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作成:森岡正博 
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エッセイ

『朝日新聞』(全国版)2009年6月27日朝刊
臓器移植法A案可決 先進米国にみる荒涼
森岡正博

 

 6月18日の衆議院本会議で臓器移植法改正A案が可決された。だがこの改正A案は大きな問題をはらんでいる。
  現行の臓器移植法は、書面による本人の意思表示と家族の承諾があったときにのみ、脳死判定と移植を行うとしている。昨年の内閣府の世論調査でも、約52%の国民がこの考え方に賛同している。しかしながら、A案は、たとえ本人の事前の意思表示がなくても、家族の承諾だけで脳死移植ができるとする。これは過半数の国民の意見をないがしろにするものだ。
  さらに深刻なのは、幼い脳死の子どもからの移植を可能としている点である。最近の調査研究によって、子どもの場合、脳死になっても身長が伸び続け、歯が生え替わり、顔つきも変わり、うんちをするときにいきむ、「長期脳死」の例があることが分かってきた。A案は、成長する潜在的可能性をもった脳死の子どもを含めて「死体」と断じ(第6条第1項)、その身体から臓器を摘出することを許すものである。
  参議院の審議では、「本人の事前の意思表示」の前提を再確認したうえで、脳死の子どもの生命の保護について慎重な議論をしなくてはならない。
  ここで米国に目を向けてみよう。A案は、日本でも米国のような脳死移植が可能になることを目指して提案された。その米国では昨年12月に、大統領生命倫理評議会が、『死の決定をめぐる論争』というリポートを大統領に答申した。
  リポートは脳死を肯定しながらも、長期脳死の登場などで脳死の概念が揺らいでいることを率直に認める。米国でも脳死を死と認めない家族がいるため、臓器の不足に陥っている。それを解決するためにリポートが注目するのが、人工的心停止後移植(人工的に引き起こされた心臓死後の臓器提供=controlled DCD)と呼ばれる方式である。
  すなわち、脳に重大な損傷があるのだが、まだ若干の脳の機能が残っている患者の人工呼吸器を、本人あるいは家族の希望にもとづいて取り外し、心臓の停止を確認し、そのまま2分から5分のあいだ待つ。脳への血流が止まるので、脳細胞は死滅すると考えられる。そして即座に、待機していた移植チームが臓器を取り出すのである。
  要するに、まだ脳死になっていない患者を、人工的に心停止に至らしめ、即座に臓器を取り出すというわけである。これはピッツバーグ方式と呼ばれ、92年に確立したもので、07年には793例が実施された。
  想定される患者は、人工呼吸器を付けられているが、まだ脳死になっていない人間である。具体的には、重大な全脳損傷のある患者に加え、高位脊髄損傷患者や、末期の筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者らである。
  脳死概念は信頼できるから、この方式は必須ではないと断りつつも、リポートは、この方式は脳死を死とみなさない人々にも支持されるだろうから、すべての移植を心停止後の移植に切り替えるのも一案かもしれないと示唆する。
  人工的心停止後移植に対しては、専門家からも批判の声が上がっている。生きている人を意図的に死に導くのは倫理的に許されるのか、心停止後も蘇生を施せば回復するのではないかなどの疑問である。安楽死や尊厳死と結びついたら非常に危険だと思う人も多いはずだ。
  それにもかかわらず、人工的心停止後移植は、全米臓器分配ネットワーク(UNOS)の支援を受けて、いま全米で急拡大している。
  日本でも、臓器不足の解消を第一命題として走ってしまったら、その先に待っているのは、まだ生きている人を死なせて臓器を取り出す、荒涼とした風景であるに違いない。