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伊東俊太郎編『日本の科学と文明−縄文から現代まで−』同成社 2000年2月 284−298頁
生殖技術とフェミニズム―優生保護法と内なる優生思想
森岡正博
1 優生保護法改正とフェミニズム
生命倫理の諸問題を、フェミニズムの視点からとらえ直し、いままで軽視されてきたジェンダーの視点を導入しようとする動きがある。フェミニズム生命倫理と言われるものだが、一九九〇年代にはいって大きな流れになってきた。
日本の事情を振り返ってみれば、日本のフェミニズム生命倫理の動きは、一九七〇年代に、当時のウーマン・リブが、優生保護法改正に反対して独自の生命論を展開したときに始まったと考えることができる(1)。
優生保護法は、いわゆる人工妊娠中絶を裏付けている法律であるが、その改正をめぐって、七〇年代初頭に政府と女性団体等が対立し、大論争となった。その後八〇年代初頭にも同じような改正案が出されてくる。そして、九六年に、三たび政府は優生保護法改正をねらった動きに出はじめた。
本論文では、女性の身体へのテクノロジーの介入としての人工妊娠中絶を、女性たちがどのようにとらえ、運動を展開してきたかを概観する。そして、先端科学技術がミクロな領域にさらに展開していくであろう今後の日本社会において、我々がどのような難問を抱え込まなくてはならなくなるのかを考えてみたい。
さて、戦前の日本で人工妊娠中絶を行なうと、堕胎罪が適用された。一九四八年に優生保護法が成立し、そこで定められた諸条件をクリアーした場合の人工妊娠中絶に限って、堕胎の違法性が阻却されて罪に問われることがなくなった。その結果、戦後の人工妊娠中絶の件数は増加した。
一九六〇年代にはいると、出生率の低下に伴う労働人口の減少が予想され、それを食い止めるためにも野放しの中絶を制限しようとする動きがでてくる。当時の「生長の家」は、その動きを政治的に支持し、ここに優生保護法改正の動きが現実化する。
優生保護法改正案は、一九七二年に国会に提出されるが、女性運動や障害者運動からの強力な反対にあい、廃案となる。一九八二年にふたたび国会の場で議論されたが、やはり反対運動が盛り上がり、国会には提出されなかった。
一九七〇年代の優生保護法改正案は、当時盛り上がりつつあったいわゆるウーマン・リブ運動の格好の標的となる。この法案は、女性を国家管理ための「子産み機械」とみなし、女性の解放を抑圧するものであると、リブの女性たちは糾弾した。そして、その反対運動を通して、「生命」「ジェンダー」「社会」をめぐるさまざまな思索と主張を繰り広げた。日本のフェミニズム生命倫理の思索は、このときに本格的に開始されたのである。
一九七二年の第六八回国会に提出された優生保護法改正案は、(1)経済的理由の削除、(2)胎児に重度の障害のおそれがある場合の中絶許可、(3)適正な年齢での初回分娩指導の三点から成っていた。すなわち、「経済的理由」での中絶を不可能にすることで中絶件数を減少させ、それにもかかわらず障害胎児については選択的に中絶可能にして、生まれてくる生命の質を向上させ、若いうちに結婚=出産させて高齢出産を防ぐという、典型的な生命管理のための法案であった。
ウーマン・リブは、このような国家による女性の子宮管理をきびしく批判した。彼女たちの主張は多岐にわたるが、そのエッセンスをまとめると次のようになる。
<生産性の論理によって動く日本国家は、人間の数の管理と、生まれてくる人間の品質の管理を強化しようとしている。生産性の上がらない人間はなるべく排除し、生産性の上がる労働力を増加させようと考えている。そのためのもっとも安易な管理の手段として、国家は女性の出産に介入しようともくろんでいる。つまり国家は、女性の身体を、生産性の上がる子どもを適正な数だけ産み出す「子産み機械」としてとらえ、資本拡張のための道具として管理しようとしている。そして女性の自立をはばみ、家庭の中に押し込めることで、その口をふさごうとしている。このように組み上げられた社会と国家の構造それ自体を、変革しなければならない。そして、女性に子どもを産む自由と、産みたいときに産める環境を与えるべきである。>
このような基調低音のもとで、彼女たちは「性と生殖」にかんする多様な議論を繰り広げた。それらの言説は、以下の三つのカテゴリーに分類することができる。それは、(1)「国家は個人の生殖・出産に介入するな」、(2)「産む産まないは女の権利(自由)」、(3)「産める社会を! 産みたい社会を!」の三つである。
まず「国家は個人の生殖・出産に介入するな」という主張は、ウーマン・リブに共通して見られる基本的な主張である。生殖・出産は個人のプライバシーに属すべきものであるから、その決定と実行は、個人とくに女性に最終的にはゆだねられるべきものであり、そこに国家が介入してはならないとする。この主張がでてくる背景には、高度成長期に女性が担わされてきた役割がある。つまり、女性は家庭に囲いこまれ、家事・育児を担当し、「子どもを産む工場」として働いてきた。彼女たちは「女」であるよりもまず、誰かの「妻」であり「母」であることが要求された。彼女たちの役割は、競争に疲れて帰ってきた夫に休息を与えてふたたび生産の場へ送り出すことであり、次の世代の労働力である子どもを産み育てることである。こうやって女性は家庭まるごと、国家の生産装置に組み込まれているのである。
このような社会システムから女性を解き放ち、子産みに関しても、それを国家から女性の手に取り戻すことが主張されたわけである。
第二は、「産む産まないは女の権利(自由)」という主張である。これは、出産や中絶を、当の女性の「権利」あるいは「自由」として認めるべきだという考え方である。これは、第一の主張の延長線上に立ちながら、その考え方をさらに一歩進めて、法的あるいは倫理的な「権利」概念によって、出産や中絶などの行為の正当性を基礎付けようとする試みである。
これは、欧米の生命倫理学の中絶擁護論のひとつの柱である「女性の権利」論に対応するものである。日本でも一九七〇年代初頭に女性運動の中から「女性の権利」論が出現しているのは注目に値する。日本の生命倫理もまた、一九六〇〜七〇年代の世界的な女性運動の影響下に形成されているのである。
この主張を前面に打ち出した代表的なグループは、中ピ連である。中ピ連は、日本の女性運動の中ではむしろ傍流に位置するグループであったが、メディアではよく活躍した。彼女たちは言う。いままで女は、無理やり産まされたり、堕させられたり、子殺しをさせられてきた。しかしこれは、女が悪いのではなく、女をそこまで追いつめている社会こそがほんとうの悪なのである。そういう社会から身を守るためにも、産みたいときには産み、産みたくないときには中絶できる「権利」が、女性には必要なのである。
第三は、「産める社会を! 産みたい社会を!」という主張である。これは、中絶が女性の権利であるかどうかを前面に出すのではなく、むしろ女性が産みたいときに自由に産めるような社会を作り出すことが必要だという、社会改革の側面を強調した主張である。そしてこれは、「中絶は女の権利である」という考え方に違和感をもった女性たちが、それを思想的に克服しようとする過程で成立したものである。
この転回に決定的な役割を果たしたのが、田中美津の書いた一九七二年の文章「敢えて提起する=中絶は既得の権利か?」である(2)。彼女は、「中絶は女性の権利」という言い方で、中絶という行為を理屈によって正当化し、合理化して安心しようとする女性のこころの問題を鋭く指摘する。そして、そのような合理化に納得しない自分の内面にこだわるならば、中絶において自分が「殺人者」であるという点を引き受けなくてはならないと言い切る。そのうえで、自分がそのような殺人をしなくてはならないような社会の構造を凝視し、それを変革してゆかねばならないとするのである。彼女は自分の思索を、「生命(いのち)の持つ意味に対する問いかけである」と述べている。七〇年代ウーマン・リブの思索は、明確に生命論と重なっている。
田中のこのような思索を受けて、リブ新宿センターを中心としたグループは、「権利論」ではなく、「産める社会、産みたい社会」追求という言説を選択してゆく。
七〇年代リブは、このほかにも、「東京こむうぬ」のような女性による共同育児の実践や、産婦人科医に対する「患者の権利」要求などの先進的な試みを行なっている。それらは、はっきりと、女性の観点からの生命倫理の運動の萌芽であると言えるだろう。
さて、七〇年代の言説は、そのまま八〇年代の優生保護法改悪反対運動へと受け継がれてゆく。たとえば、日本家族計画連盟は八二年の反対理由書で「本来、子供を「産む」「産まない」は人間の基本的権利に属するものである」(3)と述べており、八三年の声明文では「「産む」「産まない」は個人が決める問題であり、国家が介入すべきではない」(4)と述べている。また、八〇年代以降の生殖技術関連の女性運動の中核を担うこととなった阻止連は、八二年の優生保護法改悪反対集会基調報告で、「私達は、産む産まないの選択の自由は女の基本的人権であることを主張します」(5)と述べる。
このように、八〇年代以降の女性運動は、「基本的人権」や「女性の自己決定権」の問題として、人工妊娠中絶を位置付けていく。そしてそれは、七〇年代に様々な形で議論された論点を、より広いメディアの中で再定立する試みであったとも言える。
2 フェミニズムが積み残した問題
さて、このような議論の積み重ねのなかで、フェミニズムは、テクノロジーと生命にかかわる多くの問題提起を行なった。それらのいくつかは、女性学の内部で議論が深められていったが、しかし、九〇年代の現在まで積み残されてしまった問題もある。
それらを、以下の四点にまとめてみた。
第一点は、中絶が女性の権利であると言うとき、それはいったいどのような「権利」なのかという問題である(6)。我々は社会の中で、ある物体や財を所有したり、譲渡したりする権利をもっているのだが、「生命を処分する権利」というものは、そういう物体や財に適用される権利と同じなのか。受精卵や初期胎芽は「人格」ではないにしても、生物学的な人間の生命であり、それが物体や財と類比的に扱われてよいのかという問題とも関連する。
第二点は、胎児の生存権についての考察である。欧米の生命倫理学で、女性の権利を主張するとき、それはかならず「胎児の生存権」の主張と衝突する。そして彼らは、女性と胎児の権利の衝突に関する議論をしつこいまでに繰り返してきた。ところが、日本の女性運動は、「胎児の生存権」については、それほどつっこんだ思索と議論を行なってこなかった。私がこのように主張すると、優生保護法改悪反対運動に関わってきた女性たちは、「我々は深く議論した」と反論する。しかし、七〇〜八〇年代の活字資料と私が入手した一次資料を読んだ限りでは、やはり欧米の生命倫理学でのような緻密な議論は見受けられない。彼女たちの議論がそれほど深まらなかった原因のひとつは、おそらく生長の家の粗雑な「生命の尊重」論にあると思われる。あのような浅薄な胎児の権利論が相手では、それほどの対抗理論も必要なかったのであろう。しかし、胎児の生存権の議論は、やはり一度は徹底して詰めておく必要があると思う。
第三点は、胎児の生命を処分して今日まで生きながらえてきた人間とは、人類とはいったいどういう存在かという問題点である。ごく少数の例外を除いて、いつの時代、どこの地域でも、人類は中絶を「文化」として維持してきた。この事実が意味するところのものを、我々はもういちど立ち止まって深く考えなければならない。中絶とは、フェミニズムが言うように、「悲しいけれど必要なこと」である。だとすれば、そういう悲しいことをしなければ生きてゆけない人間とは、いったい何者なのか。ここを問いつめてゆくことこそが「倫理学」のテーマではないのか。田中美津のことばを借りれば、我々が「殺人者」であること、「殺人者」にさせられていることの意味を考えてゆかねばならない。そしてこれは、胎児だけではなく、動物や植物の生命を殺して食べて生きなければならない人間とは何なのかという、環境倫理の問題とも連続してくるのである。フェミニズムは、生命倫理と環境倫理を結びつける力をもっている。
第四点は、我々の「内なる優生思想」をどう考えるかという問題である。我々の文化や発想の中には、「五体満足な子どもが欲しい」という「内なる優生思想」がある。優生保護法改悪反対運動において、障害者が女性に突きつけた問題とは、女性の中絶する権利の主張は、「五体満足ではない子ども」を中絶する権利までをも承認してしまうのではないかという問題であった。そして女性が障害胎児を中絶するとき、女性は障害者を抹殺しようとする敵として障害者の目には映るということであった。
これは、出生前診断、着床前診断、ヒトゲノム計画等のミクロな科学技術がますます進んでゆく将来、さらに難解な問題となって我々の前に立ち現われることになるであろう。たとえば、受精卵診断によって先天性染色体異常の受精卵を確実に選別廃棄できるようになったとき、我々はその技術を利用する「権利」をもっているのだろうか。その権利は、あきらかに我々の「内なる優生思想」に基づいている。
すなわち、受精卵や胎児をスマートに選別するテクノロジーが進展するとき、「産む産まないの権利」と「受精卵や胎児を選別する権利」を、分けて考えなければならなくなるかもしれないのである。そして、もし後者のような「権利」が本当に存在するのなら、それは女性と男性のカップルに等しく帰属されるような権利となるであろう。そしてそれは、我々の「内なる優生思想」を、肯定する権利となるはずである。
3 「内なる優生思想」の問題
残された枚数の中で、この第四の「内なる優生思想」の問題を、いくつかの角度から吟味してみたい。もちろん私はこの難問に対して、まだ答えをもっていないが、それでもしつこく追求していくつもりである。
七〇年代にウーマン・リブが、人工妊娠中絶を「女性の権利」だと主張しはじめたとき、障害者団体から鋭い疑問をつきつけられた。つまり、人工妊娠中絶というのは親の意向によって胎児を一方的に処分することであるが、そのなかには、「胎児に重い障害があるから」それを処分するというケースが含まれているはずだ。そこにある「障害者抹殺」の思想こそが問題なのであって、それを助長するような女性の権利論はおかしい、というわけである。
日本脳性マヒ者協会「青い芝」の会は、「健全者のエゴイズム」ということばを使って、我々の内にある「優生思想」を告発する。一九七二年の文書「「障害者」は殺されるのが当然か! ―優生保護法改正案に反対する」のなかで、彼らは次のように言う。
障害児殺しの事件から明らかになってきたのは、「障害者(児)の存在を認めようとしない、障害者が産れる事を「悪」とする「親」の姿」であった。
我々の存在を「悪」と考え抹殺していく、しかもそれが「障害者にとって幸せ」なんだと断言してはばからない「親」に代表される「健全者」のエゴイズムこそ、実は国家権力、或いは大資本勢力の策動を助挙する以外の何物でもない事を指摘しなければなりません。
<中略>
[障害者の]生き方の「幸」「不幸」は、およそ他人の言及すべき性質のものではない筈です。まして「不良な子孫」と言う名で胎内から抹殺し、しかもそれに「障害者の幸せ」なる大義名分を付ける健全者のエゴイズムは断じて許せないのです。
<中略>
私達は「障害児」を胎内から抹殺し、「障害者」の存在を根本から否定する思想の上に成り立つ「優生保護法改正案」に断固反対します。(同文書より)
青い芝の会からのこのような問いかけは、優生保護法改正を狙っていた政府を批判したものであるが、しかし同時に、人工妊娠中絶を女性の権利として確立しようとしていた一部の女性運動家たちにたいするきびしい問いかけでもあった。すなわち、女性の権利としての人工妊娠中絶と言うとき、そこには、障害児はいらないという健全者のエゴが潜んでいるのではないか、という問いかけだったのである。
このような批判の背景には、羊水を採取して胎児の障害の有無を検査する「羊水検査」というものが、当時、現実化しはじめていたことがある。もし、羊水を検査して胎児に重い障害や遺伝病があることが分かったときに、親は胎児を中絶するかもしれない。そういう選択が社会に公認されたとき、その社会は、現に生きている障害者に否定的なまなざしを注ぐ社会となり、障害者はそういう視線におびえて、とても生きにくくなるのではないかという危惧が生じたのである。
現に、このような選択的中絶が八〇年代以降急増したのではないかと疑わせるデータが最近報道されている。神奈川県の五二万人の出産のデータを分析した結果によると、八〇年代の一〇年間に、手足の奇形やダウン症の新生児の数が、四割以上減っているというのである。これは、八〇年代に急速に進歩した出生前診断によって、胎児の障害や先天性異常が判明するケースが増え、中絶を選択した親が増えたからではないかと推論されている(7)。
多くの親が、障害児を中絶するという選択肢を選ぶようになったときに、現にこの社会に存在する障害者たちは、ほんとうに生きやすく生きていけるのだろうか。「かわいそうに」「生まれてこなければよかったのに」という視線をあびたり、そういうふうに言われたりすることはないだろうか。
障害胎児を選択的に中絶する(選択的中絶)のは障害者抹殺の思想である、だから選択的中絶を導くようなテクノロジーは進めるべきではない。このような主張がなされることがある。
しかし、このような主張に対しては、次のような反論があり得る。つまり、「選択的中絶をも含めた胎児の生命の質の管理は、カップルの自由であってよい。そして、生まれてきた障害者に対しては充分な社会福祉を保障し、彼らをサポートする制度と慣習とを作り上げていけばいいのだ」という反論である。言い換えれば、選択的中絶というのは、たしかに障害者抹殺の思想かもしれない。しかしながら、生まれてきた障害者への福祉がしっかりしていれば、障害者が生きにくくなることは避けられるはずだ、という考え方だ。
このような社会がほんとうに実現可能だとするならば、たしかに、障害者が生きにくくなるから選択的中絶には反対するという論理は当てはまらなくなる。
しかし、その前提は、いくらでも疑問視できる。
一方で障害胎児を処分しておきながら、もう一方で、子供や大人の障害者に対して手厚い福祉を貫徹し、彼らに否定的なまなざしを振り向けないなどという器用なことを、普通の人間がほんとうに行なえるのか。障害胎児を処分するのは、そもそも自分の子どもには障害があってほしくないという思いを、親がこころのなかに抱いているからである。親のこころのなかにある、そのような「優生思想」をみずから克服することなしに、どうして障害者が生きやすい社会ができるというのか。
「内なる優生思想」を克服することなしに、弱者との共生なんて達成できるのか。そういう問いを突きつけられたときに、我々はどうすればいいのか。
この点を、さらに別の例で見てみたい。
我々の多くは、「重い先天的障害や奇形がない子どもがほしい」と思っている。五体満足な子がほしいという思いは、誰のなかにもある。だから、赤ちゃんが生まれたときに、わが子が「無事に」生まれたことを確認して、親はほっと胸をなで下ろすのである。しかし、まさに、こういう考え方こそが「内なる優生思想」なのだ。
だから、もし「内なる優生思想」を克服するべきだというのなら、我々はまず「五体満足な子がほしい」という我々自身の考え方を批判しなければならないことになる。これは、けっこう難しいことだと思う。が、かりにこれが克服できたとしよう。つまり、「私の子は、別に五体満足でなくってもかまわない」と、本心から思えるようになったとする。それはそれで、すばらしいことかもしれない。そこでは、自分の子どもに対する優生思想は、たしかに克服されているように見えるからである。
しかし問題は、それを、他人に向かって強制できるのかという点にある。
たとえば、いまここに、「わが子は五体満足であってほしい」と願い、「もし障害があったらかわいそうだが中絶を選択したい」と思っているカップルがいたとする。彼らに向かって、きみたちの考え方は「優生思想」であるから、自己批判してそれを捨て去るべきだと言えるのか。あるいは、君たちのような考え方は「間違っている」と言えるのか。
現代の市民社会で、そのようなことが言えるのは、ひとつにはその「優生思想」やその思想から導かれる行為が、直接的に、他者の生命や身体や財産に危害を加える場合である。障害があるから胎児を処分するという思想が、直接に誰かに危害を加えることがあるとすれば、それは、まず殺される胎児に対してであろう。たしかに、この点がひとつの論拠にはなる。優生保護法で認められている期間の中絶は違法行為にはならないのだが、しかしそれは道徳的に考えれば危害を加えていることになるという反論はあり得る。
もうひとつの立論の可能性は、「五体満足でないから中絶を選択したい」という思想をもった人間が主流の社会というのは、老いて五体満足ではなくなった人たちや、なんらかの理由で弱者の立場にある人たちや、障害者たちを、具体的に「施設」や「病院」に隔離して、保護という美名のもとに社会の中心部から捨ててしまうような社会になる。だから、そういう思想はただちに克服しなければならい、というものだろう。つまり、「五体満足な子どもがほしい」という思想は、その人の日常的慣習行為を経由して、弱者を排除する社会作りに積極的に貢献してしまう。だから、そういう考え方をもつことは間違っているし、そういう考え方をもっている人たちには、考えをあらためてもらわないと困る、ということになる。
他人に対して、その「優生思想」を改めろと強制する、このふたつの理屈、すなわち「胎児の権利」論と、「社会浸透」論を、我々はどう評価すればいいのだろうか。
このうち、とくに第二の「社会浸透」論は、先端医療技術の倫理問題が議論になるときに、かならず出てくる論法である。たとえば、脳死からの臓器移植が問題になったときにも、脳死の人から使える臓器を全部取り出して利用し尽くすようなことを平気でするような社会は、結局、人の身体を交換可能な部品の集合体とみなして、生命の尊さを風化させていくような社会になっていくのだという反論があった。この種の議論は、字面だけ見ていると、単なる屁理屈のようにも思えるのだが、しかしそれにもかかわらず生命と自然に対して無遠慮にどこまでも介入してくる現代テクノロジーと科学文明のアキレス腱を、どこかしっかりと捕まえているようにも私には感じられるのである。
さて、「優生思想」に戻れば、そもそも我々が「優生思想」をもつことがどうして悪いのかという疑問が出されることもある。すなわち、人類はいままで、置かれた環境に適応して、その中で強く生き抜いていける人間たちの集団を中心に子孫を残してきたのであり、それは現在まで綿々と続いている事実である。言い換えれば、我々がいろんな形の「優生思想」を守ってきたからこそ、人類はいままで生き延びて来られたのだ。それに、「優生思想」と「社会福祉」は両立しないわけではない。生まれてしまった弱者に対しては福祉をしつつ、将来生まれてくる子孫の生命の質に対しては「よりよき生」を選択していくことは可能だ。現代のテクノロジーは、そういう人間の生をよりよきものにしていくために、積極的に使っていけばいいのだ・・・・。
このような考え方を、こころの底でもっている人は、意外に多いんじゃないかと私は推測している。
これに対しては、そういう考え方こそが、現に存在する弱者を差別し、生きにくくさせるのだという反論があるだろうが、しかし彼らは「弱者が生きにくいのは仕方ないのだ」という基本的な考え方をもっているので、通用しない。そのうえで、弱者は弱者なりに生きる意味を見つければいいなどと思っていたりする。
これに対して、「弱者が生きにくいのは、仕方なくないのだ!」と言える論拠がどこにあるのか。運動している障害者の団体の人たちが、「生きにくいのがいやだから、こうやって運動しているのだ」と言ったとしても、それはあなたたちが実は周囲との軋轢にもかかわらず運動を続けられるという意味でもはや「弱者」ではないのであって、ほんとうの弱者はそういう運動さえできないのだ、と言われたらどうするか。
このように、「内なる優生思想」の問題は、現代社会とそこに生きている我々ひとりひとりを、とことんまで追いつめてしまう難問である。フェミニズムが優生保護法改悪反対運動のなかで出会ったこの難問は、我々の社会の根幹に突き刺さった未決の大問題である。
議論を続けるためには、そもそも「優生思想」とは厳密には何なのかを詰めないといけない。したがって、ここで述べたことは、その作業のためのラフスケッチにすぎないのだが、それでもこの問題の奥深さだけは理解していただけたと思う。七〇年代以降のフェミニズムが足を突っ込んでしまったこの泥沼は、実は、我々ひとりひとりがけっして避けて通ることのできない大関門なのである。
* 本論文は、拙論「日本におけるフェミニズム生命倫理の形成過程」『生命倫理』(vol.5
no.1 一九九五年)を素材に大幅に加筆修正したものである。一九九五年時点での資料をもとに同年執筆したものであり、それ以降の出来事、とくに母体保護法成立についてはまったく触れることができなかった。
註
(1) 拙論「ウーマン・リブと生命倫理」山下悦子編『講座:女と男の時空・現代編』藤原書店 一九九六年 三七〜六七頁
(2) 溝口明代・佐伯洋子・三木草子編『資料・日本ウーマン・リブ史U』松香堂 一九九四年 一七六頁
(3) 婦人協同法律事務所編著『いまなぜ優生保護法改悪か?』労働教育センター 一九八三年 六〇頁
(4) 日本家族計画連盟編『悲しみを裁けますか』人間の科学社 一九八三年 二八二頁
(5) 溝口明代・佐伯洋子・三木草子編『資料・日本ウーマン・リブ史V』松香堂 一九九五年 一九六頁
(6) 立岩真也「出生前診断・選択的中絶をどう考えるか」江原由美子編『フェミニズムの主張』勁草書房 一九九二年 一六八〜二〇二頁
(7) 『朝日新聞』一九九六年五月一日朝刊
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