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作成:森岡正博 
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論文

 

山脇直司編『教養教育と統合知』東京大学出版会、2018年、176〜196頁
そこに人間がいるとはどのようなことか

ー「生命の哲学」の視点から
森岡正博

 

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1 はじめに

母親が亡くなったとき、私は非常に不思議な感覚に襲われた。これまで言葉を交わしていた母親が、しだいに熟睡の状態で多くの時間を過ごすようになり、そして最期は心臓の鼓動が止まり息を引き取った。亡くなった身体はまだ温かく、いまにも目を再び開けてしゃべり出しそうだった。医師が来て死亡診断をしたあとでも、目を開けて口を動かすのではないかと思われた。亡くなった身体は、たしかにもう息をしていない。だが、私は死亡診断の前後で、いったい何が決定的に変化したのか、まったく分からなかったのだ。医学的に言えば、それはその時点でもって、蘇生可能性が完全に絶たれたということである。しかしそばにいる者にとっては、蘇生可能性の消滅は非常に抽象的な理念にすぎず、目の前で失われたとされるものを的確に表現するものではないように思われた。もちろん、脳の中で生起する自己意識が不可逆的に消滅したのだという説明も可能である。だが、母親の自己意識はすでに死亡診断のずいぶん以前に消滅していたようにも思えた。自己意識の消滅が母親の死亡であるとするのも非常に抽象的な考え方である。「母親が亡くなったときに、いったい何が亡くなったのか?」という問いが私の内に生じた。これはいままで考えたことのない不思議な問いであった。

父親が亡くなったとき、私はふたたび不思議な感覚に襲われた。父親は熱にうなされながらも私の呼びかけに頷いていた。やがて呼びかけに頷くことがなくなり、全身で苦しそうな呼吸をするようになった。そして私がふと部【176】屋を出ていたあいだに、父親の心臓は停止した。呼吸の止まった父親の身体は、やはり温かかった。頭頂に手を当てると、まだ高熱のなごりが感じられた。しかしまだ父親が亡くなったのかどうか確信は持てなかった。医師が来て死亡診断を行なった。私は父親の顎に手を当て、頬に触れ、指に触れた。その感触は生きていたときのものと何一つ変わらなかった。しかし同時に、私は父親の身体を前にして、ある一つの大きな変化を感じ取っていた。

父親がまだ荒い息をしていたとき、私は父親に何をしてほしいか尋ねた。父親はもう言葉をクリアーに発することはできなかったが、何かを訴えた。身体をさすりながら反応を見ていると、背中を指圧したときに表情が和らぐのが分かった。父親は背中の筋肉をほぐしてもらうのが好きだったのだ。私は父親の身体の下に指を入れて、ゆっくりと指圧をした。このときに私と父親のあいだでなされたようなコミュニケーションを、呼吸の止まった父親とはもう行なうことができなくなったのだ、と私は深く理解した。凝った背中の筋肉をほぐすという行為を父親と私が「シェア」するという経験を、私は呼吸の止まった父親とのあいだで、もう持つことができないということ。父親が亡くなったときに私が感じた大きな変化とは、まさにこれであった。父親が亡くなったときに、私と父親が今後何かをシェアしていく可能性というものが、永遠に消失してしまったのである。親しい他人が死ぬとは、その人と私が何かをシェアしていく可能性が将来にわたって完全に奪われることであると私は知ったのだった。

2 パーソン論的人間観

この気づきは、私に、生命倫理学で大きな力を持っている「パーソン論」を別の角度から再考させるものとなった。私はここ一五年ほどのあいだ、パーソン論を批判的に検討したうえで、それに代わる概念として「ペルソナ論」を提唱してきた。ところが、今回の気づきにより、パーソンおよびペルソナとは異なった文脈で成立する「シェア」の次元があることが分かったのである。これによって、「そこに人間がいるとはどのようなことか」という問いに対して、以前よりもさらに説得的な考え方を示すことができるように【177】なったと私は考えている。本稿では、その考え方を素描し、議論を前に進めていくためのステップとしたい。

議論を進めるうえで、まずパーソン論の概要を掴んでおく必要がある。これについては森岡(二〇一〇、二〇一二、二〇一三)で論じたので、これらを適宜参照しながら、以下にその要点を振り返っておきたい。

パーソン論は、人工妊娠中絶の是非をめぐる議論において提出された。マイケル・トゥーリーは、一九七二年の論文「中絶と新生児殺し」において、人間を「パーソン」と「パーソンではないもの」に二分し、パーソンである人間は生存権を有しているが、パーソンでない人間は生存権を有していないので殺されても仕方がないと結論づけた。パーソンでない人間とは、胎児や新生児のことである。トゥーリーは一九八四年の論文「中絶と新生児殺しの擁護」において、「自分自身が存在し続けることへの利害関心(利益)interestを持つ」ことが、パーソンであることの必要条件であるとした(1)。

この考え方を発展させ、ヨーロッパの伝統的な人格概念と結びつけたのがピーター・シンガーである。シンガーのパーソン論は、一九九三年の著書『実践の倫理・第二版』においてもっともクリアーに提出されている。(これに比して、二〇一一年の第三版では主張が後退している箇所があるので、以下は第二版を参照することにする)。

シンガーは、存在者を、(1)感覚をそなえていない存在者、(2)感覚のみをそなえている存在者、(3)感覚に加えて自己意識と理性をそなえている存在者に区分する。まず、感覚をそなえていない存在者とは、石ころや、神経系が存在しない生物などのことを指す。人間であっても、受精卵や脳死の人は感覚をそなえていない存在者とみなされる。次に、感覚のみをそなえている存在者とは、神経系が存在して機能している生物のうち、自己意識も理性も存在しないようなものを指す。たとえば、多くの哺乳類や爬虫類がこれであるし、人間の場合は胎児や知的障害者がこれに当たるとシンガーは言う。最後に、感覚に加えて自己意識と理性をそなえている存在者としては、小児から成人にかけての人間、大型類人猿、イルカ、カササギなどがあげられるとシンガーは言う。シンガーが「パーソン」と呼ぶのは、この第三のグループのことである。シンガーは、パーソンを「自分自身のことを、過去と将来【178】を持ち、他とははっきり区別される存在として自覚できるような、理性的で自己意識を持った存在者」として定義している(2)。

シンガーも、トゥーリーにならって、自己意識と理性をそなえたパーソンには完全な生存権を認めるけれども、自己意識や理性をそなえていない存在者に対しては、生存権を無条件には与えなくてもよいとする。このような考え方を「パーソン論」と呼ぶ。これは人間を、「自己意識と理性をそなえた存在者」と「それらをそなえていない存在者」に二分し、後者の人間を殺すことを正当化するものであると言える。パーソン論は、理性を人間のもっとも重要な本質と見る古代からのヨーロッパ思想の流れをくんだものであり(3)、現代の生命倫理学においても一定の支持を得ていると考えられる。

このようなパーソン論的人間観の視点から、私の経験した父親の死を眺めてみるとどうなるであろうか。

まず、入院直後の父親は私と言葉で会話することができていた。私が話しかければ父親はそれに言葉で答えた。お互いの話の内容を理解しながらやりとりを行なうことができた。この段階における父親は、シンガーの言う「感覚に加えて自己意識と理性を備えている存在者」、すなわち完全なパーソンであったことになる。

ところが、死の直前、熱を出して全身で苦しい呼吸をしている父親は、外側から見て、もはや理性を有しているとは判断できなかった。私が声をかけても言葉を返すことはなく、ただ荒い息をしているばかりであった。父親が自分のことを、過去と未来をもった持続的な存在として認識しているとも私は判断できなかった。もし仮に第三者が客観的な検査を外側から行なったとしても、理性や自己意識をはっきりと見出すことはできなかっただろう。この段階において父親はパーソンではなくなっており、シンガーの枠組みで言えば、たんに「感覚のみをそなえている存在者」となったことになる。それは、シンガーによれば、ほとんどの哺乳類や魚類と同じ地位にいるということである。我々がパーソンに認めるような生存権を、我々はこの段階の人間に必ずしも認めなくてよいとシンガーは考えるのである。

そして父親が自発呼吸を止め、全身の血流が止まったとき、父親は「感覚をそなえていない存在者」になったことになる。シンガーによれば、その身【179】体の地位は、身近な人々から手厚く扱われるという点を除けば、基本的には石ころと同じである。

3 シェアの次元

ということなのだが、しかしシンガーの三分法によっては、父親を看取った私のリアリティを正しくすくい上げることはできない。私がとくに注目したいのは、父親が言葉でのコミュニケーションができなくなった段階で、父親がなにかを訴えているように私には思え、私が背中を指圧してあげると、父親の表情が和らいだことである。このときに何が起きていたのかをよく考えてみないといけない。まず、さきほど述べたように、父親に理性や自己意識があったと判断できる根拠はまったくない。だが、父親の、言葉を使わない訴え(と私が理解したもの)に対して、私が指圧という行為でそれに応えると、父親の表情が変わったのである。ここには、理性も自己意識も持たないであろう人間と、私のあいだに交わされた、一種のコミュニケーションがある。父親は、その晩年、ずっと背中の筋肉の痛みを訴えていた。私は父親が痛いと言うときには、背中をよく指圧していたのである。すると父親は目を閉じて、それを受け入れていた。指圧することは父親と私のあいだの重要なコミュニケーションのひとつだった。父親にとって、背中の指圧は、自分以外の人間がここにもう一人いるということを全身で味わう貴重な機会になっていたのだろうと今から振り返ってみて思う。

であるから、私は父親が言葉を発することができなくなったときに、指圧をしてあげた。父親の表情の変化から察するに、父親はその指圧の感覚を経験することができたと考えられる。この時点で父親はたしかにシンガーの言う「感覚のみをそなえている存在者」であった可能性が高い。感覚のみしかそなえていなくても、人間は経験した感覚に反応して表情を変化させることはできるはずだ。しかしながら、シンガーがこの段階の人間を「感覚があるかないか」だけで特徴付ける点に、私はシンガーの哲学の浅さを感じざるを得ない。

父親を指圧していた私にとって重要だったのは、父親に気持ちよさという【180】「感覚」がもたらされたかどうかということだけではない。父親が私に何かを訴えたように私が思い、それに対して私が指圧という行為で応え、その結果、父親の表情が変わったという一連の出来事が起きたということが、私にとっては父親の感覚したであろう気持ちよさに匹敵するくらい重要だったのである。すなわち、その一連の出来事によって、私はその存在者と何かを「シェア」することができたという確信を得たのである。シンガーの哲学は、このことの重要性を捉えていない。

では、ここで言う「シェア」とはいったい何だろうか。

それは、次のような出来事が起きたと確信できることだろう。すなわち、私と他人のあいだに何か一連のやりとりがあり、その一連のやりとりが二人のあいだで分かち合われたと確信できることである。「分かち合われる」とは、その一連のやりとりが意味のある経験として二人の内部へと取り込まれ、それぞれの生を構成するパーツとして組み込まれることである。生を構成するパーツとして組み込まれるのだから、その二人はそれぞれ、一連のやりとりが起きる前とは少しだけ異なった存在に変化したことになる。そして組み込まれたパーツは、一連のやりとりが終わったあとでも、ある一定期間、二人の内部において存在し続ける。その後、そのパーツはその人間の内部の他のものと融合して消えていくかもしれないし、消えていかないかもしれない。何かが「シェア」されるとは、このようなことを指すのだと私は考えたい。

父親とのやりとりを例にとって考えてみよう。父親が何かを訴えたように私は思い、私が指圧をすると父親は表情を変える、という一連のやりとりがある。このとき、この一連のやりとりは、意味のある経験として私の内部に取り込まれる。父親はもう言葉は発せられないけれども、いつもしていたように私が指圧をすることによって、背中の痛みが楽になったに違いない、私の指圧は父親に気持ちよさを与えたに違いないという思いが私の中に生まれてくる。その思いは、私の精神の記憶や、身体の記憶に取り込まれ、私を少しだけ変容させる。その一連のやりとりがあったおかげで、私はそれ以前の私とは異なった者になるのである。その記憶は少なくともある期間は私の中に残存し、そのあとはおそらく薄まっていくであろう。一連のやりとりは、私の側においてはそのようなものとして自分の内部に組み込まれていく。そ【181】して、父親の側でも同じようなプロセスが進行すると私が確信できる場合がある。それは以下のような場合である。父親はおそらく背中の痛みを訴えていた。すると息子がいつものように指圧をしてくれて、そのおかげで背中が気持ちよくなる。そして表情が和らぐ。この気持ちよさは、いつものように肉親が近くにいて気遣ってくれたという安心感とともに、父親の精神と身体へと有意味な経験として取り込まれる。肉親がまだそこにいてくれるという安心感は、父親の心身のあり方を少しだけ変容させる。もちろん父親の側でそういう出来事が実際に起きていたかどうかを第三者が客観的に確認することはできない。しかしそれにもかかわらず、一連のやりとりに関わった私がそれを確信でき、また私の側もそれを有意味な経験として取り込んだときに、私は父親と一連のやりとりを「シェア」できたと言ってよいのだと私は考える。

当然、ここには難点がある。私が一方的にシェアできたと信じているだけであって、ほんとうは父親の側ではそういうことは一切起きていないかもしれない。しかしながら、よく考えてみれば、自己意識と理性をそなえたパーソンである人間同士のあいだで何かをシェアすることができたという場合であっても、シェアできたと信じているのは私だけであって、実は相手はまったくそのやりとりを有意味な経験として取り込んでいなかったということはあり得る。そして相手が巧妙にその事実を隠していたとしたら、私のほうでそれを見抜くのはきわめて難しいだろう。相手が嘘をついているのではないかと徹底的に問い詰めることは可能だが、それでも嘘を見抜けないケースはあるに違いない。そのような難点があるにもかかわらず、私たちの多くは、理性を持った人間のあいだであれば、何かをシェアすることは可能であると確信している。だとしたら、同じような難点を持ちつつも、パーソンである私と、パーソンではないと考えられる人間とのあいだで、一連のやりとりを分かち合うことができたと私が確信できるとき、そこでシェアがなされていると考えることに決定的な問題点はないだろう。たしかに、パーソンではない人間の場合、その人間を問い詰めることはできない。この点は異なっている。しかしパーソンでない人間の血流や神経系の変化などを医学的に調べて刺激の影響を推測することは可能だから、相手の心身の状況の検査に関して【182】は程度問題であるとも言える。もちろん、分かち合いがなされたという確信がある場合であっても、ほんとうはそんなことは起きていないかもしれないという留保を持ち続けることは重要である。それはパーソンである人間同士の場合でも同じである。ただし、パーソンの場合は、シェアできたという私の確信を、相手が言語によって明瞭に否定することができる。これに対して、非パーソンの場合はそれができないわけで、この点は決定的な違いとなるだろう。

このように「感覚のみをそなえている存在者」であっても、私はその存在者と何かをシェアすることができる。これを「シェアの次元」と呼ぶことにしよう。私が他人と何かをシェアできるというのは、非常に意義深いことである。これは人間同士のコミュニケーションにおける重要な側面であると言える。しかしながら、相手の病状が悪化して、私からのはたらきかけに対して何の反応もしなくなった場合、その人間と何かをシェアするのは不可能となる。たとえその人間にまだ感覚能力が残っていると判断されたとしても、私からの働きかけに反応しなければ、何もシェアすることはできない。

そしてその相手の自発呼吸が止まり、身体の血流が停止したとき、私がその人間と何かをシェアできる可能性は決定的に絶たれるのである。私にとって他人の死とは、その人と何かをシェアする可能性が今後一切、完全に消滅することである。人間の死とは、その人の内的意識が不可逆的に消滅することだとする考え方があり、これは一般的に理解されやすい。だが、実際に私が母親と父親の死を経験したときのことを思い出せば、彼らの内的意識がいつ不可逆的に消滅したのかを知ることは非常に難しく感じられた。死亡診断の前後において大きな変化があったとは考えられなかったからだ。それよりも私にとっては、もう彼らとは今後何かをシェアすることが一切できなくなったと思わざるを得なかったことのほうが大きかった。「シェアの次元」の消滅こそ、親しい人間の死の中核にあるもののひとつである。「シェアの次元」の消滅が、心臓死とほぼ同時に起きる場合がある。私の父親の場合はこれである。だが、たとえば植物状態や昏睡に近い状態が続いている場合などでは、「シェアの次元」の消滅は、心臓死よりも前に起きる可能性がある。ただし、植物状態や昏睡に近い状態であっても、その人の身体をさすり続け【183】ることが分かち合いになっていると私が確信できる場合もあり、そのようなケースでは「シェアの次元」の消滅は心臓死の時点まで遅れることになるだろう。

以上の検討によって、たとえ相手が自己意識と理性をそなえたパーソンでなくても、私はその相手と「シェアの次元」のやりとりを行なうことができることが分かった。そして、相手が死ぬということの大きな意味のひとつは、この「シェア」の可能性が決定的に絶たれることである。パーソン論は、自己意識と理性に固執するあまり、この「シェアの次元」の重要性を見逃していると言わざるを得ない(4)。

4 シェアの次元についての若干の考察

そのうえで、「シェアの次元」についてもう少しだけ考察を加えておきたい。

まず、シェアが成立するためには、私の側から相手にはたらきかけたときに、その相手から何かの自発的な反応がなければならない。それは言語による反応である必要はないが、身体の動きや顔の表情などによる反応が必要である。そしてその一連のやりとりが、相手の内的な経験に組み込まれたと確信できることが必要なのであるから、その前提として、私は相手に内的な経験があると確信できなければならない。相手に内的な経験があることを証明するのは厳密には不可能である。しかしそれが不可能であっても、様々な傍証によって私がそれを確信することはできる。ここで言う内的な経験は、感覚や、感情や、プリミティブな思考を含むが、必ずしも自己意識や理性を含む必要はない。相手の人間が死にゆくプロセスとは、このような意味での内的な経験がそこにあるに違いないという確信が、少しずつ弱まっていくプロセスでもある。そしてそれが弱まるにつれて、シェアの次元もまた少しずつ薄らいでいき、自発呼吸の停止が起きたときにその次元はほとんど存在しなくなるのである。しかしシェアの次元がいつ消滅するかは定まっていない。その多くは、自己意識や理性の消滅のあと、自発呼吸の停止の前に起きるように思われる。【184】

シェアが成立するためには、一連のやりとりが、私の内部に有意味な経験として取り込まれること、そして相手の内部に有意味な経験として取り込まれると私が確信できることが必要である。この点をもう少し考えてみる。たとえば私が父親を指圧したときに、父親がある種の機械的な声を出すとしよう。このとき、もし私が父親の筋肉を押すたびに、ちょうど自動機械が反応するように、まったく同じ声が父親から繰り返し発せられたならば、私はそれを、ボタンを押したらブザーが鳴るような単純反射として感じてしまうのではないかと思われる。すなわち、指圧による快刺激とそれがもたらす単純反射である。この場合、私は自分の指圧が父親に有意味な経験として取り込まれたという確信をさほど強くは持てない可能性がある。ところが、もし指圧の何度目かに、父親が声を出すのをやめて顔をしかめるという動作をしたとしよう。むしろこのときには、父親は私の指圧を痛く感じたのだろうと私が解釈できる可能性が生まれる。

なぜそのような解釈が生まれるのかというと、そのような出来事が起きたときに、私はそれを、かつて父親に自己意識と理性がそなわっていたときのやりとりと連結させてとらえるからである。すなわち、父親がまだ元気だったころ、私が指圧をすると気持ちよさそうにしていたが、長く指圧しすぎたり、力を入れすぎたりすると、顔をしかめ、痛いと言って身体を動かし、「もういい」と言葉を発して私を制止させた。このとき父親は、じぶんにとって もっとも良い刺激の量が分かっていたのである。そこに達したときにやめることが、父親にとっては有意味な経験だったのである。そのことが参照されるがゆえに、父親が言葉を発せられなくなり、理性を失っているように見えたとしても、私はそこに有意味な経験の取り込みがあるというふうに確信できるのだろう(5)。

もうひとつは、そこにストーリーが見られる点である。父親が何かを訴えたように私が思い、そして私がそれに指圧という形で応え、その結果として父親の表情に変化が起きるという一連のストーリーがそこに出現しており、そのことによって私はそれを有意味な経験として自分の内部に取り込みやすくなり、また父親もそれを有意味な経験として内部に取り込んだであろうと私は確信しやすくなっているのである。シェアの次元は、このようなストー【185】リーの形式で成立しやすいと言えるかもしれない。

さらに、有意味な経験として内部に取り込まれるとは、外からの刺激に対して単に機械的単純反応が起きることではない。そうではなくて、それは、外側から取り込まれた刺激がその人間を成り立たせるパーツとして組み込まれ、そこで一定期間存在し続け、その結果としてその人間が以前とは異なった内的編成を持つ人間へと変容することを意味する。これをさらに極限にまで推し進めれば、次のようなことも言えるだろう。もし私が父親より先に突然死したとしても、父親と私が指圧をめぐる一連のやりとりをしたという経験は、父親の内部の感覚や感情やプリミティブな思考へと取り込まれ、精神的な記憶あるいは身体的な記憶となり、父親を成り立たせるパーツとしてそこに一定期間は存在し続け、父親はほんの少しだけ変容するという出来事が起きる。その意味で、シェアされたやりとりは、私がこの世に存在しなくなったあとも、父親の内部で別の形となって生き続けるのである。この地点に、シェアというものの本質の一端が位置していると私は考える。

5 ペルソナの次元

シェアについてはまだ考察すべき点があるが、紙幅が尽きたので、最後に「ペルソナ」との関連を述べて筆を措くことにしたい。「ペルソナ」については、すでに森岡(二〇一〇、二〇一二、二〇一三)で考察してきた。目の前の人間に自己意識や理性がなくなり、こちらからのはたらきかけに対して自発的な反応を返すことができなくなったとしても、その身体からこちらを呼びかけるある種の「声」が聞こえることがある。そのような声が聞こえたときに、その声を発した主体であるものを私は「ペルソナ」と呼んできた。脳死の息子を前にしたジャーナリスト柳田邦男の次の文章に、それがよく描写されている。

私と賢一郎がそれぞれに洋二郎にあれこれ言葉をかけると、洋二郎は脳死状態に入っているのに、いままでと同じように体で答えてくれる。それは、まったく不思議な経験だった。おそらく喜びや悲しみを共有してきた家族でなければわからない感覚だろう。科学的に脳死の人はもはや感覚も【186】意識もない死者なのだと説明されても、精神的な命を共有し合ってきた家族にとっては、脳死に陥った愛する者の肉体は、そんな単純なものではないのだということを、私は強烈に感じたのだった(6)。

ここで言われる「体で答えてくれる」というのは、脳死の息子が口を開いて言葉を発したということではない。脳死の息子は何もしゃべらないし、父親の呼びかけに応えて自発的に身体を動かしたわけでもない。柳田はひとりの父親として、脳死の息子のベッドサイドで息子にあれこれと声をかける。すると、それに応えるようにして、音波にならない声のようなものが父親に聞こえてきた。それは脳死の息子が父親の呼びかけに応えて発した声であるように思われた、ということなのである。私はこれを、息子を愛する父親の幻聴であるとは考えない。そうではなくて、このとき、音波にならない声がほんとうに父親に聞こえたのだと考える。そしてその音波にならない声を発したところの主体のことを、「ペルソナ」と呼びたいのである。

「ペルソナ」とは、脳死の息子の身体の内部にある自己意識や理性や魂のことではない。脳死状態なのだから、それらは存在することはないと考えられている。しかしそれにもかかわらず、その脳死の息子と親しい関係の歴史性を培ってきた父親には、その身体の上に立ち現われた「ペルソナ」が、音波にならない声を発して、父親の呼びかけに答えるのをありありと聴くことができたのである。柳田はそれを「体で答えてくれる」と表現した。

私もまた父親が呼吸を止めたときに、その身体から音波にならない声を聴いたように思えた。私が父親の顎に触り、頭頂に触ったときに、「もう俺は苦しくない」という音波にならない声を私は聴いたように思えた。その声はおそらく病室にいた他の人間たちには聞こえていなかったであろう。(あるいは聞こえていたかもしれない)。その音波にならない声は、けっして客観的に確かめることはできないし、録音することもできない。しかしそれは私が自分自身で勝手に頭の中でつぶやいたものでもない。それは私が父親の身体に触れたときに、私の外側から来た声である。それはたしかに客観性がないという点で、そして発生機序がはっきりしないという点で、幻聴に近いと言えないことはない。だがそれは私が父親をベッドサイドで看取り、父親に触る【187】という行為に連関して私に届いた声であるから、とつぜんなんの脈絡もなくやってくるような幻聴とは質が異なると言える。そして父親を火葬にしてから今日に至るまで、私はその声と断続的に会話をしている。この文章もまたその会話の一部を形作っているのである。もしこれが幻聴だとしたら、それは非常に特殊な種類の幻聴であろう。このような声を発する主体として、見えることのない、触ることもできない主体を措定したいと私は考え、それに「ペルソナ」の名を与えたのである。

このような意味での「ペルソナ」を最初に提唱したのは和辻哲郎である。エッセイ「面とペルソナ」において、和辻は能舞台で役者が顔に付ける能面に「ペルソナ」を発見した。能舞台と現代の脳死が接続されるのはたいへん興味深い(7)。

「ペルソナ」の次元は、目の前の人間が脳死になっても、さらには呼吸をしない心臓死に至っても、ありありと存続し続けることができる。火葬をされて、身体が灰になったとしても、あるいは津波によって亡くなったであろう人間の身体がまだ発見されなくても、音波にならない声を発する主体として私の前にありありと立ち現われることができる主体、それが「ペルソナ」である。

人間が死んでいくとき、自己意識と理性の消滅、呼吸と血流の停止による生物的な死、土葬や火葬による身体の消滅などが大きなイベントとして考えられてきた。私はそれらに勝るとも劣らない二つの次元、すなわり「シェアの次元」と「ペルソナの次元」を付け加えたい。親しい人が死ぬとき、自己意識と理性が失われたあと、心臓死の手前において「シェアの次元」が失われる。そして心臓死が起きたあとであっても「ペルソナの次元」が現われ、輝き続けることがある。このような視点から、さらに考察を深めていきたいと考えている。【188】

 

文献

森岡正博 二〇一〇 「パーソンとペルソナ:パーソン論再考」『人間科学:大阪府立大学紀要』5:91-121

森岡正博 二〇一二 「ペルソナと和辻哲郎:生者と死者が交わるところ」『現代生命哲学研究』1:1-10

森岡正博 二〇一三 「ペルソナ論の現代的意義」『比較思想研究』40:44-53

柳田邦男 一九九五 『犠牲―わが息子・脳死の11日』文芸春秋

 

島薗氏への応答

島薗氏から本稿の本質に切り込んだコメント(189〜194頁)をいただいたので、それに応答したい。

(1)「我と汝」の相互作用について

この点に関しては、そのとおりであると思う。「我と汝」に関しては、二〇世紀の西洋思想においてマルティン・ブーバーによる提起が根本的であり、その後、エマニュエル・レヴィナスの「他者の哲学」によって独自に深められた。私の【194】「シェアの次元」と「ペルソナの次元」は、彼らの問題意識を引き継ぎながらも、彼らとはまた異なった文脈へと思索を引き入れるものである。まず「ペルソナ」については、その大きな特徴として「表面性」が挙げられる。そこに「ペルソナ」が立ち現われるとは、そこの「表面」にそれが立ち現われることである。「ペルソナ」にとって、表面に立ち現われたものがすべてであり、その背面に隠されている真の裏面存在はない。これに対して、「パーソン」の場合はまったく逆であって、目の前に現われている人間の、その背後に潜むとされる自己意識や理性こそが「パーソン」のもっとも核心的な部分である。隠されている裏面存在こそが核心なのである。ここに「ペルソナ」と「パーソン」の鋭い対比を見ることができる。同様のことはおそらくブーバーやレヴィナスにおいても言えると予想される。たとえばレヴィナスは「顔」について語る。「顔」は人間の表面に現われるものであるが、しかし「顔」の本質を形作る「他者」はその「顔」の裏側へとどこまでもすり抜けていく運動である。この点に「ペルソナ」との対比を見ることができる。

(2)「いのちの始まり」について

島薗氏が述べられた「シェア」と「ペルソナ」の「いのちの始まり」への適用は、私の目を覚まさせてくれた。特に、「いのちの始まり」においては「シェア」のほうが「ペルソナ」よりも先行するとの指摘は重要である。「いのちの終わり」と非対称的になるのはなぜなのかという重要な問題が提起されたように思う。

(3)共有観念(共同性)について

島薗氏は、私の議論に「文化的社会的な共有観念」への視座が希薄であると指摘されている。たしかに私が「シェア」「ペルソナ」を個人的な二者関係の場面で追求してきたのは間違いない。だが、島薗氏の指摘するとおり、たとえば私が「父親に指圧をしたときに父親の表情が変わった」と言うとき、それを「表情の変化」と捉えることができるためには、私は「表情」というものに関する文化的社会的コードを現に生きている必要があり、共有観念のコードによってそのように判断させられた、という側面があると言える。「ペルソナ」についても同様である。この方向へのさらなる研究が必要である。

(4)文化的な要素について

「生命の哲学」は、世界各地の生命に関する文化的要素を養分としてこれまでも立ち上がってきており、今後もそうであり続けるだろう。私の構想している【195】「生命の哲学」もまた、和辻哲郎の能研究から学んでいるように、日本文化に根ざす部分を持っている。と同時に、ヨーロッパや北米やイスラム圏の「生命の哲学」と対話することで、単に文化固有的なものを超えていく可能性がつねに開かれており、そこを目指すことが哲学の強みであると私は考えている。【196】

 

1) 森岡(二〇一〇)、九四頁。

2) 森岡(二〇一二)、九七頁。

3) しかしながら、古来からのヨーロッパの人格概念は、けっして理性だけを中心としたものではなかった。この点については森岡(二〇一三)を参照のこと。

4) エンゲルハートJRの「社会的なパーソン」についてもこの視点から批判する必要がある。

5) 「有意味な経験」とは何なのか、さらに考察される必要がある。

6) 柳田邦男(一九九五)、一二九頁。

7) この点については、森岡(二〇一三)参照。