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作成:森岡正博
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エッセイ
『朝日新聞』2005年7月16日朝刊・生活欄
考え続ける―自分に決着をつけるために
森岡正博
あなたは中学校に入ったばかりの男の子だ。最近、とてもいらいらする。身体の内側から、なま暖かい溶岩のようなものが、こみ上げてくる。自分の身体が、自分のものではないように感じる。なにかに見知らぬものに操られているような、いやな感覚。
朝起きると、下着がねばねばしている。なにか得体の知れないものが始まったのだ。ティッシュで拭いてみても、きれいにならない。そっとトイレに行って、家族に知られないように、下着をこっそりと洗うときの、鉛のような気持ち。
誰にも言えない。染みついたものは完全には取れないから、母親は洗濯のときに気づくだろう。でも、話題には出てこない。みんなで気づかないふりをしている、この鬱屈した雰囲気。
僕の身体は汚れている、とあなたは思う。そうじゃないよ、と言ってくれる大人はどこにもいない。汚れた身体をもったあなたは、やがて、寝る前に処理することを覚える。それははじめて知る快感ではあるが、終わったあとの墜落感もはなはだしい。僕はいったいどうしてしまったのだろう。こんなにひりひりとした、誰の助けも呼べない世界に、なぜ放り出されてしまったのだろう。
夜、眠りにつく前に、死のことを考えるようになる。僕が死んでしまったら、いったいどうなるのだろう。あの世があるとは思えないから、世界はすべて消滅して、すべては無になってしまう。こうやって考えているこの僕も、消えて無になってしまう。「わあ」と叫んで暖かいベッドから起きあがる。夜中の窓を開けて、破裂しそうな心臓で、誰かに向かって助けを求めたくなる。死んでしまうのに、すべては無になってしまうのに、どうして僕はそんな生を生きないといけないんだ、と。
そう、あなたのその問いは、あなただけがかかえているのではない。想像できないかもしれないが、大人になった私もまたあなたと同じ問いを考え続けているのだ。性を求める行為の果てに、私が直面してしまう死と孤独の謎について。いつか死んでしまうのに、なぜ私は生きなければならないのかについて。他人や世間のためにではなく、自分に決着をつけるために、私はこれらを考え続けることを選んだのである。