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作成:森岡正博 
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エッセイ

『読売新聞』 2004年3月24日
臓器移植法改正案:ドナーカード普及が先だ
森岡正博

 

 臓器移植法の改正がようやく動き始めた。自民党の調査会は、臓器移植法の改正案を国会に提出することを決めた。だがこの改正案には、根本的な問題点がある。
 脳死になった人は、一律に、例外なく、死体とする―改正案の最大のポイントは、これである。
 えっ、と驚く人も多いかもしれない。なぜなら、いまの臓器移植法は、こんなふうにはなっていないからだ。
  いまの日本の法律は、「脳死を死だと思わない人」の死生観や、「脳死が生か死かまだ迷っている人」の死生観を、きっちりと守ってくれる。世論調査による と、国民の五〇%が脳死を認めているが、脳死を死だと思っていないか、あるいは迷っている人が三〇%いる。三〇%というと、かなりの数の日本人だ。
 現行法は、そういう人々に対して「脳死は死体だよ」と強制することをしない。そのかわりに、「自分の場合は脳死を死だと考えてもいい」と意思表示カードで意見表明している人に限って、臓器提供をお願いするのである。
 そもそも、「人の死とは何か」という問題は、個々人の価値観や、生命観や、宗教観に大きく依存する。現行法は、それらの多様性をできるかぎり守ったうえで、脳死移植の可能性を探ろうとする、世界でもっとも死にゆく者を手厚く保護する法律なのだ。
 周知のように現行法は、世界でもっとも濃密な国民的議論を経たうえで、制定された。十分な議論をせずに法律を作ってしまった欧米に、必ずしも歩調を合わせる必要はない。
 ところが、今度の改正案は、この現行法の根本思想を、ひっくり返すものなのだ。なぜなら、脳死になった人は一律に「死体」だと、法律の条文で決めつけるからである。
 たとえば、「人は脳死になってもまだ生きている」と考えている人がいるとする。しかし、この改正案が通ってしまえば、その人が病院で脳死になったとき、 まだ血の通う暖かいその人は、本人の希望に反して、「死体」として扱われてしまうのである。これに例外は認められないのだ。脳死を人の死と思えない三〇% の国民の気持ちは、この改正案によって、無惨に踏みにじられることになる。
 それに加えて、脳死についての新しい医学的な知識が、ここ数年でどんどん蓄積されている。たとえば、脳死になっても、一年以上、ときには数年間心臓が動 き続け、身体も暖かいまま保たれるケースが続々と報告されている。最長のケースでは、四歳で脳死になった子どもが、その後一七年以上も心臓が動き続け、身 体も成長を続けて二一歳になっていることが医学誌で報告されている。はたしてこれが「死体」なのか。
 ここ数年で、状況は大きく変わったのだ。脳死を死体だと一律に決めつける医学的根拠も、哲学的根拠も、もはやない。ここに、脳死を一律に人の死とする自民党改正案の最大の問題点がある。
 現行法の枠組みを崩さずに、「臓器不足」を打開する道はまだ開かれている。
 日本ではドナーカードの所持率は、まだ九%の低率にとどまっており、これを改善するだけで、事態は大きく前進する。さらに私は、子どもにもドナーカード の所持を許可する改正案を提案している。日本で「臓器不足」を打開する道は、ひとえにドナーカードの今後の普及にかかっているのである。