夜が明ければ朝は来るのか
コマツバラオリカ
山木チホ
赤木小夜子
秋吉
長山ハルコ(京一の妹)
長山律子(京一の母)
臓器移植コーディネーター(臓器と表記)
長山京一
心臓音が鳴り響く。そして心臓音はゆっくりと生命維持装置が動く機械音とすり替わっていく。
病室では京一のベッドサイド丸椅子にハルコが一人で座っている。
チホが飛び込んでくる。
京一に駆け寄るチホ。
チホ 生きてる・・・・・・
遅れて入ってくる、秋吉、小夜子。
ハルコに会釈をして京一に近づく。
小夜子 生きてるじゃん
チホ うん。生きてるね。
小夜子 だからあんたの聞き間違いだって言ったでしょ。早とちり。
チホ しょうがないでしょ。そう聞こえたんだから。
小夜子 どうして「生きてる」と「死んでる」を取り違えるのよ?!
チホ さあ?あの時てんぱってたからさ。
秋吉とかおを見合わせて笑う小夜子。
小夜子 あーあ、心臓縮んじゃった。
秋吉 よく寝てる。
チホ こんだけチューブに埋もれてるとキョウちゃんが寝てるのかチューブが寝てるのかわかんないね。
小夜子 わかるでしょ。
チホ だって見てよ。この管だらけ。
小夜子 ふーん。後で長山君に言ってやろうっと。
チホ なんて?
小夜子 「チホが長山君とチューブ見間違えてたよ」って。
チホ 誰もそんなこと言ってないじゃん。
小夜子 あーあ、はやく起きないかなあ。
ハルコ 起きないよ。
小夜子 は?
チホ まだ麻酔効いてるからでしょ?
首を横に振るハルコ。
秋吉 いつくらいに意識が戻るの?(ハルコに)
ハルコ 意識、戻らないよ。
チホ そんなに焦ったってしょうがないかー。ICUからこっちに移れただけでもばん万歳ってとこかなあ。明日は目がさめるかなあ?
小夜子 明日もくればいいじゃん。
ハルコ 明日なんて来ない。
チホ え?明日も来るよ?
ハルコ 来ないよ。
チホ 来るってば。
ハルコ 来ないんだよ。明日はもう来ないんだよ。
小夜子 あのさあ、あたしたち、別に毎日来るつもりなんだけど。
ハルコ 来たいなら勝手にこれば?
小夜子 ちょっと、そんな言い方はないんじゃない?
チホ ハルちゃん、あたしたち、キョウちゃんの意識が戻っても戻らなくても毎日お見舞いには来るつもりなんだよ。
ハルコ 毎日?
チホ 毎日。
ハルコ 毎日なんてものは存在しない。今日が連続するだけ。
小夜子 何?この子、なにカッコつけてんの?
秋吉 やたら哲学的だ。
チホ どうしよう、あたし会話についていけないかも。
ハルコ 明日は今日の次に来る今日。
秋吉 そうだよ。
ハルコ でも今日とは違う今日。もう今日と同じ今日は来ない。
小夜子 当たり前のこと、言わないでよ。
チホ そうなの?当たり前のこと言ってんの?あたし、頭こんがらがってきた。わけわかんないよお。
ハルコ でもね、ある日今日は今日で終わって次の今日がなくなる。それが寿命。
秋吉 それって・・・
ハルコ お兄ちゃんの今日は今日で終わりなの。
チホ あのお、もうちょっと簡単に言ってもらえるかな?
小夜子 秋吉、わかった?
秋吉 ・・・
チホ ちょっと秋吉でもわかんないこと、あたしたちにわかるわけないじゃない。
ハルコ わかってるんでしょ?
秋吉 ・・・
小夜子 何?わかってんの?
秋吉 だって、それは・・・
小夜子 はっきり言ってよ。
秋吉 死ぬってこと・・・
小夜子 は?え?何?
秋吉 長山が明日死ぬってこと?
チホ 何それ?意味わかんないよ。何?明日って。
ハルコ 違うよ。
チホ 何?違うの?
秋吉 あ、違うの。
ハルコ もう死んでるから。
小夜子 はあ?
ハルコ それ、お兄ちゃんの死体だから。
間
小夜子 あんた、頭大丈夫?看病疲れなんじゃない?変わったげるよ。
ハルコ 信じられないでしょ?でも、事実だから。
小夜子 いや、事実も何も心臓動いてるじゃない。
チホ 体だってあったかいよ。ほら、みてみなよ、汗もかいてる。
ハルコ うん。知ってるよ。
チホ いや、知ってるって・・・知ってたらわかるでしょ?
ハルコ これがねえ、現代社会の生み出した「生ける屍」なの。
小夜子 抽象化して喋るのやめてくれる?
秋吉 医療技術の革新で死んでしまった体も生き返らせることが・・・
ハルコ 全然違う。生き返らせることなんてできないよ。
秋吉 また、違うんだって。
ハルコ 心臓が動いてても、死んでるってこと。
小夜子 何々??今度は精神論?「心臓が動いているからといって生きているといえるのか?我々は思考する故に生きているのだ?っ考えろ?っ 思考しろ?っ」てか?
チホ 小夜子まで難しいこと言わないでよ。
小夜子 あれよー。「われ思う故に我あり」。ヘーゲルだっけ?
秋吉 デカルトだよ。
ハルコ そうだよ。デカルトなんだよ。
小夜子 は?いや、デカルトじゃないでしょ?長山君の話してんでしょ?
ハルコ みんなデカルトにだまされてるんだ。侵されてるんだ。
チホ (小声で)ちょっと、ハルちゃん、そういうこと大声で言わないの。
ハルコ こういうことって?
チホ ほら、犯さ・・・(言いよどむ)。
小夜子 秋吉、どうよ?
秋吉 デカルトっていうと、心身二元論だっけ?
ハルコ そうだよ。
秋吉 えーと、・・・どういうことなんだ?
小夜子 だから、精神と身体は別でー‥‥‥なんか、精神が優位なんだっけ?
チホ (ハルコに)いい加減にしなよ。わけわかんないことばっか言うの。
ハルコ あなたの、わかることばっかり言って、わかんないことから逃げるスタンスもどうかと思うけど。
チホ 逃げてないわよ。わかんないことはわかんない。わかんないことをわかったようなふりするのが嫌だから、ちゃんとわかんないって言ってるだけじゃない。
ハルコ じゃあ、そうやってわかんないって言いつづけてればいい。でも、わかんないって言ったって何も変わらない。わかんないやつに発言権はないんだよ。わかんないやつは世界が流れるままに流されるだけなんだよ。そうやって流されていけばいい。
チホ 何よ、世界って?流れって?そんなものみえない、感じない。私はただ、好きな人と好きなことをやっていたい。それだけよ。だから、私は、キョウちゃんの、一番好きな人のことをごちゃごちゃ理屈重ねて、死んだとか言われたくない。そんな「死」をラベル貼るみたいに使わないで。
ハルコ 理屈なんだよ。ラベルなんだよ。「死」なんて人間が後から名前をつけて、もっともらしい理屈を付け加えたラベルにすぎないんだ。だから、ラベルだから「死」は人間によって書き換えられるんだよ。ラベルを貼る基準がね、変わっちゃたんだよ。ただそれだけのことなんだよ。
小夜子 チホ・・・
チホ わかんない。
ハルコ ほら、また「わかんない」だ。わかんない人間はわかんないまま流されろ。
ハルコをぶとうとするチホ。小夜子と秋吉がそれを止める。
ハルコ 好きにしなよ。わかりたくないなら、それでいいじゃん。逃げればいいじゃん。
チホ わかったような顔するな!世の中「わかる」ことなんてそんなホイホイあるもんじゃないんだよ。あんたがわかったと思ってることはどれだけ本当にわかったことなの?
ハルコ 私はわかりにくいからって、わかることが少ないからって、「わかんない」で逃げたりはしない。錯覚でもいい。私はちゃんとわかりたい。わかって、お兄ちゃんのこと受け入れたい。
秋吉 ハルちゃん、それどうゆうことなの?
ハルコ 死んだんだよっ。お兄ちゃんはもう死んだ。これは死体なんだ。
小夜子 ばかじゃない?生きてるよ。息してる。暖かい。心臓動いている。 どこが死んでんのよ?
ハルコ 息てるのも、暖かいのも心臓動いてるのも、全部機械がやってる。
小夜子 しょうがないじゃない。手術のあとなんだから。大手術だったんでしょ?
チホ ハルちゃん、大丈夫だよ。キョウちゃんはちゃんと治るよ。ね。妹のあんたがそう信じてあげなきゃ、治るもんも治らないよ。
ハルコ 信じたって、治らないときは治らないんだよ。
小夜子 秋吉、あんた、この子どうにかしてやってよ。
秋吉 ほら、ハルちゃん。ICUから普通の部屋に移れたんだからさ。
よくなってきたってことだよ。
小夜子 そうだよ、秋吉。ね、ICUは家族以外会えなかったじゃん。元気になってきたからあたしたちも長山君に会えるんじゃん。
ハルコ (冷笑)
小夜子 ちょっと、なに冷笑してんのよ。笑うなら、もっと盛大に笑いなさいよ。
ハルコ あはははははは。
小夜子 うわあー挑戦的―。生意気―。
ハルコ だっておかしいんだもん。みなさん、ほんとに物事を楽観的に受け取るんだね。
チホ あんたねえっ。(ハルコをぶとうとするが、秋吉に止められる)
小夜子 あんたが格別ゆがんだ見方してるだけじゃない?!
ハルコ 治療が必要なくなったんだよ。
小夜子 だから、よくなったから、・・・
ハルコ 死体だから必要ないんだよ。清潔なICUにいる価値ないんだよ、この死体は。
チホ 治療してるじゃん。こんなにチューブつないでさ。
ハルコ それはお兄ちゃんのための治療じゃない。どっかの誰かのための治療なんだ。
チホ わっけわかんない?
小夜子 どこかの誰かってどこの誰よ?
ハルコ だから、お兄ちゃんの臓器を待ってるどこかの誰かよ。
小夜子 臓器を待ってる。
ハルコ レシピエントよ。お兄ちゃんはお兄ちゃんのためじゃなくて、どっかのレシピエントのために死んでからもチューブにつながれてんのよ。
小夜子 何よ?そのレシピエントって。
秋吉 脳死・・・・・・?
間
ハルコ 臓器、提供するんだ。
律子が入ってくる。
律子 チホちゃん、来てくれたのね。秋吉君も。
小夜子で目が止まる。
小夜子 どうも。赤木です。
チホ おばちゃん、どういうこと?
律子 ・・・・・・何が?
チホ キョウちゃんが死んだって。
間
チホ 電話でおばちゃんが「キョウちゃんにお別れして」って言うから焦って病院きた。あたしね、あの時キョウちゃんはもう死んじゃったと思ったんだよ。だから、秋吉と小夜子に必死で電話して飛び込んできた。 でもキョウちゃん、あそこで寝てる。でもハルちゃんが、キョウちゃんのことを「生ける屍」なんて言う。おばちゃん、あの子キョウちゃんのことを死体だなんて言うんだよ。ちょっと叱ってやってよ。あの子、キョウちゃんのこと、勝手に殺しちゃってるよ。
律子 ・・・・・・
チホ おばちゃん、ちょっと、ハルちゃんに言ってやってよ。
律子 ・・・・・・
ハルコ はっきり言えばいいじゃない。あたしに言ったみたいに。
律子 ハルコ!
秋吉 脳死なんでしょ?
間
律子 そう。
スクリーンに次々と文字が現れる
1968年 「和田移植」
1985年 「竹内基準」発表
1990年 「臨時脳死及び臓器移植調査会(臨調)」設置
1994年 「臓器移植法案」提出
1997年 「中山案」修正可決
10月 「臓器移植法」施行
1999年2月 高知で法施行後初の脳死臓器移植
5月 東京
6月 宮城、大阪
2000年3月 東京
4月 秋田、東京
6月 愛知・脳死判定2度やり直した後中止
そして
200○年 ○月○日 ○○(公演日と公演場所)
スクリーン撤去
臓器移植コーディネーターがチホ、小夜子、秋吉に脳死についての説明をしている。
見守る律子。ハルコはいない。
小夜子 それじゃ、長山君は二度と目を覚まさないんですか?
臓器 その可能性が高いです。
チホ 嘘だ。
秋吉 チホ・・・
チホ 嘘だ、嘘だ、嘘だ・・・・。だって、あんなに、息して、暖かくて、 ・・・・・
臓器 あれは全部機械と薬の力なんですよ。あの生命維持装置がなければ京一君の心臓は止まって、全ての内臓器官が停止します。脳死の場合、生命維持装置をつけても、死は避けられません。
チホ 何とかしてよ。まだやることあるでしょ?ねえ、なんかあるでしょ?試してよ。ぎりぎりまで努力してよ!
臓器 残念ながら法定の脳死判定でも、脳死状態だと判定されました。
小夜子 法定?
臓器 法で定められた、脳死の判定基準があります。今回も、勿論、その判定基準に従って、判定しました。ですから、法的にも、京一君が脳 死状態にあるということは、確定しています。かなり、厳密な検査ですよ。
チホ だって、だって、さっき汗かいて・・・
臓器 脳死状態になっても汗をかくし、唾液もでます。髪も伸びますし、垢や、フケもでます。脊髄反射で手がぴくっと動くこともありますし・・・・・・
チホ それ、生きてる証拠じゃないですか!
秋吉 脳はもう死んでるんでしょう?どうして、そんなこと・・・
臓器 あくまで脊髄反射なんです。
秋吉 あ・・・
秋吉にすがるように聞く、小夜子。
小夜子 何?脊髄反射って何よ?
秋吉 脳に刺激が伝わる前に脊髄で折り返して反応すること。
チホ どういうこと?
臓器 みなさん、熱いやかんに触ったときに、「あつっ」って言って、手を引っ込めるでしょう?そのとき、私たちは別に「熱い」だから「手を引っ込めよう」と頭で考えて行動してるわけじゃない。(以下図解があるとわかりやすい)我々は刺激を感覚神経をとおして受け取ります。感覚神経は刺激を信号に変えて、まず脊髄に送ります。そのあと脊髄から脳へと伝え、信号を受け取った脳は思考し、反応を決定します。その反応はまた信号になって脊髄に最初に送られ、そこから運動神経をとおして体中の筋肉に伝えられます。ところが、単純な刺激の場合は、信号が脳まで送られず、脊髄で受け取られ、そのまま、運動神経に送り返されます。それが脊髄反射です。もちろん、脳死状態では、脳を使った思 考を通しての反応はできませんが、脊髄に損傷がない限り、脊髄反射は可能なわけです。
小夜子 要するに頭を使わない反応ならできるわけですか?
臓器 そういうことです。私たちは、汗をかこうと考えてかくわけじゃない。考えなくても汗はかくんですよ。
チホ ようわからんけど・・・でも、少なくとも体は生きてるんでしょ? 脊髄は生きてるんでしょ?それってキョウちゃんの体がまだ生きてるってことだ。だから、少なくとも、キョウちゃんは、死んではいないんでしょう?
臓器 あのね、山木さん。生きてるって言えますか?
チホ は?
臓器 京一君は二度と目を覚ましません。ここで、こうして、ずっと存在しているだけです。意思も持たず、姿をさらし、ベッドで張り付けられているのです。京一君には、もう、何もないのです。過去も、未来も、現在さえ。
チホ なんでよ?ここにいるじゃない。それはキョウちゃんの現在でしょ?
臓器 京一君は自分が今ここに存在していることを自覚できないんです。彼には、もう時間の感覚が残されていない。現在という状況も把握できないんです。山木さん、あなたはここに自分がいることがわからない、という状態の人間をどう考えますか。あなたは、自分がいない世界に体だけ残した彼を哀れだと思いませんか?
小夜子 ここにいない、長山君の、心‥‥‥
秋吉に救いを求めるように見る小夜子。
秋吉 ‥‥‥
チホ あたしはわからんよ。何がいいたいのかも。
臓器 あなたにとって生きているってどういうことなんですか?
チホ そんなの当たり前のことだよ。今、こうしてること。
臓器 こうしてる、ってどうしてることですか?
チホ わかるでしょ?!こうやって、話して、怒って、叫んでることだよ!
臓器 そう。あなたはそうやって、あなた自身を表現している。でも、京一君にはもう表現することも、それ以前に思考することもできないんです。
チホ なんで、なんでそんなことわかるの?
臓器 生物学的に、そうなんです。ねえ、山木さん。この脳死というのはね、別に、私が勝手に決めた状態ではないんですよ。厳正な法的に定められた検査を何度も繰り返して、お医者さんが出した脳死という「死」の状態だということを確認します。もちろん、抵抗があると思います。迷うと思います。皆さんがすんなり受け入れられなくて当然だと思いますよ。でもね、山木さん。京一君は生きているうちに、ドナーカードに脳死状態になったときは臓器を提供したい、っていう意思表示をしてるんです。私は、ただ、その気持ちをくんであげて欲しいと思っているんですよ。
間
秋吉 あの、別に疑うわけではないんですが、長山のドナーカードを一度見せてもらえませんか?
臓器 もちろん、かまいませんよ。ほら、これが長山君のドナーカードです。ここに、丸がついて、ほら、「私は臓器提供に同意します」って書いてあるでしょう?これが署名。これは京一君の字ですよね?
チホ ‥‥‥
食い入るようにドナーカードをみる一同。
目をそらし、みなかったようにするチホ。
目をそらすチホをいたわるように見る秋吉。
ドナーカードを直視し、何かを決意する小夜子。
小夜子 長山君、くせ字だから。ねえ、チホ。
チホ ‥‥‥
小夜子 チホ、長山君の意思表示だよ。
目をそらすチホ。
小夜子 ねえ、みなよ、チホ。
チホ ‥‥‥
秋吉 リヴィング・ウィルの尊重、ね。
臓器 むつかしいこと、知ってるんだねえ。
秋吉 ‥‥‥それは俺を馬鹿にしているんですか?
臓器 ‥‥‥別にそういうわけじゃないんだけどね。
チホ あはははは。だって、あたし馬鹿だもんねえ。でもねえ、馬鹿なのはあたしだけで、別に小夜子も秋吉も馬鹿じゃないんだよ?
秋吉 別にチホは馬鹿じゃないだろ?
チホ 馬鹿だよ。馬鹿だよ。馬鹿だよ。全然わかんないよ。何よ、リヴィング・ウィルって?何よ、脳死って?みんな、みんな、わかんないよ。 あたし馬鹿だもん。あたしにわかるのは、目の前に、キョウちゃんがいて、みんなでそれを殺そうとしてる、ってことだけだよ。
小夜子 ‥‥‥ねえ、チホ。ちょっと冷静になろうよ。
チホ 小夜子?!
小夜子 これさ、長山君の遺言なんじゃない?ねえ?
うなずく秋吉。
チホ (臓器移植コーディネーターに)それ(ドナーカード)、見せて下さい。
ドナーカードを見据えるチホ。
チホ ‥‥これが遺言?
臓器 そうだよ。
チホ 笑わせないでよ。
臓器 ‥‥はい?
チホ 何よ、こんな紙っ切れ。こんなぺらぺらの紙でできたカード。なに、この天使の絵は?なんで黄色なの?意味わかんないよ。ふざけないでよ。みんなさあ、こんな紙っ切れでキョウちゃんをどうこうしようっていうの?
小夜子 そんな‥形なんてどうでもいいじゃん。
チホ よくないよ。キョウちゃんの命がかかってんだよ?!
小夜子 死んでるんでしょ?
チホ は?
小夜子 もう、死んでるんだよ、チホ。
チホ 何、いってんのよ?!
小夜子 さっきあの子も言ってたじゃん。長山君はもう死んだ。
小夜子をひっぱたくチホ。
チホ 小夜子まで何言ってんのよ?!そんなの認められる訳ないじゃん。こんな姿で死んでるなんて、なんでそんなこと言うのよ?
秋吉 落ち着けよ。
小夜子 だって、長山君が選んだってことじゃない。
チホ え?
小夜子 長山君が、自分で選んで、自分で決めたことでしょ?長山君の意思だったらしょうがないじゃん。尊重しようよ。ここ(長山京一の身体 をさして)には、長山君の心はない。でも、こっち(ドナーカード)に は、ちゃんと心が残ってる。
チホ やだよ。そんなの、わかんないよ。心なんかみえないよ。第一、キョウちゃんは私にそんなこと、一度も言わなかった。
小夜子 ちゃんとみなさいよ。
チホ はあっ?
小夜子 あんたには言わなかっただけでしょ?長山君はちゃんとお母さんには言ってるじゃない。
チホ、家族署名のところに律子がサインしていることに気づく。
チホ おばちゃん、署名したの?
律子 人のためにね、人の為に自分の臓器差し出そうって思ったんだよ、 京一は。
チホ 人のため?
律子 おばちゃんは、京一を人の為に行動できるような人間に育てたかった。だから、京一がそういってくれて、嬉しかった。まさか、こんな ことになるとは夢にも思わなかったけどね。
チホ ‥おばちゃん、おばちゃんはキョウちゃんより、その他人のほうが大切?
律子 ・・チホちゃん、人は助け合って生きていかなくちゃ・・
チホ おばちゃん、こんなときまでそんな建前いらんよ。あたしはキョウちゃん方がずっと大事だよ?どっかの誰かより。他人にどう罵られたっていい。あたしにとってのキョウちゃんは他の人間の全ての命より大切なの。
律子 ‥チホちゃん。
チホ ねえ、おばちゃん。瀬戸際なんだよ。だってね、おばちゃん。キョウちゃんは確かにもう目を覚まさないのかもしれない。でも、温かいし、心臓も動いてる。そのキョウちゃんが、手術室で冷たい体に明日の朝にはなっちゃうんだよ。まださあ、どんだけ生きられるかもわかんないのに。ここで、正直に、ううん、傲慢にならないでいつなるの?おば ちゃん、やめようよ。そっとさあ、息をひきとるまで、ちゃんと看取りたいよ。看病が大変だったら、あたしが代わって、みてるからさあ。お願い。ギリギリまでがんばろうよ。
律子 ダメなのよ、チホちゃん。おばちゃん、もう決めたから。
間
秋吉 家族の承諾が得られたってことになりますよね。
臓器移植コーディネーター、頷く。
秋吉 じゃあ、無駄ですか。全て、終わった後だったんですか。
チホ どういう意味?
秋吉 脳死の判定が終わったら、すぐに移植の準備が始まる。脳死の判定は家族の同意がないとできないんだ。でも、それがもう得られてるなら、今更後戻りはできない。決まったんだよ。
臓器移植コーディネーター、頷く。
チホ あ、家族の同意ね、なるほど。
間
チホ え?あたし、もしかして、今すっごい邪魔者?だって、家族の同意は必要だけど、彼女の同意は必要ないもんね。お呼びじゃないってか。なんだ、みんなして説明してくれるから、あたしにもカードをきる権利があるのかと思っちゃったよ。だから、ノーのカード、必死でかざしてたのに。なんだ。あたしにはカード、配られてなかったんだ。なるほどねー、カード持ってるのはおばちゃんと、ハルコだけだったんだ。
間
チホ くだらねえ。くだらねえよ。
間
チホ ねえ、おばちゃん。あたしの望みは一つだけ。話さなくていい。動かなくていい。何もしてくれなくていい。何も求めない。ただ傍にいたいの。最後の心臓の一音を手を握って聞いていたい。一分でも一秒でも鼓動を繰り返す彼の傍にいたい。温もりを感じていたい。にじむ汗をふいていたい。それだけなの。
間
チホ 嫌だよ。離れたくない。手術室で死ぬなんて嫌。次に会うのが屍になったときなんて絶対に嫌。
小夜子 そんなこと言ってたってしょうがないじゃん。
チホ あんたさあ、ホントにわかっていってんの?もう二度と会えないんだよ?!
小夜子 わかってるよ!
チホ わかってない!全然わかってないよ!わかってたらそんなこと言えないよ!
小夜子 じゃあさ、なんて言えば気が済むの?ねえ、チホ。
チホ ‥‥
小夜子 なんでさあ、理解してあげないの?なんで長山君のこと、なんで尊重できないの?なんでそんな自分のことばっかり言えるの?あんたが愛してるのは自分だよ。自分がかわいいだけじゃん。あたしだったら‥‥あたしだったら、好きな人の意思は尊重するよ。
秋吉 言いすぎだろ!赤木。
チホ 理解なんてできない。
小夜子 できないんじゃなくてしないんでしょ。
チホ だって、失いたくない。
小夜子 独りになるのが寂しいだけしょ?
チホ そうかもね。
小夜子 そんなので、おばさんや、長山君ふりまわさないでよ。
チホ ねえ、小夜子。あたしさあ、キョウちゃんのこと、好きだよ。
小夜子 知ってるよ。
チホ その人のこと、失いたくない、ってのは変かな?
小夜子 変じゃないよ。普通だよ。でもさ、あたしが言ってるのは、自分 の考えを通すばっかりじゃなくて、人の考えを尊重する姿勢も必要だって、言ってんの。あのさ、好きな人とつきあうって、自分のことと他人のことをイッショクタにするのとは違うでしょ?あんたと長山君がどん なに好きあって、結ばれてたかは知らないけど、どんなに深くつきあっ たって、長山君は長山君、あんたは山木チホでしょ?チホに気に入らないことだって、長山君の考え方は長山君の考え方で尊重しなきゃおかしいじゃない。
チホ キレイゴト。
小夜子 あんたが汚すぎるんだよ。
チホ 汚れちまった悲しみは‥‥小夜子にはわかんないよ。本気で好きになったことないくせに。つきあったこともないじゃない、小夜子は。
小夜子、チホをひっぱたく。秋吉、息をのむ。
小夜子 そうだよ、わかんないよ。あんたのことなんて、全然わかんない。でも、あんんただって、長山君のこと全然わかってない。秋吉のことも、あたしのことも、あんただって、なんにもわかってない。あたしが、つきあったことがないから、あんたの気持ちがわかんないとすれば、あんたは、この年まで、つきあったことのない私の気持ちはわかんないじゃ ない。他人の気持ちなんて、わかんないわよ、他人は所詮他人じゃない。私の気持ちもあんたの気持ちも、わかってくれる人なんて、どこにもいないわよ。
間
チホ 守りたいものは一つだけ。それはキョウちゃん。それ以外全部捨ててもいい。見えもプライドも恥じも外聞も。なんにもいらない。欲しいのはキョウちゃん。だれも、私の気持ちをわかってくれない。
小夜子 私の気持ちなんてわかってもらえなくてもいい。ただ、私は長山君の意思表示カードに、長山君の意思をみた。彼の短い生涯に、彼の意思を最後まで反映させること。それをチホにも協力して欲しかった。遂げられない想いの重さは、私、知ってるよ。
律子 待つ。ね。チホちゃん、待つわ。
チホ 何を?
律子 チホちゃんが同意してくれるのを。
チホ はは。あはは。
小夜子 なんで笑うの?
チホ カードだよ。あたしにも、ゲームのカードがまわってきた。しかも、一枚だけ。カードにはイエスしか書いてない。
律子 一枚だけど、参加して欲しいの。
チホ 本音と建前の出来レースに?
律子 待ってるわ、チホちゃん。
臓器 でもね、長山さん。明日の朝には京一君の臓器は搬送しないと。レシピエントが待ってますから。
律子 わかってます。
臓器 長山さん、変更なんて‥‥‥
律子 わかってますから。
ハルコが入ってくる。
ハルコ そういうことになったんだ。
律子 聞いてたの?
ハルコ そ。ねえ、ちゃんと約束守りなよ、お母さん
チホ、小夜子、秋吉。
チホ 秋吉は冷静だね。
秋吉 そうか?
チホ うん。
秋吉 そうか。
チホ 腹立つくらいに冷静だよ。
秋吉 腹立つか?
チホ うん。
秋吉 腹立つか。
チホ ねえ?
秋吉 うん?
チホ 知ってたの?
秋吉 脳死?
チホ うん。
秋吉 ニュースでよくやってたからな。一時期。最近はあんまりやらんけど。
チホ 違うよ。
秋吉 うん?
チホ キョウちゃんの。
秋吉 ああ、ドナーカード?
チホ そう。
秋吉 うすうす、ね。
チホ やっぱり。そうなんだ。
秋吉 何で?
チホ あたしには全然教えてくれなかったなあーって。
秋吉 だって、お前、全然興味なかっただろ?
チホ うん。
秋吉 だからだって。
チホ ‥‥‥なんで、あたしこんなに馬鹿なんだろう。
秋吉 え?
チホ なんでさ、脳死に興味持ってるキョウちゃんに気づけなかったんだろう?
秋吉 ‥‥‥
チホ きっと、こんな馬鹿な彼女じゃ、そんな話する気にもなれなかったんだろうね。
秋吉 なあ、チホ。別にそんなんじゃないと思う。長山はまさか自分がホントに脳死になるなんて思ってたんじゃないと思うぞ。
チホ でもさ、一言くらいさ。だって、話題にも上らなかったよ?
秋吉 いや、だってあんまり恋人同士で、こんな話してもムード盛り上がらないしなあ。
チホ あたし、きっとこんなことがなかったら真面目に考えなかった。
秋吉 まあ、チホならそうかもな。
チホ あ、何気にひどい?
秋吉 え?あ、ごめん、ごめん。
チホ まあ、いいよ。ホントのことだし。
秋吉 気にすんなって、そんなこと。
チホ うん。だってさ、あたし、キョウちゃんのことって腕のぬくもりとか、そういうすごいわかりやすいことしかイメージできないよ。いっつもね、抱きしめてくれた。あたしのこと。辛いときもさ、悲しいときもさ。あたしがピンチになったら必ず抱きしめてくれるの。
秋吉 ‥‥‥
チホ こんなときこそ、抱きしめて欲しいのに。
秋吉 抱きしめられたい?
チホ うん。
秋吉 ホントに?
チホ 立っていられないよ。一人じゃ。
黙って出ていくチホ
秋吉 どこいくんだ?
チホ キョウちゃんのとこ。
秋吉 もう、あいつにお前は抱きしめられないんだぞ?!
チホ 知ってるよ!
秋吉 行っても無駄なんだよ!
チホ うるさいっ!!うるさいよ、秋吉!
立ち去るチホ。
秋吉 待てってば!
追おうとする秋吉。
小夜子 ほっときなよ。
秋吉 え?
小夜子 あんな子、ほっときなよ。
見つめ合う二人。小夜子が目をそらす。
秋吉 赤木‥‥‥
小夜子 止めても無駄だって知ってるってば。
秋吉 ‥‥‥
小夜子 いいよ。知ってるんだから。
秋吉 ごめんな。
小夜子 謝まられてもこまるから。
小夜子を悲しそうな目で見てチホの後を追う、秋吉。
小夜子 勝手にすれば。
黙って椅子に座る小夜子。
小夜子 キョウちゃん‥‥‥ね。泣いて縋って、そんな演歌が好きですか?
間
立ち上がり、二人の後を追う小夜子。
誰もいなくなった部屋。
入ってくる医者、律子、ハルコ。
臓器 今から8時間後に手術開始、よろしいですね。
律子 ‥‥‥
臓器 ‥‥‥
ハルコ 山木チホのは?
律子 ‥‥‥
臓器 ‥‥‥
ハルコ 山木チホのことはどうするの?
臓器 法律上は脳死判定の同意は家族と本人の意思表示のみでいいんです。
ハルコ お母さん
律子 ‥‥‥
臓器 京一君の意志を大切にするということなんですよ。
ハルコ 山木チホになんていうつもり?
律子 ‥‥‥
ハルコ チホに言ったじゃない?
律子 だって‥‥‥
ハルコ だって、何?
律子 京一は意思表示を‥‥‥
ハルコ また、始まった。
律子 ハルちゃん?
ハルコ 理解者面して、その場しのぎのことしか言わない。知ったかぶりの善人面。反吐が出る。
臓器 あのねえ、親に対してどういう口の聞き方してるの!
ハルコ うるさいよ。あんたには関係ないでしょ?ああ、口の聞き方で人間の本質がわかるって?勝手にわかったような顔してなよ。あたしには、こいつに言わなきゃなんないことがあるんだよ。
律子 ハルちゃん、ここでは・・・・
ハルコ じゃあ、どこならいいの?どこまで逃げるの?あたしから。
律子 いい加減にしなさいよ。じゃあ、言いなさい。言えるもんなら言ってみなさい。あなたはそうやって、いつも言わないだけでしょ?
ハルコ 言わせなかったのはあんたじゃない?
律子 じゃあ、あなたは何が言いたかったのよ?
間
ハルコ 私は醜い人間だってことだよ。
律子 ‥‥‥
ハルコ 私は他人のことを思いやれるような人間じゃない。
律子 ‥‥‥
ハルコ 何よ、もっと軽蔑した目で笑いなさいよ。
律子 ‥‥‥
ハルコ 私はお母さんみたいに、お兄ちゃんの代わりに誰かが生きていることで自分が慰められたりしない。私はお兄ちゃんみたいに、自分の体を誰かの役に立てようなんて考えられない。ねえ、お母さん、私は自分が一番大事なの。あたしは、自分がかわいい。自分が幸せになりたい。他人のためなんて嫌。
律子 ‥‥‥
ハルコ あはははは。言っちゃったよ。絶対、言えないと思ってたのにさ。言えるんだよね、人間なんでも。ごめんね、お母さん、こんな娘が生まれちゃって。折角、お母さんが「他人のことを思いやれる人間になるように」育てて、いつも言い聞かせてくれたのに。お母さんの育て方が悪いんじゃないよ。きっと、あたしが生まれつき欠陥があるんだ。だって、お兄ちゃんは成功して、ほら、こんなに、死んでまで他人に尽くしてる。
律子 ‥‥‥
ハルコ あたしなんか残っちゃったね。駄目な奴ほどよく生き延びるのかな?
律子 ‥‥‥
ハルコ あたしもね、がんばるつもりだったんだ。お母さんにほめてもらいたかったから。でもね、他人のために行動すればするほど、胸がからっぽになるの。尽くせば尽くすほど、偽善者の自分に耐えられなくなるの。ごめんね。あたし、無理だ。
律子 ‥‥‥
ハルコ いいよ。もう。これだけ言いたかっただけ。聞いて欲しかった。醜いあたしを、お母さんに見て欲しかった。これが、あたしだから。本 当のあたしだから。もう、これ以上がんばれないから。だから、もう、 あたしのこと嫌いになってもいいよ。
律子 ‥‥‥
ハルコ お母さん、臓器提供するっていいことだよね?他人の役にたつことだよね?
律子 ‥‥‥
ハルコ 無償で人にあげるんだもん、いいことだよね。これで誰かの命が助かるんだもんね。
律子 ‥‥‥
ハルコ これ、あたしの最後の偽善だから。
ハルコ、黙って居る臓器移植コーディネーターに一瞥をくれて出ていく。
間
臓器 長山さん‥‥‥
律子 すいません。あんなみっともないところをお見せして‥‥‥
臓器 いえ‥‥‥
律子 いつまでたっても我が強くて、場が考えられない子なんですよ‥‥‥。
臓器 ‥‥‥カウンセラーを紹介しましょうか?
律子 え‥‥‥?
臓器 脳死が家族に与えるストレスの大きさは、こちらでも認知しています。今回はケアが足りていなかったかもしれません。こちらのミスです。申し訳ない。
律子 あ、そんな、心配しないでください。あの子のは、ただのヒステリーで‥‥‥
臓器 ただの?
律子 え?
臓器 長山さん、あなたも娘さんも傷ついているんですよ?
律子 いえ、そんな‥‥‥あの子は、すぐああやって大げさに騒ぐんですよ。
臓器 長山さん、人って、簡単に傷つくんですよ。
律子 ‥‥‥じゃあ、じゃあどうすればよかったんです?
臓器 別にあなたが悪いわけじゃない。
律子 じゃあ、どうすればいいんです?
臓器 カウンセラーを紹介しましょう。
律子 ‥‥‥はあ。
臓器 きっとあなたの助けになってくれると思いますよ。
律子 そうですか。
間
臓器 確認ですが、手術、明朝でいいですね
律子 ‥‥‥
臓器 レシピエントは待ってますから。
律子 ‥‥‥
臓器 書面で同意しましたよね
律子 わかってます
臓器 レシピエントにとっても大変なことなんですよ。 手術の準備も着々とやっているはずですしね。
律子 ‥‥‥
臓器 あなたの決断がレシピエントの運命を変えますから
律子 ‥‥‥わかってますから。
臓器 大丈夫。きっと京一君の気持ちはレシピエントにも伝わりますよ。
会釈する律子。
出ていく医者。
律子 人は傷つきやすい生き物‥‥‥ですか。でもね、それよりも他人(ひと)を傷つけやすい生き物って呼んだほうが適切なんじゃないですか?‥‥‥なんてね。どうもハルコの口調が移った。
間
律子 あたしが一番汚い人間なんだよ。
一言つぶやき、律子、出ていく。
京一のベッドに歩み寄るハルコ
ハルコ お兄ちゃん‥‥‥あのね。
そこに飛び込んでくるチホ
ドアを閉め、外から入れないようにする
チホ 入らないで!
ハルコ なんなのよ?
チホ 絶対入れないんだから!
ハルコ チホ‥‥‥おにいちゃ(無視して兄に呼びかけようとする)
チホ 何も聞かない。何も考えない。もう、秋吉の言葉も小夜子の言葉もいらない!
ハルコ チホ‥‥‥おにいちゃ(気を取り直してもう一度)
チホ もう嫌だ!あたしの傍にこないで!
ハルコ (チホに)出て行けーーーーっ
チホ は?ああ、ハルちゃん。
ハルコ 出てって。
チホ 何で?
ハルコ なんでも
チホ いや。
開けてくれっ山木ーーっ 秋吉
チホ あたしと一緒にいたくないっていうなら、あんたが出て行きなさいよ。
俺は、お前に言いたいことがあるんだ。 秋吉
ハルコ ここはあたしのお兄ちゃんの部屋だよ。
チホ そうだよ、だからあんたの部屋じゃない。あんたのものじゃない。 だからあんたの言葉は聞かない。
じゃあ、扉は開けなくてもいい。そこで聞いててくれ。 秋吉
チホ ハルちゃん。
ハルコ なに?
チホ なんで同意したの?
なあ、山木、よく聞いてくれ。 秋吉
ハルコ だって
俺は、長山の親友だ。 秋吉
ハルコ だって、最後だから。
チホ はあ?
俺はいつも長山の隣にいた。お前をみてる長山のな。なあ、俺もさ、隣でさ‥‥ 秋吉
ハルコ 最後の偽善だから。私がやる最後の他人に対する偽善だって決めたから。
チホ なによ、偽善って?なによ最後って?
俺は長山と違う人間だ。だから長山の代わりになれるなんて思っちゃいない。 でもな、長山がいない今さ、お前が抱きしめてくれる腕を求めてるならさ。俺は、‥‥‥俺はさ‥‥‥あのな、山木 秋吉
チホ 最初も最後も偽善も偽悪も関係ないじゃない?なんでそんなに建前にこだわるの?!
ハルコ あんたに何がわかるのよ?本音で生きてこれた人間に何がわかるの?建前でしか生きてこれなかったあたしの矛盾の何がわかるの?そうよ、利用するのよ。お兄ちゃんの死は、あたしが生まれ変わるチャンスなんだ!
チホ ふざけたこと言わないでよ!
・・・俺はな 秋吉
チホ あたしの本音はただ一つ。
俺は山木のことが 秋吉
扉に顔を近づける秋吉。
チホ 私はキョウちゃんを愛してる!(絶叫)
秋吉衝撃を受ける。
知ってるよ。 秋吉
チホ それだけだよ?本音も建前もない。あたしがすがれるのはそのことだけ。
知ってるけどさ。 秋吉
チホ チャンス?そんなあんたの人生の一部にしないでよ。キョウちゃんはあたしの全てなの!
ハルコ 今のあたしにだってお兄ちゃんはあたしの全てだよ。
それでもな 秋吉
チホ 違うよ。キョウちゃんが死んだらあたしは、どうやって生きていけばいいかわからない。そんなこと、あんたには理解できない。
ハルコ 理解できてもできなくても、あたしはこれしかできない。
チホーーーーーっ 秋吉
ハルコ ‥‥‥あのさ
チホ なによ?
ハルコ ドアの外で誰か叫んでるよ。
チホ ああ、忘れてた。
小夜子 何やってんのよ。
小夜子がドアを蹴破って入ってくる。
小夜子 秋吉?
秋吉 あのさ、山木
チホ なに?
秋吉 さっき
ハルコ ほら、なんか叫んでた、あれでしょ?
秋吉 聞いてた、よな?
チホ あ、京一の話。
秋吉 ‥‥‥違うよ。
チホ ‥‥‥?ごめん。聞いてなかった。
小夜子 だからさ、言ったじゃん。
秋吉 山木‥‥‥
チホ ごめん、もう一回言ってくれる?
秋吉 ‥‥‥
小夜子 サイテーっ
チホ は?
秋吉 忘れてくれよ。二度といわないから。
チホ え‥‥‥?ごめん、大事な話だったんだ。
秋吉 いいよ。
小夜子 なんでさあ、なんで‥‥‥
泣き出す小夜子。
秋吉 赤木‥‥‥ごめんな。
横に首をふる小夜子。
チホ ねえ、何?どうしたの?ねえ、小夜子?
チホを振り払い、出て行く小夜子。
チホ どうしよう、秋吉。あたし、また、なんかやらかした?
秋吉 気にすんな。
チホ 嘘。だって、小夜子、泣いてた。私のせいでしょ?
ハルコ そうやって、口に出せるあんたが、おかしくなるくらい妬ましい。
つぶやき去っていくハルコ。
秋吉 なあ、チホ、お前はお前でいい。長山のことだけ考えろ。
かすかに震える秋吉。
チホ あたしのせい?
秋吉 ‥‥‥なあ、チホ。お前が抱きしめられたいのは長山だけだろ?
チホ ‥‥‥
秋吉 違う男じゃ駄目なんだろ?
うなずくチホ。
秋吉 じゃあさ、しっかり立て。他人にすがるな。
チホ ‥‥‥秋吉。
秋吉 長山しか求めないなら、長山にすがるしかない。でも長山は抱きしめてくれない。じゃあ、自分で自分を抱きしめるしかない。そうだろ?
うなずくチホ。
秋吉 自分で立て、一人で立て。
うなずくチホ。
秋吉 がんばれ、チホ。
傷ついた顔で去っていく秋吉。
残されたチホ。
チホ キョウちゃん、起きて‥‥‥。抱きしめて。一人は嫌なの。
誰かが走り抜ける。
朦朧と現れるたくさんの幻。
幻 起きないよ
チホ 嫌だ。
幻 死んだんだよ。
チホ 死んでない。
幻1 どうして臓器移植を怖がるの?
幻2 キョウちゃんの臓器は他の人を助けるんだよ。
幻3 死んでしまう人が助かるんだ。
チホ 他の人が死ななくてもキョウちゃんは死んでしまう。
幻4 他の人の身体で生き続けるよ。
幻5 キョウちゃんの姿は見えなくなるけれど、キョウちゃんは生き続ける。
幻 命のリレーだよ。命のリレーをしようよ。
人間はみんな助け合って生きていくんだよ。
苦しいことも悲しいこともみんな分け合って生きていくんだよ。
さあ、命のリレーをしよう。
消えかけた命の灯火が消えないうちに。
さあ、命のリレーをしよう。
チホ キョウちゃんは・・・・・・
幻 さあ、命のリレーをしよう
チホ キョウちゃんはバトンじゃないっ!!
チホの悲痛な叫びが響く。
消える幻。それが亡霊なのか、幻覚なのか、チホの心の声なのか誰にも何も分からない。けれど、幻は確かに存在しチホに呼びかけた。
チホ キョウちゃんはキョウちゃんだ。誰かに受け渡しするような存在じゃない。
チホ あたしも同意する。
チホ、小夜子、秋吉、律子、ハルコ、臓器
律子 チホちゃん、ホント?(チホに)
チホ だってしょうがないでしょ?ほら。
避ける小夜子、とまどいがちに黙る秋吉。
律子 チホちゃん・・・・・・ありがとう。
ハルコ なんだ、あんたも偽善者じゃん。建前でしょ?偉そうに言ってたけど。
チホは黙って微笑む。
チホ お願いがあります。二人っきりでお別れさせてください。
律子 もちろんよ。いいですよね?(臓器移植コーディネーターに)
チホ 絶対にあたしが出てくるまでだれも入らないでね。
ハルコ 何?最後の乳繰り合い?
律子がにらむ。
チホはただ黙って微笑んでいる。
次々と病室を去る。
小夜子がなにか言いたげに振り返る。
黙って微笑みながら横に首を振るチホ。
ドアが閉まるとゆっくりとチホは京一に近づく。
静かに看病用の椅子に座り、彼の手を握るチホ。
手を握り、自分の頬に近づけ、鼓動を聞く。
いくらか愛撫したあとに、おもむろに立ち上がり、人工呼吸器に手をかける。
チホ ごめんね。頭おかしいね、あたし。でもさ、これしか他に方法みつかんない。
ゆっくりと人工呼吸器を外そうとするチホ
母が病室に入ってくる。
律子 チホちゃん?!
チホ 駄目だよ。入らないで、って言ったのにね。
人工呼吸器を外そうとするチホ。それをとめに入る律子。
律子 これ外したら死んじゃうのよ!
チホ もう死んだって言ったじゃない!
もみあい、律子に投げ飛ばされるチホ。
チホ もう死んでるんでしょ?屍なんでしょ?じゃあ、いいじゃない。私は生きてるとか死んでるとかどうでもいいの。目の前で呼吸しているキョウちゃんが好きなの。でも、近くにいられないっていう!いさせてくれないって言う。最後の鼓動を聞き取らせてくれないって言う!じゃ あ、あたしが鼓動を止める。キョウちゃんの最後の鼓動を聞いてあたしも死ぬ。
何かを言いかけて、黙る律子。
チホ もうね、意味わかんないの。生きてんのか死んでんのかさえわかんない。何なのよ。普通に死なせてあげてよ。ねえ、おばちゃん。そんな意味わかんない脳死とかいうのやめようよ。ね。臓器移植やめよ。いいじゃん。普通に息が止まって心臓が止まって、はい、ご臨終です、って。それでいいじゃん。ねえ、そうしようよ。
律子 ‥‥‥
チホ 嫌なの。嫌なの。わけのわからないルールで引き離されるのが。いつものルールにしようよ。何千年も前からずっとそれでやってきたんだからさあ。なんでそれをいまさら変えんのよ?
律子 ‥‥‥
チホ 戻そう。おばちゃん、戻そうよ。
律子 ‥‥‥チホちゃん。もう変わらないよ。
チホ 「決まったことなの」?決まったことは変えればいい!
律子 臓器を待ってる患者さんがいるの。
チホ ‥‥‥うん。
律子 手術が決まった。そしたら、もう、私たちだけの問題じゃないのよ。
チホ ‥‥‥うん。知ってる。
律子 私は、私は最初に移植に同意したときに決めたの。この子の意思を尊重しようって。そのために、臓器を提供しようって。
チホ ‥‥‥でも‥‥‥
律子 あのね、チホちゃん。私がね、京一にきっと呪いをかけた。
チホ 呪い?
律子 他人のために尽くせって呪いをかけた。その呪いのせいで、京一は臓器提供を考えたのかもしれない。私のせいかもしれない。
チホ それって呪いなの?
律子 京一は京一の考えで署名したんだと思う。でもね、私が母親でなければ、京一は署名しなかったかもしれない。私の影響はきっとあると思う。だから、それが自覚できるから、私は呪いに始末をつけなきゃならない。私は京一の意思を遂行する義務がある。
チホ なんで?なんで、そんなに、みんな、建前で動くの?
律子 それはね‥‥‥
チホ それは、何?
律子 現実があるから。現実は建前を求めるから。
チホ 私が生きてるのも現実だよ?でも、私に現実は建前なんて求めない。
律子 守るものが多すぎるから。現実を、現状を守らなきゃならないから。
チホ どうして?現実って固定されたものじゃないよ?変化していくんだよ?どうして、昨日の現実を今日も持続させようとするの?昨日と違う現実を今日は求めればいい。
律子 昨日の現実の中においてきてしまった、あんまりにも多くのものを捨てられないの。昨日の続きを今日もやらなくちゃいけない。今日の続きは明日、明日の続きは明後日。永遠に昨日の続きを現実は求めるのよ。
チホ そんなの現実じゃない。現実だと思ってる幻なんだよ。
律子 でも、それが私の生きている世界だから。幻だとしてもね。チホちゃん、私は変えないよ。‥‥‥そうじゃない。変えられない。
チホ ‥‥‥
律子 知ってるから。昨日も今日も明日も全ては連続していて、私はその現実を知っているから。だから、回りだした歯車はもうとめられない。京一の歯車も、レシピエントの歯車も、私の歯車も、ハルコの歯車も、チホちゃんの歯車も。
チホ ‥‥‥
律子 もうね、止められないんだよ。チホちゃん。
チホ ‥‥‥
律子 チホちゃん。移植に同意して。
チホ ‥‥‥
律子 ‥‥‥
チホ ‥‥‥どこかで知ってたんだよね。
律子 ‥‥‥
チホ もう、歯車が回り始めてたこと。覚悟決めてたし。変えられないよね。一回決めた手術とりやめるなんて、向こうの臓器待ってる患者さんのこと考えたら、絶対できない。
律子 ‥‥‥
チホ わかってんだよ。わかってた。
律子 ‥‥‥
チホ だからさあ、ここで同意すればさ、すごい上手くいくんだよね。でもさあ、言えないんだよ。ごめんねえっ、おばちゃん。
律子 ‥‥‥
チホ こんなこと言ったって、おばちゃん困るの知ってるんだ。移植するしかないってわかってんだ。でもねえっ、いえないの。ごめんねえっ。 おばちゃん。困らせてごめんねえっ。
律子 謝らなくていいの!
チホ わかってるのおっ彼の意思を尊重しなきゃなんないって!
律子 ‥‥‥
チホ 同意しなきゃならないって!
律子 それならチホちゃん、言って。
チホ 嫌だ。嫌だ。嫌だ。離れたくない。傍にいたい。嫌なの。傍にいさせて。
律子 チホちゃん。
チホ うん。どう‥(「同意する」と言おうとするが、嗚咽で声が出ない)‥‥‥
律子 ‥‥‥
チホ あはは、言えないや。どうしても言えない!
律子 ‥‥‥
チホ (掠れた叫びで)嫌だっ!同意したくない!死なないで。死なないで。傍にいさせて。お願い。お願い。
律子 ‥‥‥
チホ (何度も「同意する」と言おうとするが、彼の顔がめに入るたびに言えない)
律子 ‥‥‥
チホ ごめんなさい。ごめんなさい。言えない。言えない。言えない。言えない。言えない。言えない‥‥‥わかってんのにいっ。
律子 チホちゃん。
チホ ごめんなさいっ!
律子 謝らないで。チホちゃんは全然悪くない。
チホ ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい‥‥‥。
律子 あのね、明日の朝になれば手術が始まる。この夜が明けたら、チホちゃんの声を無視して手術室に運ばれる。
チホ いやだあああああっ
律子 それ、やりたくないのよ。だから、チホちゃん。同意して。チホちゃんの同意もらって、手術‥‥‥
京一の手を握り締め、しがみつくチホ。
何度も「同意する」と言おうとするが、口に出せない。
律子 チホちゃん‥‥‥
チホ ‥‥‥
律子はしばらく待っているが、ゆっくりと病室を出て行こうとする。
チホ 同意する。
律子 ‥‥‥
チホ (底抜けに明るく。けれど涙は止まらない)うん。そうだよ。もうね、変わりっこないんだから。最初からそんな予感してたしさあ。ここまでやって、同意しないで通しても、結局彼は臓器提供しちゃうんだし。ねえ、だって、臓器だけでも違う人の体の中で生きつづけるんだよ。命のリレーだよ!最高じゃない!
律子 そんなに無理はしなくて‥‥‥(と言いかけてやめる)
チホ どうせ死んじゃうんだしさ。っていうか、もう死んだのと同じ状態だし。話しても言葉返ってこないし、しがみついても抱きしめてくれな いし、生ける屍だもん。それよりもキョウちゃんの意思最大に生かして、他の人の命も生かして、そうやって有効利用したほうがいいよ。ごめんね、おばちゃん。こんな簡単なこと延々決めれなくて。
律子 ‥‥‥
チホ 同意するよ。臓器提供、あたしも賛成だよ。手術ね、上手くいくといいね。あたしも応援してるよ。患者さん、助かったらいいね。キョウちゃんもそうすればきっと報われるよ。おばちゃん、今までありがとうね。わざわざ私の意思まで尊重してくれて。同意するまで、こんなにつきあってくれて。迷惑かけまくりだし。殺人未遂やったし。でもねえっ、本気でねえっ、好きだったんだよ。もうねえっ、何もかも捨てれるくら い好きだったの。もうねえ、愛してた。だからねえ、放したくなくて。 だって、怖いんだよ。キョウちゃんが目の前からいなくなるなんて。もう、あたしはキョウちゃんに抱きしめてもらえないなんて。信じたくないんだよ。でも、でも、今はちゃんとキョウちゃんの意思を尊重することが‥‥キョウちゃんの一番の‥‥‥幸せな‥‥‥最期‥‥‥だと思う‥‥‥から。ね。同意する。
律子 ありがとう。
チホ もうっ、もうっ限界だからあっ。お願いだからあっ。二人にして。もうねえっ。これ以上は無理だから。言えないからあっ。
病室を出て行く律子。
京一を抱きしめて泣き叫ぶチホ。
暗転。
チホの号泣だけが響き渡る。
手術室前。ハルコとチホ。
ハルコ 裏切り者。
チホ ‥‥‥
ハルコ 反対しなさいよ。
チホ ‥‥‥
ハルコ 結局お兄ちゃんのことあきらめたんじゃない。あんなに偉そうに言って、泣いて喚いてたくせに。何よ。絶対同意しない、って。だって、殺人未遂までやったんでしょ?何おとなしくこんなとこで指くわえてみてんのよ?
チホ ‥‥‥
ハルコ 結果が変わんなきゃ、どんなことやったって意味ないんだよ。そんなの最初からやらなかったのといっしょじゃない!
チホ ‥‥‥
ハルコ ねえ、なんとか言いなさいよ。止めなさいよ。あそこに入っちゃったらもう屍になってしか会えないんだよ。
チホ ‥‥‥
ハルコ ねえ、なんとか言ってよ。止めてよおっ!
チホ ‥‥‥もうね、決まったことなんだよ。
ハルコ 決まりを変えてよ。
チホ 終わったことなんだよ。
ハルコ ‥‥‥
チホ 私は移植に同意したし、今から手術は行われる。もう、私は決めたんだよ。
ハルコ ‥‥‥信じられなくってさ。
チホ ‥‥‥
ハルコ 嘘でしょう?お兄ちゃんが死ぬなんて。
チホ ‥‥‥
ハルコ 夢みたい。あんなばたばた大活劇やって、やたら芝居じみてて、あんなのちっともリアリティーがない。ちっとも、ちっとも実感できな い。
チホ ‥‥‥
ハルコ お兄ちゃん、死ぬの?
チホ 死ぬんだよ。
ハルコ だって、あんなむちゃくちゃな中でさあ、あんな風に決まってさあ。
チホ ‥‥‥
ハルコ もう、駄目なの?
チホ ‥‥‥うん。
ハルコ もう、変えられないの?
チホ ‥‥‥うん。
ハルコ そっか。そっか。そうなんだ。
チホ ‥‥‥
ハルコ そうだよね。そうだよね。
チホ ‥‥‥
ハルコ でもさ、まだ、まだ、あたし、いっぱい言ってないことがある! あの時は混乱してて、でも今は冷静になって、それで考えたら、いっぱ い見えてきたものがあって‥‥‥
チホ それは、もう言わないほうがいいよ。
ハルコ ‥‥‥え?
チホ もうさ、終わったから。私はもう何もいうことないし。厳しいけど、もう自分の中でさ、やってくしかないから。
ハルコ ‥‥‥
チホ 終わったから。
ハルコ そんな、簡単に終わるの?
チホ 終わらせるんだよ。
ハルコ ‥‥‥(首をふる)
チホ ‥‥‥
ハルコ ‥‥‥どっかで期待してた。
チホ ‥‥‥
ハルコ 今から言えばなんとかなるんじゃないかって。
チホ ‥‥‥
ハルコ でも、もう駄目なんだね。
チホ ‥‥‥
ハルコ なんでさ、今更、いっぱいいう事思いつくんだろう。どうして、あの時あたしは、あんなことしかできなかったんだろう。あんたが、妬ましかった。本音で生きていくあんたが羨ましかった。建前から開放されたくて、あんたの真似したつもりだった、それなのにあんたは今建前 の中にいる。どうして?
チホ 結局、私もあんたも昨日の続きを生きるしかないんだよ。夜が明けたら朝がくる。それだけの話なんだよ。私は選んだ。一人で立って、 昨日の続きを生きることを。ハルちゃん、あんたも選んだんでしょ?
ハルコ あんな中で選ぶなんて、冷静な判断できなかった。
チホ でもね、終わったんだ。選んだんだ。だから、あたしたちは生きていくしかない。
ハルコ 怖いの。先がみえなくて。
チホ 一人で、誰も手を引いてくれないから。
ハルコ でも、生きていくしかないの?
チホ 生きていくしかない。昨日遣り残したことを今日やりおえるために。
ハルコ ‥‥‥
チホ がんばれ。
ハルコにすれ違い小夜子、秋吉
チホ あ
秋吉 うん
小夜子 何よ、気まずいなあ。
チホ しょうがないよ。あんなことの後じゃ。
間
小夜子 私はさ、つきあえないんじゃないよ、つきあわないだけなんだからね。
チホ うん。
小夜子 でも、誰かと、そのうちつきあうかも。
間
チホ ごめんね。
小夜子 今更。
チホ うん。
小夜子 お互い様よ。
チホ うん。
小夜子 否定しろって。
チホ なによー。
間
小夜子 平気なの?
チホ うん。もう平気。小夜子は?
小夜子 あたしはもともと平気だよ。
間
微笑むチホと小夜子。
小夜子 うそつき。
チホ あんたもね。
つられるように微笑む秋吉。
穏やかな陽射し
終
コマツバラオリカ「夜が明ければ朝は来るのか」
『生と死のエッセイ集』一三〜四一頁 kinokopress.com
二〇〇二年一一月一日刊行