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デカルトはテロリスト・サンプル

第1章

 1

 長い眠りから目を覚ますと、まわりの様子が一変していた。いままで見たことがない妙にこじんまりとした部屋が薄明かりのなかに浮かんだ。
  デカルトはそっと首を回した。幅の狭いベッドに身を屈め、小さくなって横臥していたらしい。一瞬、彼は牢獄に幽閉されたのかと思った。
  ベッドは一方の壁に押しつけるような格好で据え付けられ、部屋の中央に伸びている。その先のもう一方の壁の間には僅かばかりの空間があって、壁際に机兼用の折りたたみ式の鏡台が寄せてあった。右手には窓があるらしく、遮光カーテンの合わせ目から僅かに漏れた光がその前に並んでいるアームチェアーと小さな丸テーブルを照らしている。
  ベッドから下りて、彼はカーテンの隙間から洩れる光に近づき、重いカーテンを分ける。ライトブルーの厚いカーテンの裏に薄いレースのカーテンがあった。
  恐る恐る窓の外に目をやると、眼下にやたらとけばけばしい色彩の広告塔が目立つビル群が乱立する見慣れない風景が広がっていた。ベルトのような高速自動車道路がビルのすき間を縫うように走っている。緩いカーブを描いて本線に合流した自動車の列が新たな幹線と出会い再び分かれ離れていく。
  デカルトは窓辺に佇み、高速自動車道路を数珠繋ぎになって疾走している豆粒のような自動車に釘付けになった。
  しばらく彼は珍しそうに自動車の流れを眺めていた。一瞬耳元でタイヤの軋む音がしたように感じた。
  突然、なんの前触れもなく、平たい顔をした委員長が現れた。彼の脳裏に査問委員会での喚問の場面が生々しく蘇る。

 臨時の喚問室となった会議室は滅多に使われることのない奥まったところにあって、天井が高く奥行きのある細長い室内の隅々まで重く淀んだ空気が支配していた。
「デカルト君、何度喚んでも応じようとしないので、今回は少々手荒いまねをしたが……、ところで、きみを喚んだのはほかでもないが、きみが秘密工作員として地球で仕掛けたことについて……」
  金属性の良く通る単調な声がした。
  早朝たたき起こされ、有無を言わさず引立てられてきたデカルトの脳はまだなかば眠りの世界にいた。喚問席で眠気の誘いと必死に闘っていた彼が顔を上げると、奥まったひな壇に居並ぶM星最高会議査問委員会メンバーの真ん中の席に平たい冷やかな顔をした委員長の青白く光る目があった。彼に向けられた委員長のトンボの目のように突き出た丸い目は底なしの湖を思わせる澄んだ青い色の淡い光を放つ。だがなぜか弱々しく焦点が定まっていない。
  突然彼の脳裏に今朝見た巨大ビル崩壊の場面が浮かんだ。
  M星では移住に備えて頻繁に移住予定先である地球に関する情報がテレビに流されていた。その朝放映されたのは地球上の大都市の特集スペシャルだったが、そのなかに二〇〇一年九月十一日の朝米国を襲った同時多発テロのビデオが含まれていたのだ。
  画面一杯に、もくもくと黒煙を吹き上げている四角柱のタワーが映し出された。一角獣のように頭部から突き出している一本のテレビアンテナの尖端が黒煙のなかに垣間見える。しばらく黒煙を激しく噴き上げていたアルミニウムで覆われたガラスと鉄の一一〇階建ての巨大なツインタワーは南棟サウスビルの上部からずるずると沈んで落ち、つづいて北棟のノースビルが崩れ落ちる。書類の紙が空に舞い、ガラスの破片、崩れたコンクリートの粉末、灰色のススや砂じんが逃げ惑う歩行者に降り注ぐ。上空高く舞い上がった煙や埃がキノコ雲となって広い範囲にわたり視界を遮った。空中高く聳えていた一一〇階建ての世界貿易センタービルが満員の乗客を乗せた巨大な旅客機の衝突によって一瞬のうちに崩壊していった。
  映像を見て、胸が締めつけられた。自分が仕掛けたとおり地球上を支配している現代科学技術文明はすでに自壊の最終段階に入っているらしい。
「デカルト君、きみはたしか……」
  沈黙を守り続けているデカルトに委員長がふたたび呼びかけた。委員長は発言を途中で区切り、いままでと違った柔和な顔を喚問席に向けた。
  秘密の査問委員会のせいか傍聴席は空席で、委員長と六名のメンバー、二人の書記、それに喚問席のデカルトのほか、誰もいない。委員長が時折思い出したように、骨張った小さな左手で長く伸びた純白の顎髭をゆっくりしごく。無意識に繰り返される単調な仕草が眠気を誘うような妙に落ち着いた雰囲気を醸し出す。
「あちらの暦でいうと、きみは十六世紀末、確か、西暦一五九六年に地球人として貴族の家に生まれたのだったね」
  いやな喚問が始まった。なんでいま頃になって昔のことを蒸し返そうとするのか。帰ってきた当座計画内容については十分説明したではないか。もうあの問題には一切かかわりたくなかった。
「われわれは地球人ヴァージョンに調整されたきみのDNAを地球に送り、フランスで地球人の胎内に潜り込ませたのだ」
  ふてくされて黙っているデカルトに追い打ちを掛ける。
  出生の秘密を人前でべらべら喋るとは何事だ。デカルトは委員たちの好奇に満ちた視線をはね返すように委員長に増悪に満ちた目を向ける。委員長は彼の視線には頓着せず、プリントアウトされたばかりなのか、それとも今日まで書類の山に埋もれていたのか分からない分厚い書類を手元にたぐり寄せ、これ見よがしに大げさな仕草で音を立ててページをめくる。
  委員長の動作に合わせて他のメンバーも一斉に手元の書類をめくり出す。
  使い古したモーターの毛羽立つような音が響いた。デカルトは耳障りな音に苛立ち、上目遣いで委員長を窺う。
「……だったと思います」
  デカルトは耳障りな音に堪えかね、短く応える。
「だった?」
  委員長はとがめるように、平たい大きな顔を上げる。
「はい」
  地球では近代哲学の祖と崇められているルネ・デカルトだ。だが四百歳となってはムリがきかない。無理やり連行されては喚問に応じないわけにもいかないが、いたずらに体力が消耗しないためには質問にも短く返答することだ。なにごとにも合理的に振る舞うのだ、と彼は自分に言い聞かせる。
「で、いつまで地球に滞在したのかね」
「召還されたときまでです」
  あくまで抵抗の姿勢を続けるデカルトに委員長は諦めたのか、先へ進める。
「それは何年のことかね。あちらの年号でいえば……」
「地球の西暦で、一六五〇年だったと思います」
  デカルトは委員長の嫌みたらしい言い方に寒気がした。三百五十年以上も前のことだ。「いい加減にしてくれ」と言いたかった。
  喚問席の堅い木の椅子でお尻が痛かった。いつのまにか催眠術にかけられたのか、こころの動きとは逆に、委員長に媚びるように、彼も無意識のうちに左手で長くもない顎髭をしごきはじめる。
  M星は太陽系に近いX系のなかで地球と酷似した豊かな生命のある惑星のひとつであった。そこに棲息するM星人は小柄ながらも一見地球人と見間違うほど似ている。だが次第に明るさを増してきた恒星から送られてくるエネルギーが急増し、M星の自然環境条件が急速に悪化し出した。このため、M星人は人工的にコントロールされた巨大なドームでの生活を余儀なくされた。そのせいか、M星人は頭部だけが次第に大きくなり、それを支える体ほうが細く小さくなった。背丈も低く、成人になっても一メートル三〇センチほどしかない。体が小さくなった分、寿命が伸びた。M星では人口増加率が急速に低下し絶滅のおそれが出てきて、M星人の生き残り対策のひとつとして、寿命を延ばすさまざまな延命対策が実施されていたのだ。
  デカルトは委員長を真似て顎髭をしごく自分に気付き、不機嫌な顔を向け、委員長を一瞥する。委員長が何を聞きたがっているのか分かっていた。地球から突然召還させられてからたびたび査問委員会の喚びだしを受けた。だが今日までなにかと理由をつけて、喚問に応じようとしなかった。査問委員会もしびれを切らして、とうとうデカルトの首に縄を付けて引っ張り出すことにしたらしい。今朝、召喚状をもった委員長の手下に眠っていたところを襲われ、無理やり喚問席に座らされたのだった。
  突然の強制召還直後、デカルトは理由を聞きたくて最高会議に出向いたとき、委員長の頭にはふさふさとした長い髪があったことを思い出した。二〇〇年後、再び見かけたときにはまだ頭の両わきに僅かに頭髪が残っていたように思う。だがいまでは人一倍大きな頭には髪毛一本すら残っていなかった。
  デカルトは思わず自分の頭に手をやった。幾分薄くなった感じがする。やがて自分も委員長の頭のようにつるつるに禿げてしまうのかと思った。彼は一日の大半を寝て暮らした。そのせいか、そんなに時間が経っているとは思わなかった。だがいつのまにか地球流にいえばすでに四百歳を超していた。それでも平均年齢六百歳を超えた最高会議メンバーに比べれば、彼はまだ若いほうに属しているのだ。
「ところで、どうしてこれまで喚問に応じようとしなかったのかね」
  委員長は目を丸め、纏わりつくようなねちこい視線を向けた。
  デカルトは縷々理由を説明したところで理解してもらえないだろうと思い、幾分俯き加減で口を閉ざしていた。彼は任務半ばで召還されたことを思い出し、ただ不貞腐れて拗ねていたにすぎないのだが、こんな彼の様子に委員長は改悛の情を見て取ったのか、それとも諦めたのか、すぐ、話題を変えた。
「地球での行動を説明してください」
「要約しますと、地球で過した前半は、各地といっても、西ヨーロッパが中心ですが、転々として地球人の様子を観察し、どんな仕掛けが妥当かを探っておりました。後半に考えをまとめ、地球人絶滅のための工作をいたしました」
「確か、きみはオランダ、ドイツ、フランスなどで軍籍についたんだったね。最初はオランダで志願兵として……。なぜ何度もさまざまな国の軍隊に潜り込んだのかね」
  デカルトはご老体の委員長にしてはよく調べていると感心した。彼はすでに最初軍務に就いた国がどこの国の軍隊だったか忘れかけていた。なぜオランダの軍隊を選んだのか、彼は必死で思いだそうと試みた。近代哲学の祖としてのプライドもある。忘れてしまったとは言えなかった。
「当時としては、軍隊が唯一最先端の組織だったし……、まず、その戦力を確かめて、わがM星『自衛軍』による地球人殲滅の可能性を評価しようと思ったからです。まあ、地球人の絶滅を待たずに、早急に地球を乗っ取ることができないかと考えたわけです。しかし西ヨーロッパの何カ国かを見ただけで、残念ながら、その考えが無謀であることを悟らされてしまいました」
「…………」
  委員長はなにか言いたそうに大きな顔を向け、水晶玉のように澄んだ底なしの大きな目でしばらくじっとデカルトを見ていた。彼は委員長の自尊心を傷つけたかと思い、急いで付け足す。
「わが『M星自衛軍』が非力だと言っているのではありません。わたしには『自衛軍』の真の力を知りません。もしかしたら、一般の人々が知らない秘密の巨大な破壊力を隠し持っているかもしれませんから……
  でも、地球人たちは年がら年中戦争に明け暮れています。彼らは三度の飯より戦争が好きなのかもしれません。わたしが見た西ヨーロッパの各国間では権謀術策の限りを尽くし、なにかと理由をつけて領地の奪い合いをしていました。地球人の間では争いが日常茶飯事なのです……
  とにかく地球人は闘争心が強く、相手を蹴落とすことが趣味のような人種です。そんなところにわざわざ『M星自衛軍』を派遣しても意味がないと思ったのです」
「…………」
  委員長は表情を変えずに、相変わらずデカルトに底なしの透明の大きな目を向け、口を閉ざしたまま話のつづきを促す。
「そこでわたしはこう考えたのです。このような争い好きな人種を絶滅させるには争いの種を蒔き、互いに競わせるのが一番じゃないかと。まあ、あれこれ考えて、結局、地球人の日常的営為のなかに自滅の構造を組み込むことにしたのです」
「なるほど」
「これらについてはまえに一度お話したことがありますので詳しいこと省略しますが、この仕掛けがやがて作動して地球人を絶滅へと導くことでしょう」
「そうかね。ところで、当時の地球人の数はどのくらいですか」
「地球全体の人口ですが……」
  デカルトは虚を突かれて、じっと委員長の目を見た。
「おおよその数でいいのです」
  委員長の右隣のメンバーが口を挟んだ。
「当時、フランスの人口は約二〇〇〇万人といわれていましたが、ヨーロッパ全体でも一億人いたかどうか。ですから、地球全体では、まあ、数億というところでしょうか」
「ところで、現在の地球人口はどうですか」
  委員長はおもむろにデカルトに訊ねた。彼は言葉を失った。
「…………」
  地球人口はすでに六〇億人を超え七〇億人に近付いているはずだ。戦争好きの地球人が殺し合いを続けてきたにも拘わらず、あのときから三百五十年経た西暦二〇〇〇年に地球人口が六三億人と十倍以上にも増えている。となるとデカルトが考えた地球人同士の殺し合いによる絶滅作戦は全然効果を上げていないということではないのか。
「……確かに、当時に比べて人口は十何倍にも増えていますが、地球上ではこれまで戦争で何億人もの地球人が死んでいます。それに現在、人口が増えているにもかかわらず、それゆえにいま絶滅の危機が間近に迫っているのです。人口が増えているからこそ、それだけ絶滅が早まっていると考えるべきなのです」
  デカルトは苦し紛れに強弁する。
「M星では現在、人口が減退して、M星人が絶滅に瀕している。地球では人口が増えると地球人は絶滅するのかね」
  別のひとりのメンバーが不思議そうに呟く。
「地球では、いまの地球人口が消費する資源量はすでに地球の再生可能な資源量を超えていると……」
「それにもかかわらず、地球人口は増え続けている」
「人口が増えれば増えるほど絶滅への重しが増えていくのですよ。現在、地球では人口の三分の一である二〇数億人が飢えに苦しんでいる」
「地球人はいずれ石油などの再生不可能な地球の資源をもすべて消費し尽くしてしまうということになるのかね。そうなれば、地球にはやがて一人も生存できなくなってしまう」
  委員長は深刻な声を発した。
「それで地球の現状をどうかね」
「地球の現状……ですか」
  デカルトは「絶滅寸前」と言おうとしたが、息を詰め、用心深く、相手の出方を窺う。
「ところで、きみの仕掛けによって、地球人は間違えなくもうじき絶滅するのだね。仕掛けを修正する必要は全然ないというのだね。きみ、そうだね。われわれM星人もそろそろ地球への旅立ちの準備をはじめなければならない時期に来ているのだよ。諸君、そうだったね」
  委員長は両脇に居並ぶ六名の委員に目をやった。頭髪のないつるつる頭の六名の委員が一斉に頷く。
「きみが地球にいたころ、M星にはまだ一五〇万人のM星人がいたが、現在では十分の一の十五万に減ってしまった。それでも全員を無事地球に送りとどけるためにはかなりの時間が必要だ。余裕がないんだ。地球への移住がわれわれM星人の生き残りの最後のチャンスとなってしまったんだよ。だから、確実を期したいのだ」
「最後のチャンス? ほかのオプション星は?」
「ないのだ。残されているのは地球だけだ。これが最後のチャンスなのだ。まだ秘密にしているが、M星には残された時間が僅かしかない。X星からの光線の強さが急増して以来、水の蒸散量が急激に増え、水資源がいよいよ底を突きつつある。水が無くなるまえに、われわれは行動を起こす必要がある」
「残されている時間は……」
  デカルトは委員長を見た。目は急に光を失い、秘密の帳で閉ざされた。
「僅かだ。詳しく計算する余裕はない。とにかく、準備が済み次第、われわれは一刻も早くM星を離れたいのだ。延び延びになっていたが、漸く移住について全員の合意をうることができた」
「地球への移住、ということですか」
「まあ、そうだ。現在建設を進めている前衛基地をめざして明日にも第一陣を送り出したいくらいなのだ」
「前衛基地?……、どこですか」
「地球のすぐ近くだ」
「でもわたしに対する命令は『五百年計画で地球人を地球上から消すこと』でした。計画目標期限までには百年は切りましたが、まだ優に数十年は残っているはずですが……」
「あのときはな」
「あのとき? なぜか任務半ばでわたしは強制的にM星に呼び戻されたのですよ。もう一度言いますが、まだ任務半ばだったんです、あのときは……」
「実を言えば、きみを送り出してから計画期間が長過ぎたことに気付いた。もっと短期間に移住できる可能性のある星を探したところ、五つの候補星が見つかった。そのなかに環境条件がさほど良いとは言えないが、高等生物のいない星がひとつあった。そこでその星への移住を最優先に検討して、移住先をその星にすることにした。決定後ももしものときのオプションのひとつとして地球を保留しておいたが、急いで計画遂行する必要もなくなった。そこで計画は変更せずに残しておくことにして、取りあえずきみを急遽召還することにしたのだ。だからこれまできみの喚問を延ばしていたのだが、最近になってその星に重大な欠陥があることが見つかった。ある周期で小惑星が衝突することが判明したのだ」
「候補星は他にないのですか」
  デカルトは愛くるしい目をした気品あるクリスティナを思い浮かべた。召還の命令を受けたとき、彼はもう少し地球に留まりたいと何度思ったことか。一時は、命令に違背し任務を放棄してでも地球に残ろうかとさえ考えたくらいだった。
「残念ながら、ほかにはない。現在残されているのは地球だけだ」
「といわれても、計画に従い、二一〇〇年を目標としてきたのでことですし……、それに現状がどうなっているか、わたくしには……」
  デカルトは曖昧に応えた。実はあのとき、すでに計画した工作はすべて終了していた。いつでも召還に応じることができた。だが、クリスティナを一目見て以来すっかりこころが奪われ、滞在期間の延期を申し出たのだった。それにひとつ気がかりなことがあった。

(続く)

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