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作成:森岡正博 
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論文

 

The Review of Life Studies Vol.1 (October 2011):13-28

「草食系男子」の現象学的考察

森岡正博*

 

 

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1 「草食系男子」という言葉の誕生

 

「草食系男子(草食男子)」という言葉は、2008年から2009年にかけて流行語となった。新聞、テレビ、雑誌、インターネットなどでさかんに取り上げられ、人々の日常会話にもたびたび登場した。流行語になるにつれ、当初の意味合いは多様化していき、人々は様々に異なった意味を付与しはじめた。200912月に、「新語流行語大賞」(ユーキャン主催)のトップ10のひとつとして「草食男子」が選ばれた。2010年になるとこの言葉は普通名詞化し、2011年現在、人々はこの言葉にさほど興味を示していない。流行語の生命は短いから、そのうちに廃れていく可能性も高い。しかし、この言葉の登場によって、若い男性を見る人々の目が一変したことは事実である。日本の男性史におけるエポックメイキングな出来事であったと言えるだろう。

「草食系男子」という言葉が流行語になったのは、その言葉に対応する現実の「男性」たちが日本社会に存在していたからである。人々は、「女性化」し「男らしさ」を失ったように見える若い男性たちが増えていることを以前から感じ取っていた。その兆候は、20世紀の終わり頃に、髪を茶色にカラリングし、指にファッションリングをはめ、耳にピアスをするおしゃれな若い男性たちが登場した頃から存在した。当時、私は大阪府立大学に移ってきたばかりであったが、新入生を講義室の壇上から見下ろしたときに、男性も女性もそのほとんどが茶髪だったときの驚きを覚えている。よく観察してみると、ピアスをしている男子学生もいた。しかしいまからすれば懐かしい話である。現在のキャンパスには、髪を金色に染めてロングスカートを履いてくる男子学生がいる。先日、授業のあとで質問に来た男子学生のひとりは、サラサラの黒い前髪を女子高生のように赤い大きなヘアピンで止めていた。このように、まるで女性のようにファッションに敏感であり、筋肉があまり目立たず、どことなく暴力性の薄いタイプの若い男性たちが多くなったという感触を、人々は21世紀に入って抱きはじめていたのである。

このような時代の雰囲気を敏感に察知したマンガ作品に、菅野文の『オトメン(乙男)』がある。これは、外見は運動万能で男らしいのであるが、その内面はかわいいものが好きで少女的な感性を持つ男性を主人公としたもので、2006年から雑誌連載(『別冊 花とゆめ』)が開始された。「オトメン」とは、「オトメ(乙女)」と「メン(男)」の合成語である。男性に現われたジェンダーの揺らぎをテーマにしたマンガであり、評判を呼んだ。そしてこの2006年に、「草食男子」という言葉も登場したのである。ライターの深澤真紀は『U35男子マーケティング図鑑』というウェブマガジンに、「草食男子」というタイトルのエッセイを発表した。深澤はそのエッセイで、「恋愛やセックスに「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない、「肉」欲に淡々とした「草食男子」」が若い世代に増えてきていると指摘した[1]。彼らは若い女性と夜に同じ部屋に泊まったとしても、とくに何もせずに一緒に雑魚寝をして帰ってくると深澤は述べる。年上の世代からすれば、このような男性たちの存在は理解を超えている。男ならばチャンスがあれば女を襲うはずだ、という年長者の「常識」からすれば、まったく「男性」のカテゴリに入るはずのない若者が増えてきたというのである。深澤はまた「「草食男子」はそこそこもてるので、恋愛経験もセックス経験もあります」とも述べている。それにもかかわらず、恋愛やセックスに積極的でないのが草食系男子の特徴なのだというのである。この点については、あとでコメントすることにしたい。いずれにせよ、「草食男子」という言葉の誕生は2006年である。「草食」というのは「草食動物」から取られたものであり、肉食動物のように(女性を)襲うことがない、女性にとって安全な男性というニュアンスがあったと考えられる。

深澤の提唱した「草食男子」という新語は、しかしながら2006年の時点ではまったく人々の意識を捉えなかった。この言葉に対する社会的反響はほとんどなかったのである。草食男子に一躍注目が集まったのは、2008年のことだ。その年の女性誌『non-no5月号が、「出会い「4月革命」に勝利せよ! 男子の「草食化」でモテ基準が変わった!」という大特集を組んだ。この有名雑誌の特集によって、「草食男子」という言葉は世間に知れ渡るようになった。日本の草食男子・草食系男子について研究しようと思うものは、まずはこの雑誌の特集を詳しく調査しなくてはならない。その後の草食系男子についての言説の基本形の多くが、ここに述べられているからである。

この特集が登場するまでの日本の女性誌の恋愛特集のパラダイムは、いかにすれば男から「愛される女」になれるかを研究する、というものであった。愛される女になるためには、男心を刺激するようなかわいい服やセクシーな服を着て、上手に男に甘え、男の保護感情に訴え、自分の狙った男に自分を襲うように仕向ける駆け引きをするべきだと説かれていた。その作戦が通用する前提として、「男は隙あらば女を襲おうと狙っている」という観念があったわけなのだが、いまやその前提が崩れ始めているとこの特集は言うのである。これまでは女が隙を見せれば、男は自動的に女に迫ってきてくれたのだが、若い男性の草食化が始まって、彼らが恋愛やセックスに積極的でなくなったおかげで、女がいくら隙を見せても、男がぜんぜん迫ってきてくれないという状況が生まれ始めたのである。

そのような状況の変化に敏感に気づき、草食化した若い男性を捕まえるためにはどうしたらいいかを女性読者に向けて提言したのがその特集だったのである。その内容を具体的に見てみよう。まず、草食男子との恋愛の長所と短所について、次のように述べられている。長所としては、(1)草食男子はセックスの優先順位が低いから女性は体目的で遊ばれることがない、(2)女性には居心地のよさやおもしろさなどの人間性を求める、(3)恋愛においては安定した関係を求める。短所としては、(1)恋愛関係の進展が遅い、(2)相手の女性を選ぶときの判断基準がわかりにくい、(3)ドラマチックな恋愛は期待できない。これを見ても分かるように、いままで女性誌が想定していたような恋愛やセックスに積極的な男性像(のちにこれは「肉食系男子」と呼ばれることになる)からはほど遠い。

そのうえでこの特集は、草食男子とつき合うための三か条というものを提唱している。それは、(1)草食男子には男としての能動性がないから女性のほうから恋愛をリードしなくてはならない、(2)過剰な駆け引きや恋愛テクニックは禁物、そのかわりにわかりやすい好意を示してあげること、(3)草食男子は中身のある女性が好きだから女性は人間性を高めるべし、という三か条である。

いまから振り返ってみれば、この特集における分析はきわめて鋭かったと思われる。後に述べる私の2冊目の本で実際に若い草食系男子にインタビュー調査を行なったが、そこで彼らが主張したこととかなりの点で一致するからである。この雑誌特集には、草食男子の提唱者である深澤も関与している。おそらく深澤と雑誌の女性スタッフたちが談論風発しながら身近の草食男子の生態を分析し、彼らの姿をあぶり出していったのだろう。草食男子が流行語になってから、私も数多くの女性誌からインタビューを受け、また実際に誌面作りに協力した。その多くの場面で、女性誌の女性編集者と、文章を作成する女性ライターと、情報提供者が雑談を交わしながら記事を作り上げていくプロセスを経験した。そのときの印象から言えば、当時30代であった女性の雑誌作成者たちの日常感覚や経験談に基づいて上記の特集が作り出されていったのではないかと私は推測する。大手メディアが草食男子について報道を行なうようになる前の段階で、いくつかの女性誌・ファッション誌がこの言葉を大きく取り上げた。2008年冬までの段階で、草食男子というイメージの原型は女性誌を中心として練り上げられていったと考えられる。

 

2 『草食系男子の恋愛学』とその後

 

と同時に、草食系男子という言葉の流行は、ここにもうひとつの水流が合流することによって開始されるのである。それは、20087月に刊行された私の書物『草食系男子の恋愛学』である。これは「草食系男子」という言葉をはじめてタイトルに用いた本であり、刊行後に『読売新聞』読書欄で取り上げられ、それをきっかけとして雑誌やテレビでたびたび紹介されることになった。『草食系男子の恋愛学』で「草食系男子」という言葉が提唱されたと誤解する人たちもいるが、この本は、深澤や『non-no』の草食男子の提唱を受けて書かれたものではない。この本は、恋愛に奥手で、優しい心を持った若い男性たちに恋愛の手ほどきをするという内容で、2007年に原稿執筆されたものである。そして20084月頃に本のタイトルを決めるときに、担当編集者が『non-no』の特集を参考にして「草食系男子」という言葉を提案したのである。私は当時、「草食系男子」という言葉を知らなかった。このときに担当編集者は、雑誌特集で使われていた「草食男子」ではなく、「系」を追加した「草食系男子」という言葉を使った。その時点では、とくに深い意味はなかっただろうと思われる。(なお深澤はその後一貫して「草食男子」を使い、私は「草食系男子」を使い続けている)。担当編集者の意見が採用されて、本のタイトルが「草食系男子の恋愛学」になったので、私は本の「あとがき」で「草食系男子」の自分なりの説明をした。この本は「草食系男子」というタイトルを持っていながら、「草食系男子」という言葉が出てくるのは「あとがき」一回のみである。本文中では、恋愛に悩んでいる「優しい男性たち」という表現をもっぱら使っている。私にとっては、草食系男子というのは、外見やファッションの問題ではなく、内面の心の問題だったのである。

そして担当編集者のアイデアで、本の表紙の絵を、若手の人気漫画家である浅野いにお氏に描いてもらうことになった。浅野氏の描いてくれた表紙には、黒縁の眼鏡をかけ、横縞のシャツを羽織った、どことなくシャイなやせ形の男の子が弱々しそうに立っていた。このイラストが、実は、その後の草食系男子のイメージを大きく決定することになる。雑誌やテレビで草食系男子のイメージが登場するとき、彼らはきまって超スレンダーであり、黒縁眼鏡をかけて、横縞のシャツを着ていた。このイラストの男子はけっしておしゃれだとは思えないが、「草食系男子とはこのような見かけをした男子のこと」という印象を多くの人たちに与えたように思われる。

だがそれは、この本の内容からすれば、いささかミスリーディングなメッセージであったと言える。なぜなら、私はこの本で、恋愛に奥手な心の優しい若い男性たちに向かって、恋愛にとっていちばん大事なのは見かけではなくて、優しい心をベースにした関係性の作り方であると主張していたからである。若い男性たちは男性メディアに浸っているから、女性と恋愛するためには「男らしくマッチョで」なくてはならないと信じていることが多いが、それは実は誤解であって、「男らしくマッチョで」なくても女性と恋愛をすることはできるし、むしろマッチョな姿勢を捨てて、優しい関係性をていねいに作っていくことのほうを好む女性も多い、ということを私は説いたのであった。

そのように「男らしさ」の呪縛から逃れて恋愛をするための指南書として、『草食系男子の恋愛学』は書かれた。この本で言われている「草食系」とは、女性と優しい関係をつむいでいく心のあり方のことであり、けっして、フェミニンでおしゃれな外見の男性のことではなかった。また、私が想定していた読者は、恋愛に奥手の若い男性であり、心が優しいがゆえに積極的に女性にアプローチできない男性であった。この点に関しては、私の抱いていた「草食系男子」のイメージは、深澤の抱いていたイメージとは、正反対だったのである。深澤は、そこそこモテて恋愛経験もセックス経験もある男性をイメージしていたが、私はかならずしもそうではなかったのだ。「草食系男子」「草食男子」という言葉が流行になる直前から、この言葉は互いに正反対の意味内容をはらんでいたということになる。

2008年から2009年にかけて、「草食系男子」という言葉はマスメディアでさかんに取り上げられ、その言葉の意味も拡張した。深澤や私は、セックスや恋愛に積極的ではない若い男子という意味を込めて使っていたのだが、まずそれが若い男性の外見を指す言葉として流通していった。やせ形で眼鏡をかけていて、フェミニンなテイストのおしゃれをする若い男性という意味が付加されていったのである。冒頭で述べたような、若い女性と同じくらい容姿に気を配り、おしゃれに時間を使い、女性たちが使っていたのと同じような用品(指輪、ピアス、髪のカラリング、髪留め、あぶらとり紙など)を活用する男性たちのことである。さらに、それに加えて、「男の風上にもおけない軟弱な男」という蔑視の意味もこめられるようになった。テレビで年長の男性たちが、最近の若い男性たちは草食化が進んで、何事に対しても積極性を持たなくなった、これでは日本経済の将来が心配だ、というふうにコメントするようになったのである。テレビでは、タレント女性や一般女性を登場させて、草食系男子を揶揄するミニドラマなどが何度か放映された。「やっぱり男性は積極的じゃないと魅力がない」と女性に言わせるシーンが多く流された。草食系男子を異性としてどう思うかについては、いろいろな意見がメディアで乱れ飛んだ。女性誌の記事には、草食系男子に対して好意的な女性の意見と、否定的な女性の意見の双方が掲載された。私の本を読んだ女性読者からの反応を見ていると、意外なほど、草食系男子に対する好意的な意見が多く存在した。すぐに身体を求めてくる男性はイヤ、押しの強い男性は怖い、恋愛をゆっくり進められるのが良い、DVになりにくそう、などの意見が多かった。

このように「草食系男子」という言葉の意味がどんどん拡大して混乱していったのを見て、私は2009年に、『最後の恋は草食系男子が持ってくる』を刊行して、「草食系男子」の概念を再定義した。私は、「草食系男子」が、男性の外見のことを指すのではなくて、内面の心のことを指すのだということを再度強調した。そして次のような定義を与えた。「草食系男子とは、心が優しく、男らしさに縛られておらず、恋愛にガツガツせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子のこと」[2]。であるから、外見がいかつい大柄な筋肉隆々の男性であっても、彼がこのような内面性を持っているならば、彼は草食系男子であることになる。いくら細身でフェミニンなおしゃれをしていたとしても、彼がこのような内面性を持っていないのなら、彼は草食系男子とは言えない。

 

表1 草食系男子の特徴[3]

心が優しい

弱い立場の人の身になって考えたり、傷ついた生き物を守ってあげたいと思う。つねに対話をして、お互いの気持ちを確かめ合いながら、人間関係を作っていきたいと思う。

男らしさに縛られていない

戦うことができ、頼もしく、女性をぐいぐいと引っ張っていくような男らしさを、あまり持ち合わせていない。

恋愛にガツガツしない

女友達とのいい関係を性的欲望で崩さない。時間をかけて恋愛を作り上げていきたいと思う。

対等な女性観

女性を、女として見る前に、ひとりの人間として見ることが自然にできる。

傷つきが嫌い

恋愛において自分が傷つくことや、自分の行為によって女性が傷つくことが苦手。自分や相手を傷つけたくないから恋愛に積極的になれないこともある。

 

しかし当然のことながら、男性を「草食系」か「肉食系」かに二分できるわけはない。たとえば、恋愛に対して「奥手」なのか、「経験豊富」なのかという視点も重要である。また、内面の心の奥底が草食系なのか、それとも外側に現われた行動パターンが草食系なのか、という点も分けて考えたほうが良さそうである。というわけで、これらを掛け合わせて8通りの分類をして、それぞれの

 

表2 草食系男子の恋愛の特徴

男性の恋愛の特徴と、女性側からそれらの男性にアプローチするときの方法を一覧表にしたものが、前頁の表2である[4]

もちろん若い男性たちをこの8つに分類するのも無理があることは承知しているが、単に草食系か肉食系かの二分法で考えるよりは、まだ使い勝手の良い枠組みであろうと思われる。

私は、実際の草食系の若い男性4名に長時間のインタビューをして、彼らがどのようなことを考えているのかを詳しく知ることができた。特徴的だったことをいくつか紹介すると、まず、彼らは恋愛において女性の外見にさほど大きな優先順位を置いていないということである。もちろん、かわいい女性や美人に心惹かれるのは普通の男性と同じであるが、しかしそれが恋愛感情の決め手にはならないとはっきり自覚している。この点は、インタビューした4名すべてにおいて当てはまった。また、「女性っぽい」おしゃれをしている女性は、苦手であるということだ。その理由として、女性性を過度に演出している女性と向き合うと、自分にもそれに対応する「男らしさ」が求められているのではないかと思ってしまう、という点が挙げられた。また、好きな女性といい関係が作れているときに、どうしてそれに加えてセックスの関係になる必要があるのかと思ってしまう、という意見もあった。女性からあからさまに誘惑されると「怖い」と感じる、という意見も出た。「誘惑」に関して彼らに共通していたのは、女性からいきなり身体を触られたり、誘われたりすると気持ちが萎えるということである。なぜかと言えば、自分がどうして誘惑されているのかを理解できないままに事態が進んでいくからである。もし女性のほうから誘惑するならば、まず男性に対して好意を持っているということを言葉できちんと話してから、徐々に親密なコミュニケーションを取っていってほしいとのことである。彼らは、まずは心から親しくなりたいのである。肉体的な接触は、心のコミュニケーションをゆっくりと紡ぎ上げたのちに、自然な形で行ないたいというわけなのだ。これまでの男性文化においては、女性が少々抵抗したとしても押しの一手で迫ることこそが男のやり方だ、という観念があった。女性は最初は嫌がるかもしれないが、それは単なるポーズであって、いずれ男を受け入れていくものだ、というのである。草食系男子は、このような「男らしさ」を敏感に拒否している。

また、彼らのなかには、恋愛に奥手で女性とのつきあいの経験が少ない者もいたが、その逆に女性との経験が豊富な者もいた。恋愛経験が豊富な草食系男子は、すでに女性に対しての幻想が覚めているため、「どうしても恋愛しなければならない」という気持ちになかなかなれないとのことであった。結婚に関しても、結婚願望の強い草食系男子もいたが、結婚にあまりこだわっていない草食系男子もいた。このあたりは、草食系男子にも多様性があるということだろう。

草食系男子と呼ばれる若い男性が実在することは証明されたが、実際に、日本の若い男性のうちのどのくらいの割合が草食系男子なのだろうか。それを明らかにする実証的な調査は行なわれていない。ウェブや雑誌で、簡単なアンケート調査などが何度か行なわれたが、それらは学問的に意味のあるものではなかったので、結果に信頼性はおけない。そもそも、「草食系男子」とは何かについてのコンセンサスが社会的に存在しない時点で、「あなたは草食系男子ですか」というようなアンケートを行なったとしても、何の意味もないであろう。しかしそれらのなかで、もっとも興味を惹かれるものとして、M1F1総研が20092月に首都圏の20〜34歳の男性1000人を対象にして、インターネットで行なった調査がある(Topic Vol.19 March 2009)[5]。まず、20〜34歳の男性のうち、60.5%が自分のことを草食系男子であると答えている。さきほども指摘したように、草食系男子の意味が固定していない時期の回答であるから、これを信用することはできない。しかし次の回答は注目に値する。すなわち、62.8%が「恋愛に積極的ではない」と答え、46.7%が「異性と仲良くなるために多くのお金を使うのは馬鹿げている」と答えているのである。つまり、すでに若い男性の半数以上が恋愛に積極的ではなく、半分弱が恋愛にお金を使うことを馬鹿げていると考えているのである。恋愛やセックスに積極的でない若い男性が多くなっているという深澤の見解は、これによってある程度裏付けられるように思われる。

では、国際的に見たときにはどうだろうか。草食系男子という概念が日本で登場したばかりであるから、日本以外の国々で、草食系男子がどのくらい存在するのかについてはまったく分からない。ただ、草食系男子について、世界のマスメディアが興味を示していることは指摘しておきたい。まず、中華人民共和国の新華社通信は、早くも2008年12月1日のウェブサイトで、日本の草食系男子について報じている。その記事には、細身で黒縁眼鏡をかけたファッショナブルな若い男性が、野菜とパンを食べているというシチュエーションの写真が大きく掲載されている[6]。英語で配信されたもっとも早い記事は、ジャパンタイムズの2009510日の記事である[7]。米国のCNNは、200968日に、「セックスやお金にあまり興味を示さない日本の草食系男子」という記事を配信し、テレビニュースも放映した。CNNのウェブサイトには、ユニセックスな雰囲気の若い男性が、鏡を見ながらリップクリームを塗っている写真が掲載されている[8]。英語の新聞には他にも複数の記事が掲載された。このほかにも、フランス語[9]やスペイン語[10]の新聞でも報道がなされた。ウェブサイトで「herbivore men」という単語を検索すると、大量のサイトがヒットする。私の『草食系男子の恋愛学』は、2010年に台湾で繁体字中国語訳が刊行され、現在、中華人民共和国本土から簡体字中国語訳が刊行準備中である。もし今後、草食系男子という概念が国際的に広がっていけば、この現象についての国際比較も可能になるだろう。

それでは、日本において草食系男子の数はほんとうに増えてきているのだろうか。これについても実証的なデータはまったくない。草食系男子という概念が登場したのが2006年なのだから、それ以前のデータを集めようがないのである。だが、草食系男子を、「凶暴性が失われてきた男子」というふうに解釈するとしたら、非常に興味深いデータがある。次頁の図1は、行動生態学の長谷川真理子が作成した図表[11]をもとに私が作成したものである。これは日本における100万人当たりの男性の殺人検挙者数を、年齢別に集計したものだ。戦後すぐの1955年の曲線と、2000年の曲線が示されている。

このグラフを見ると、二つのことが分かる。ひとつは、1955年から2000年の45年間に、日本人男性の殺人検挙数が圧倒的に減っているということである。とくに20代前半の男性の殺人数が極端に減っている(殺人検挙数はほぼ殺人数に比例すると考えられる)。この45年間に約10分の1にまで減少したのである。この図には示していないが、1955年から2000年までの各年のデータを見ると、この減少が連続的に起きていることが分かる。もうひとつは、2000年においてもっとも殺人をしているのは20代男性ではなく、30代男性であるということだ。このように、日本では、「20代男性がもっとも多くの殺人を犯す」という特徴が消滅してしまった。長谷川によれば、これは世界でも日本だけの特徴だとのことである。

すなわち、ここから言えるのは、日本の20代男性の凶暴性は、戦後から一貫して減少して、現在では30代よりも少なくなってしまったということである。男性の草食化を、男性の凶暴性の減少と解釈するならば、男性の草食化の傾向を裏付ける傍証が得られたことになる。ここからさらに興味深いことが明らかになる。

 

この図によれば、若い男性の凶暴性の減少は、戦後から少しずつ始まっている。それが21世紀に入って誰の目にも明らかなほど進行したのである。若い男性の草食化がいつからはじまったかについて、これまで諸説があった。1980年代以降の女性の社会進出にともなって男性の力が減少したのだとする考え方や、1990年代の経済的不況の時期に男性の草食化が始まったとする考え方があった。もちろんそれらの要因もあるかと思われるが、この図が示唆しているのはそれとは別のこと、すなわち、若い男性の草食化は第二次大戦終結とともに始まって現在までコンスタントに続いてきたということである。これは何を意味するのだろうか。

第二次大戦が終結した1945年から2011年までのあいだの66年間、日本は自国においても他国においても戦闘行為に直接参加しなかった。日本は平和憲法のもと再出発し、戦闘行為への直接介入を放棄したのである。その結果、日本は66年間の平和を享受することができた。日本の軍隊(自衛隊)は、戦後一度も戦闘行為を行なっていない。これは驚くべきことである。なぜなら、現在の自衛隊の兵士たちのなかに、戦場で自衛隊員として戦闘行為を経験した者がひとりもいないということだからである。それだけではなく、日本社会を支える65歳未満の人々も、そのほとんどすべてが戦争をした経験を持たない。そのような社会で、何が起きたであろうか。まず、日本社会から、「男性ならば兵士にならないといけない」という社会規範が消滅した。戦時中ならば、「男たる者は、立派な兵士になってお国のために死に行く準備をするのが当たり前」という社会規範が濃厚にあった。戦後の長期間の平和によって、そのような規範は社会から消滅した。兵士とは、戦場において敵兵を殺戮するのが使命である。平和な社会では、男性がそのような使命を規範として担わなくてもよくなる。男性は、「兵士にならないといけない」という規範から解放され、徐々に凶暴性を失い始める。そのプロセスが戦後66年間を通じて蓄積されていった。その結果として、21世紀の若い男性たちはこの規範から解放されたのである。

すなわち、日本の若い男性の草食化は、日本の戦後66年間の平和の副産物だったのである。日本で自衛隊に入隊する男性は、特殊な若者だと思われている。あまり人気がないので、入隊志願者を募るために、街中にリクルートセンターがある。自衛隊員であるからと言って、とくに人々から尊敬のまなざしを集めることもない。蔑視されてもいないが、とくに尊敬されてもいない、そういう職業のひとつである。これは韓国とはまったく異なる点であろう。韓国は休戦状態であり、徴兵制が敷かれている。韓国は日本とは異なって、男性に「兵士たれ」という社会規範が重くのしかかっている社会ではないかと私は推測する。韓国の目から見れば、「兵士たれ」とい規範を失った日本社会で開花した「草食系男子」という存在は、どのように映るのであろうか。日本に住む者としてたいへん興味深い点である。

いずれにせよ、草食系男子の出現が、日本の戦後の平和の副産物だとしたら、それは歓迎すべきことであると私は思う。戦争が起きないことほど貴重なものはない。現代日本の若者で、人殺しの訓練を受けている者はほとんどいないし、戦場で戦闘をした経験のある者もいない。彼らの多くは、目の前の人間を殺してみろと言われても、どうやって殺せばいいかまったく分からないであろう。もちろん日本にも殺人やレイプなどの凶悪犯罪は多いが、他国と比べれば少ない方であると言われる。その原因のひとつは、日本が66年間にわたって戦争に直接荷担しなかったことと、日本の国土が戦闘状態になかったことにあると私には思われる。ただし日本の戦後の平和は、日米安保条約による米国の軍事力の庇護があったから達成できたということを忘れてはならない。米国、日本、朝鮮半島、中国、台湾、という東アジアの政治的バランスのなかで、たまたま日本が自国における軍事的緊張を比較的免れてきたことから発生した現象が、草食系男子であるとも考えられる。草食系男子とは、この意味で、戦後日本の政治体制とはいったい何であったかという問題と表裏一体であると言えるのだ。

 

 

3 草食系男子とジェンダー

 

ジェンダーの視点から草食系男子を考察することは重要である。なぜなら、マッチョであることを中核とした従来の男らしさの規範を、みずからの手で解体しようとしているのが草食系男子であるとも考えられるからである。実際にインタビューしてみると、彼らは自分たちが草食系であることを肯定していることが多いが、同時に、社会からは侮蔑の目で見られることがあるのを知っており、そのことを悩んでいる者もいる。

マスメディアやインターネットの言論においては、草食系男子に対する男性からの批判の言葉が多く聞かれる。たとえば2008年に放映されたあるテレビ番組における草食系男子特集では、年長の男性キャスターが、「草食系男子というものが出てきてほんとうに日本の若者はダメになった」という趣旨の発言をしていた。日常会話でも、ひ弱になった若者たちを批判するときに、草食系男子という言葉が使われることがある。また、最近の大学生が海外留学をしようとしなくなったことや、新入社員がばりばりと仕事をせずに定時に帰宅するようになったことを嘆いて、それを若者の草食化のせいにする声も聞かれる。若い男性たちが車に興味を持たなくなり、自動車の販売が振るわなくなったことも、若者の草食化のせいだとされる。中年以上の世代の男性たちにとって、若い男性の草食化は、ほんとうに嘆かわしいものに映るようである。

そのような年上の男性たちの嘆きの気持ちには二種類あると私は思う。ひとつは、純粋に、若い男性たちが「男らしさ」を失ったことを嘆き悲しんでいるのである。若者たちが男らしさを失って、女々しくなってしまい、それによって今後の日本の経済成長を支えることができなくなり、日本が国際競争に負けていくことを嘆いているのである。家庭生活においては、彼らが今後、女の尻に敷かれることになるのではないかと苦々しく思っているのである。もうひとつは、うらやましさである。自分たちが若かった頃には、「男らしく」していないと恋愛も結婚もできなかったし、ましてやかわいいものが好きだったり、甘いケーキが好きだったりしてもそれを口に出すこともできなかった。ところがいまの若者たちはそのような「男らしさ」の呪縛から逃れられており、ピアスをしてケーキを食べても誰からもとがめられない。その点が実はうらやましいのである。私自身は後者の気持ちはよく分かる。気負いなくおしゃれをしている若い男性たちは、私の目にまぶしく映る。私自身は草食系男子を批判する気持ちはまったくない。彼らを応援していきたいと思っている。

フェミニズムから見たときには、草食系男子はどう捉えられるだろうか。日本の現代的なフェミニズムは1970年代に始まった。社会の公的領域や私的領域において「男性」が規範を形成し、「女性」がそれに従属するという構造が存在するが、それをあらゆる次元において解体していくことがフェミニズムの大きな課題であった。そのような視点からすれば、草食系男子という男性たちがまとまって登場したことは、フェミニズムの勝利だと捉えてよいと私は考えている。なぜなら、草食系男子は、みずからが規範を産出して女性を制圧し保護するという意味での「男らしさ」を窮屈に感じ、その呪縛から自分で降りようとしている男性たちであるからだ。女性たちに糾弾されたからそうするというのではなく、自分たちの内発的な動機によってそうするわけだから、これこそがフェミニズムが望んでいた新たな男性像に近いのではないだろうか。少なくとも、フェミニズムにとって、草食系男子たちは、敵対関係に立つべき存在ではなく、この社会のジェンダー秩序を変えていくために共闘することが可能な存在ではないかと私は思うのである。もしそれでも不服なら、草食系男子は、これまでの伝統的男性たちよりは、フェミニズムの視点からして「まだまし」な男性だと言えるのではないだろうか。草食系男子は、つきあっている女性とていねいにコミュニケーションを取り、一緒に話し合いながらいろんなことを決めていきたいと願っている。これはフェミニズムが男性たちに強く求めてきたことではなかったか。もちろん草食系男子が登場したことによって、社会のジェンダー構造や規範そのものがただちに解体されるわけではない。しかしだからと言って、草食系男子も男だから男性権力でしかない、とするのは偏見に捕らわれすぎているように私には思われる。

私はこのように考えるのだが、驚くべきことに、草食系男子の現象について日本のフェミニストからの言及はほとんどない。マスメディアや雑誌やインターネットにおいても、ごく一部の例外を除いて、フェミニストたちは草食系男子について沈黙を守っているのである。社会におけるジェンダー現象についてあれほど饒舌に語ってきたフェミニズムが、こと草食系男子についてはほとんど何も語らないことを、私は非常に不思議に思う。身近にいるフェミニストたちに草食系男子について尋ねてみたが、あまり反応は返ってこない。あるフェミニストは、「草食系男子とか言っても、若い男のDVは増えているじゃない!」と怒ったように言った。私は、40年前よりもDVが増えているとは思わないが、少なくとも彼女はそのような感情をもったようだった。他のフェミニストは「草食系男子という言い方は、男の暴力性を隠蔽していて不快」と言った。いずれにしても、草食系男子に対して好感は持っていないようである。

フェミニストたちの反応を見ていて私が感じたのは、彼女たちは草食系男子というものを、男性権力が仕掛けてきた新たな「罠」だと思っているのではないかということだ。その背景には、「男が甘いことを言ってくるときや、共感的な態度ですり寄ってくるときはすべて罠であると考えよ」という経験則があるからではないかと私は推測している。「草食系男子が増えてきて、これはフェミニズムの勝利ですよね」という私のような言い方こそが、男性の暴力性を隠蔽するために男性権力が発明した新たな目くらましであるということなのだろう。いずれにせよフェミニストがどう考えているのかは、彼女たちが本格的に語らないかぎり私には分からない。ひょっとしたら、「草食系男子は取り立てて議論に値する問題ではない」とフェミニストたちが思っているのかもしれない。

草食系男子について私はフェミニストたちからは一度も発言を求められなかったが、そのかわりに、地方公共団体の女性センターからは何度か講演依頼があった。女性センターの女性担当者たちは草食系男子の現象に大きな関心を抱いていた。講演会も女性を中心に多くの参加者があった。学術系のフェミニストと、女性センターのあいだで、このくらい温度差が見られたことも非常に興味深い。

日本の行政では、「男女共同参画社会」の達成がうたわれている。男女共同参画社会を作り上げていくためには、草食系男子がもっと増えることが必要だと私は考えている。草食系男子の良いところは、パートナーの女性とよく話し合ってコミュニケーションを取りながらものごとを決めていきたいと思っているところだ。これこそが、男女共同参画社会を作り上げていくときに、男性側に求められる必須の能力ではないだろうか。したがって、男女共同参画社会を作り上げようとする人々は、声を大にして、草食系男子をサポートしていく必要がある。

そのためには、若い女性たちも、男性に対する自分たちの期待を再検討していかなければならない。若い女性たちに話を聞いたり、アンケートをしたりすると、彼女たちはパートナーとなる男性に対して、たくましくて、頼りがいのある男性、自分を積極的に引っ張っていってくれる男性を求めていることが非常に多い。しかしこのような願望は、男性が主で女性が従という従来のジェンダー構造を補強することにしかならない。それは、けっして男女共同参画社会へと向かう道ではないだろう。しかしここには、非常に難しい問題が存在している。

たとえば、若い女性たちには、男性との恋愛において「愛されて幸せになりたい」と思っている者も多い。自分は受け身に立ちつつ、男性から積極的に求められ愛されて、一緒になりたいと夢想しているのである。この受動欲望は、そのパートナーである男性たちに大きな抑圧を与える。インタビューで草食系男子が言っていたが、女性が受動欲望を持っていると、男性の側はそれに応えて能動的に振る舞わなくてはならないというプレッシャーを受けるようになり、そんなプレッシャーを男性だけが引き受けなければならないのなら恋愛などしないほうがましだと思うようにすらなるのである。具体的に言えば、女性へのアンケート調査をすると、9割以上の女性がプロポーズは男性からしてほしいと答える[12]。これは男性にとっては大きな抑圧となり得る。なぜ男性のほうだけが、プロポーズをするという重責を担わなければならないのか、という鬱屈した気持ちを持つ者も少なくないだろう。プロポーズというのは、結婚の約束を口に出すことだから、どちらから言ったとしても問題ないはずだし、ふたりで話し合って結婚を決めても問題ないはずである。そのほうが、男女対等である。しかしながら、このような場面での男女の対等性にもっとも反発するのは女性の側なのである。彼女たちによれば、男性からプロポーズするという形でしか結婚への道はあり得ないらしい。もちろん結婚後の妊娠・出産において女性にのしかかる負担を考えれば、その期間にきっちりと女性を守るという宣言の意味でプロポーズは男性からするのが当然、という考え方も成り立つかもしれない。しかしながらそのような保護モデルは、男女共同参画社会にふさわしいものだと私には思えない。ではどうすればいいのだろうか。私には答えはない。これについては、草食系男子とその女性パートナーのあいだで、これから時間をかけて新しい形を作り上げていってもらうしかないだろう。

以上、日本における草食系男子について考察してきた。草食系男子という現象は、日本の男性ジェンダーの変容を考えるときに、避けては通れない重要なものである。この言葉が登場したのはきわめて最近のことであるから、まだ学術的な研究は進んでいないが、今後の研究の進展に期待したいと思う。また、日本と諸外国との比較研究もぜひ行なってみるべき課題であろう。国際的なジェンダー学に大きな刺激を与えることができるはずである。

 

 

文献一覧

 

牛窪恵 2008 『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』 講談社プラスアルファ新書

深澤真紀 2007 『平成男子図鑑 リスペクト男子としらふ男子』日経BP

森岡正博 2008 『草食系男子の恋愛学』メディアファクトリー

森岡正博 2009 『最後の恋は草食系男子が持ってくる』マガジンハウス

 

*この論文は、2011年に『日本批評』(ソウル大学)5:158-177頁に韓国語(朝鮮語)で掲載された論文の日本語元原稿に加筆修正を加え、情報を更新したものである。

 



* 大阪府立大学教授 〒599-8531 堺市中区学園町1-1 大阪府立大学人間社会学部

[1]U35男子マーケティング図鑑:5回 草食男子」『日経ビジネスオンライン』 (20061013)

[2] 森岡正博(2009)7頁。

[3] 森岡正博(2009)17-21頁。

[4] 森岡正博(2009)29頁。

[5] http://m1f1.jp/m1f1/files/topic_090326.pdf 20111021日 閲覧)

[6] http://news.xinhuanet.com/lady/2008-12/01/content_10438030.htm 20111021日 閲覧)

[7] http://www.japantimes.co.jp/text/fl20090510x1.html 20111021日 閲覧)

[8] http://edition.cnn.com/2009/WORLD/asiapcf/06/05/japan.herbivore.men/index.html  (20111021日 閲覧)

[9] http://www.lemonde.fr/cgi-bin/ACHATS/acheter.cgi?offre=ARCHIVES&type_item=ART

_ARCH_30J&objet_id=1099338 20111021日 閲覧)

[10] http://edant.clarin.com/suplementos/zona/2009/07/05/z-01952827.htm 20111021日 閲覧)

[11] 日本語では、「日本における若者の殺人率の減少」『学術の動向』200510月、21-26頁、で同じデータを見ることができる。

[12] 2005年のO-net調査によれば、回答女性259人の92.3%がプロポーズをされたいと回答している。2006年のGooサイトでの読者投票では、回答女性707人の94.1%がプロポーズをされたいと回答している。http://wedding.goo.ne.jp/love/kaitai/numsearch/200612.html 20071031日 閲覧)