作成:森岡正博 |
脳死と移植:日本人の場合
海外のサイトに載った記事です。無断転載します。だって、このサイト、登録しないと見られない。海外でも注目されはじめましたね。
2000年10月28日付け(あるいはそれ以前)の記事のようです。
翻訳ボランティア:テオさん(ありがとうございましたm(_ _)m)
森岡がいそいでお願いしたので、荒い訳が混ざっていると思います。森岡までご指摘ください。
はじめに
生と死に関する事柄は、どの文化においても克服し難い問題を抱えている。しかしながらこの挑戦は、しばしばそれぞれの文化がもっている語られざる臆説の中に潜んでいるのではないか。日本人は脳死を取り巻く問題を倫理の面からも道徳面からも、また、それが真に正当な事であるかなどの面から30年以上にわたって取り組んできた。
1997年に臓器移植法が施行され、脳死者から臓器を受ける事が正当化されたにも拘わらず、この問題に関する論争はいまだに続いている。法が制定されてから心臓、角膜、腎臓、肝臓などの臓器移植が実際に行われるまで16ヶ月という月日が経っている。多くの国がそうであるように日本でも臓器移植者は限られている。生体臓器移植の可能性が極めて少ないという現実と臓器移植法の存在という現実を前にして,何故日本人は脳死者からの臓器をたまにしか使用しないのか。歴史的な出来事とか文化,生命倫理的ファクター、或いは医療資源の問題など様々な要因がこの問題の行く手を阻んでいる。
政策と実践(理念と現実)
他の第1世界とは異なり日本は、生きている人からの臓器提供に関してはある種の信頼感を持っている。日本における臓器移植の70%、肝臓部分移植の80%は、生体移植である。これに比して1998年のアメリカ合衆国における腎臓移植の68%,肝臓移植の98%は死者からの臓器である。日本の臓器移植法は提供する者の権利を保護し、臓器提供の任意性を強調している一方、家族も移植を拒否する権利があるとしている。この法律は臓器を取り出す前に二人の医師による脳死の確認,提供者の年齢は16歳以上であること、また,臓器移植を受ける人の年齢が、すくなくても6歳になっていることなどを明記している。[森岡注:臓器移植法には、年齢についての記述は一切ない。]
日本における脳死の歴史
臓器提供の基準となる脳死の判定に関する議論は、1968年に当時外科医であった和田医師が世界で2番目といわれる心臓移植を脳死者の臓器を用いて行った時から始まった。
当初は科学的に見て妥当な事と言われていたが、後に彼は殺人罪で逮捕された。[森岡注:逮捕されたんだっけ??]
しかし6年間の訴訟の末、彼は無罪になった[森岡注:この記述は不正確。和田は告訴されたが、検察は起訴しなかった。従って訴訟は完結せず、彼も無罪となったわけではない]。結果としてこの論争が尾を引き、移植を視野に入れた場合の脳死判定の基準が正しく用いられないのではという不信感を払抜くことが出来ないでいる。提供者への対応と脳死判定にまつわる不適切な証言は広く公表された。
加えて臓器を受ける側の人の状態はそれほど緊迫したものではなく、移植の妥当性は認められないと報道されている。不幸にも心臓移植を受けたこの人は83日目に死亡した。このスキャンダルの後遺症として「心臓移植」という表現は、15年近くタブーとなっていた。
調査データによれば日本人の約50%は脳死を人の死と認めていることが分かる。この数字は西側諸国における報告と類似しているが、しかしながら西側ニュースメデイアは、日本のようなはげしい脳死論議を盛り上げてこなかった。和田事件や日本古来の伝統的死生観、医者に対する不信感、脳死判定の基準に対する疑い、及び日本の検死システムと移植の手順が不整合を起こしていることなどが、日本の脳死に関する論争の土壌を形成しているのではと森岡正博氏は指摘している。
脳死した人の臓器を提供した家族の詳しい報道の仕方は,臓器移植が広く受け入れられるのを思い止どませる結果となったかも知れない。
脳死提供を妨げる文化,生命倫理的ファクター
米国で1960年代及び1970年代に起こった患者の権利を擁護する運動から生命倫理が話題とされるようになった。この運動はそれまでのパターナリスティックな医療行為へのチャレンジであり、治療方法とそれに基づく決定に患者は参加する権利があるとし、公共政策が発展するための議論の場を与えた。日本では1980年代の初期に起こった脳死論争への答えとして生命倫理への関心が起こった。生命倫理の関心が起こる以前は日本人の医師たちによる「密室」医療行為及び方針を浸透させることこそが学者であり官僚でありその任にある医者の責任とされていた。この医療の密室制度化は、患者は自分たちの健康状態に関する情報を受ける事も出来ず、ましてや主治医に意見することも許されなかった。脳死判定に至るまでの手順とか医者による不充分な説明,脳死の場合臓器提供せよと医師から強要されるかも知れないなどの恐れが、患者の権利を擁護する為に医療行為をもっと公表してほしいと要請する方向へいった。
生命倫理委員会が一般人の参加を極力否定しているなか,日本における権利擁護団体は政策論議への一般人の参加をもっと求めている。一般人を締め出していることは,脳死論争を公に調査することを曖昧にし見えにくくしている。このプロセスの科学面の確立に関する問題点に油を注ぐような結果をもたらしている。脳死と移植は、医療の近代化を反映しており、これは西側の医療を考察したした結果だと多くの日本人が信じている。他の諸文化と同様、日本の文化も内的外的社会的圧力の結果を受けて変化している。独自の文化を確立するには文化的統合が重要である。
森岡氏が記しているように何人かの日本人の学者は、東アジアにおける生命倫理は文化的に見て西欧・アメリカと関連性がありつつも西欧やアメリカの諸価値を必ずしも投影しているとは言えないと言っている。変化を辿る日本の脳死と移植への考えを受け入れる為には、死にまつわる文化の意味に関する基本的な知識が必要である。死の意味に関する日本人の意見は様々である。伝統的に見れば死は医学的に説明できる現象というよりも社会的出来事である。多くの日本人は身体と霊は一緒であり,来世に生きると信じているので、身体をいじるということに嫌悪感を抱いている。伝統的な仏教や神道の教えのなかに、信条の基礎となる教えがある。脳死の基準の焦点は、他の機能が活動していたとしても、脳が機能停止したか否かにある。他の身体的機能と無関係の脳機能停止としての死は、日本人の概念の中にある全人間の死という様相とは相いれない。
西側の人達の概念では心と身体は別であり、個人的なアイデンテイーは脳にある。伝統的な日本人の考え方からすれば双方は等しく,身体が温かいということは生命エネルギーがあることなのである。脳死の判定は混乱を生じる。何故なら心臓の鼓動と身体の温かさと動きはまだ残るからである。心臓の機能停止は臓器を確保することの蔭に隠れてしまい見えない死を生じる。
脳死者による臓器提供にまつわる諸問題
長谷川氏とその研究班によれば臓器提供法は、それに関係する規則に基づき,大学病院あるいは日本救急医療研究学会から指定を受けた病院でのみ臓器提供がなされる。将来は、救急医療センター及び神経外科学会から承認された病院でも出来るよう枠を広げる考えがある。承認された病院であっても脳死判定する準備が整っていない現状にある。1998年の11月、厚生省からの発表によれば、認可を受けている病院のほぼ50%は移植を行う手筈が整っている。脳死提供者から臓器を取り出す病院を準備する事と日本臓器移植に関するプログラムが直面する問題がある。それは訴訟を恐れて臓器を取り出すことを渋る医者がいることだ。脳神経外科医たちは、臓器提供に関する責任を明確にするよう、また脳死と診断出来る複数のスタッフとか材料を予備に備える制度、脳死の診断及び臓器を取り出すことにかかる費用を明記すること、一般の人達に臓器移植に関する教育をする事などを厚生省に申し出ている。
結論
おおかた半数の日本人は脳死を死とすることに問題を感じていないが、脳死者から臓器を取り出す事に関しては広く賛同を得ることが出来ていない。理由としては医者に対する不信、過去に起こった脳死に関する曖昧な判定、人材及び医療技術の不備などのファクターがあげられ、これらが脳死と判定する基準に影響を与え,生と死に関する伝統的文化的心情にもすっきりしないものを残している。脳死者の臓器を用いることに関する日本人の絶えざる論議の根拠を、西側諸国の人達が受け入れられるかどうかというのが、最も大事な問題ではない。文化を異にすることから来る主張をより良く理解する為に、この論争の基となっている社会、文化的背景をもっと良く理解することは自明である。移植に関する文化的側面を克服すべき壁とみなすべきではなく、むしろ臓器移植の実施に伴なう複雑な社会,生命医学の現実を理解する機会とすべきだとmarshallとKoeningは言っている。
(以下・レフェランス省略)
*This article was cited here for material of academic research. If the author and/or people at MedScape visit here and feel unpleasant please let me know. This file will be deleted then. Email:pbi01055@nifty.ne.jp
http://medicalpractice.medscape.com/Medscape/transplantation/journal/2000/v01.n02/mt0425.wick/mt0425.wick.html
Policy & Practice
Brain Death and Transplantation: The Japanese
Mona Newsome Wicks, PhD, RN, CCRN
[Medscape Transplantation, 2000. 2000 Medscape, Inc.]
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Introduction
All cultures struggle with issues related to life and death; however,
the reasons for conflict are often embedded within the unspoken assumptions
of each culture.[1] The Japanese have grappled with the ethical, legal,
and moral issues surrounding brain death for over 30 years. While the 1997
Organ Transplant Law legalized organ procurement from brain dead donors,
the controversy surrounding this issue persists. Sixteen months elapsed
between passage of the law and performance of the first legal heart, cornea,
kidney, and liver transplant procedures using organs procured from a brain-dead
donor.[2] Like most nations, Japan has a very limited supply of donor organs.
Given the extreme shortage of living donor organs and the existence of
the Organ Transplant Law, why are the Japanese reluctant to use brain-dead
donors? A complex mix of historic events, cultural and bioethical factors,
and resource issues hinder widespread acceptance of the procedure.
Policy & Practice
Unlike many industrialized nations, Japan is unique in its reliance
on living donor organs.[3] Approximately 70% of transplanted kidneys and
80% of segmental liver procedures performed in Japan are live donor organs.
This is in contrast to the United States, where 68% of kidneys and 98%
of livers transplanted in 1998 were obtained from cadaveric donors.[4]
Japan's organ transplant legislation protects donors' rights and emphasizes
the voluntary nature of organ donation, while preserving the rights of
families to refuse organ donation.[3] The law also provides clear guidelines
regarding when relatives can and cannot decide on organ donation for a
brain-dead donor when documentation of the donor's wishes do not exist.[3]
The law stipulates that 2 physicians confirm brain death prior to organ
procurement and that donors must be over 16 years of age and recipients
at least 6 years of age.[5]
History of Brain Death in Japan
Debates regarding the determination of brain death as a criterion for
organ procurement began in Japan in 1968[6] when Japanese surgeon Dr. Wada
performed the world's second heart transplant using an organ procured from
a brain-dead donor.[1] Although initially heralded as a scientific achievement,
Wada was later arrested for murder but acquitted after 6 years of litigation.[7]
This controversial event left a legacy of mistrust related to the appropriate
use of brain death criteria within the context of transplantation. Allegations
of impropriety associated with the donor's treatment and determination
of brain death were extensively publicized. In addition, the organ recipient's
condition was reportedly noncritical and did not warrant the procedure.[6]
Unfortunately, the recipient died 83 days after receiving the transplanted
heart. As a result of the scandal, the phrase "heart transplantation" was
forbidden in Japan for nearly 15 years.[6]
Survey data indicate that almost 50% of Japanese people equate brain
death with human death.[6] Although this figure is similar to that reported
in Western countries,[8,9] there was no parallel outcry by the Western
news media regarding the source of these organs.[10] Morioka suggests that
the combined influence of the Wada case, traditional Japanese beliefs related
to death, distrust of Japanese physicians, doubts about the criteria used
to establish brain death, and the clash between the Japanese autopsy system
and transplantation procedures potentially explains the Japanese brain
death debate. The graphic and intrusive nature of recent media coverage
of families who have willingly donated organs from brain-dead relatives
may have also dissuaded widespread acceptance of the procedure.[5]
Cultural and Bioethical Factors That Restrict Brain Death Donation
Bioethics emerged from the patients' rights movement that occurred
in the United States during the 1960s and 1970s.[6] The movement challenged
paternalistic medical practices, gave patients the right to participate
in healthcare decision making, and provided a forum for public policy development.[6]
Interest in bioethics occurred in Japan during the early 1980s in response
to the brain death debate. Prior to the emergence of bioethics, Japanese
physicians practiced "closed-door" medicine and policy development was
the responsibility of academicians, bureaucrats, and appointed professionals.[3]
Within the closed-door system, patients were neither given information
about their health nor permitted to criticize their physicians. Fear regarding
the process of brain death determination, the lack of information shared
by physicians, and the possibility that doctors might threaten families
that refused to donate the organs of brain-dead relatives led patients'
rights advocates to press for a more open-door policy. Japanese advocacy
groups are more vocal in their desire to participate in policy development,
despite the fact that professional bioethics committees typically exclude
participation by laypersons.[3] Exclusion of laypersons obscures the brain
death debate from public scrutiny and fuels questions regarding the scientific
integrity of the process.[3]
Brain death and transplantation also reflect the modernization of medicine,
which many Japanese believe is a reflection of Western influence[6] Like
most cultures, Japanese culture has evolved as a result of both internal
and external social forces. The maintenance of cultural identity, however,
is important to cultural integrity. Morioka notes that some Japanese scholars
advocate that East Asian bioethics must be culturally relevant and need
not reflect Euro-American values.
Acceptance of the evolving Japanese position on brain death and transplantation
requires a basic knowledge of the cultural meanings ascribed to death.
Diverse opinions exist among the Japanese regarding the meaning of death.
Traditionally, however, death is viewed by the Japanese as a social event,
rather than medically determined phenomena.[7] Many Japanese have an aversion
to tampering with the integrity of the corpse because they believe that
the body and soul remain together and arise in the next life.[11,12] Traditional
Buddhist and Shinto teachings provide the basis for these beliefs.[11]
Brain death criteria focus on the cessation of brain function although
other vital functions continue. Death as cessation of brain function separate
from other bodily functions is inconsistent with the Japanese perspective
of death of the whole person.[12] Within the Western perspective, in general,
the mind and body are perceived as separate, and personal identity is thought
to reside within the brain. Traditional Japanese perspective places equal
if not greater symbolic importance on the heart, because bodily warmth
is equated with life energy.[11] Determination of brain death creates confusion
because the final result is a warm body with a beating heart and reflex
movement.[12] Cessation of heart function is shrouded within the confines
of organ procurement, creating a death that is mienai shi (death that cannot
be seen).[7]
Resource Issues That Restrict Brain Death Donor Utilization
According to Hasegawa and colleagues,[13] the Organ Donation Law, along
with related regulations, limits donor institutions to university hospitals
and hospitals authorized by the Japan Emergency Medicine Association. Future
plans exist, however, to include emergency medical centers and hospitals
authorized by the Japan Neurosurgery Association.[13] Many authorized institutions
are not ready to determine brain death. The Japanese Health and Welfare
Ministry acknowledged, in November 1998, that approximately 50% of authorized
institutions were prepared to implement the procedure.[5]
Coupled with the need to prepare institutions to procure organs from
brain-dead donors, Japanese transplantation programs are faced with the
reluctance of some physicians to authorize organ removal because of the
threat of litigation.[5] Neurosurgeons have advocated that the Ministry
of Health and Welfare clarify the legal responsibilities of organ transplantation,
establish reserve systems to provide staff and materials to diagnose brain
death, clarify the cost for the diagnosis of brain death and organ removal,
and educate the public about organ transplantation.[14]
Conclusions
While almost half of Japanese people accept brain death as consistent
with death, organ procurement from brain-dead donors is not widely accepted
in Japan. Several factors contribute to this position, including distrust
of physicians, past improprieties in determining brain death, insufficient
resources (ie, staff and technology) to adequately apply brain death criteria,
and traditional cultural beliefs concerning life and death. Whether or
not Westerners accept the rationale for the ongoing Japanese debate about
the use of organs from brain-dead donors is not the primary issue. Clearly
there is the need to explore the social and cultural context of this controversy
to better understand and facilitate cross-cultural discourse. Marshall
and Koenig[15] argue that cultural aspects of transplantation should not
be viewed as barriers to be overcome, but as opportunities for understanding
complex social and biomedical issues associated with the practice of organ
transplantation.
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References
1 Takeshi Y. The fuss over brain death in the Japanese psyche. Japan
Echo. 1999;26(4). Available at: http://www.japanecho.co.jp/docs/html/260408.html.
2 Asamura H. The first transplant from a brain-dead patient. Jpn J
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3 Kimura R.Organ transplantation and brain death in Japan. Ann Transplant.
1998;3:55-58.
4 1999 Annual Report of the U.S. Scientific Registry for Transplant
Recipients and the Organ Procurement and Transplantation Network: Transplant
Data: 1989-1998. U.S. Department of Health and Human Services, Health Resources
and Services Administration, Office of Special Programs, Division of Transplantation,
Rockville, Md; UNOS, Richmond, Va.
5 Watts J. One year on, Japan has yet to accept organ transplantation.
Lancet. 1998;352:1837.
6 Morioka M. Bioethics and Japanese culture: brain death, patients'
rights, and cultural factors. Eubios Journal of Asian and International
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7 Marshall PA, Daar AS. Cultural and psychological dimensions of human
organ donation. Ann Transplant. 1998:3:7-11.
8 Macer D. The Far East of biological ethics. Nature. 1992;359:770.
9 Macer D. What can bioethics offer to Japanese culture? Nichibunken
Newsletter. 1993;15:3-6.
10 Lock M. Commentary on Masihiro Morioka, "Bioethics and Japanese
Culture." Eubios Journal of Asian and International Bioethics. 1995;5:120-121.
Available at: http://zobell.biol.tsukuba.ac.jp/~macer/EJ55D.html.
11 Brannigan M. On asking the right questions: personal death vs. brain
death in Japan. Death Studies. 1998;22:157-169.
12 Sato O. Human rights in organ transplantation. Tokai J Exp Clin
Med.1998;22: 297-299.
13 Hasegawa T, Otsuka T, Yokota H, et al. Medical activities and states
of preparedness of donor hospitals. Transplant Proc. 1996;31:1948-1949.
14 Nukui H, Abe H, Kirino T, Ogawa A, Katayama Y, & the Organ Transplantation
and Brain Death Investigation Committee of the Japan National Neurosurgical
Society. Neurosurgeons request better relationships in the Japanese organ
transplantation system. Transplant Proc. 1999;31:1950.
15 Marshall PA, Koenig BA. Anthropology and bioethics: perspectives
on culture, medicine, and morality. In: Sargent C, Johnson T, eds. Medical
Anthropology: Contemporary Theory and Method. New York, NY: Praeger Publishing
Company; 1996:349-373.
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Mona Newsome Wicks, PhD, RN, CCRN, is Associate Professor, Acute Care
Nursing Department, University of Tennessee, Memphis, College of Nursing,
Memphis, Tennessee.