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作成:森岡正博 
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生命観を問いなおす

 

森岡正博
生命観を問いなおす−エコロジーから脳死まで
ちくま新書 1994年10月 全205頁  本体660円

エコロジー運動や、脳死移植などにひそむ意外な落とし穴をえぐり出し、これからの新しい「生命観」を指し示した、著者のロングセラー。

前著『意識通信』で燃え尽きてしまった私は、生命論の入門書を書いてほしいという求めに応じて、生命倫理、エコロジー思想などの入門書を書きました。キーワードは「欲望」。われわれの内なる欲望のおかげで、現代の生命と自然の問題群は出てきているのだという基本線です。リサイクル型文明の意外な落とし穴を指摘した章や、エコロジー思想のロマン主義を批判した箇所など、分かりやすくて面白いらしいです。ところが、最終章にいたって、当時私が勤務していた研究所の所長であった梅原猛の脳死論をやり玉にあげてがんがんに批判してしまった。この章だけが、分量・文体ともに異質。ストレスたまってたんだろうな、あのころ。でも、梅原さんは、そのことについては結局なにひとつ文句を言いませんでした。さすが大人物。でも、私の批判にもいまだ答えてくれてないけどね。初版2万部。2011年に13刷りまで行って、ロングセラー。これより売れる本は、私はもう書けません。教科書に最適(^^)。ある予備校の先生による小論文必読10冊に入っていました。 大学入試や予備校模擬試験などにも頻出しております。

筑摩書房 Tel.048-651-0053 Fax.048-666-4648
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はじめに

「生命や自然が、いま、危機にさらされている」。
 そういう問題意識が高まっています。
 ある人は、西欧近代の機械論と産業主義が、現代の危機を生み出したと考えます。そして、それと対決し、それをのりこえることによって、現代の危機は解決に向かうのだと主張します。
 またある人は、現代の資本主義が、それらの危機を生み出したと考えます。そして、その資本主義の運動をくいとめることで、現代の危機は解決に向かうと主張します。
 ここにあるのは「我々の外部に敵がいる」という発想です。
 我々の外部の敵を撃破することで、問題は解決に向かうと考えるわけです。
 私は、本書で、この考え方に、くりかえし疑問を投げかけたいと思います。
     *
 私は異なった意見をもっています。
 敵は、私たち自身の内部にひそんでいます。
 現代の危機をひきおこした最大の原因は、私たち自身の内部にこっそりとひそむ、生命の欲望なのです。
 ですから、現代の生命と自然の問題に立ち向かうということは、実は、私たち自身の内部にひそむ本性と戦うことなのです。
 二一世紀の生命論は、この地点から出発しなければなりません。
 これが本書の問題意識であり、また結論でもあるのです。


「エピローグ」より抜粋

 自らの内にひそむ「生命の欲望」をかなえてくれるものであれば、たとえそれが生命の原理に反するような技術であったとしても、私たちはそれを受容し、活用しつくそうとします。機械論・二元論・還元論にもとづく科学技術は、そのこころの隙間に侵入して、どんどん増殖します。そして、社会システムは、そういう科学技術が浸透しやすいような構造へと、徐々に改変されてゆきます。
 これが、私の言う「共犯関係」なのです。
 この共犯関係は、現代社会のあらゆるところに姿をあらわします。
 たとえば、資本主義システムは、それを批判する思想をもまたひとつの「商品」として流通させ、そこから利潤をあげてゆきます。自然破壊はやめなければならないと思いつつも、その元凶である都市型生活をやめて自給自足の生活を送る勇気のない人々のこころの隙間に、「森の思想」はたくみに侵入してゆきます。都市型生活を離れることのできない人の書いた「森の思想」が、同じく都市型生活を離れることのできない人々によって受け容れられ、彼らのこころの罪悪感を癒やしてゆく。この構造をこそ、私たちは解明すべきなのです。


目次

はじめに

序章 環境倫理と生命倫理

    生命と環境/環境倫理学が考えてきたこと/生命倫理学が考えてきたこと/新しい知性へ
第一章 生命テクノロジーの甘い罠
    生命倫理は現代文明を映す/いのちの選別は許されるか/余剰胚の研究利用/現代文明をどう見るか
第二章 エコ・ナショナリズムの誘惑
    ある新聞記事/東洋って、どこ?/技術主義と自然主義/新しい環境哲学って?/エコ・ナショナリズム
第三章 リサイクル文明の逆説
    大きな物語の復権/南北問題/南北格差の固定/リサイクル文明の逆説/リサイクル型南北構造
第四章 ディープエコロジーと生命主義
    1 欧米のディープエコロジー思想
    八〇年代の思想状況/ディープエコロジーの登場/ディープエコロジーの展開/ディープエコロジー批判

    2 八〇年代日本の生命主義
    生命主義の思潮/生命倫理/ニューサイエンス/エコロジー/いのちの教育/いのちと癒し/八〇年代生命主義とは何であったか/ふたつの思想に共通するもの/ロマン主義の克服

第五章 専門の囲いの中で−脳死身体の実験利用の現実
    脳死身体の各種利用とは何か/脳死身体の実験利用/コルフが行なった人体実験/脳死身体の多重利用/専門の囲いの中で
第六章 反脳死論を解読する
    日本の脳死論議/梅原猛の脳死論/移植賛成と文明論/反脳死の論理構成/デカルト哲学とプラグマティズム/生命を忘れた哲学/臓器移植を認める論理/デカルト哲学を肯定することになりはしないか?/菩薩行ならなんでも許されるのか?/部品視、物質視を否定してゆくこと/執着をすてるということ/臓器を受ける側への注文/「生命の欲望」と現代文明
エピローグ−そして生命学へ
    生命と科学技術の「共犯関係」/生命学という発想/二一世紀への展開