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『女たちの21世紀』No.9 1996年12月 47−48頁
レイプと買春について    森岡正博

 最近、二冊の本をたてつづけに読んだ。松井やより『女たちがつくるアジア』(岩波新書)とザンダー、ヨール『一九四五年・ベルリン解放の真実』(現代書館)の二つである。
 正直言って、めいっぱい気が滅入った。松井のレポートのなかには、日本やアジアの男たちが、アジアの女たちを人身売買し、買春し、レイプするケースがこれでもかとばかりに報告されている。ザンダーらのレポートでは、ベルリンに侵攻してナチの悪夢から人々を救ったロシア兵たちが、実は次々とベルリンの女たちをレイプしていて、その数はベルリンで一一万人、ドイツ全体で二〇〇万人となるということである。瓦礫のなかに女を連れ出して、銃でおどしながら何人もの兵士たちが次々と犯すその情景には、おぞましいものがある。
 で、なんで気が滅入ったかというと、まず私が男だからである。弱い立場に置かれてしまった女たちをレイプする男の側に、自分が属しているからである。買春で言えば、私は男として、買う側の人間に属しているからである。
 さらにもう一歩踏み込むと、これははっきりと明言しておかねばならないのだが、私は女をレイプしたいという男の欲望が理解できるからである。女を買春したいという男の心情が理解できるからである。レイプや買春などをする男のことがありありと理解できるから、余計にいっそう気が滅入ってしまったのだ。
 誤解なきように言っておくと、私はそういう男たちのことが理解できるが、しかしレイプや買春という行為を正当化できると言っているのではない。それ以前の事実確認の次元の問題として、私はまずレイプや買春をする男のことが理解できるし、自分自身の内面にもそのような衝動が存在するということを言いたいのだ。そして「理解できる」というのは、その行為を許すという意味ではけっしてなく、「私もひょっとしたらしてしまうかもしれない」という意味である(こういう注釈を念入りに付けないと先に進めないということ自体が、今日のジェンダー問題の根深さをあらわしているのだろう)。じゃあ、そのレイプしたい、買春したいという感覚を、自分のことばで語ってみたらどうなるか。
 まずレイプしたいというのは、とにかく女を性的に「めちゃくちゃにしてやりたい」という衝動だ。その衝動の回りに、「最近セックスをしてなくって欲求不満だ」という肉体的要因と、「とにかくきれいで美しい顔の女を汚したい」という感情とが位置している。買春したいという感情には、「めんどうな人間関係にわずらわされずにセックスしたい」「とにかく若い女とセックスしたい」「好みの女を棚から選んでセックスしたい」「無責任にセックスしたい」というものが混ざっているような気がする。
 これらは、はっきりと自分にある。でもそれを実際に行動に移すかどうかには、ちょっとしたハードルがあるはずだ。戦争というのは、そのハードルを越えさせる補助具のひとつなのだろう。このあたりのことを、執拗に解明することから、男性学は始まるべきである。

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