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作成:森岡正博 
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映画評

『朝日新聞』2008年7月31日 大阪版 文化面
映画「闇の子供たち」が暴くもの − 日本人の重い自画像

森岡正博

 ああ、なんてずっしりと重い映画を観てしまったのだろうと、多くの人は感じるにちがいない。満員の試写室も、上映後はほとんど誰もしゃべっていなかった。もちろん、タイの児童買春と臓器売買という圧倒的な現実を受け止めなければならないきつさもある。しかしそれにもまして、映画制作者が仕掛けたもうひとつの鉛のようなテーマを、どう受け止めたらいいのかとまどってしまうのである。
  タイでは、地方から売られてきた小学生くらいの男の子や女の子が、闇の世界で性サービスを強要されている。その子たちを買春するのは、ヨーロッパや日本などからやってきた児童性愛者たちである。そこで行なわれているのは、目をそむけたくなるような暴力的な性虐待だ。子どもたちを欲望の道具とする大人たちの姿は、かぎりなく醜い。その情景を、この映画は、危険な水準にまで迫りながら描写した。
  だが、ここに描かれたことはけっしてフィクションではない。マリー=フランスボッツの書いた『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』(社会評論社)を読めば、この映画で描かれたことが、まだほんの序の口であることが分かるだろう。BBC国際テレビは、タイの児童売春施設の隠し撮り映像を、最近放映していた。これは、いまなお現実に起きていることである。
  映画では、タイのブローカーから心臓を買って、病気の息子に移植させようとする日本人夫婦が登場する。そしてその心臓は、脳死になった子どもから摘出するのではなく、売春施設で使い物にならなくなった子どもから、生きたまま摘出するというのである。
  その真偽を確かめるべく、危険な取材を開始した新聞記者、南部浩行を軸に、物語は展開する。彼は、しだいに闇の勢力へと迫っていくのだが、それと同時に、彼自身の内面にあるもうひとつの闇が、徐々に姿を現わしてくる。そして、売春組織の行なおうとする悪の決定的な写真を撮影したとき、彼は、みずから押し隠してきたもうひとつの悪にその全身を飲み込まれてしまうのである。
  ラスト、一枚の布をはぎ取ったあとに露わになるその情景こそ、南部浩行という新聞記者によって象徴されるところの、我々日本人の自画像にほかならない。それを目撃した観客は、この映画がタイの現実を単に遠くから描いていたのではなく、実は日本に住む我々の精神世界の荒廃を、その内部から暴き出そうとしていたことに気づくのである。
  映画を見終わった観客は、その鉛のような問いかけを受け止めつつ、しかし「それは一部の人間がやっていることであって、この私には直接関係ないことだ」とみずからに言い聞かせようとすることだろう。しかしそれはほんとうにそうだろうか。
  小中学生の女の子にジュニアアイドルという名称を付けて、Tバックの水着を着せ、ほとんど裸のポーズをさせたDVDを大量に売りさばいているのはいったいどこの国か。国会に提出予定とされる「児童ポルノ単純所持禁止法案」が、ネット掲示板では大反対の声で埋まっているのをご存じだろうか。
  日本もまた、子どもの性を食い物にする文化の例外ではないということ、そして我々の一人ひとりがその文化に巧妙に織り込まれているということ、現状の黙認はすなわち現状への加担に他ならないこと、それがこの映画の真に言おうとしていることであると私は思った。

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後日談:
http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20080802/1217658940