プロローグ
地球温暖化の果てに生じた大気大循環の撹乱が地球の自転を狂わせ、マントル変動を起し、プレート異常を招いた。そして日本列島から首都圏の広がる関東平野が切り離なされて島(首都圏島)となってしまう。やがて、島となった首都圏は日本海溝へ滑り落ちていき、日本は大混乱に陥る。
地球温暖化の果てに 生じた地球システムの撹乱は収束するどころか、投石によって生じた水面の波紋のように地球システム全体に広がり、気候システムばかりでなく、地球の自転、マグマやマントルの動きにもさまざまな影響をおよぼし出していた。
日本国内では、首都圏島から救出された被災者と太平洋岸を襲った巨大津波の被災者が住むところもなく、働くところも失い、難民となった。行く宛てのない大量の難民が地方都市を目指して移動していく。いたるところで衝突や争いを引き起しながら、難民たちは全国へ向って彷徨い出していった。
日本の首都をターゲットとした首都圏島沈没事件は、日本列島だけの問題ではなかった。これは地球における地殻大変動のはじまりの合図だった。
二酸化炭素などの温室効果ガスの排出が絶えることなくつづくなか、地球温暖化の暴走によって、高緯度地域で気温が著しく上昇し、北極圏の海氷は消え失せ、南極でも氷床が超スピードで溶け出していた。
ことに、グリーンランド氷床の溶融が激しく進んでいた。氷床表面から底の岩盤へ通じる大きな穴が出来、溶融水が滝となって流れ落ちた。水は窪んだ岩盤に溜まり、巨大な地下湖を形成していった。
また、日本列島から首都圏を奪い取る地殻変動を引き起したマントル変動が密かに北極圏と南極圏の地殻をも動かし出していたのだ。
第一章
1
「先生、九鬼先生……」
佐藤は何度も呼びかける。返事がない。受話器を取ったらしいが、声が返ってこないのだ。電話が通じないのだろうか。
佐藤由紀夫はM新聞の少壮の科学部記者だった。すでに六、七年前になるが、九鬼陽一郎が大学にいるとき、毎日のように研究室へ 顔を出していた。
九鬼は異能な気象学者だった。気候変動予測モデルの開発に特別の才能があった。だが数年前、研究を止めると言い出し、大学を去ったが、いまは大気圏に関する世界有数の研究機関である米国のACARへ移り、地球全体モデルの開発を行なっていた。
彼は受話器の通話口に向ってもう一度呼びかける。だが返事がなかった。彼は電話を切って、受話器を返す。だがなぜか、彼には受話器の向こう側に受話器をもったまま息を潜めた九鬼が立っているように 思えてならなかった。
彼には不思議でならなかった。思い返してみると、これまで九鬼が出した予測結果はほぼすべてが的中しているのだ。九鬼の予測にはいろいろなニュアンスがあって、そのまま聞き流してしまうこともあったが、予測幅があってもその幅から大きくはずれたことがないのだ。
だが彼はこのことに 長い間全然気付かずにいた。研究室に出入りし、気楽に話するようになって、深く考えることなく、九鬼の話をごく当り前に受け取るようになっていたのかもしれない。
このことに気付いたのは、彼が首都圏島とともに海中へ沈み、九死に一生を得る体験をしたあとだった。
この体験を境に、彼にとってこれまでの人生とこれからの人生とが全く別物になってしまった。なぜか、そう見えるのだった。これまでの自分の人生が全く別の人の人生かのように、細部までがまるで絵に描いたように極めて客観的に見えてくるのだ。
あのとき、おれは一度死んだ のだ、そう思えて仕方がなかった。
死んだと思っていた斉木治郎も生きており、白頭大人先生も生きていたのだ。こんなことが重なって、次第に現実感が蘇ってきたものの、一度死んだのだという思いは消えることがなかった。
一度死んだと思うと、彼の目からいままで見えていたさまざまな夾雑物が消え、本体が見えてきた。表面を覆うさまざまな飾りや覆いが透けて骨組みや構造が浮かんでくるのだ。
彼のこころのなかで、なにかが変わった。同僚たちから「人が変わった」とよく言われた。だがなにがどう変わったのか、自分ではよく分からなかった。自分が自分でないような気がした。自分の行動をもうひとりの自分がじっと見ているのだ。彼はもうひとりの自分のまえで、いつも演技している自分を感じた。
一体、どっちが本当の自分なのか。どちらが死んだ自分なのか。彼はふたりの自分を往き来しながら、迷いつづけていたのだった。
そんな思いに囚われ て毎日を過しているうちに、彼は無性に九鬼に会いたいと思った。だが大学の研究室と違い、異国にいる九鬼と会うことは叶わなかった。せめて声でもと思い、電話したのだった。
彼には受話器の向こうに九鬼がいることが分かっていた。 彼はじっと耳を澄ます。ふと、九鬼の声が聞こえたような気がした。彼は耳を傾け、必死に九鬼の声を聞き取ろうとする。だがダメだった。必死に九鬼の声を捕らえようともがくが、もがけばもがくほど声は逃げて遠のいていくのだ。
何度やっても同じだった。
彼は目を閉じた。腕組みをして、声が戻ってくるのを待った。
「佐藤さん、電話が鳴っていますよ」
彼にはなにも聞こえない。
同僚の一人が彼を揺すった。電話機から受話器を取って、受話器を彼の目のまえに突きだす。
彼は目を開け、受話器を受け取る。こんなことはまえにも何度かあった。だが彼は居眠りしていたわけではなかった。目を閉じていた彼に同僚の声も 電話のベルも聞こえなかったのだ。
不審そうな同僚の目を感じながら、彼は受話器を耳にもっていく。強く押し付けてもなにも聞こえてこない。彼は急いで受話器を右から左の耳へ持ち変える。
「もしもし……」
なにも聞こえない。
「どうした……。聞こえないのか……」
同僚が口を動かしているが、彼にはなにも聞こえない。
同僚はメモ帳を取りだし、机に広げ、余白に「聞こえないのか」 と書いた。
彼は大きく頷いた。その拍子に耳のなかに詰まった水が揺れるように感じた。彼は椅子から立って、何度も頭を振った。耳の奥からなにも出てこなかった。耳鳴りがした。耳の奥でキーンとする高い音が響いた。
彼は椅子に戻り、机に向い、両手で頭を抱えた。キーンと高い音が鳴りつづく。彼はそのまましばらくじっとしていた。
同僚がメモを突きだした。「医務室へ行け」とあった。
そのとき、同僚は口でも同じことを言ったらしい。
彼は同僚の声が聞こえたような気がした。
「分かった。もう一度言ってみてくれ。左が聞こえるような気がする」
微かに同僚の声がした。彼は急いで、左の耳穴に人さし指を突っ 込んだ。途端に、同僚の声が消えた。
「右はダメだ」
彼は耳の穴から指を放す 。
「突発性難聴かな。海に放り出されたときの後遺症かもしれないぞ。早く医務室へ行ってこい」
同僚は彼から離れ、背を向けた。
彼はあの夜を思い浮かべた。地鳴りとも地響きとも違った轟音のなかで気が遠のいていったのだ。そのあとのことはなにも分からなかった。多分、あのあと、彼は首都圏島とともに海中深く引きずられていったにちがいない。
だが海水に入った途端ガスが発生してライフジャケットが膨らみ、海中へ引きずり込もうとしていた首都圏島の手から逃れるように、彼は海中から海面に急浮上したのだ。そのときの急な気圧変化で 聴覚に変調が生じていたのかもしれない。
彼はもう一度左の耳穴に人さし指を押し込んだ。やはり、音が消えた。
もしライフジャケットを着ていなければ、彼は首都圏島とともに日本海溝の底まで引きずられていったことだろう。ライフジャケットで命拾いした代償が突発性難聴ということだったのか。
なぜ、両耳 が突然難聴に陥ったり、片方だけが聞こえたりするのか
。
彼は左の耳穴をほじくりながら、またいつか両耳が聞こえなくなるかもしれないと不安に思いながら、机から立ち上がった。
2
首都圏島(日本列島本州から切り離された関東平野)が海中へ姿を消し、巨大津波が襲ってから一か月が過ぎた。太平洋沿岸の各地には巨大災害のツメ跡がいまだにいたるところに生々しく残っていた
。
首都圏島沈没と巨大津波の被害についての政府の正式な数字はいまだに発表されていなかった。これまでのマスコミの大雑把な集計によると、犠牲者(行方不明者を 含む)は約二〇〇〇万人、それ以外の住居を失ったり、家屋が水浸しに遭ったり、あるいは怪我したりした被災者は約二〇〇〇万人に上った。
そのほかに、負傷者もかなりの数だったはずだったし、被災を免れたものの、避難を強いられた住民も多くいた。
経済的損失についてもいまだ集計されていなかった。東京沈下がはじまってから発生した損失のほかに、首都圏島となったあとのものと沈没によるものとがあり、それに巨大津波による損失が加わるのだ。
すべてを総計すれば、これで日本の全財産の約三分の二を失ってしまったのではあるまいか。
首都圏島の沈没と関西圏や中京圏の大都市群や太平洋ベルト地帯の工場群に対する巨大津波による土地建物の流失だけでも、日本は一瞬にして半分の物的財産を喪失したことだろう。
だが巨大津波の被災が日本列島の太平洋沿岸全域におよび、その範囲があまりに広く、いまもって被災範囲や程度さえ特定できずにいたのだ。
太平洋沿岸の市町村の多くでは一応行方不明者の捜索が一段落したものの、いまだに遺体が海岸に流れ着くことがあって、沿岸自治体への該当者の照会 や火葬・埋葬等の作業がつづけられていた。
一方、被災地では避難所が避難民で溢れていた。テント村だったり、公民館や学校など、各地で避難所の状況はさまざまであった。
人口の少ない市町村はまだよかったが、人口が多い大都市では食料や飲み水が十分行き渡らず、避難所から溢れた飢えた避難民たちは復旧が進まないことに業を煮やし、内陸部の近隣市町村や日本海に面した都市へ、食べものや住み処を求めて集団移動を開始していた。
避難民の通過市町村では盗みや掻払いが横行した。果樹園や野菜畑が荒らされ、たき火のあとやゴミの山がいたるところに残された。
ことに、中部や関西からの避難民が多かった。伊勢湾周辺から一〇〇万人、大阪湾周辺から一五〇万人、計二五〇万人にもおよぶ避難民が大挙して太平洋岸から日本海岸を目指して移動したのだ。彼らの多くはゼロメートル地帯に住んでいて、巨大津波で家屋もろとも全財産を奪い去られてしまい、着の身着のままだった。そのうえ、ゼロメートル土地は海の中へ沈んだまま だったのだ。
太平洋沿岸の市町村は広範囲にわたって被災しており、復旧工事をする余力は殆ど残っていなかった。専ら避難民の救済活動にあたっていたが、いまでは避難所維持のほか、遺体回収や飲み水の給水などを細々とつづけている 状態だった。
避難所の環境や待遇が日増しに悪化していった。食べものは不足がちだし、飲み水さえ十分でなかった。風呂に入ることや洗濯することはできな かった。飢えと熱中症の危険に襲われ、蚊やハエが飛び交い、悪臭が漂い、衛生 状態も極度に悪く、感染症の危険に曝されていた。
水没を免れた地域も同様だった。水道や電気などライフラインはなかなか復旧せず、海水を被った土地や建造物は洗浄されずに放置されたままだった。
避難民は食べものや水浴び場所を 探して、近隣をうろつく。野菜畑ではキュウリやナスを無断でもぎ口にする。牛 乳パック三万本、コメ一五トンとか、医療スタッフ五五人とか、タオル、おむつ とか、当初はなにかとさまざまな救援の手を差し伸べてくれた近隣市町村も、避 難民の転入を拒否しだした。また農家は自警団を組織してブドウや西瓜の盗難に 備えた。
巨大津波の影響は津波の被災範囲を超えて全国へ拡大していった。
世界経済を牛耳る金融資本が新自由主義を唱え、自由貿易を旗印に、市場拡大のためのグローバリゼーションを進めるなかで、日本は後追い気味に規制緩和を図り、日本企業はヘッジファンドや金融資本の格好な標的となっていた。それでもなお日本経済は外需依存の経済体質を変えようとはせずに、政府は大企業と二人三脚で経済運営を図っていたのだ。このため、弱者と強者の格差が広がり、人口の高齢化とともに貧困層が拡大していった。
政権が変わり、若干の軌道修正が図られたものの、大改革には至らず、時が経つに連れ、官僚がふたたび政治の中枢に入り込んでいた。
そんななかで、東京沈下がはじまったのだった。五年後、日本列島から政治経済の中心である首都圏がもぎ取られて海の藻くずとなって消え、巨大津波が日本の陽の当る場所である太平洋ベルト地帯を総なめにし、日本を半身不随に陥れてしまったのだ。
大企業はいち早く日本から脱出し、日本 経済は一年近く経ってもいまだに立ち直れず、いまだに半身不随のままだった。
政府は被災地の復旧、復興対策のために必要な財政緊急措置に関する特別法案の国会提出を図ろうとしていた。だが被災市町村からの情報がなかなか集まらず、官僚や政治家は取りあえず実施可能な分からはじめ、全体構想が固まったところで、本格的な特別法を制定することになった。
官僚が苦し紛れに考えた二回に分けた「二段構え」特別立法作戦はうまくいくように見えたが、いつまでたっても陽を見ることがなかった。
対策の全体構想が固まるまえに、新たな事態が 日本列島を襲ったからだった。そして巨大津波の被災市町村はもう一度海水をかぶることになる。だがこの海水は引くことがなく、海はさらに奥地へと進んでいくのだ。
(続く)
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