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『京都新聞』2001年11月17日 (夕刊) 「十字路」
ネット日記
森岡正博
埼玉県の三七歳の高校教諭が、交際していた女性にだまされて、金品を根こそぎ盗まれ、暴力団組員らに監禁されて殺害されるという事件が起きた。この男性は、自分と付き合ってくれている女性が、金目当てだったことに最後まで気づかず、せっせと女性の世話をして、最後には無惨な結末になってしまった。
いまネットでは、この事件が大きな話題になっている。なぜかというと、この男性が失そう直前まで書き残した日記が、ネット上に残されているからだ。それを見たネットおたくたちは、意外にも、彼に同情し、涙しているのである。
その日記を読むと、この男性は、付き合っている女性に金をせがまれ、いろいろ工面して渡している様子がわかる。その結果、自分は日々の支払いにも困るようになる。しかしそれでも、男性は、付き合っている女性のことを疑おうともしない。たまに女性と会えるときには、浮き浮きし、熱っぽいと言われてはあわてて薬を買いに行き、ひとときの逢瀬を幸せに思い、彼女のことを信じている。
渡せる金が尽きたとき、男性は、不審な男たちに監禁され、そのあいだに自宅を荒らされて無一文になるのだが、そのときはじめて「彼女もグルだった。信じていたのに・・・」と日記に書き残す。その直後、行方不明となったのであった。
この男性の日記を読んでみて、私も、なにか胸に迫るものがあった。そのあまりにも素朴な心のやさしさ。たとえは悪いが、まるで小学生のような純真さとでも言おうか。彼が最後まで、彼女がグルであることに気づかなかったのは、やはり彼女のことを本気で好きで、将来の結婚のことまで考えていたからにちがいない。
パソコンを多数所有し、メールに没頭していたというこの三七歳の男性に対して、どうしてネットでこんな同情と共感が集まるのか。普通では考えられないことだ。
その最大の理由は、彼の日記が、ネット上で、生で読めるところにある。彼の書いた文章のひとつひとつから、だまされていることを知らない彼の心の浮き浮き感や、これからどうなっていくのだろうという不安な気持ちが、手に取るように伝わってくるからなのだ。ネット日記を読むわれわれは、こんなにも近く、彼の内面を感じ取ることができる。
そのリアリティが、日頃口の悪いネットおたくたちの心を、溶かしているのである。彼の分身は、本人も考えなかったようなさざ波を、ネット上に広げている。いままで考えられなかったような、人と人との心の接触を、ネットは可能にしたのだ。