第一章
1
「あれが焼却炉かしら」
焼却炉の投入口から残り火が漏れていた。扉が開放されたままなのか、暗闇の奥に鈍く光る赤い塊がうっすらと浮いて見える。
木実子は一瞬無意識のうちに背筋を伸ばし、右手で筒状のダイナマイトを強く握り締める。
裸電球の薄暗い街灯が産廃処理場のゲートの近くにひとつあるだけで、トタン板で囲まれた処理場の敷地のなかは暗闇が支配していた。ジーパンに黒っぽいジャンバーを纏った彼女は身を屈め、暗闇に溶け込んでいく。じっと目を凝らし、積み上げられた廃材や古タイヤの狭い隙間を焼却炉へにじり寄る。
突然、足音がした。
ひとりじゃない。二人か三人かの足音だ。
敷地内は無人のはずだった。表向きは野焼きができなくなって、多くの産廃処理場には小型の焼却炉が設置された。だが人手がかかるため、深夜には焼却炉の火を落とし、翌朝の火入れまで廃材やゴミなどの焼却を休止するところが多かった。その分、大きな穴を掘ってそのなかで廃棄物を燃やす野焼きが行われた。ことに夜陰に乗じて違法な有害廃棄物を燃やす夜間の野焼きが横行した。
この処理場も深夜には無人になることは調べがついていた。それなのに……、今夜は特別なのか。焼却を禁じられているものを燃やそうというのか。
足音がなかなか近付いてこない。彼女は廃材の山のかげに身を隠し、身体を固くして足音が通り過ぎるのを待った。息が詰まりそうだった。
一瞬、焼却炉の爆破活動は今夜で最後にしようかと思った。こんなことをつづけていても、ダイオキシン汚染を根絶できないことは分かっていた。それでも彼女はこうするほかなかった。耀の行動を真似ることによって、ひとり旅立ってしまったわが子と繋がっていたかったのだ。というより、無意識のうちに、不可解に思えた耀の行動を真似ることによって、遠く離れてしまった耀を理解しようとしていたのかもしれない。
懐中電灯の光が走る。足音が近付く。
一瞬、光が彼女の背を捉える。つぎの瞬間、光は向きを変え、足元を照らす。
懐中電灯を持った男を先頭に、男が三人、それぞれ大きなビニール袋を両手でかかえている。これから焼却炉で燃やそうというのか。それとも野焼き用の穴に放り込むつもりか。
最後の男が通り過ぎた。消毒薬の臭いが微かに尾を引く。暗闇のなかに男の姿が消えると、彼女は屈めていた身を起こす。
廃材の端が肩に触れた。つぎの瞬間、廃材が滑る音がした。彼女は急いでその場を離れた。
彼女が山積みされた古タイヤのかげに身を寄せると同時に、うず高く積み上げられた廃材の山が音を出して崩れ出した。
ほこりが舞い上がる。彼女はタオルで顔面をおさえ、咳を堪えた。
「クソ……」
男の悲鳴がした。
「大丈夫か」
彼女の耳元でうちにこもる低い男の声がした。伸びた大きな手が彼女の左手首を鷲掴みにする。
「こっちだ」
彼女は手を引かれるまま、男のあとについて走り出す。後ろから懐中電灯の光が追って来る。
「そのヤツを捕まえろ」
懐中電灯の男が叫ぶ。
いつの間にか、閉ざしてあったゲートのトタン張りの扉が大きく開かれ、敷地の空地に大型のダンプカーが三台列をなして駐車している。
男の叫び声に駐車している車の運転席の窓から、男たちが一斉に顔を突き出す。ひとりの若い男がドアを開け、地上に飛び下りた。
懐中電灯が近付く。
男は彼女の手を引き、前から迫る若い男をかわし、塀に沿いに走る。
ゲートのまえで、背丈が二メートルにある大男が長く太い腕を広げ、近づくふたり待ち構えていた。
「ダイナマイトよ。退きなさい」
彼女はダイナマイトをかざす。大男が怯んだすきに、ふたりは外へ出た。
大男が追う。ふたりは走る。
街灯の明かりの届かないところに、車が停めてあった。彼女は振り返る。追手の姿はなかった。
「早く乗って」
聞き覚えのある声だった。
「森野さん?」
車は急発進した。彼女は前のめりになりながら、ハンドルを握っている黒いシルエットに目を向けた。森野なのか。
後方で車のライトが光った。
光のなかに、森野の横顔がくっきりと浮かんだ。
やはり森野だったか。それにしても、なぜ森野なのか。
木実子は不思議そうに目を凝らし、森野の横顔をじっと見つめる。
森野から預かった段ボール箱一杯のダイナマイトを持って、家を飛び出してから何日も経っている。彼女は転々とし、住民泣かせの悪名高い産業廃棄物処理業者を探しては焼却炉をつぎつぎと爆破して歩いた。無力の住民に代わって悪辣な行為を繰り返す悪徳業者を懲らしめることは意義のあることであり、痛快なことでもあった。急に、自分がスーパーマン(ウーマン)になったような気さえするのだ。
「しっかり掴まって」
後方の車が執拗に追って来る。
大きくカーブをきる。車は照明のない暗い夜道をヘッドライト頼りに猛スピードで駆け抜ける。山腹を切って造った林道だった。右手が谷側で、左手が山側の崖だ。
車は車輪を軋ませ、谷側のガードレールに沿ってカーブを切り、走り抜ける。
狭い道だった。対向車とすれ違いができるのだろうか。不安が過る。彼女はふと、この道は行き止まりなのではないかと思った。
フロントの把っ手を掴んでいる彼女の両手は汗でべとべとだった。全身に汗が噴き出し、汗が背筋に沿って流れ落ちていく。
カーナビに目をやると、進行方向の前方に交差する道路が表示してあった。
後方の車が急にスピードを落とした。
交差する道路をそのまま直進すれば、山間部を抜け、街へ出るはずだった。追手のライトも届かず、車は暗闇のなかをひたすら走る。
「なんだ、あれは……、しまった」
森野が突然叫ぶ。
ヘッドライトに黒い物体か浮かんだ。ダンプカーだ。
二台のダンプカーが直進方向と左折方向の道路の中央に、道路を封鎖するように停車しているのだ。
後方から、追手のヘッドライトが迫って来る。
森野は大きくハンドルを右に切る。
木実子は不安に駆られた。暗闇のなかを走る道路は一段と狭い感じだ。両側の木が茂り、枝が覆いかぶさるように伸びている。この道路は行き止まりにちがいない。カーナビにもなにも表示がなかった。
不吉な予感が全身を包む。
後方のヘッドライトがちらちら漏れて来る。
前方に街灯の光が見えた。
「あ、あれは……」
産廃処理場のゲートを照らす街灯だった。
2
「お姉ちゃん、ここはどこ。ママは……」
未佐はテーブルの椅子に腰を下し、所在なげに辺りを見回している。といっても、耀がいままで寝ていたベッドのほかに、周りにはなにもないのだ。果てしなく広がる空間の真ん中に小さなテーブルと二脚の椅子がぽつんと置いてある。
耀が椅子に腰を下ろすと、ベッドもいつのまにか消えてしまった。
微かな足音が近付く。
・・・・・・・・・・・・
(続く)
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