語句による「付加価値」が強調されることが多いことにも着目すべきである。
以上に関連して強調すべきは、「想像するだけなら自由」であることと、現実に子どもポルノを製造したり、消費したりすることは別であるということである。加えて、子どもポルノは多くの場合、利益目的で作成される。また、子どもポルノ愛好家が他の人間から子どもポルノを得る手段としても利用できる。利益を広く取れば、例えば子どもポルノのサイトを作ることは、ネットワークを広げ、子どもポルノの入手ルートを拡大する意味もあるだろう。
最後に、一回の製造や取引の瞬間だけを捉えて子どもポルノを考えてはならない。子どもポルノは需要を再生産するとともに、供給も再生産するのであり、需要・供給の連鎖が反復、拡大する。また、ペドファイルでない者が大人を描写したポルノに飽き足らず、子どもポルノを求め、描写される行為や姿態についても新たなもの、さらに過激なものを求め続けるという側面もある。さらに、子どもポルノは個別の需要・供給だけでなく、上で述べたようにその背景となるイメージ/幻想も再生産する。このようなプロセス総体を見るべきである。
このような観点から筆者は子どもポルノの法的規制を是とするし、見直しの課題である「擬似子どもポルノ」や単純所持の処罰についても賛成する。もちろん、拡大解釈や恣意的な運用を排除するために明確な規定を置くことは不可欠である。具体的な見直し項目としては、子どもポルノの定義について以下の(a)〜(e)、処罰規定については3の各項目がある。
(a)電子データとの関係で「写真、ビデオテープその他の物」という規定を見直すこと――なお、法案作成作業においては、「電磁的記録」、「いかなる描写」といった文言も検討したが、いずれにせよ、有体物を前提とした文言の解釈で通すことは、インターネット等の技術の進展に対応する意味でも、徒に古い文言の拡大解釈を認めるという意味でも適切と思われない。なお、2001年2月に京都で開かれた「児童の商業的性的搾取に関するシンポジウム:第2回世界会議に向けて」(主催・外務省、日本ユニセフ協会)において、ジョン・カー(NCH Action for Childrenのコンサルタントであり、第2回世界会議の子どもポルノに関するバックグラウンド・ペーパー執筆者)は、子どもポルノに関する既存の国際的定義を踏まえ(注5を参照のこと)、「子どもポルノは、現実の若しくは擬似の露な性的活動に従事する子どもの、筆記若しくは聴覚素材を含むいかなる方法でなされるいかなる描写、又は性的目的を主としてなされる子どもの性的部位のいかなる描写で構成されるものとする。この定義の目的の下では、描写における人物が全部であれ一部であれ人工的に製作されたものであることが立証され得る場合においても、そうでなければ子どもポルノとみなされる素材は子どもポルノであるとみなし続けるものとする」という新たな定義を提案している(注21)。この定義は「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の見直しにおける導きの糸にできるはずである。(b)「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態」及び「性欲を興奮させ又は刺激するもの」という要件を見直すこと――これまでに述べてきたようにこれらの定義は「わいせつ」より広いものであるが、依然として見る側の視点に偏ったものであると言え、被写体となった子どもの捉え方や及ぼす影響なども踏まえた定義を検討する必要があろう。なお、社民案では「性的に露な」、「性的文脈の」といった文言を示していた。
(c)実在の18歳未満の子どもを描写したものに限ることの妥当性――これについてはコンピュータ・グラフィックスやコミックだけでなく、18歳以上の者を使用して18歳未満の子どものイメージを提供するようなポルノも含めて検討すべきである。例えば、「18歳未満と見なされる者を描写したもの」、「18歳未満の者として描写したもの」というような文言を採用することが考えられる。
(d)コンピュータ・グラフックス、コミック等の擬似ポルノを含めるか否か――これは微妙な問題であるが、上で述べたように、筆者はこれらも規制対象とすべきと考える。
(e)要件を「視覚により認識できる方法により」に限ることの妥当性――これも難しい問題であるが、視覚的なポルノと同様の効果を意図するもの又は及ぼすものについても、定義を厳密にした上で規制対象とすることも考えるべきではないか。
(3)優越的地位を利用した性的行為(性的虐待)の犯罪化
自社さPTにおいて、社民・さきがけは当初、商業的性的搾取だけでなく、児童福祉法の抜本的改正を含め、子どもの性的虐待全般も取り上げることを主張し、自民はそこまで間口を広げることに消極的であった。社さは立法を急ぐ観点から、児童福祉法には踏み込まず、刑法の特別立法とすることに同意したが、優越的地位(教師、施設職員、医師、保護者など)を利用した性的行為の問題は緊急性が高く、この立法に含めることを提案した。これに対して、自民と衆院法制局は児童福祉法34条第1項第6号の「児童に淫行をさせる行為」を特別立法に吸収し、処罰範囲を広げることを提案したが、社さは「淫行」を用いることは立法の趣旨にそぐわないとして反発し、議論は紛糾した。結果として、社さは「淫行」を用いずに買春・ポルノを定義することを優先することを選択し、優越的地位利用の問題は棚上げにした。「児童虐待防止法」では保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するもの=第2条)による子どもの虐待については一定の進展があったが、優越地位利用による性的行為をはじめとする子どもの性的虐待については未だ不十分であり、「子ども買春・子どもポルノ禁止法」を拡張するせよ、別法を制定するにせよ、何らかの法的措置が求められる。
3.処罰
(1)子ども買春や子どもポルノに係る行為の未遂を処罰すべきか否か――本法では人身売買(第8条)を除き未遂罪は定められていないが、例えば、対象供与の約束をしたり、ホテルの部屋に入ったりして性的行為に至らなかった場合や、子どもを裸にしたが撮影に至らなかった場合などの未遂も処罰対象にすべきでないかと考えられる。
(2)インターネット等の技術が進展する中で、従来の「頒布」「公然陳列」を解釈により適用することは妥当か――これについては第4章や本章の2(2)で述べた通りであり、新たな行為類型を設けることが適当であると思われる。
(3)頒布、販売、業としての貸与又は公然陳列を目的としない子どもポルノ製造の処罰――子どもポルノの製造は以上の目的によるもののみが処罰対象となっている(第7条第2項)。製造の処罰については単純所持と同様にプライバシーの不当な侵害を懸念する意見があるかもしれないが、子どもポルノは製造自体が子どもへの虐待行為であるのだから、これらの目的の有無に関わらず処罰対象とすべきである。
(4)子どもポルノの単純所持を処罰すべきか否か――これは法案作成過程においても大きな論点となり、見直しにおける重要な課題の一つとなる。国際的には単純所持処罰の流れにあり、「ストックホルム行動アジェンダ」でも処罰が提案されている。確かに様々な問題を含んでいるが、子どもポルノ規制の本旨に沿えば当然処罰対象とすべきものと考える。
(5)量刑は適当か――超党派勉強会で児童買春罪(第4条)の量刑が自社さ案よりも軽減されたと述べたが、この是非を含め、量刑の妥当性については他国の法律も参照しつつ検証する必要がある。子どもポルノについては販売により得られる収益に比して罰金刑が軽いという指摘もある(注22)。
4.子どもの人権に対する配慮
(1)捜査・公判における配慮規定(第10条)の具体化は刑事訴訟法改正(2000年)のみで十分か――第2章2(3)を参照のこと。特に、職務関係者に対する教育・訓練の具体化、専門人員による対応の義務化、ビデオ録取した証言の証拠能力、証人(被害者)の安全確保などが重要である。
(2)被害者の非処罰を明示する必要はないか――これは繰り返し述べてきたことであるが、特に、売春防止法(特に第5条)の適用や「ぐ犯少年」(少年法)としての取り扱いの是非に関して、法律上の明記及び/又は運用上の担保措置が求められる。第2章と第6章も参照のこと。
5.行政施策の具体化
以下については、法的及び行政的措置の両面が関わるが、ここでは一括して示す。具体的な説明については第2章を参照のこと
(1)教育・啓発、調査研究(第14条)――特に、搾取者の類型ごとにターゲットした教育・啓発(旅行者に対する啓発、男性教育など)、旅行・観光、インターネット、メディアなど関連業界における取り組み、子ども自身に対する教育・啓発(性的自己決定権を行使するための性教育やCAP(子どもの虐待防止プログラム)を含む)、搾取者の研究などが重要である。
(2)回復及び再統合(第15、16条)――日本において注意と資源を向けるべき重要分野である。特に、回復・再統合支援手法の研究やプログラム開発、専門人材の育成、児童相談所の機能強化、専門機関の創設、NGO等との連携や支援の強化などが求められる。また、外国における回復及び再統合のための取り組みに対してODA等を通じて支援をすることも――日本人が多く加害者となっている現実に鑑みればなおさら――重要である。
(3)国際協力の具体的施策――情報の共有(犯罪者データなど)、捜査共助に関する二国間・多国間条約の締結等(特に、東南アジア諸国と)、特に子どもポルノに関連してインターポールを含む多国間協力、人身売買対策、自国民引渡などが重要である。また、途上国の捜査・司法関係者の能力強化のための取り組みへの支援も必要である。
6.子どもの参加
第2章2(5)で詳しく述べたが、本法については2つの側面に留意すべきである。第1に法律に子どもの参加の理念と具体的な促進策を盛り込むこと、第2に見直し作業そのものに子どもが参加することである。
第6章 子どもの商業的性的搾取への視点――まとめに代えて
以上、子どもの商業的性的搾取に対する取り組みと日本の「子ども買春・子どもポルノ禁止法」について概観し(第1章〜第4章)、同法の見直しや運用の改善(第5章)に関して筆者の考えを提示した。筆者の見解は随時表明してきたが、それらを整理しつつ視点を提示することでまとめに代えたい。
1.子どもの商業的性的搾取を「現象」、「結果」として見ること
子どもの商業的性的搾取は「子どもの権利条約」第34条に明記されているあらゆる形態の性的搾取及び性的虐待から保護されるという子どもの権利を侵害するものであり、被害に遭った子どもは身体的、精神的な傷を被り、HIV/エイズなどの性感染症に罹患する可能性もある。このような傷は生命を脅かす場合もあるし、一生涯癒えない傷として残るかもしれない。商業的性的搾取は性暴力や子どもの虐待一般と同様、その子どもの尊厳、存在そのものを侵す行為であり、その影響は性的側面に止まらない。子どもの商業的性的搾取について議論し、取り組むことにおいては、このような被害/傷に目を向け、出発点とすべきである。
さて、「ストックホルム宣言」は子どもの商業的性的搾取において「子どもは性的な対象物、そして、商業的な対象物として扱われる・・・・・・子どもに対するある種の強制及び暴力を形成しており、強制労働及び現代的形態の奴隷制に等しいもの」(第5パラ)という認識を示しているが、筆者もこれを共有する。言い換えれば、大人の利益や性的満足のために子どもたちが利用され、虐待、搾取されているのであり、重要なことは、子どもの商業的性的搾取は権力関係の偏り(明示的、黙示的とを問わず)/非対称性に基づく行為であるということである。偏り/非対称性の一方の極はもちろん子どもであるが、それだけでなく、女性、少数民族、外国人や貧困層――グローバルに見れば、発展途上国――といった社会的・経済的に不利な立場、「弱者」の立場に追いやられているグループも含まれる。つまり、商業的性的搾取の被害者は二重三重にその立場に置かれている。関連して、背景にある要因は地域毎に異なるが、社会的、経済的な歪みや矛盾が子どもたちに先鋭的に現われるということが子どもの商業的性的搾取の主要な特徴の一つである。特に途上国の貧しい子どもたちの場合は他に生存手段がないために売春を余儀なくされたり、人身売買される危険に晒されたりしている。しかし、貧困を理由としないものであっても、何らかの歪みや矛盾が背景にあるという構造は共通する。よく日本の「援助交際」は途上国における子ども買春と違うということが言われるが、それは表面的な観察に過ぎない。いずれにせよ、個々の背景要因だけでなく、歪みや矛盾が子どもに集中し、彼らが被害を受けるという形で現われる構造を問わなければならない。
以上から、子どもの商業的性的搾取は確かに「性的」な現象であるが、あくまで「現象」に過ぎず、歪みや矛盾の「結果」であるという視点を持つべきである。それ故、子どもの商業的性的搾取という「結果」又は「現象」の場面のみを見て対処しても何の解決にもならない。だから、犯罪者を処罰するだけでは不十分であるし、子どもたちが被害者となる背景にある要因をそのままにしていては意味がない。第2章で述べたように、根本原因をなくすための防止が最重要であることに十分留意しなければならないのである。そして、子どもの商業的性的搾取は、直接子どもを性的に虐待する者やそのような行為によって利益を得る者のみに責任があるのではなく、間接的に利益を得ている者や無関心、無策などを通じてこのような行為を許容する者全てが加害者的立場にあることを忘れてはならない。つまり、これは「性的」という形を取った搾取であり虐待なのである。もちろん、それがなぜ性的な形を取るかという問題は追究が必要であるが、その面だけに目を奪われてはならない。
2.「子どもの性的自己決定(権)」を重視しつつ、議論を単純化しないこと
このように述べたとはいえ、性的な側面を軽視してはならない。商業的性的搾取は子どもが性的自己決定権を真に行使することを妨げ、侵害するものである。そして、この問題への対応として、「性」から子どもたちを遠ざけるというのは全くの間違いであり、逆に子どもたちの性的自己決定権/セクシュアル・ライツを認めるべきである。子どもたちが性的搾取・性的虐待を受けることなく、真の意味で権利を行使できるために、必要な知識を身に着け、自己決定能力を獲得できるようなエンパワーメントが求められる。他方で、子どもが「自発的に売春をしている」ように見える場合でも、その子どもが置かれている状況や立場(加害者との関係を含む)のためにそうすることを余儀なくされている/強制されているのであって、これを「自己決定」と呼ぶことは犯罪の正当化以外の何者でもない。「援助交際」などの場合でも、無条件に子どもの性的自己決定の問題であるとしたり、逆に子どもに「売春者」「非行少年・少女」といったレッテルを貼って断罪したり(注23)することは、このような行為を成り立たしめている背景を単純化するだけであり、あまりにも問題が多い。
繰り返しになるが、筆者は「子どもの性的自己決定(権)」そのものに反対しないし、「健全育成」、「パターナリスティックな保護」、「道徳」、「禁欲」などに基づく立場にも決して与しない。そして、「援助交際」をしようとする子が性について十分な知識を持ち、性に関するステレオタイプや誤解に囚われておらず、様々なリスク――身体的危害が及ぶ恐れがあり、生命さえも脅かされる可能性があること、背後に暴力団などがいるかもしれず、薬物の危険に晒される可能性もあること、エイズを始めとする性感染症に罹るかもしれないこと、心に傷を負ったり後悔をしたりすることになるかもしれず、それが人生を左右する可能性もあることなど――を認識しており、それでもなおこれをすると言い、第三者にも害が及ばない場合であれば、その「自己決定」を否定できないことも認める。但し、理論的、原理的見地からは確かにそうであっても、もし彼女の行為が自らを傷付けることを――意識的にせよ、無意識的にせよ――意図していた場合にそれでも止めないかと問われれば躊躇を覚えるということは告白せざるを得ない(注24)。それはともかくとして、果たしてそのような自己決定を可能にする土壌ができているのだろうか。さらに、このような徹底した意味でないにせよ、「自己決定である」と主張する又はそう見える子どもに対して、処罰や矯正措置を以って臨む又は放置をすることが正しいのであろうか(注25)。子どもに性的自己決定をする能力があるということは前提とすべきであるが、その能力を支える知識の有無を含め、十分に行使できる環境が整っているかどうかについては――パターナリスティックな態度を取ることを避けつつも――慎重に考える必要がある。また、個々の子どもの背景にあることを見極める必要があり、「援助交際」の瞬間だけを見て、自己決定を云々してはならない。
また、「援助交際」について典型的にある議論として、女の子の自己決定であるとした上で、彼女たちが「したたかに」行動しているというように「強者」ぶりを強調したり、彼女たちにとってポジティブな経験であるということを言ったりするものがある。その裏返しとして、買う男を「性的弱者」、「性に対する考えや経験が貧しい」と切り捨て、彼らの救済としての「援助交際」、性風俗といった面が示唆されることがある。このような捉え方はミクロには妥当している部分があるかもしれないが、これまでに述べてきたように、それだけで全体が語られるとすればミスリーディングである。そして、子どもポルノにも当てはまることであるが、「援助交際をする女子中高生」のイメージが「みんなやっている」的に広がることによって、街頭でいきなり「援助交際」を持ち掛けられたり、そのような目でしか見られなかったりして苦痛、不快感を感じる――言い換えれば、暴力的に性的存在に矮小化する視線に晒される――子どもたちがいること、そしてそれがマジョリティであることも押さえておかなければならない(注26)。
3.性/性欲を自明視しないこと
子どもの商業的性的搾取は、確かに性、特にその商品化に関わる一現象である。だから、これらの文脈で分析をすることが必要であるが、そのためには問題を性全般、子どもの性、(大人が)子どもを性の対象とすること、性の商品化、子どもの性の商品化に腑分けしながら考えなければならない。もちろんこれは、大人と子どもの性を分断することが目的ではないが、様々なねじれを含みがちな議論を整理するために必要な作業であると思う(注27)。ここでは、本稿でほとんど論じなかった性/性の商品化そのものについて若干の問題提起をしておきたい。
現代に生きる我々は言うなれば性化された(sexualized・性的意味を付与された)身体、アイデンティティ・人格を持ち、性化された境界で自他を分かち、他者と性化された関係を取り結ぶ。また、性化された空間に生き、多くの性化された商品や情報に晒され、これらを消費している。しかし、セクシュアリティ(「性的なること/もの」としての「性」)という概念は近代の発明であり(注28)、何重にも意味付けられることで、象徴化し、特権化した観念である。筆者は「性」は「シニフィエなきシニフィアン」であり、かつ単独では存在せず、様々な権力作用の中にあると捉えている。それ故、欲望、特に性欲を自明のものとする前提は取らないし、逆に、禁欲や道徳を絶対視したり、無条件に性を愛や人格などと結び付けるような前提も取らない。
その上で、性が価値ある商品となるのはなぜか、性が商品となるとはどういうことかを問う必要がある。性が商品となるということは、ある個人の持つ無限の個性/差異が性商品に矮小化/解消され、モノ化されるということである。いや、それは個人が性的存在となる又は性を部分として切り離し得るという事態と同時であるとも言える(注29)。そして、このような行為は2人以上の者が関わり、相互的なものであるにも関わらず、買い手−売り手関係が生じ、かつ女性や「弱者」が売り手となるという偏った形で現われる構造となっている――「売春防止法」は「売春婦」を前提としている――。さらに、性の商品化は新たな性の商品化を準備する。需要(買い手)が供給(売り手)を作り出すが、需要そのものは供給(性産業を始めとする利害関係者)が生み出している。そもそも、性も人の生の領域を覆い、組み替えていく市場化・商品化の流れの中にある。つまり、道徳的に「性は金銭でやり取りすべきではない」と単純に言うような問題ではない。さらに、性の商品化だけでなく、商品の性化をも視野に入れるべきである。
ここで述べたことはそれだけで大きな問題であり、本来一語一語に注釈が必要な記述である。しかし、子どもの商業的性的搾取に関して、現実に子ども買春の客となる者がおり、子どもポルノの消費者がいるという事態、そして彼らは必ずしも子どものみに性的欲求が向かうペドファイルではないということを説明するためには、彼らの欲望の成り立ちや背景、そして性が商品となるほどに意味付けされ、価値を付与されている現代社会そのものを問う必要がある。もちろん、ペドファイルについても、それを先天的なものと片付けずに分析をしなければならない。そのためには、性/性欲を自明視せず、これが自明性を獲得するということ自体を分析の俎上に乗せることが必要である。
なお、以上のように見ると、「自己決定」も土俵、つまり売買春やポルノに「参加」するか否かという問題設定があらかじめ決められた上での、言い換えれば、対象/モノとしての性的存在に矮小化された上でのそれであると考えることができる。自己決定を言うのであれば、この土俵に乗ることを拒否するという選択肢が保証されていなければ、擬似的なものに過ぎないと批判することも可能であろう。
4.再び「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の意義について
本法の意義については第4章で具体的に述べたので繰り返さないが、子どもの権利、そして女性の権利に関して大きな意味を持ち得る法律であるという点は改めて強調したい。この法律は子どもの商業的性的搾取をその一部とする性犯罪/性暴力や子どもの虐待、さらには性差別や子ども差別を始めとする差別に対する応答の一つと位置付けることができる。もちろん、法律そのものには問題が含まれており、それを改める作業が必要であるし、本来向かうべき方向とは逆の道を進まないように注意をしなければならないことは確かである。だからと言って、本法を懐疑の目だけで見て、否定するような態度を取ることは生産的でない。本稿を通じてこのことが理解されることを願っている。
また、子どもの商業的性的搾取はあくまで一つの現象であり、繰り返し強調したように様々な要因の結果である。だから、法律も取るべき方策の一つに過ぎない。だから、法律は法律として実効を上げる努力をしつつ、問題の根本にある歪みや矛盾に目を向け、解決を目指さなければならない。筆者は、本法がこのような形で成立したという出来事を、そのような歪みや矛盾を明らかにし、取り組む上での一歩であり、礎であると位置付けるべきと考えている。本章で述べたような点について議論を深め、行動として具体化していけるかどうかは、子どもの商業的性的搾取の根絶という目標の実現はもちろん、現代社会における様々な歪みや矛盾の解消という課題についても大きな意味を持つはずである。
おわりに
本稿は子どもの商業的性的搾取、そして日本における対応としての「子ども買春・子どもポルノ禁止法」について論じたものであるが、その範囲においてもより突っ込んで検討すべき課題が残されている。いわゆる「(子どもの)性的自己決定論」や「セックス・ワーク論」などについては改めて綿密な分析作業を行ないたいと考えている。また、国際的に「搾取者」の研究が必要であると言われており、日本についてもその必要性を痛感しているところであるが、「援助交際」などをする子どもの側については様々に論じられているのに対して、子ども買春者や子どもポルノ製造者、消費者などの需要者側についての研究の蓄積は相対的に少ないと言わざるを得ない。筆者としては子どもたちの側以上に、需要者側についての分析に重きを置きたいと考えている。ご意見やご提案を頂ければ幸いである。
本稿は大阪府立大学大学院人間文化学研究科の森岡正博ゼミでの発表(2001年5月9日)を元にしてまとめたものである。また、特に第2章については、日本ユニセフ協会が主催した「国内行動計画に関するワークショップ」(2000年11月20日)及び「ユニセフ子ども&若者セミナーin
Kawasaki」(2001年8月27〜29日)においてプレゼンテーションをさせて頂いた内容を基礎としている。そもそも本稿は「子ども買春・子どもポルノ禁止法」の立案作業や関連する取り組みに関わった経験に基づいている。いちいち名前は挙げないが、これらの機会を通してお世話になった全ての皆さんに感謝申し上げる。
注
(1) 「援助交際」を始めとする日本国内における子ども買春については、関係する箇所で筆者の視点を示しておいたが、改めて詳細な検討をしたいと考えている。なお、本稿における「援助交際」は、便宜的に、18歳未満の女の子を相手とする性的行為を伴うものを指すこととし、日本国内における子ども買春の代表的事例として取り上げる。
(2) エクパットの歴史や取り組み、日本における活動などについては、オグレディ(1993)(1995)、「ストップ子ども買春」の会編(1996)などを参照のこと。また、世界各国の状況や取り組みについては国際エクパットが毎年発行している報告書が参考になり、国際エクパットのホームページで読むことができる(http://www.ecpat.net)。2000年の報告書については拙訳があり(エクパット(2000))、日本ユニセフ協会ホームページに掲載されている(http://www.unicef.or.jp)。第二章で紹介する取り組みの具体例についてはこの報告書を参照のこと。
(3) 「援助交際」についてはなおのこと「自発性」が強調されがちであるが、「売り手」だけに着目して「自発性」又は「強制」を表面的に論じても問題の断片のみを取り上げたに過ぎない。全体的なことについては注7及び注10や第6章などで述べるが、「援助交際」をする子についてだけでも問うべきことは多くある。まず、目的は金の獲得であるのか、金は目的でない/副次的な目的であるのか。ここでは、家庭、学校、地域などの場面や人間関係(恋愛を含め)で負った傷、孤立感や抑圧、自尊心の喪失、自分自身や状況のコントロールの喪失、アイデンティティの揺らぎ、自暴自棄的な態度などが見られる/伺われることが多いことや、「援助交際」が子ども一般又はある特定の子どもに押し付けられる道徳/規範や期待への反発や自傷行為として行なわれることがあることに注意すべきである。また、金、そしてそれを使う対象であるブランド品等のモノの獲得を目的としている場合や快楽を目的としている場合でも、その背景にあるものを見つめる必要がある。さらに、以上と交錯するが、子どもたちがなぜ他の能力・資質ではなく性を売るのか。そもそも、なぜ何かを売る行為を選択するのかが問われなければならない。言い換えれば、なぜ「援助交際」がベスト/ベターの選択として現われたのか、そして、他の選択を不可能にしたり、魅力の低いものにしている要因は何か。「援助交際」を行なえる環境や選択の基礎にある情報はどのようなものか。以上に関しては、特にジェンダーによる非対称性や差別にも注意を向ける必要がある。
(4) 「ストックホルム宣言及び行動アジェンダ」全文(宇佐美訳)は日本ユニセフ協会ホームページに掲載されている。
(5) 他の国際法文書にも関連する定義が示されている。主なものを以下に示す(訳は全て筆者)。
・「最悪の形態の児童労働」(ILO第182号条約)――あらゆる形態の奴隷制、又は子どもの売買並びに取引・・・・・・〔及び〕売買春、ポルノ製造並びにポルノ的な実演のための子どもの使用、周旋並びに提供のような奴隷制に類似した慣行。(6) 「援助交際」の場合でも、性的でない要素が結実した結果/現象であるという視点を持つべきである。・「子ども買春」(子どもの売買、子ども買春及び子どもポルノに関する子どもの権利条約選択議定書)――報酬その他のいかなる形態の対償(remuneration or any other form of consideration)と引き換えに、子どもを性的活動に使用すること。
・「子どもポルノ」(ジョン・カーによるまとめより)
(a)子どもの権利条約選択議定書――現実の若しくは擬似の露な性的活動に従事する子どもの、いかなる方法でなされるいかなる描写、又は性的目的を主としてなされる子どもの性的部位のいかなる描写。
(b)インターポール(国際刑事警察機構)の子どもに対する犯罪に関する専門家グループ――子どもポルノは子どもの性的搾取又は虐待の結果として製作される。子どもポルノは、子どもの性的行動又は性器に焦点を当てて子どもの性的搾取を描写又は促進するいかなる方法(any means)であり、筆記又は聴覚素材(written or audio material)を含むと定義することができる。
(c)欧州評議会のサイバー犯罪に関する条約草案――「子どもポルノ」は、性的に露な行為(sexually explicit conduct)に従事する未成年者(a minor)、性的に露な行為に従事する未成年者に見える者(a person appearing to be a minor)又は性的に露な行為に従事する未成年者を描写した写実的なイメージ(realistic images)を視覚的に描写するポルノ的素材(material)を含むものとする。
参考文献
「第百四十五国会 参議院法務委員会会議録第八号」(平成11年4月24日)
「第百四十五国会 衆議院法務委員会会議録第十号」(平成11年5月11日)
「第百四十五国会 衆議院法務委員会会議録第十一号」(平成11年5月12日)
「第百四十五国会 衆議院法務委員会会議録第十二号」(平成11年5月14日)
上野千鶴子、1996「セクシュアリティの社会学・序説」井上・上野・大澤・見田・吉見編『セクシュアリティの社会学』岩波書店
エクパット編、2000、宇佐美昌伸訳『ストックホルムから横浜へ、そして子どもたちの未来へ』(日本ユニセフ協会ホームページhttp://www.unicef.or.jpからダウンロード可能)
オグレディ、ロン、1993、京都YWCAアプト訳『アジアの子どもと買春』明石書店
オグレディ、ロン、1995、エクパット・ジャパン監修、京都YWCAアプト訳『アジアの子どもとセックスツーリスト――続アジアの子どもと買春』明石書店
シーブルック、ジェレミー、2001、宇佐美昌伸訳『ケーススタディ 子ども買春と国外犯処罰法』明石書店
「ストップ子ども買春」の会編、1996『アジアの蝕まれる子ども――子ども労働・買春を告発する』明石書店
園田寿、1999『《解説》児童買春・児童ポルノ処罰法』日本評論社
ヒーリー、マーガレット、1997、宇佐美昌伸訳『子どもポルノ――国際的視点から(スウェーデン世界会議資料III)』ストップ子ども買春の会
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