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現代文明学研究:第4号(2001):180-194
「わたし」を問うという試みの重要性
 −ライフヒストリー調査の再検討から−   
山下幸子



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1.はじめに

 筆者は1999年に3名の脳性マヒ障害者を対象にしたライフヒストリー調査を行った。この調査の目的は、障害者役割の具体的内容、及び役割付与による障害者のアイデンティティの揺れ動きを考察することであった。この調査結果については、拙稿(1)においてまとめたが、そこでの考察は語りの内容面からのみの考察であった。
 聞き手がどんな相手であっても、語り手からまったく同じ語りが展開されるということは考えにくいだろう。例えば両者の親密さの度合いによって、語りの展開は変わってくる。小林多寿子は親密さが増すと、語りの内容に深みが増してくることから、語りの内容は聞き手と語り手との間の関係に影響を受けると述べている(2)。また反対に、聞き手と語り手との間にラポールが築けず、聞き手主導のインタビューになってしまった結果、語り手から疑念や反発が示されたということもある(3)。
 このようなことから、語りの内容そのものの分析と同時に、語りが生成される過程にも注視する必要がある。そのため、本論では行った調査を再検討し、そこからみえてくる、聞き手と語り手との関係について述べていくことにする。聞き手である筆者の聞きたいことと語り手が語りたいこととを分析・比較し、その違いがインタビュー場面の相互作用にどのような影響を与え、インタビューの過程から得られたものは何かということについて考察する。
 本論考の構成は以下の通りである。
 第2節では、ライフヒストリーをはじめとする質的調査研究の方法論に着目し、これまで聞き手・語り手の関係についてどのような議論が展開されてきたのかを整理する。そして第3節では、諸議論をふまえつつ、筆者が行ったインタビューを再検討する。最後に、再検討を通して見えてきたフィールドワークのもつ意味、そしてインタビュー時の留意点について考える。

2.インタビュー行為の相互関係性についての諸議論

(1)ラポール
 現在のライフヒストリー法の共通認識として、ライフヒストリー調査は聞き手と語り手との相互行為の結果であるとされている。つまりライフヒストリー調査は両者の関係性に大きく影響を受けて生成されるものであるということだ。
 桜井厚は「ライフストーリーは語り手と聞き手の相互作用の状況に左右される」とし、語りは「語り手の関心と聞き手(書き手)の関心の両方から引き出された対話的混合体なのである」(4)と述べている。
 小林多寿子は、聞き手と語り手との相互作用により、語りは生成されてゆくことを前提としたうえで、ライフヒストリーを考える際には、両者の関係性の把握が必要であると述べている(5)。
 両者の関係性を考えていくうえで、より深い語り、より事実に近い語りを得るために必要だとされてきたのが、両者の信頼性(ラポール)である。
 小林は「関係」のレベルは「内容」のレベルにどのような影響を与えているのかという点から、ライフヒストリー法の考察を行い、「関係」のレベルで〈親密さ〉が増すと「内容」のレベルにおいても〈深さ〉のある語りを得ることができると述べる。またラングネスとフランクもその著において、「適切な信頼できるライフヒストリーを聞き取る」ために、ラポールが必要だとしている(6)。
 このように、より深い語りやより事実に近い語りを得るために、聞き手と語り手との間の親密さが鍵概念となっていった。確かに聞き手が語り手に信用されていないとインタビューにも承諾してもらえないかもしれないために、ラポールの形成は必須の条件であると言える。しかしラポールについては諸々の異論も展開されている。
 その1点目が語り手に聞き手が同一化しすぎてしまうオーバーラポールの問題である。佐藤郁哉は聞き手(調査者)は「参与・観察どちらの極にも偏らないスタンスのあり方について常に意識しておく必要」があるとし、「一歩距離をおいた関与」、「客観性を失わないラポール」が必要だと述べている(7)。
 また別の視点から、桜井はこれまでのラポールについての議論が、聞き手がデータを有効活用するためにしか考えられてこなかったとしている。このような議論の前提には、聞き手が主体であり、語り手は客体だという考えがあり、聞き手側からしかラポールを考えてこなかったと反論する(8)。
 桜井は聞き手と語り手との関係を、これまでラポールで説明されてきたような聞き手側からの一方向のものではなく、両者の交渉過程と捉える。ラポールを「両者の態度の問題」として捉えるのではなく、「インタビューの過程における象徴、意味の問題」(9)として捉えるのである。
 つまり、語りを取り巻く状況を解釈するのは、聞き手だけではないということである。「聞き手が何を聞きたいかということだけでなく、聞き手がなにものであるかという存在そのものについて語り手は解釈をおこなうのであり、その解釈に媒介された(聞き手と語り手を含む)世界を聞き手は解釈する」(10)のである。語りが生み出される状況に注視してみると、インタビューの場の状況に規定されながら、語りが生み出されるということがわかる。
 このようなことから、語りを分析するにあたって注意すべき点は、常に過去の体験として確固たる過去の体験が語られるわけではなく、その場の状況に規定されながら語りは生成されていくということである。このように考えてみると、語りの場を考えるにあたっては、両者はどのように相手を解釈しているのかということ、そしてそれがどのように語りに影響を及ぼしたのかということを考える必要がある。また、聞き手・語り手という関係性にとどまらず、年齢や性別、階級・階層、障害の有無などの両者の差異にも注視する必要がある。

(2)聞き手自身がもつ枠組み
 もう一点考えるべきことがある。それは聞き手が、インタビューで取り扱う内容についてどのような枠組みをもっており、それが語りの展開にどのような影響を及ぼすのかという問題である。
 この点について、福岡安則は「聞き取りは、聞き手の枠組みに拘束される」(11)とはっきり述べている。つまり「聞き手が尋ねたことがらだけが、語り手によって語られる。聞かなかったことは、語られない」(12)ということである。
 聞き手が尋ねる質問の前提にあるものは、聞き手の先行知識や問題についての関心の深浅、そして傾きである。福岡もこれまでの被差別部落についてのインタビュー経験の中で、自身の被差別部落に対する思い込み(過酷な差別の実態はみじめであるが、その差別に果敢に闘っていこうとする勇ましさが部落にはあるのだという思い込み)に基づいて完成させたモノグラフが、偏見の再生産となってしまったのではないかという反省があると述べている。
 しかし、このような枠組みに聞き手が自覚的であることは非常に難しい。それは枠組みそのものが聞き手にとっては自明のものであることが多いからだ。
 好井裕明は、自らの〈傾き〉を自明のものとしながら、得たデータを解読していた経験について論じている(13)。部落解放運動団体とその被糾弾者側とのやりとりをビデオ録画し、そのやりとりをデータにした考察を行うという中で、好井は明らかに解放運動団体側に共感を示し、団体と同じように糾弾していたという。そのため、このデータをもとにして書かれたモノグラフは啓発を目的とした論考となった。
 このような自身の経験を、好井は「問題であったのはあらかじめというか最初から〈啓発するために〉ビデオを撮影し、わたしが当時、見事に縛りこまれていた〈傾き〉を自明なこととして生きていた点だ」(14)と述べている。この問題点をふまえ、「そうした〈傾き〉自体をも考察の対象としつつ」「わたしがデータを解釈し分析する際に用いてしまう啓発的な『常識』のありようも視野におさめながら、丹念にエスノメソッドをとりだす努力が必要であっただろう」(15)と述べている。
 また、インタビューのやりとりの中で、聞き手が自らの自明性に気づくこともある。Dan Bar-Onは自らのインタビュー過程の再検討から、インタビューと分析においての危険性を2点指摘している(16)。1点目がBar-Onの専攻である精神分析の知識を援用しすぎたインタビュー、及び分析をさけること、もう1点目が、一般的な歴史の自明の理を追求しすぎないことである。これは歴史的な自明の理、そして学問の自明の理を超えて初めて、生の現状の課題が見えるという認識からである。
 Bar-Onは最初に語り手に出会った時、先行知識があれば、語りを十分理解する前に、その知識に基づいて個人を理解してしまうと述べる。Bar-Onは、事前の枠組みに基づいたインタビューを展開していっても、語り手はその枠組み通りの語りを展開しなかったという経験をもっている。このことから好井のいう聞き手の〈傾き〉を自覚することの必要性、そしてそのための方法として、分析の際には多人数で議論することが必要だと述べている。
 これまでみてきたように、語りとは、両者の相互作用によって生成されるものであり、両者の関係、そして聞き手の枠組みによって語りの展開は変化してくるものである。そこで以下では、これらの点に注目しつつ、筆者が行った調査の再検討を試み、インタビュー過程の中でどのような関係が聞き手と語り手の間に生まれたのか、そしてその関係がどのように語りの展開に影響を及ぼしたのかということを考察する。

3.ライフヒストリーインタビューの再分析

 今回、インタビュー過程をあらためて注視した時、様々な発見があった。その中でも特に注目すべきは、語りの主導権を聞き手・語り手のどちらが握っているかということだ。この主導権を軸に語りの展開を見た時、筆者の聞きたいこと、語り手が語りたいことの違いがはっきりした。そしてインタビュー後半では、その差をめぐりせめぎあいが展開されている。
 そこで本節の再検討では、両者がどのようなことを聞き、どのようなことを語りたかったのか、そして筆者の聞きたいことの前提にある自明性とは何か、それが語りの展開にどのような影響を及ぼしたのか、ということを考察していく。

(1)聞き手が聞きたかったこと
 まずは再検討を行う調査の背景について、簡単に説明したい。この調査は冒頭で述べたように障害者役割についての考察を目的とした調査であり、女性障害者3名を対象にインタビューを行った。
 今回の調査の語り手3名のプロフィールは以下の通りである。
 Aさんは1953年に生まれ、養護学校卒業後は親元で生活を送りながら、障害者運動に参加していく。現在は24時間の介助ローテーションを組み、一人暮らしを行いながら、地域での障害者の自立生活支援に携わっている。
 Bさんは1959年に生まれ、養護学校卒業後、親元での生活を行っていた。その後彼女は5年間重度身体障害者更生施設に入所している。そしてまた親元に戻り、その時に現在関わっている障害者団体と出会う。彼女は現在、主な介助者であった母親の高齢化から24時間の介助ローテーションを組み、一人暮らしを行っている。
 Cさんは1955年に生まれている。養護学校卒業後は親元での生活を送っていたが、27歳の時、自立障害者との出会いがきっかけとなり、自立への準備を進め、その8年後に一人暮らしを始めている。
 彼女たちには、これまでの生活について自由に語っていただいたが、特にこちら側から、1.健常者との関わりの中で自己の障害をどのように捉えてきたか、2.現在の障害観はどのようなものか、ということは必ず質問した。
 筆者が質問事項に取り上げた、この内容について、問い直す必要がある。それは第2節第2項でも述べたように、これらの質問の中には、明らかに聞き手である筆者の自明性、つまり障害観について筆者がもっている前提が存在するからである。
 この点については後に詳しく述べるが、ここでは筆者がどのような語りを語り手に求めていたのかということを、彼女たちの語りをあげて考察していく。まずはインタビューから、特に養護学校での機能訓練についての語りを見てみよう。

Y:理学療法のときって、どうでした?その時やってる時の心境っていうか、どんな思
   いでやってたんやろか。
A:暑いなあ、しんどいなあって感じやな。体を動かすのは気持ちよかったけどな、も
   うちょっと、もうちょっとってやるのはしんどかったな。でもまあ、私は楽しくや
   ってたな。補装具もあんまり長いことつけてるのはしんどいから、それがいややっ
   たな。
Y:私がインタビューした人は、もう勉強の時間を全部減らして、全部機能訓練の時間
   にもっていきたいんやっていうほどに、熱を入れてたそうなんですよ。
A:私はそうでもなかったよ。一番多いときでも、2時間か3時間くらいかな。
Y:その人はまあ障害、もっともっと歩けるようになりたいし、もっともっと自分で何
   でもできるようになりたいっていう思いがあったから、もうずっと機能訓練ばっか
   りやってたいっていう話やったんですけど、Aさんはそのへんどう思ってはったん
   ですか。
A:何かあんまり思ってなかったみたい。別になんか歩きたいと思ってなかった気がす
   るなあ。だから緊張きつかったから、それを和らげたいなと思ってたけど。あんま
   り健常者に近づきたいとか、そういうのあるやんか、それはなかった気がすんねん
   けどな。
Y:マイペースに。
A:そうそう。やれっていうからやってただけやし、時間があったからやってただけか
   な。鉄棒にぶらさがったりとかして遊んでたけどな。先生と一緒にな。

Y:中等部のときは?
B:中学になってからは、授業が多くなって、PTが少なくなって、STもなくなって、
   OTもなくなって(17)。勉強、勉強で、つめこみ。
Y:その訓練って、どういう気持ちでやってました?
B:障害が軽くなったらええなと思ってやってたけどな。小学校までPTとかやったこ
   となかったから、ほんで入ってやりだして、座れるようになったし、立てるように
   もなったから、ほんで平行棒で歩けるようになってきたから、だんだん障害が軽く
   なってきたから、いけるやんかとゆうて、思ってた。
Y:じゃあ、もっとやりたい、もっとやりたいって感じやった?
B:はい。勉強よりもPTをやりたかったけども、勉強勉強ばっかりでやらされてたか
   ら、PTがおろそかになっていった。
Y:その頃はBさんにとってはさ、障害がちょっとでも軽くなる方向で、PTやりたい
   やりたいって思ってたわけや。障害が軽くなったら、どう自分が変わると思ってた
   んでしょう。どうなると思ってたんでしょう。
B:一人で何でもできるから、楽になるかなって。
Y:誰が楽になるの?
B:親が。
Y:そういうこと考えるんかな。健常者に近づきたいとかは?
B:ないといえば嘘になる。やっぱりあったことはあったと思う。

 このような養護学校や機能訓練についての質問は語り手に必ず投げかけている。それは、そこには筆者が聞きたいことへの期待があったためである。
 養護学校の機能訓練という場、そこでは、障害の軽減・除去が目指され、ADL(18)の向上が目指されていた。筆者が機能訓練についての語りを敢えて聞き出し、上記のような問いかけを彼女たちに行ったのは、彼女たちが健常者と関わる中で自らの差異を見いだし、それが障害の否定につながった経験があったのかどうかということを聞きたかったためであった。つまり彼女たちが障害を否定していたという語りを、筆者は潜在的に引きだそうとしていたのである。
 しかしこのような筆者の問いかけに対して、彼女たちの反応は様々であった。次に、筆者からの問いかけに対する彼女たちの反応、及び、彼女たちが語りたかったことは何だったのかということについて述べていく。

(2)語り手が語りたかったこと
 Bさんと筆者との対話においては、全体的に筆者の質問にBさんが答えるというスタイルでインタビューは進められていった。その中で、筆者が問いかけた質問に対するBさんの語りは、筆者の想像していたものと一致していた。Bさんの語りからは、障害があるがゆえに母親に常に遠慮を感じ、少しでも障害を軽くしようと努めたり、自身の障害を否定していた姿がうかがえた。このBさんの姿、障害を否定的に捉えていた経験があるという語りは、筆者が聞きたかったこと、期待していた語りだったのである。
 Bさんと筆者との対話においては、筆者が満足する語りを引き出せたために、語りの場での両者の関係、筆者による語りの誘導などの問題点を意識することはなかった。しかしAさん、Cさんとの対話において、これらの問題点は浮き彫りにされてきた。
 前項にあげたAさんの語りにおいても、筆者からの問いかけに対するAさんの返答は、「肩すかし」のような印象を受けることが何回かあった。それは、前節で述べた筆者の想像、つまり自明性から外れた返答がなされていたためである。
 本節では、Cさんの語りを重点的にみていこう。Cさんと筆者との間には、Cさんが語りたいことと筆者が聞きたいこととの間でずれが生じている。
 

Cさん事例1
Y:(養護学校の)カリキュラムってどんな感じでした?
C:うちの学校はね、K市のY養護学校で、わりと勉強もちゃんとやるほうやったんで。
   でもうちらが100点満点とっても、普通の学校では70点くらいのレベルやった。
Y:訓練とかは?
C:あったよ。もちろん。
Y:それってどれくらいを占めてたんですか?一週間のうちに。
C:3分の1くらいやったと思う。
Y:S市の養護学校とかはほとんど毎日やったって感じでしたが。
C:毎日はあったよ。2時間くらいあったよ。
Y:どんなことをやってたんですか?
C:起きあがりとか、左足に砂袋おいたりとか。
Y:私の聞いた人はPT、ST、OT全部やったって言ってましたけど、言語訓練とか
   は?
C:やってたよ。ガムをかんだりとか。
Y:その訓練ってどうでした?訓練の時間とかって。
C:やらなあかんもんやって、嫌やったけどやらなあかんって。
Y:どういうところが嫌やったんでしょうね。しんどかった?
C:しんどいのと、痛いのとか。
Y:痛いのか・・・。でもやらなあかんって思ってたんや。それは先生が言ったりする
   から?
C:普通の人と同じようになりたいと思ってたから。
Y:さっき、自分の障害を治るかなって思ってたって話してたけど、その頃もやっぱり
   そんな風に思ってやってたんかな。
C:そうやな。
Y:訓練ってどれくらいまで続くんですか?結構みんな中学校くらいになったら少なく
   なってきたって話でしたけど。
C:そやなあ。それくらいから少なくなってきたわ。
Y:じゃあ、小学生とかの成長しざかりって時に集中的に訓練してって感じなんでしょ
   うね。
C:今思ったら、小学校が一番多かった。
Y:他は?小学校時代のエピソードって?例えば友だち関係とか?
C:私、言語障害があるから、電話に出るのが嫌やったんよ。それを小学校3年くらい
   かな、それがみんなにわかって、友だちが私に電話をかけてきてくれるようになっ
   たんよ。それで電話に出られるようになったんよ。
Y:その友だちのことで、意外と言語障害があってもできるやんってなもんで、ちょっ
   と自信になったんですかねえ。
C:そう。

 この語りはその後、養護学校時代の遊びの語りに移行するが、そこで再度筆者は訓練について確認している。

Cさん事例2
Y:ちょっと訓練の時の話を。その時は治るかなって思ってやってたって言うけど、実
   際に何かおかしいぞっていうか、完治するわけじゃないんやなって思ったのはいつ
   くらいなんでしょうね。
C:小学校5、6年。
Y:でも5,6年の時も訓練はあるわけでしょう?その時は?それが分かった時ってど
   んな感じやったんですか?
C:やっぱりその頃って現実的になってるやんか。
Y:現実的にっていうと?
C:完全には治らへんやろうけど、ちょっとはましになるって。そういうのはあったと
   思う。
Y:ましになることでのメリットって何なんでしょうね。
C:だから、健常者に近づくこと、たぶん。
Y:そういうことって訓練の先生とかも言うこととかありました?よく言われているの
   は、養護学校では普通校の生徒を手本にしてって。
C:だから、普通校に行った人もおるわけよ。養護学校から。
Y:そういう子がエリートと呼ばれるわけ?
C:たぶん。
Y:普通校に行けたていうのは何なんやろ?普通校が受け入れてくれた?完璧に完治し
   た?
C:障害が軽かったわけよ。それで勉強もがんばってやってたから。
Y:Cさんとかは、そういうふうになりたいと思ってたんですか?
C:私、勉強嫌いやったから。養護学校が嫌じゃなかったし。
Y:でも健常者にはなりたかったと。
C:なりたかったんやな。小さい時から親にそうなるようにって言われてたから。隣の
   おじさんとかは、Cちゃん頭いいから、本書いたらって。健常者に負けないように
   って。
Y:健常者に近づくようにも言われて、健常者に負けないようにってことも言われたと。
C:そう。
Y:最初、治るって思ってた頃は訓練とかもがんばってやってたんでしょう?そういう
   思いがプレッシャーになった時期ってありました?健常者に負けないようにとか。
C:中学校とか高校の時かな。

 この2つの事例における訓練についての語りは、聞き手である筆者が主導権を握った展開となっている。
 事例2で注目したいのは、Cさんの「だから」という言葉である。事例1でCさんが学校時代に印象に残っているエピソードとして、言語障害をもっていても電話に出ることに自信がついたと語っている。Cさんは主体的に障害の肯定的側面について語ったのに対し、筆者は障害をもつことでの抑圧について、再度事例2で聞きだそうとしている。この「だから」というCさんの言葉は、二度も訓練についての語りを聞こうとしている筆者への苛立ちのようなものだとも考えられる。
 ではCさんと筆者との対話において、Cさんが主導権を握った語りの展開について見てみよう。
 
Cさん事例3
(和文タイプの専門学校に通いタイピングを習得。その後障害者サークルでタイプの仕事をするが、がんばりすぎて一年間療養生活を送ることになる。その後。)

Y:一年間の療養生活の後は?どういうことやってたんですか?前の障害者サークルに
   戻って?
C:それはもうなくなってたから。それで本読んだりとかやりたいことやってて、その
   ときにこのままやったら飼い殺しやなあと思って。
Y:そう思ったのって、あまりに生活が単調やから?
C:テレビ見て、本読んだり、たまには外に出るけど、あとはもう芸能人のおっかけとか。
   このまま年とっていくんやなって思って、それでその時にさをり(織り)の記事が新
   聞にたまたま載ってて。その頃デザイナーになりたかったから、布が織れるわけよ、
   服がつくれるわけよ。これやって思って。それもS(地名)にあったから、そこに行
   って始めたの。
(中略)
C:ほんで、その(さをり織り)の作品展に一人の障害者が来たのよ。それが自立して
   る障害者で。
Y:K市で自立している人?
C:O(地名)で。その人が一人暮らしを手伝ってくれるようになって。
Y:その頃って一人暮らしって考えてはったんですか?
C:中学校くらいから、学年の友だちの障害者と一緒に暮らそうかとか言ってて。
Y:親元を出てみたい、自分でやってみたいって思ってたんかな。
C:たぶんね。でも思ってたけどどうやったらいいのかとか全然わからへんかったから。
(中略)
Y:じゃあ、その自立障害者がきっかけで、ちょっとずつ考えるようになっていったと。
   それはいつくらいの時?
C:27、8くらい。それからはその人に教えてもらったり。
Y:例えばどういうことを教えてもらったんですか?
C:だから、一人暮らしをやってる障害者がおるでっていうこととか、そういう人もい
   てなかったから、わからへんかったから。
Y:じゃあ、そういう障害者の人を見たとき、目から鱗?
C:そう。それもやねんけど、その人が2回目に会ったときに、私妊娠してるねんって、
   それも7つも年下の彼やねん。それで私はびっくりして。
Y:その人でいくつくらいの人やったんですか?
C:私よりひとつ上やもん。
Y:そうか。そんなに変われへんのにって。その人の障害は?
C:私よりも軽い。介護者もほとんどいらないし。その人は今は(パートナーと)別れ
   てて、子ども二人と暮らしてる。宝石を売ってる。
Y:その人がそうやって子どももいてるって知って、目から鱗。でも27くらいやった
   ら子どもがいてんねんって言っても、そんなにえーってめちゃくちゃにびっくりす
   るってことでもないような気がするねんけど。
C:だから、妊娠してるのって言われて、障害者やから余計びっくりしたわけよ。
Y:でもその人、すごい軽度の(障害の)人なんでしょう?
C:そうやけど。
Y:やっぱりそういうのは関係ないんかな。自分で比較的何でもできてる人でも、やっ
   ぱり子どもをつくるとか、そういうふうになると、えーって感じになるんかな。
C:だから 、私と同じような年やねん。自分では全然想像できへんから。7歳も年下
   やねんで。

 「ほんで」という言葉にあるように、Cさんの方から話題を転換し、自立障害者という存在に驚いた経験についての語りを展開させている。ここでも「だから」という言葉を多用している。しかしこの事例での「だから」は事例2の「だから」とは意味が異なるように思える。これはいかにCさんにとって、この経験が衝撃であったかをアピールしていると考えられる。

Cさん事例4
C:それでまあ、そういうのを(自立生活への準備)やっていて、お父さんが死んだの
   よ、(Cさんが)29の時に。私もともとお父さんとはわりと気が合ってたから、
   お父さんももっと年取ったら、おまえと二人で本屋でもやろうかって言ってたのよ。
   お母さんとはあんまり気が合わないから。あることでもめたのよ。それがきっかけ
   でお母さんとおるのはいややと。
Y:そう思ったのは、実際に一人暮らしの準備を始めてる時?
C:前。だからやりたいなあとは思ってたんやけど、お父さんもおるし、おばあちゃん
   もおるし、まだまだいいかなって思ってたんちゃうかな。いつかは一人暮らしやり
   たいなあとは思ってたけど。
Y:それでお母さんとは一緒にいてられないって思って。
C:それから本格的に相談したりして準備してたんやけど、おばあちゃんが。
Y:おばあちゃんがやっぱり心配で心配で。
C:おばあちゃんももう87くらいやったんよ。で、まあ、おばあちゃんも面倒見られ
   へんっていうとこまできてたけど、私の面倒見るのが生き甲斐やから、私がおらん
   ようになったら、もう死ぬやろなあって思ってたし。周りもおばあちゃんが死ぬま
   待っとけって。おばあちゃん捨てるんかって言われて。おばあちゃんが元気なとき
   に面倒見させといて、みられへんようになったら捨ててまうんかって。

 Cさんは自立生活をしようと準備し始めてから3年間、家族ともめたり、またCさん自身も祖母のことを考えると家を出る踏ん切りがつかなかったと語る。

Y:で、一人暮らしを選択した。
C:そう。やっぱり待つのはおばあちゃんが死ぬのを待ってることやん。私、おばあち
   ゃんのこと恨むと思ったのよ。やっぱり出ていきたいのに出て行かれへんって思う
   わけやんか、おばあちゃんのせいで。やっぱり今まで面倒みてもらったのに、それ
   はできなかったわけよ。
Y:ほんまにおばあちゃんのこと好きやから、その選択をしたんですね。
C:でもあのまま家におったら、おばあちゃんのこと恨んでるって思うし。でもそうい
   うのはしたくなかったのよ。やっぱり自立して1年目には死んでるわけよ。
Y:おばあちゃんは、でも、本当のところはどう思ってはったんでしょうね。でも私は
   今の選択でよかったと思うんですけど。
C:私もおばあちゃんに悪いけど、それでよかったと思ってる。
Y:おばあちゃんにお世話になったけど、でもおばあちゃんのために生きてるんじゃな
   いからね。
C:だから、私がおばあちゃんを殺したことになるんやけど。だから簡単には(一人暮
   らしを)やめられないっていうのがあるよ。

 この例でも、自主的に話題転換を行っている。この話題について語っている時、Cさんは涙ぐんでいた。Cさんがどんなに現在の自立生活でつらいことがあっても、簡単に投げ出してしまうことができない要因がここにある。この経験は現在のCさんの生活に大きく影響しているのである。
 事例3、4では、Cさんの現在の自立生活の原動力ともなっている経験について語っている。その後の語りの展開が時系列にそれまでの生活の流れを語る紹介めいた内容であるのに対して、この場面での語りは今も忘れることなく鮮明にCさんの内面に刻まれている経験なのである。
 このように、現在のCさんをつくりあげた出来事、つまりCさんにとっての「意味のある」出来事については、積極的に多く語り、筆者からが聞きたかった問いについては反応が薄い場面が多数みられた。

(3)インタビュー場面におけるせめぎあいから見えてきたもの
 これまでCさんの例でみてきたように、今回のインタビューの中では、筆者からの問いかけと語り手の語りたかったこととが一致しないことがあった。また、その問いかけの中に潜在的に存在する筆者自身の自明性に気づくことは、インタビューを行った時点ではなかった。
 だが、両者のやりとりが進むにつれて、だんだんと筆者自身の抱えていた自明性を再確認させられることがあった。
 筆者が語り手に最も聞きたかったことである、語り手自身の障害観について、筆者はインタビューの最後に3名に必ず質問していた。この筆者からの質問の背景には、前述したように、障害をもつことでの否定的経験を聞きたいという目的が潜在的にあった。
 しかし語り手は全員、自身を障害者だと思っていないという語りをした。それは、健常者がもつ障害者のイメージと障害者自身の障害をもつことのリアリティとは異なるということだった。
 例えばAさんは「障害のしんどさ」について、

A:まだまだ言える時と言えへん時とあるんちゃうかな。まあ、でもあんまり、しんど
   いことも多いんやけど、障害者やからしんどいとかって、それが私には分からんの
   よな。あんまりわからん。障害者しかやったことないから。

 生まれたときから障害をもっていたAさんにとっては、障害をもっていることは当たり前のことなのだ。
 Bさんも、健常者が規定する「障害者」というイメージを現在は内面化していないことが語りの中でわかった。健常者が規定する「障害者」像を内面化していたのは、Bさんが身体障害者施設に入所していた時であり、その頃は職員との関係においては弱い立場に立たされることが多かったため、自身の障害を否定的に捉えることが多くあったという。しかし、現在の自立生活の中では障害を否定的に捉えることは特にないと語る。
 Cさんも否定的な「障害者」像に反発する。ここでCさんの語りをみよう。

Y:私が基本的にテーマにしてるのは、生活の中で自分の障害をどう思ってきたかという
   こと。今は自分の障害についてどう思います?
C:しょうがないなあ。
Y:言葉で現すとすれば。
C:健常者の方がかわいそう。障害者になる可能性があるから。
Y:こっちはもうなってるでって?Cさんだってどう?これからも重度になる可能性も
   あるわけやん?
C:でもそれはわかってるわけやん。
Y:じゃあね、自分のもってる脳性麻痺の障害が重度になるというのは予想がつくとし
   て、目が見えなくなるとか耳が聞こえなくなるとか。それって脳性麻痺が重度にな
   るというのとはちょっとずれてるじゃないですか。その点ではどうですか?
C:私らは、そういう人たちの生活を知ってるから。健常者の方が障害になった時のシ
   ョックは大きいでしょう?そういうこと。それと特権が多いよ、ナンパができるよ。
Y:何か手伝ってくださいって?
C:それも若い人でね。電話番号聞いたりとか。
Y:そうか・・・教えとかな、あの人は介護を頼みたいわけじゃないでって。
C:いろんな人と出会える。
Y:最初、学生の頃とかは健常者に近づきたいっていう時期があって、これまで聞いて
   きた生活を経て、障害を持ってる事で人とのつながりができるようになるとか。生
   きてく上でのメリットはあったって感じかな。
C:そうやね。私は友達が多いのが自慢。それは自慢できるよ。

 Cさんは「健常者の方がかわいそう」だと語り、健常者だって障害者になる可能性があるのに障害者ばかりがかわいそうだと思われることがおかしいと語っている。また障害をもつことで様々な人と出会えることを障害者の特権だと語っている。
 では、Cさんにとって障害があるということはどういうことなのか。

Y:じゃあ例えば、障害をもってる自分は好きだと思う?よくそういう言葉を聞きます
   けど、私もそうですって言えます?
C:言えない。
Y:そこまでは言えない?
C:子どもの頃とかは何で障害者に生んだんやって。でも今はこれが私やから。

 Cさんは障害をもつ自分自身を「好き」だとは言えないと語る。しかし「今はこれが私やから」と語っている。障害を肯定するわけでもなく、完全に否定するわけでもない。
 このような障害の捉え方、つまり肯定/否定の二者択一ではない障害の捉え方について、Aさんはさらに筆者に示してくれた。

Y:じゃあ、Aさんにとって、障害を肯定するってどういうことなんでしょうね?
A:肯定する・・・、否定しても、生まれてこなかった方がよかったとか思ったことない
   もん。それでええんちゃうかなって思うけどな。だってそんな悲しいことばっかり
   ちゃうやん、人生って。いろんな人がいてて、その中で障害の重たさとかあっても
   ええんちゃうかなって思うけど。全然ないのは嘘やわな。
Y:じゃあ、きっと肯定するっていうのは、障害を嫌やなあって思ってる自分のことも
   認めるってことなんでしょうかね。結局自分自身をそのまま受け止めるってことな
   んでしょうか。
A:そう私は思ってるねんけどな。いつもプラスやて思ってる人もないんとちゃうの?
(中略) 
A:(障害を肯定したいと)言えない人がおるから、言う人がおるんちゃうの?どっちも
   どっちで価値観あるんちゃうの?私はそう思ってんねんけどな。まあどっちがええか
   悪いかでいうと、私は、肯定した方がええと思うけど。価値観が上か下かとか、そこ
   までは私、思えへんから。私は好きやと思ってるから、だから私も肯定したいなとは
   思ってるけどさ。そこは好き嫌いで判断したらええんちゃうの?物事って必ず2つの
   見方があると思うから。

 障害の肯定/否定ということについて繰り返し問う筆者に対して、Aさんは「みんなほとんど障害を肯定できてないわ。私だってほとんど肯定できてないわ」と即答した。しかしその後、Aさんは障害を否定しても、自分自身、そして自分の生命を全否定することはないし、それでいいのではないかと語る。まったく障害を否定しないというのは「嘘」だが、いろいろな人−障害をもつ人、もたない人、障害の重い人、軽い人がいてもいいのではないかと語る。
 Aさんは障害を否定することが悪くて、肯定することがいいことだという価値づけをしない。Aさんにとっての障害の価値観は、「好き嫌い」で左右されるものである。好きな時もあるし、嫌いな時もある。そのような考え方がAさんの「障害と付き合う方法」なのであると考えられる。

(4)聞き手の自明性の再確認
 これまで述べてきたように、筆者からの問いかけの中には、明らかに筆者が抱えてきた障害についての自明性が存在する。本節のまとめとして、その自明性を再確認してみよう。
 筆者からの問いかけには、常に障害をもつことでの「否定的側面」を聞き出したいという意図がうかがえる。リハビリテーションや親との関係についての語りでは、常に障害の否定的側面を聞き出そうと努め、そこでBさんとのインタビューのように実際に否定的に扱われたことや差別を受けた体験についての語りが得られれば満足していた。また逆に筆者の求めていた語りが得られない場合は、また繰り返しそのことを聞き出そうと、改めて質問を行っていた。聞きたかった語りを聞き出すために、筆者は様々な方法を駆使していることが事例から読み取れる。例えば、「例えばこんな人もいますが・・・」という具体例を示し、あなたはどうでしたか?と問いかけている。
 また、筆者は障害者役割についての既知を確認、強調している。筆者はゴッフマンやスコットの研究から障害者役割についての知識を得た(19)。これらの研究では、障害者が健常者から付与される役割期待、及び障害者と健常者との対面する場面における気づまりについて考察が行われており、そこではスティグマをもつ社会的弱者としての障害者のイメージが前提としてある。これらの先行知識が筆者の問いかけに影響していたのである。
 そして障害についての価値について問うた時、筆者は執拗に障害の肯定/否定にこだわった質問をした。これまで筆者は、障害を肯定することの大切さについて述べた障害者の手記や書物に影響を受けていた(20)。それらの文献では、これまで否定的に捉えていた障害を少しずつ肯定していく過程について述べられている。筆者は障害があることで否定的に捉える必要はないと感じ、そこから脱却していくために社会が変革していくこと、そして障害者自身が自分に自信をもつことが必要なのだと感じていた。
 また一方で筆者は、簡単に「障害のことなど何も気にしたこともない」という語りには物足りなさを感じていたことも事実であった。
 はっきり述べてしまうと、筆者は語り手に対し、ある種の劇的なサクセスストーリーを期待していたのだ。子どもの頃は障害を否定してきたが、様々な経験の中から少しずつ否定的な障害観を脱却していったというサクセスストーリーである。そして障害を肯定しつつも、やはり否定的な障害者像から脱却できない「もがき」も語り手の語りに期待していたのではないか。筆者がそのような語り手の生活のドラマ性を期待していたことが、今回のインタビューの再検討からはっきりしてきた。
 しかしこのような筆者のもつ障害者のサクセスストーリーへの期待も、障害を否定的に捉えるような障害者役割と同様に、障害者のリアリティとは異なる側面が多くあることが理解できる。そのことは本節の第3項で述べた障害観をめぐっての語りの中ではっきりした。
 確かに今回のインタビューにおいて、障害をめぐっての彼女たちの葛藤があった。しかし、その葛藤を考えていく上で、筆者と彼女たちの間では価値を構成する枠組みが異なっていることが分かる。AさんやCさんにとっては、障害の肯定/否定という価値観は絶対視されるものではなかった。むしろ、この価値観を絶対化していたのは筆者の方であった。AさんやCさんがにとっては、筆者がもっていたような肯定/否定という絶対的な二分法は存在せず、相対的な「好き嫌い」という判断で障害を捉えているため、かなり柔軟的なのである。
 このような障害のアイデンティティをめぐっては、石川准が深く考察している。石川は一つの価値だけにそって生きていくのではなく、「どちらかひとつだけを選ばなければならないという図式があるとすればそれこそが問題なのだ」(21)と述べている。
 このように、障害のアイデンティティをめぐっては、考える枠組みそのものが、健常者である筆者と語り手との間には大きな隔たりがあり、改めてその違いが今回の再検討で明確になった。そうなると、このような枠組みにそって障害者を捉えていこうという健常者の障害者観、そしてどのような過程を経てこのような障害者観が筆者の中で生成されていったのかということについては、さらに考察を深めていく必要があるだろう。その点については今後の研究課題としたい。

4.おわりに

 まずは、まとめとして、このインタビューの中で形成された関係性を整理してみよう。このインタビューでは、まずは親密さの度合いが語りの展開に影響を及ぼしている。Bさんとはそれまでの付き合いがあったために、ある程度Bさんの生活歴を理解していたということがあった。また年齢の違いも重要な要素だ。20歳ほど年齢の違う筆者に対し、語る内容は同年代のそれとは異なるだろう。人生の先輩として語るということもある。
 障害の有無ということも非常に大きな要素である。これには二つの側面があった。一つは介助−被介助という介助をめぐる障害者と健常者の関係が語りを左右していたということ。もう一つは障害者のことは障害者が一番よく分かっているということから、健常者である筆者に「教えてあげよう」とする関係である。
 このような関係性を形成しながら、今回の語りは展開されていった。その中でも、特に障害者と健常者という関係が語りの展開に大きな影響を与えていた。今回の調査の再検討では、語り手のもつ価値観と聞き手である筆者の間にある障害観の違いを描き出し、その違いがインタビュー場面における相互作用に大きく影響を及ぼしていることを示した。
 そしてその違いがはっきりとすることで、聞き手である筆者の自明性が可視化した。筆者の発した問いかけから、筆者の障害観、また筆者がどんなことにこだわっていたのかということがはっきりしたのである。
 ライフヒストリーインタビューは両者の相互作用によって生成されるものである。語り手が自らのことを語ることで、これまでの自分を振り返り、過去の経験を再構成していく。そしてその語りにふれることで聞き手も変化していく。それまでの聞き手の固定した自明性が、インタビューの対面関係において暴き出され、はっきりと可視化したのである。またもちろん、この自明性の可視化は聞き手だけに限られたものではなく、語り手にとっても同様の効果があるだろう。それはライフヒストリーインタビューにおける対話とは、それまでもっていた価値観が他者の語りにふれることで相対化されていく営みであるということである。つまり質的調査におけるインタビュー場面は、語り手の生活の有り様や主観が理解できると同時に、その場に関わる聞き手・語り手自身の自明性が再確認できる場でもあるということだ。
 そして聞き手の自明性がはっきりした以上、好井が指摘したように、その自明性を視野にいれたインタビュー分析が必要である。そうでないと、聞き手の自明性から離れた語りは分析の際になきものとされてしまうことも考えられるからだ。
 生活史研究の古典である『生活記録の社会学』の中でケン・プラマーは、「対象者に期待されているのは、質問票が与える問いかけに対して単純に反応するということより、むしろ対象者の側が主導権を取るということである」(22)と述べている。あくまでも語り手が主体であり、そこから初めて語り手個人の生活世界にアクセスできる。そしてそこから新しい発見が見いだされるのである。この点からも聞き手自身の枠組みには非常に自覚的であることが求められる。
 また自らの調査過程を反省的に再考することも非常に重要だろう。語りの内容が聞き手と語り手の関係に依存している以上、その過程の考察を軽視することはできない。聞き手・調査者である「わたし」とは何者なのかということを問うことこそが、「語りの政治」を考察するうえで重要なことなのだ。
 

(1)山下幸子「障害者と健常者の関係から見えてくるもの−障害者役割についての考察から−」『社会問題研究』第50巻第1号、2000年。
(2)小林多寿子「〈親密さ〉と〈深さ〉−コミュニケーション論からみたライフヒストリー−」『社会学評論』第42巻第4号、1992年。
(3)桜井厚「語りたいことと聞きたいことの間で」好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房、2000年。
(4)桜井厚「生が語られるとき−ライフヒストリーを読み解くために」中野卓・桜井厚編『ライフヒストリーの社会学』弘文堂、1995年、228頁。
(5)前掲〔小林、1992年〕
(6)L. L. Langness , Gelya Frank "Lives : an anthropological approach to biography" , Chandler & Sharp Publishers, Inc. , 1981.(=米山俊直・小林多寿子訳『ライフヒストリー研究入門』ミネルヴァ書房、1993年、52〜53頁。)
(7)佐藤郁哉『フィールドワーク−書を持って街へ出よう」新曜社、1992年、145頁。またオーバーラポールについては、先にあげたラングネスとフランクも調査の留意点としてあげている。
(8)桜井厚「ライフヒストリー・インタビューにおけるジェンダー」谷富夫編『ライフヒストリーを学ぶ人のために』世界思想社、1996年。
(9)前掲〔桜井、1996年〕226頁。
(10)同前。
(11)福岡安則『聞き取りの技法−〈社会学する〉ことへの招待』創土社、2000年、34頁。
(12)同前。
(13)好井裕明「『啓発する言語構築』から『例証するフィールドワーク』へ」好井裕明・桜井厚編『フィールドワークの経験』せりか書房、2000年。
(14)前掲〔好井、2000年〕157頁。
(15)同前。
(16)Dan Bar-On "Ethical Issues in Biographical Interviews and Analysis" Ruthellen Josselson (eds) "Ethics and Process in The Narrative Study of Lives" Sage Publications, Inc. 1996.
(17)PTとは、physical therapyの略で、理学療法のことである。OTとはoccupational therapyの略で作業療法のこと、STはspeech therapyの略で言語療法のことである。
(18)ADLとはActivity of Daily Livingの略であり、日常生活動作と訳される。
(19)Erving Goffman, "Stigma : Notes on the Management of Spoiled Identity", Prentice - Hall, Inc., 1963. (=石黒毅訳『スティグマの社会学−烙印を押されたアイデンティティ−』せりか書房、1970年)や、Robert A. Scott, "The Making of Blind Men : A Study of Adult Socialization", Russell Sage Foundation, 1969.(=三橋修監訳解説・金治憲訳『盲人はつくられる−大人の社会化の一研究−』東信堂、1992年)を参考にしていた。
(20)障害者自らがこれまでの生活をつづった文献は様々あるが、筆者が読み、影響を受けていた文献は次のものである。安積遊歩『癒しのセクシートリップ−わたしは車イスの私が好き!』太郎次郎社、1993年。安積遊歩『車イスからの宣戦布告−私がしあわせであるために私は政治的になる−』太郎次郎社、1999年。樋口恵子『エンジョイ自立生活−障害を最高の恵みとして−』現代書館、1998年。安積遊歩・野上温子編『ピア・カウンセリングという名の戦略』青英舎、1999年。
(21)石川准「平等派でもなく差異派でもなく」倉本智明・長瀬修編『障害学を語る』エンパワメント研究所、2000年、41頁。また障害者のアイデンティティの政治については、この論考の他にも、石川准『アイデンティティ・ゲーム−存在証明の社会学−』新評論、1992年。石川准「障害、テクノロジー、アイデンティティ」石川准・長瀬修編著『障害学への招待』明石書店、1999年、などがある。
(22)Ken Plummer, "Documents of Life" London : George Allen & Unwin, 1983 (=原田勝弘・川合隆男・下田平裕身監訳『生活記録の社会学−方法としての生活史研究案内−』光生館、1991年、140〜141頁。)

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