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作成:森岡正博 
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意識通信

 

森岡正博『意識通信』ちくま学芸文庫(現在絶版)、初版1993年

第5章 意識交流の深層へ (その前半部分 195〜218頁)

 

ホスト介入型グループ・メディアの構造

  ラジオのトーク・イン番組や、パソコン通信のチャンネル・ゼロのような「ホスト介入型グループ・メディア」を進化させる。そうすることで、電子空間の中に「社会の夢」が成立するのだと述べた。
  その詳しい様子を見る前に、まず「ホスト介入型グループ・メディア」の基本的な構造を振り返っておきたい。
  ラジオのトーク・イン番組では、視聴者がラジオ局へと電話をかけ、ホストと会話をする。その会話の様子がラジオの電波にのってすべての視聴者へとフィードバックされる。
  ただし、電話をかけたすべての人がホストと会話できるわけではない。ディレクターが発言内容や電話番号などをチェックし、そこで取捨選択を行なってからホストにまわすのである。ここで、電波にのせるのがまずいような電話や、面白くなさそうな電話はカットする。会話中でも、放送禁止用語をカットする仕組みが働いたり、会話を強制的に終わらせるテクニックがあったりして、番組内容はホスト側がきっちりと管理できるようになっている。
  パソコン通信のチャンネル・ゼロの構造は、これとは少し異なる。参加者たちにパーソナリティが加わって、会話が進行してゆく過程は同じであるが、ホスト側による検閲はない。ホスト側のパーソナリティは、参加者たちと、ただ会話するだけである。そして、プロ意識に徹して会話を誘導し、その場を盛り上げる。しかし、パソコン通信でも、将来は、検閲を行なう大規模のトーク・イン番組が行なわれるようになるだろう。
  この両者に共通しているのは次のような構造である。

(1)まず、視聴者たちがメッセージをホスト側に送ってくる。
(2)ホスト側は、(それらのメッセージを取捨選択したあと)そのメッセージを送ってきた参加者たちと会話する。そして、その会話を面白いものへと盛り上げてゆく。
(3)会話の様子をすべての視聴者へとフィードバックする。

 視聴者はその会話の様子を眺めながら、また新たなメッセージをホスト側に送り届ける。この循環過程を何度も何度も繰り返すことによって、ホスト介入型グループ・メディアは運営されてゆく。
  ここでのコミュニケーションは、匿名性の意識通信である。参加者たちは、匿名の状態のまま、ホストや他の参加者と会話することそれ自体を楽しむ。そして、その会話は、盛り上がったり、わくわくしたり、刺激的であったりするような方向へと誘導される。そこでは、現実世界のしがらみは排除され、人々は普段は得られない刺激を求めて自己を解放する。
  ここにあるのは、「声」や「文字」などに制限された「制限メディア」のコミュニケーションである。ここでは、参加者たちの断片人格がひとり歩きする。我々の想像力はいやおうなく刺激される。

統合メディアへの展開

  第一章で述べたように、電子メディアは、音声・文字・画像などをひとまとめにしてリアルタイムでやりとりできる「統合メディア(マルチ・メディア)」の時代へと入ってゆく。すなわち、遠く離れた人の顔を三次元の映像で見ることができ、彼とリアルに会話を行ない、そして彼の持っている書類の内容を画面上に表示してもらうことができるようになる。あるいは、ビデオのような動画を送ることもできるし、人工現実インターフェイスを使うことで、相手とテニスをしたり、相手に触れたりすることも不可能ではない。
  ということは、制限メディアの上で行なわれている現在の「ホスト介入型グループ・メディア」も、その姿を大きく変えてゆくにちがいない。
  では、統合メディアのもとでは、「ホスト介入型グループ・メディア」はどのように変貌するのだろうか。
  まず、参加者たちが、様々な種類のメッセージをホスト側い送り込んでくるようになる。参加者は、文字や音声だけではなく、マンガやビデオ映像を用いたメッセージを送り込むこともできる。文字のメッセージに、ビデオ自画像をくっつけておくのも面白い。あるいはシンセサイザーを使って、架空の映像や、架空の自己像を送り込むこともできる。触覚に訴える「触覚物」を送ることも可能だろう。
  それらのメッセージ群は、当面は、パソコン通信のような二次元の画面上に並べられることになる。しかし究極的には、三次元の空間、すなわち奥行きをもった「部屋」の中に、それらのメッセージ群が配置されることになるはずである。
  三次元の空間の中に、音声や画像や文字などから成る様々なメッセージが送り込まれ、それらが電子空間の中を昆虫のように飛び回って、お互いにぶつかりあいながらコミュニケーションをとる。これが将来の統合グループ・メディアの姿になるにちがいない。
  ラジオやパソコン通信の場合だと、ホストは、参加者たちと声で会話したり、文字で会話するだけでよかった。しかし、統合メディアのもとでは、文字や画像や音声などが怒濤のようにホスト側に送られてくることになる。それら多種多様なメッセージに対して、ホストはどうやって対応すればよいのだろうか。
  三次元空間に飛び交う様々なメッセージの群れとの「会話」とは、具体的にはいったいどういったことを指すのだろうか。音声だけに制限されたメディアでは、声のメッセージに対して、声のメッセージを返すだけでよい。パソコン通信のような、文字だけに制限されたメディアでも同様である。しかし、統合メディアは、声や文字や画像などのあらゆる形態のメッセージであふれる。ホストは、あるメッセージに対しては声で応答し、他のメッセージに対しては文字で応答し、他のメッセージに対しては臨機応変に画像を作って応答しなければならない。それらの応答をスムーズにこなしてはじめて、統合グループ・メディアで「会話」を行なったと言える。

意識をデザインする

  統合メディアのもとで、ホストが、たくさんの参加者たちを相手にしてそのような会話を達成するには、そのために特別に開発されたシステムが必要になる。(このホストの人間のことを、我々は「ドリーム・ナヴィゲイター」と呼ぶことになるが、当面はホストという呼び名を続けて使うことにしたい。)
  その基本的なイメージを考えてみよう。
  まず、ホストが人工現実インターフェイスをつけて、コンピュータの中に作られた三次元の電子架空空間の中に入り込む。この空間は、何の飾りもない立方体の部屋になっている。現在のところ、人間にコンピュータの内部の架空空間を完全に疑似体験させるような「人工現実インターフェイス」はまだ開発途上であるが、近い将来には実現すると予想されている。具体的には、ホストが、専用の機器を身体全体に装着することになるだろう。 ホストは、その装置を付けて、コンピュータ内部の架空の部屋に入り込む。回りを見渡しても、部屋の単調な壁以外はなにも見えない。手を動かして前にもってくると、CG(コンピュータ・グラフィックス)で描かれた自分の手が見える。下を見ると、自分の身体と足が見える。とても本物には見えないが、これからの作業のためにはこれで充分だ。
  ホストは、この部屋に待機して、参加者からのメッセージが入ってくるのを待つ。参加者からのメッセージは、定型化された発光物体として、この部屋の中に現われる。どんなメッセージも、ちょうど手で握れるチョコレートぐらいの大きさに圧縮され、定型化されてホストの前の空中に出現する。ホストは、最初に飛び込んできたメッセージの物体(メッセージ体)を手に取って、その表面を観察する。このメッセージ体は、参加者のひとりからたったいま送られてきた統合メディアのメッセージだ。メッセージ体は直方体をしている。そしてその各側面には、それぞれ「文字のメッセージ」「音声のメッセージ」「画像のメッセージ」「動画のメッセージ」「触覚のメッセージ」などが、圧縮され、凍結されて貼り付いている。それぞれの側面は、独自の光で輝いていて、慣れてくると、どの側面が「文字のメッセージ」なのか一目で分かるようになる。
  メッセージ体がたくさん集まってくると、とてもきれいだ。いろいろな光を発しながら、ゆっくりと回転して浮遊するメッセージ体の群れ。夜の水族館の水槽の底に立って、頭上を泳ぐきらびやかな魚の群れを見ているようだ。作業がしやすいように、信号を送ると、すべてのメッセージ体が同時に同じ側面をこちらに向けるようになっている。たとえば、すべてのメッセージ体の、画像のメッセージの側面だけがこちらを向く。信号を送るたびに、部屋を包む輝きが、赤からオレンジへ、黄色へと変化する。
  メッセージ体を手に取って、その各側面を眺める。そして、たとえば「文字のメッセージ」の側面にあるボタンを押してみる。すると、そこに圧縮され凍結されていた文字のメッセージが瞬間に解凍され、目の前の空間に広がる。そしてそこに立ち上がってきた文章を読むことができる。
  同様のやり方で各側面を解凍して、そのメッセージ体に詰まっている音声や画像などのすべての種類のメッセージを、目の前に立ち上がらせる。そして、その内容をすばやく把握する。つまらない内容ならばボタンをもう一度押して、すべてをもう一度凍結する。
  こうやって、メッセージ体の全内容をすばやく把握したあとで、ホストは二つの作業を行なうことになる。
  ひとつは、そのメッセージ体の中に埋め込まれていた「メッセージ」に対して、何かの「コメント」をする作業である。メッセージ体を送り込んできた参加者は、ホストが自分のメッセージを読んで、それに敏感に反応してくれることを期待している。ホストは、その参加者の要望に、できるかぎり応じなければならない。ホストは、メッセージ体のどこかの側面に、文字や絵や触覚物などで作られたコメントを貼り付ける。そして、とりあえず自分の身体のまわりにそのメッセージ体を泳がせておく。
  コメントは、文字や画像や触覚物などを用いて、すばやくなされなければならない。たとえば、メッセージ体の文字の側面に、最近話題の歌手についてのメッセージがあったとする。これに対して、ホストは文字で自分の意見をコメントしてもよい。ホストが文字のコメントを貼り付ける様子の一部始終を、全参加者は自分の端末機からリアルタイムで見ることができる。
  しかし、文字のメッセージに対して、ホストが文字で反応をする必要はない。たとえば、その歌手の写真をデータベースから引き出し、それを加工して画像をつくり、コメントとしてメッセージ体に貼り付けることもできる。さらにその画像に文字のメッセージを連結させたり、音声のデータを連結させることもできる。そのようなホストのコメントに対して、今度は、参加者が様々な素材をもちいた新たなメッセージを返してくることもある。このように、「文字」「画像」などの表現ジャンルをクロスオーバーした、マルチメディアのやりとりが、この世界のコミュニケーションの特徴である。
  ホストのコメントに対して、同じ参加者がすぐに応答して新たなメッセージ体を送ってくる場合がある。そのときには、ホストはその新たなメッセージ体にコメントを付けて、近くに泳がせてあった最初のメッセージ体に結合させる。こうやって、いくつものメッセージ体が数珠つなぎになって、空間を泳いでゆくこともある。
  第二の作業は、コメントを付けたメッセージ体を、三次元空間のどこかの位置に固定する作業である。自分の身体の回りに泳がせてあったいくつかのメッセージ体の中から、ひとつを取り出して、部屋の三次元空間のどこかの地点にまで持って行き、手を伸ばしてそこに固定する。そしてそのメッセージ体のすべての側面を解凍する。メッセージ体は、部屋の中のその位置で発光し、七色に光かがやく。解凍されたメッセージ体のひとつの側面には、ホストが貼り付けたコメントが結合されていて、一緒に光っている。ホストのコメントをあいだにはさんで、メッセージ体とコメントが交互に数珠つなぎになって部屋の空間に貼り付けられているものもある。(もちろん参加者たちは、そのすべての過程を端末機から見ることができる。)
  ひとつの(あるいは一連の)メッセージ体を固定し終わったら、次に、他の参加者から発せられたメッセージ体の中から適切なものを選んで、固定してあるメッセージ体の隣に貼り付ける。そして、その各側面を解凍する。もし、このふたつのメッセージ体がお互いに関連する内容を持っていたならば、このふたつのメッセージ体は相互に輝き合い、あるいは反発し合って、独特の小宇宙を形作るだろう。
  ホストは、隣接するこのふたつのメッセージ体に、さらなる加工をほどこすこともできる。たとえば、ふたつのメッセージ体の画像の側面がたいへん良く似ていたとすれば、そのふたつを融合させて、新たな画像を両者の中間に作り出してもよい。そして、それにホストが作り出した別の画像を結合させて、おもしろい効果をねらうこともできる。また、一方の文字のメッセージと、もう一方の画像のメッセージのあいだに、非常に面白い対比が見られる場合などは、そのふたつの側面を結んで、相互に参照できるようにすることもできる。あるいは、一方の画像のメッセージの中に、他方の画像のメッセージを埋め込んだり、二重写しにするのもおもしろい。そこに、他のメッセージ体の音声や音楽などをさらに埋め込むこともできる。
  こうやって、いくつものメッセージ体を順序よく空間に配置しながら、そのあいだに様々な連関を作り上げ、メッセージ体の濃密な相互参照ネットワークを形成するのが、ホストの役割である。ちょうどカラフルな色の原子のボールを手にして、複雑な高分子の立体模型を慎重に組み上げてゆく作業に似ているのかもしれない。ホストがメッセージ体を空間に次々と配置してゆくにつれ、その三次元空間の中には、様々な色合いをもって光るメッセージ体の巨大樹ができはじめる。複雑に枝分れしたこのメッセージ体の巨大樹を作り上げることこそ、ホストの作業のひとつの目的なのである。
  この作業を、従来のパソコン通信と比較してみよう。
  パソコン通信のチャットの場合では、参加者たちが発した文字のメッセージが、画面の上から順番に並んでゆくだけである。それぞれの発言は、直前のメッセージを受けていることもあるし、かなり前に登場したメッセージを受けていることもある。チャットでは、このように、参加者から送られてきた文字のメッセージが、時間を逐って一直線に連鎖してゆく。
  チャンネル・ゼロのような、ホストが介入するチャットでは、参加者たちのメッセージのあいだに、ホストからのコメントや批判などが頻繁に挟まることになる。そこでの会話はホストを中心として進行する。そして、ホストの話術に誘導されて、会話は独特の盛り上がりを見せてゆく。
  これらに対して、統合メディアのホスト介入型コミュニケーションでは、画像や音声をも含めた多様なメッセージが、電子の部屋の中に網の目のように配置される。それぞれのメッセージの応答関係も、パソコン通信のように一方向的ではなく、蜘蛛の巣にはりめぐらされた糸のように、全方位的である。
  このコミュニケーションの最大の特徴は、ホストが参加者からのメッセージを自分の手で空間に配置し、それらを意味付けするプロセスにある。たとえば、ある参加者から「不安」に満ちた画像が送られてきたとする。それはその参加者の現在の心理状況を吐露したものかもしれないし、あるいは時代に対する漠然とした不安がその画像からほとばしりでているのかもしれない。ホストは、その画像メッセージを頭の隅にとどめながら、他のメッセージを次々と解読する。すると今度は、何かへの「いらだち」を前面に出した文字のメッセージに出会う。ホストは、さきほどの不安の画像を思い出し、この二つのメッセージを並べてデザインすることを考える。彼は、「不安」の画像の中に「いらだち」の文字メッセージを貼り込み、それにホスト自身の声のコメントをつけて、空間の片隅に配置する。
  このような作業を行なうことで、ばらばらに集まってきたメッセージの中に共通して存在する「思想」や「気分」などを、効果的にすくい上げることができる。このような発見は、メッセージを送り込んだ参加者たち自身にとっても刺激的である。
  ホストが作り上げた「不安」のデザインに対して、参加者たちからリアクションが多数集まってくることもある。ホストは、それらの新たなメッセージを解読し、そのうちのいくつかを、「不安」のデザインの場所にさらに追加して貼り付ける。こうやって、空間の一隅に、「不安」の気分を核とするメッセージ群が出現する。そしてそのメッセージ群は、空間のちょうど反対側に作られた「うれしさ」の気分を核とするメッセージ群と、きわだった対立を見せることになる。
  このような作業は、今の形のパソコン通信では不可能である。
  ホストは、参加者から送り込まれてくるメッセージ体に次々とコメントを付け、空間に配置してゆく。しかし、中にはコメントを付加されないで漂っているメッセージ体や、コメントを付加されたものの空間に固定されることのないメッセージ体が発生するであろう。それらのメッセージ体は、やがてホストの傍らを離れて、光かがやく固定メッセージ体のあいだをすり抜けるようにしながら、難破船のようにあてどもなく漂流し始める。それらの漂流メッセージ体は、空間のあちこちをさまよいながら、固定メッセージ体の形成する入り江に漂着したり、あるいは固定メッセージ体の複雑な水路に飲み込まれて座礁したりする。
  参加者たちから送られてきたメッセージ体は、ホストによって空間に固定されて意味付けられるものと、そうでないものとに二分される。すなわち、参加者から送られてくるメッセージは、この時点で「検閲」にかけられる。そして検閲にパスしたもののみが空間中に固定され、意味付けられるのだ。この意味で、これは「検閲」の存在する「ホスト介入型グループ・メディア」であることになる。検閲の網をかけることで、ホストが配置するメッセージの質が高まり、その配置作業の密度がより濃くなってゆく。情報社会とは、入ってくるメッセージの量が飛躍的に増大する社会のことである。そして増加したメッセージのほとんどは、質の低い、定型化された廉価品である。それら多量のメッセージを素材にして、質が高く面白いコミュニケーション空間を創造しようと思えば、どうしても流入してくるメッセージを一回検閲にかけて、取捨選択しなければならない。その役割をホストは担っているのである。
  しかし、検閲で却下されたメッセージ体は、空間から消去されるのではない。それらのメッセージ体は、漂流メッセージ体となって空間の中をあてどもなくさまよい、固定メッセージ体のネットワークの背景情報、すなわち「風景」となって残るのだ。そして、ホストも、参加者たちも、特定の漂流メッセージ体を空間のどこかにいつでも発見できる。
  参加者たちから送り込まれてくる数多くのメッセージ体を解読し、検閲し、コメントを付け、空間中に配置して巨大樹を作りあげてゆくこのホストの作業の本質は何であろうか。それは多くの参加者から送られてくるメッセージを、三次元空間に配置して「デザインする」ことではないだろうか。
  意識通信モデルを思い出していただきたい。ここで言う「メッセージ」とは、意識通信モデルの「自己表現」に当たる。そしてその自己表現は、その奥に存在するエネルギーの流れ、すなわち「意識」によって突き動かされているのであった。ということは、ホストの作業とは、自己表現の形をとって流入してくる参加者たちの「意識」をデザインすることであることになる。
  しかしこの意識のデザインは、ホストひとりの力でできるわけではない。ホストを信頼し、ホストとのやりとりを希望して参加してくる参加者たちからのメッセージが存在しなければ、それはそもそも不可能なのだ。この意味で、「意識のデザイン」とは、参加者たちとホストとの共同の作業であることになる。逆に言えば、こういうことだ。参加者たちは自分たちの送り出した自己表現が、ホストによってどのように評価され、コメントされ、そしてデザインされるかを楽しみにしながら参加している。つまり彼らは、ホストを介した「意識のデザイン」作業に、積極的に参加することをめざして集まってきているのである。このようなコミュニケーションの形態のことを「デザイン通信」と呼ぶことにしよう。 ホストの手によって、電子の三次元空間にメッセージ体が配置され、デザインされる。夜空に輝く星座のように、参加者たちの意識が三次元空間にデザインされてちりばめられる。参加者たちは、そのすべての様子を自分たちの端末機から眺めることができる。そして自分の送った自己表現が、ホストによってどのように処理され、他の参加者たちの自己表現とどのように関連づけられているかを、確かめることができる。自己の分身である自己表現が、ホストの手によって他の参加者の分身と関連づけられ、幸福に結合している様子を、手に取るように見ることができる。
  ホストのいる電子の三次元空間は、参加者たちの端末機の中にリアルタイムで再現される。従って、ホストによるデザイン作業の一部始終を、参加者たちは自分たちの端末機を通してリアルタイムで見ることになる。送られてきたメッセージ群がどのように処理され、どういう手順でデザインされるのかを、しっかりと確かめることができる。そのうえで、参加者たちは次のメッセージを、ホストに向けて送り込むのである。参加者の多い部屋では、複数のホストたちがチームを組んで作業に当たることもある。複数のホストによる作業では、デザイン過程がスピードアップされ、出来上がるメッセージ体の巨大樹の姿も、より複雑で豊かな色合いをもったものになる。
  空間がメッセージで一杯になったら、その時点で最初のセッションは終わる。参加者たちは、ちょうど森をくぐりぬけて樹々を観察するときのように、自分の端末機を通してその空間を三次元的に仮想体験することができる。そして、ところどころでメッセージ体の側面を解凍してみたり、触覚物に触れてみたりして、より深くその作品を味わえる。そうすることによって、参加者たちの自己表現をそのようにデザインしたホストの「知性」や「感性」や、あるいはホストからの隠されたメッセージなどを全身で受け取ることができるのだ。このような一連のデザイン作業への参画をとおして、参加者は、普段のコミュニケーションでは決して達成できない、新たな形式と内容をもったコミュニケーションを、見知らぬ人々とのあいだに共有することになる。ホストによって、自分のメッセージを空間にデザインされ、そこで他の参加者のメッセージと交流するというのも、れっきとした「コミュニケーション」である。
  ここで描写したデザイン通信の構造は、「ホスト介入型グループ・メディア」のひとつの典型例となっている。まず、参加者が自分のメッセージをホスト側に送ってくる。ホストはそれに対してコメントを付け、それをデザインすることでその参加者と会話する。そしてその様子と結果がすべての参加者たちの端末機にフィードバックされる。この過程が繰り返されることで、コミュニケーションが進んでゆく。
  デザイン通信が、面白くて、わくわくするようなコミュニケーションとなるかどうかは、ホストのコミュニケーション能力とデザイン能力にかかっている。すなわち、参加者の送り込んできたメッセージをすばやく的確に把握したうえで、それに気のきいたコメントを付けてその参加者をさらに刺激し、そしてそのメッセージを空間の中に上手にデザインできる能力である。ホストのコメントとデザインがすぐれていれば、その参加者はそれに刺激されて、敏感な反応を示してくる。それに再びホストが答えることで、コミュニケーションは盛り上がってゆく。そのやりとりを見ていた他の参加者たちも、その盛り上がりに参加するために、メッセージを活発に投入してくる。
  参加者が送り込んだメッセージは、ホストによって解読され、加工され、デザインされて自分の端末機にフィードバックされる。参加者はホストからの応答を確かめて、喜んだり、うれしくなったり、驚いたり、感動したりする。あるいは、シラケたり、腹が立ったりする。そのような刺激を受けることで、参加者はさらに次のメッセージを作成する情熱を持つことができる。このように、デザイン通信のコミュニケーションは、コミュニケーションすることそれ自体を目的とする「意識通信」である。参加者たちは、デザイン通信に参加することで、自分の自己表現の欲求を解放し、ホストによって自己表現がデザインされる喜びを得ることができ、ホストや見知らぬ他人とやりとりをすることで新たな何事かを得ることもできる。
  デザイン作業に参画するときのこのような充実感が、参加者をデザイン通信に惹き付ける大きな要因である。そしてその充実感を参加者にもたらす決め手となるのは、やはりホストの人間性とデザイン能力であろう。たとえば、参加者が送り込んできたメッセージにどのように反応し、それをどのようにデザインするかは、すべてホストの直観と知性にかかっている。ホストの対応ひとつで、メッセージを送り込んだ参加者は感動したり、失望したり、スイッチを切ったりする。ホストの応答が参加者の目にとても魅力的に映るとき、その参加者はホストのコメントやデザインをとおして大きな影響を受ける。その影響は、参加者の感性や人間性や価値観にまで及ぶこともあるだろう。意識通信モデルの用語を使えば、ホストとの意識交流によって、ホストの意識が参加者の人格の内部へと深く入り込み、参加者の人格の形態を変化させ、参加者の内面の構造をまでも変化させるのである。そのようなパワーを持つために、ホストはつねに自分の直観や知性を磨き、コミュニケーションの場の流れを的確に判断できる能力を身につけ、そこに流れる意識やその底に伏在する無意識を敏感に察知する身体感覚をやしなっておく必要がある。
  しかし、逆に考えれば、ホストの人格的欠陥や無意識的な性向がデザイン作業の中で増幅されて、不気味で抑圧的な作品を生み出し、参加者たちのこころに深く大きな傷を残す危険性もある。この意味でも、ホストの適性評価と、作品の品質管理には、たえず気を配っていなければならない。
  ホスト介入型グループ・メディアのひとつの形式である「デザイン通信」の概要を描写してきた。デザイン通信では、〈コミュニケーションを行なうこと〉と〈デザインすること〉が同義である。そしてこれは、ホスト介入型グループ・メディア一般について、多かれ少なかれ言えることだと思う。コミュニケーションとデザインとの関係は、もっと学問的に深く追求されるべきである。また、ホストによる三次元空間へのデザイン作業は、マルチメディアのリレーショナル・データベースを作る作業と、非常に良く似ている。データベースは従来、データの整理・蓄積とその系統的な引き出しという側面から多く議論されてきた。しかし、「データベース構築作業」と「コミュニケーション」との関連性についても、もっと学問的に考えてみるべきであろう。それらふたつは、同じひとつの過程を、別の側面から概念化したものであるかもしれない。

匿名デザイン通信

  統合メディアのデザイン通信では、文字や画像や音声などあらゆるメディアをもちいたコミュニケーションが可能になる。また、参加者の顔や所属などをメッセージと一緒に送ることが慣例化したら、匿名性も保証されなくなる。しかしそれでもなお、第一章で述べたように、匿名性の制限メディアのコミュニケーションは、統合メディアのもとでもしぶとく生き残ってゆくことが予想される。
  デザイン通信の場合も同じである。ラジオのコール・イン番組やパソコン通信のチャットのような、匿名性の制限メディアの意識通信を、統合メディアのもとでも維持したいというニーズは、強く存在するにちがいない。そのような環境下でもうひとりの私を解放し、匿名性のままで他者と交わってゆきたいという願望は、我々の社会からは消えることがないであろう。
  私は、デザイン通信に「匿名性」を徹底して導入し、その通信の形式に「制限」を加えることを提案したい。そして、これを「匿名デザイン通信」と呼びたい。匿名デザイン通信は、匿名のパーティーラインやパソコン通信のチャットに、「ホスト」の機能を加え、それを統合メディアの方向へと展開したものである。
  デザイン通信を、匿名性の制限メディアのもとで行なうことによって、参加者がこころの底に秘めている「もうひとりの私」を最大限に解放させることができる。そして参加者は、匿名のまま他者と交わり、現実世界ではとうてい不可能なコミュニケーションを楽しむことができるようになる。また、匿名の状態でホストのデザイン作業に参画し、他の匿名の参加者たちとともにメッセージの巨大樹を作り上げることができる。それらのコミュニケーションを通じて、参加者たちの意識が匿名性のヴェールのもとで交流する。その意識交流は、フェイス・トゥ・フェイスの意識通信のときとはまったく異なった満足感と充実感、あるいは嫌悪感を、参加者たちに与えるだろう。
  匿名性のデザイン通信は、参加者が「もうひとりの私」をできるだけ演出しやすいように設計される。そのためには、現実世界での参加者の姿を連想させるものを極力排除しなければならない。そして、デザイン通信の世界を、できるかぎり「虚構性」の強い世界にしておかねばならない。
  具体的には、名前や会員番号などのIDが、メッセージ体の上に表示されないようにする。そして、「この世界」性を強く感じさせるものも排除する。まず、参加者は自分の「顔」の情報をメッセージとして送り込んではならない。すでに何度か述べたように、人間の「顔」は、コミュニケーションに極端な現実性をもたらす。それはコミュニケーションする人間の想像力の働きを決定的ににぶくする。シンセサイザーで修正したものであっても、顔情報は送り込んではならない。
  次に「声」の情報について。匿名デザイン通信では、「肉声は送り込んではならない」というルールをしく。「肉声」は「顔」の次に現実性が強い。インターフェイス・シンセサイザーによって修正されて、現実性を薄められた「声」のみを受け入れる。同様の理由で「触覚」も排除したい。
  また、「実写の動画」をどうするかという問題が残る。風景をリアルに移した動画とか、その中に人物像が入っているもの、あるいは映画やテレビの映像の一部分などを受け入れるか否か。これについては、ケース・バイ・ケースで判断するしかない。二次加工されてアート化・マンガ化されたものの方が、受け入れられやすいであろう。
  これらのルールが守られれば、匿名デザイン通信のメッセージ内容は、文字・絵・マンガ・音楽・CGなどの複合によって構成されるはずである。また、このような制限が守られているかどうかを監視することも必要となってくる。具体的には、参加者からのメッセージがホスト側に入ってくるその入口の所で、人工知能あるいは専門家がその内容をチェックすることになるだろう。
  匿名デザイン通信の様子は、さきほど描写した一般的なデザイン通信の様子と、さほど変わったものにはならない。電子の架空空間のなかにホストが控えていて、参加者から送られてきたメッセージにコメントをつけ、それを配置するという構造は、まったく同じである。異なっているのは、参加者やホストの顔・肉声などがメッセージとして流通しないという点、そして身元がばれないために虚構性の強い自己表現が多く出てくる点などである。そして、匿名性が守られているがゆえに、参加者たちにかかる心理的なプレッシャーは低くなり、ちょうど都市の雑踏を歩いているときのような自由な爽快感と、かすかな悪徳のめばえが参加者たちのこころを捉えるであろう。匿名の状態のままで、自分の作品や偏見をホストに送りつけて彼を挑発したり、あるいは自分のこころの内面をそっとホストに告白したりする楽しみがでてくる。
  このような制約をもうけた匿名性のデザイン通信は、しかしながら、ある意味でかなりストイック(禁欲的)なコミュニケーションとなるはずである。というのも、統合メディアが全開した時代では、相手の顔や身体が立体的にリアルに見え、実物と区別のつかない声が聞こえ、ときには相手に触れるというようなリアル・コミュニケーションが可能になっているからである。そこでのコミュニケーションは、より生々しく、より衝撃度が強いものへと傾斜してゆく。そういう状況下で、五感に訴えるリアルなメッセージを極力避けることをめざす匿名性のデザイン通信は、逆に人々の注目を強く引きつけるかもしれない。
  第四章で述べたように、匿名性の制限メディアは、個人のこころの深層に秘められていたものを解放する機能を持っているのであった。そうだとすれば、匿名デザイン通信でもまた同じことが生じるはずである。
  すなわち、匿名性を保証されることによって、参加者たちのこころの深層に抑圧され秘められていたものが、メッセージの中へと非常にスムーズに解放されるようになる。参加者が、現実世界では達成できなかった「もうひとりの私」となって、虚構性の強い自己表現を次々と繰り出すとき、その自己実現の虚構内容の選択や創造をとおして、彼の深層意識はもっとも強く解放される。
  匿名デザイン通信は、参加者たちの深層意識を強力に刺激する。そしてその深層意識の流れを、端末機をとおして、ホスト側の電子空間へと力いっぱい吸い寄せる。匿名デザイン通信は、参加者たちの深層意識を活性化して電子空間の中で交流させるための「仕掛け」として機能するのだ。
  彼らの深層意識が大きなうねりとなってホスト側の空間へと流れ込んでくる。ホストが、参加者からのメッセージ体を解読し、コメントを付け、デザインするたびに、ホストの身体に参加者の深層意識が流入してきてホストの深層意識と接触し、彼の腕を伝って電子の意識交流場へと発散してゆく。意識交流場へと解放された参加者たちの深層意識は、やがてその底辺でお互いにゆっくりと交わり合い、社会の無意識の層を形成しはじめる。
  こうやって、匿名デザイン通信のホストは、自己表現にこめられた参加者たちの深層意識のシャワーを全身で浴び、そのデザイン作業をとおして彼らの深層意識を徐々に身体化し、意識交流場の底辺に蓄積されてゆく社会の無意識のうねりにくるぶしまで浸りながら作業を続けることになる。

後半へと続く

入力:匿名希望さん