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作成:森岡正博 
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エッセイ

 

中島義道『ひとを愛することができない』角川文庫2007年2月 209〜215頁
中島義道『ひとを愛することができない』解説
森岡正博

  この本をはじめて読んだときに、私はいささか暗い気分になった。愛について書かれた、ここまでひねくれた本があるのだろうか、ここまで自虐的で暴力的な本があるのだろうか。しかし、この奇書は、やはり名作にちがいないのだろうとも思った。なぜなら、これはたしかに真の哲学者によって書かれた本だからである。
  哲学者とは何かとソクラテスは問われて、うとうとと眠りにつこうとしている馬にまとわりついて、その目を覚めさせようとするアブのようなものだと答えた。常識や慣習のうえに安住して惰眠をむさぼっている馬のまわりをぶんぶんと飛び回って、そのうるさい羽音でもって馬を眠らせまいとするアブのような存在、それが哲学者だというわけだ。常識的に考えて、そんなにうるさいアブは、徹底的に嫌われる。だが嫌われても、嫌われても、アブはうるさく馬の周囲につきまとって離れないのである。
  中島さんは、日本社会にまとわりついたアブである。では、なぜアブは馬にまとわりつこうとするのか。私にはそれが謎であったが、この本を読んでみて、理由の一つがわかったような気がする。すなわち、中島さんは律儀なのである。みずからをこれほどまでにいらいらさせ、苦しませてくる日本社会に愛想をつかしながらも、日本社会にここまで深くコミットできるというのは、持って生まれた律儀さが彼をそうさせているからにちがいない。
  中島さんのことを真の哲学者だと思ったもうひとつの理由は、そもそも哲学者とは「異常人」でなければならないからである。哲学というのは、みんなが漠然と信じていることや、当たり前だと思っていることに対して、自分の実存を賭けて異を唱え、人々の世界観や人生観に果敢に挑戦する営みだ。そのためには、世の中の価値観とはかけはなれた異様な世界に住んでいなければならない。単にユニークだとか、奇をてらっているとかではなく、まさに異常人でなくてはならない。哲学者であるためには、その異常のただ中で、理知がきらめかなくてはならないのだ。そしてまた哲学者は、自分がそのような異様な世界に住んでいるということに対して、内的な苦しみを抱いていなければならない。その苦しさの底から呻きのようにして出てこざるを得ない言葉であるから、哲学はこの世の常識や慣習を根底から見直す力を持ち得るのである。
  この本を読んでもらえればわかるように、中島さんは異常人である。彼の思考方法や洞察力も異常であるが、彼の暴露的な執筆手法も異常である。私はここに、ソクラテス以来の哲学の王道を見る。私はこの本を、エッセイと見るべきか、自叙伝と見るべきか、哲学書と見るべきかわからない。しかし彼がこの本でやろうとしていることは、あきらかに哲学の営みだ。すなわち、物事を、世の中の決まり事にとらわれない異常な観点から首尾一貫して見通してみること、これがこの本で真に試みられていることである。ここにあるのは、人を導き、人に生きる知恵を教える人生論ではない。そうではなくて、ここにあるのは、人々が漠然と信じている不動の大地を揺るがし、彼らを不安の大海に投げ込もうとする渾身の知の営みである。「愛」というものを、普通では考えられないような視点から残酷にえぐり出し、それがどのような不毛な世界を形作るのかを論理的に再構成しながら、善良な人々に突きつけるという、哲学にのみ可能な試みがこの本ではなされている。
  中島さんの自画像を読みながら、私もまた同業者として、いろいろ思うことがある。私もまた若いときには家族愛・人間愛がわからない人間であった。私はそもそも「怒り」というものがわからなかった。「怒り」という感情をもったことがなかったのである。であるから当然、目の前の人の肉体や人格がどうしても欲しいという情熱的な愛情もまたわからなかった。自分以外の人間は、非常によくできたロボットかもしれないと漠然と思っていたし、この私とそれを取り巻く世界のあいだに生身の他人が介入してくることはとてもうっとおしいことであった。そのあたりの感覚は、中島さんがこの本で書かれている内面世界と幾分かは似ているのかもしれない。肉親がつらい目にあったときに、内側からほとばしるような情熱でもって涙が出てくるのではなく、泣かなければならない状況だから涙が出てくるのだという中島さんの姿は、私もまた自分のこととしてわかるような気がする。
  私が中島さんと最初にお会いしたのは、たしか本郷の学士会館で、哲学の研究会が開かれたときだった。そのとき私は大学院生で、中島さんはウィーンから帰国された直後ではなかっただろうか。その会合では、まだ無名だった永井均さんが「私」という問題について独自の哲学を発表したのであるが、そのときに、中島さんは永井さんにかなり感情的に激しく食い下がっていたように、私は記憶している。その後ずいぶんたってから、今度は京都の私の職場で中島さんとお会いすることになる。このときはじめて私は中島さんとちゃんと話をしたのである。私たちは、幾人かの同僚たちと、くだらない雑談をしていた。そのうち、モテるモテないという話題になったときに、中島さんは「やれやれ」というふうに眉をしかめ、おもむろにウィーンでの出来事を語り始めたのである。そのときに話してくれた内容は、本書の最後の「袋とじ」部分にも詳しく書かれている。実際にお会いしてみると、中島さんはなかなかおしゃれな人物である。スカーフをさりげなく巻いて、さっそうと会場に現われる姿を見ていると、かの逸話も誇張ではないかもしれないと思えてくる。
  中島さんは同じ頃に、日本の騒音公害について文章を書き始めていた。それはのちに『うるさい日本の私』として刊行されることになるのだが、その一部分となる論文をそのときに手渡してもらった。そこには、中島さんの読者ならもうおなじみの、竿竹屋と格闘するご本人の姿が活写されていた。中島さんは私に言った。倫理学者は、「対話」が大事だとかすぐに言うが、彼らは実生活でほんとうに対話しているのか。必要なのは「対話」について議論することではなくて、対話が必要なときに実際に「対話」することではないのか、と。そういう意味のことを言われて、私はたいへん感動したのを覚えている。
  本書でも、中島さんは「愛」について哲学的に分析をするだけにとどまらず、実際の自分の人生のなかで、いかに「愛する」ことができなかったかを冷静に語る。そしてそのようなパーソナリティをもった人間が、家族をどのように傷つけていくことになったのかを、淡々と記述していくのである。中島さんの視線は、つねに、自分が実際にどうであったのかという点に注がれている。自分の人生こそが、中島さんの出発点であり、終着点である。
  と同時に、中島さんはカント研究者である。自我論、時間論、悪論についての本は、本書にくらべたら読者はかなり少ないと思われるが、とても刺激的である。なんと言っても、中島さんは、自分の頭で考えて自分の理論構築をきちんとやろうとしている、日本では数少ないプロの哲学者のひとりなのである。そのことはここでぜひとも強調しておきたい。中島さんのエッセイが好きな読者のみなさんも、ぜひ一度は彼の哲学書をひもといてみることをお勧めする。私は、個人的には中島さんに、理論構築の仕事をこれからはもっとやってほしいと思っている。中島さんがずっとこだわっている「死」の問題についても、時間や自我とからめて本格的に考察していってほしい。
  中島さんは、自分のことを、非常に自己愛の強い人間であると言っている。自己愛の強い人間にとって、その愛すべき自分が消滅すること、つまり「私の死」が到来することは、これ以上ないほど不条理で残酷な出来事のはずである。中島さんは別の本で、私が死ぬということの怖ろしさに比べたら、そのほかのどんな出来事も大したことではないという意味のことを書いている。では、そもそも「私の死」とはいったい何なのか、という問いに向けて突き進んでいく中島さんの姿をぜひ見てみたい。ライトエッセイに逃げるのではなく、哲学者としてガチンコの論理構築を正面から挑む中島さんの姿を見てみたい。
  いずれにせよ、この本は、自虐的哲学私語りという境地を切り開いた奇書中の奇書である。ジャンルとしていちばん近いのは文学、とりわけ私小説であろうが、しかし本書の精神を貫いているのは哲学者としての冷徹な視線である。その意味では、本書は「哲学ホラー」という新ジャンルなのかもしれない。読み終わった後の、寒々しさ、スプラッターな感じは格別である。「愛」という、このうえなく暖かくて感極まるはずの素材を、よくぞここまで血なまぐさく料理したな、という感じである。
  もちろん、この本に書かれていることを額面通りに受け取ってよいかどうかは、わからない。だが、たしかにこのような語りでしか切り開けなかった境地というものがあるのであり、その意味でこの本は感慨深い名作となったのである。

終わり