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現代文明学研究:第4号(2001):239-263
トランスモダンの歴史哲学
―星座の明滅の中に―
萩原優騎



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はじめに―具体と抽象の相互補完性とは

  近代を問い直すという営みにおいて、モダンとポストモダンという対置がなされることが多い。しかし、ポストモダンをモダン以降の新しい時代として安易に定義することは、果たして妥当であろうか。我々がモダンを振り返り、吟味するという意味での自己批判を行う時、それを通じてモダンは変容するのだから、我々はモダンを生きながら、常にポストモダンを実践している[今村1991:9]。我々は常にモダンの内部にあり、それに規定されながら批判的な分析を行うという点で、「事後(ポスト)」の性格を持つが、これはむしろ、モダンを隅々まで横断するという意味で、「トランスモダン」と呼ぶべきなのである[同上]。
 我々に求められているのは、近代の絶対化でもなければ、その超克でもない。後程論じるように、伝統の保守や超克といった営みは不毛であるばかりか、意図的に行えるものでもないのである。特に「近代の超克」なるものに関しては、その発想自体が近代的な枠組みに基づいて成立しているということに、反近代を掲げる論者は全く気づいていないことが多い(1)。こういった不毛な選択肢を退け、我々が生きる近代という文脈を自ら引き受けることが、トランスモダンを実践するためには不可欠であろう。したがって、近代の根拠付けや否定的超克ではなく、近代の経験を横断し、揺さぶることが、トランスモダンの思想的作法である[今村1992a:10]。換言すれば、トランスモダンは、近代性の地平と構造を横断し、その内部にとどまりつつ、外へと動く試みにほかならない[同上:12]。
  哲学・倫理学において、近代を問い直すという作業がなされる場合のもう一つの問題点とは、近代に関する各々の観点からの考察は深まりつつある一方で、それらが個別的な営みとして完結してしまっているということである。特に、環境倫理学や生命倫理学をはじめとする、いわゆる「応用倫理学」のような、社会の具体的な問題に関する研究と、従来の伝統的な哲学・倫理学の研究、すなわち、我々の思考を吟味する抽象的な議論とが、大抵はつながっていない。前者が後者への批判的な立場として現れたという経緯があることも、その一つの理由であろう。今日の諸問題に取り組むためには、具体的な研究が欠かせないことは言うまでもないが、そうした研究に携わる人々は、そこでなされた研究を社会において生かしていくには、どのようにその議論を共有していくべきなのかという点について、十分に考察していないことが多い。また、伝統的な哲学・倫理学においては重視されてきたはずの、自己吟味が十分になされているとは言えない。その結果、自らの主張を安易に絶対化してしまう傾向にあり、それが社会に適用された場合には、画一化の暴力が生じる(2)。一方、抽象的な研究の場合は、それに関わる人々自身も、自分たちの研究を社会とつなげて捉えることが少ないために、その営みが研究者共同体の内部での閉鎖的な議論にとどまりがちである。
  このような現状を少しずつでも変え、具体的な研究と抽象的な研究をつないでいくならば、これまでの研究では見えてこなかった可能性に対して開かれるかもしれない。より積極的に言えば、具体的な研究と抽象的な研究のどちらかだけを行えばよいという発想そのものを、問い直さなければならないのである。すなわち、哲学・倫理学が我々の社会における実践に根ざした学問となるためには、具体的な研究と抽象的な研究との間にネットワーキングが構築され、相互補完的に機能する必要がある。そこでは、「哲学・倫理学は、社会の具体的な諸問題への応答として役に立たなければ意味がない」という、具体的な研究に携わる人々の主張も、「哲学・倫理学は、時代のニーズや有用性に押し流されるようなものであってはならない」という、抽象的な研究に関わる人々の主張も、共に相対化される。具体的な研究によって、現実の問題を直視しつつ、同時に抽象的な研究において、不断の自己吟味を重ねていくことで、哲学・倫理学の営みと、我々がいかに生きるかということが、初めてつながるのではないだろうか。
  以上のような問題意識から、本稿では、自己吟味の実践を通じた知のダイナミズムの可能性について、歴史哲学を中心とする観点から記述する。最初に取り上げるのは、日本の政治文化と歴史観に関する、丸山眞男による議論である。すなわち、戦後日本における丸山の考察を吟味することで、我々にとって自明となっている事柄を問い直すという作業にほかならない。これは、日本の政治とその背景にある文化及び歴史観という、具体と抽象の接点でもある。次に、西欧近代の哲学における抽象的な議論では、近代の自明性がどのような形で機能しているかということを考察した上で、そうした自明性の解体作業を、ハイデガーやベンヤミンの議論との関連で試みる。以上の認識と検討を踏まえ、最後に、具体と抽象をつなげる営みとしての臨床哲学に着目し、それをベンヤミンの思考と関連させながら論じることで、本稿の記述全体を貫通する、「トランスモダン」の作法を、より鮮明なものとしたい。ただし、本稿では、従来のトランスモダンの「作法」に批判を向ける。したがって、トランスモダンの自己批判を行いつつ、なおトランスモダンを実践することを試みるのである。

第1章 近代日本の政治文化と歴史観―丸山眞男の思想を読む

 歴史哲学の抽象的な議論に入る前に、近代の自明性がどのような形で歴史認識の場面に現れているか、ということを確認しておく必要がある。近代社会の欠陥構造を露呈させ、その改善を試みるには、自らの依拠する枠組みを再検討し、相対化することが不可欠であろう。特に日本の市民社会においては、これまで思想的な観点からの考察がおろそかにされてきたという傾向にある。その結果として、日本が近代化を進める中で、それ以前の社会における価値観と西欧近代の思想とがどのような関わりをもちながら、社会において機能してきたかということが、十分に認識されていない。資本主義も社会主義も行き詰まり、一方で、プレモダンへの回帰も近代の超克も共に不毛であることが明らかとなった今こそ、従来おろそかにされてきた、これらの作業がなされなければならない。その意味で、ここでは戦後日本の政治思想において、近代を擁護する中心的な役割を担ってきた、丸山眞男の思想を検討するという作業を通じて、近代日本の政治文化とその背景にある歴史観が自明のものとされてきた状況について、議論を深めたい。
 丸山への批判としてよく聞かれるのは、西欧社会を理想化しているということであろう。これに対して丸山は、『日本の思想』の中で、自分が日本人の行動様式の欠陥や病理だけを暴露したとか、西欧の近代を理想化し、それとの落差で日本の思想的伝統を裁いたわけではないと答えている[丸山1961:185]。この問題を考えるために、一つの例を挙げる。加藤周一が日本文化を雑種性と規定し、これまでそれを西欧的に純粋化する試みが失敗してきたことへの反省から、雑種性を積極的に肯定しようと提言することに対して丸山は、雑種性を悪い意味で肯定した東西融合論や弁証法的統一論を拒否すると述べて、むしろ日本文化の特徴は雑居性にあるのだと主張する[同上:63-64]。この点において注目すべきなのは、西欧の純粋性が論じられたことに対して、丸山は何一つ批判していないということである[加藤1997a:211]。日本文化が雑種性か雑居性かということを論じる以前に、議論の前提として比較の対象となる西欧文化に関しては、純粋性をあらかじめ想定してしまっているという点に根本的な誤りがあることを、両者共に気づいていない。
 確かに丸山は、西欧における文化接触の激しさを認めるが、それに関して彼は、大昔にはヨーロッパにも存在したと述べるにとどまっている[丸山1984:108]。つまり、その後の西欧の歴史においては、こうした文化接触や政治的対立は失われたという認識であろう。その一つの例が、彼の言う「ササラ型」と「タコツボ型」の区別である。ササラ型の西欧社会においては、一組織の巨大化と前進がその根底にある共通基盤としての思想を介し、他の組織も活性化させるという[丸山1961:148]。ところが、現実に目を向ければ、西欧には日本以上に強いセクショナリズムが見られるのであり、絶対的な対立が解消されずに、現在も残っている[加藤1997b:218]。丸山は、マルクスが「私はマルクス主義者ではない」と述べたという例を引いて、イメージが原物から離れて一人歩きし、原物よりもリアリティを獲得してしまうことがあると批判している[丸山1961:128]。しかし、同様に丸山も、西欧の近代社会を理想化し、そのイメージが原物であるかのように描いてしまった。
 日本の政治文化を論じるに当たり丸山は、日本の内発性の探究は概して、無定形なエネルギー、もしくは「構成」以前の情念の流れへと行き着き、そこにお仕着せでない「本源的」なものを見ようとする傾向にあると批判する[丸山1986上:4]。しかし、内発性の探究という行為は、丸山の研究にも見られる。実際、彼自身が認めているように、『日本政治思想史研究』の基底に流れている歴史観とは、歴史を考える上で世界中に当てはまる、歴史的発展段階を想定するというものである[丸山1984:107]。すなわち、徳川時代の封建的な世界像の胎内に、どういうプロセスで市民的な世界像が成熟してくるか、という問題設定となる[同上:109]。
  だからこそ、彼は徳川時代の日本に近代化の内発的要因を見出さなければならなかったのであり、その可能性を荻生徂徠の思想に求めたのである。丸山によれば、聖人は道の絶対的作為者であり、一切の政治的社会的制度に先行する存在であるから、無秩序から秩序を作り出す者としての地位が与えられなければならないという[丸山1983:213-214]。ここでは、絶対的な作為者である聖人が自然に秩序を与えるということが、キリスト教的な創造論に重ねられている。つまり、「無」から「有」が創造されるのである。ところが、徂徠の思想では、自然が加工されることで秩序が生まれるという点を、丸山は見落としている。換言すれば、素材そのものを創造するのがキリスト教の神なのであり、ここで丸山が描いているのは、ギリシャ的な自然神である[加藤1997a:198-199]。したがって、キリスト教の伝統に基づく西欧社会の内発性と同一の構造を日本社会に求める場合、徂徠の思想によってそれを説明するのは適切ではない。
  丸山は後に、内発性だけでは日本の民主化を説明できないことに気づく。そこで、「開国」が問題になる。歴史的な「縦」の線をたどる方法に加えて、「横」からの急激な文化接触という観点を加えることが、どうしても必要になるという考えである[丸山1984:110]。この問題意識は、歴史意識の「古層」に関する議論と結びつく。外来文化を摂取するだけでそれが積み重なっていくという構造、別の言葉を使えば、雑居性の構造では、日本に民主主義が根を張ることは難しいと考えるのである。しかし、依然として丸山は、日本の内発性なるものを求め続けているように思える。日本の歴史意識の「古層」において、永遠者の位置を占めてきたのは系譜的連続性における無窮性であり、それが時間に対する超越者ではなく、時間の無限の線的延長上に観念されるという点で、どこまでも真の永遠性とは異なっていると、彼は考える[丸山1992:350]。超越者の伝統が無い所に主体性は育たないという、徂徠論の前提が引き継がれているのである[加藤1997a:210]。
  では丸山は、「古層」が現在の日本社会にどのような影響を与えていると考えるのだろうか。彼によれば、「古層」の「おのずからなりゆくいきほひ」は、理想社会を過去に求める復古主義とも、未来への目標へ向けての進歩の観念とも摩擦せざるを得ないという[丸山1992:339]。「古層」における歴史像の中核を成すのは、過去でも未来でもなく、「今」なのである[同上:343]。そして丸山は、この「現在中心」思考は、中国文化や欧米文化を摂取した当時のみならず、戦後の思想からステレオ装置に至るまでの、新製品好みにも当てはまると述べている[丸山1986上:5]。しかし、そうした新製品好みの傾向は、日本だけのことではないという反論があって当然である。それに対する丸山の回答は、「歴史意識の『古層』」の結論部分であろう。すなわち、「神は死んだ」とニーチェが宣告して以来、西欧の情景は日本に似てきており、それが現代日本を世界の最先進国に位置づけているということである[丸山1992:351]。
  戦後の先進諸国における大量生産・消費・廃棄型社会の構造を、「古層」で説明するのは無理があるのではないだろうか。むしろその原因として考えるべきなのは、鷲田清一が指摘する、モードの「現在主義」であろう(1)。確かに丸山が指摘するように、「古層」の歴史的オプティミズムはどこまでも線的な継起であって、無限の適応過程としての、しかも個体の目的意識的行動の産物でない、進化の表象と相性が良い[丸山1992:342]。そして進化論は、時として進歩史観と結びつくこともあった。しかし、モードの「現在主義」はテロスの不在なのではなく、到達し得ない無限の彼方へとそれが先送りされることによって生じるオプティミズムなのである。丸山は、この両者を混同してしまったために、結果として、モードの「現在主義」と、彼の言う「古層」の「現在思考」を区別することができなかったのだと言えよう。
  丸山の「古層」論の第一の危うさは、ナショナリズムとの結びつきである。丸山の思想とナショナリズムとの関係性については、既に様々な文献で論じられているので詳述しないが、ここでは「古層」との関連で見てみたい。上に引用したように、丸山は、「古層」は復古主義と相容れないものであると考える。ところが、日本において「近代の超克」が語られる場合には、「ポスト」という意識さえ欠いたまま、ポストモダニズムとプレモダンの復古主義との、無媒介な癒合形態が形成される[野家1992a:580]。この思想においては、彼らが近代を克服するためになすべきこととは、日本精神への回帰ということになる。もちろん丸山は、「古層」が日本文化の底辺に一つのドクトリンとして存在し、その上にただ空間的に外来思想が積み重なるという図式を退け、それは消去法においてのみ取り出せるものであると述べている[丸山1984:141]。しかし、彼の意図とは別のところで、復古主義者が自らのイデオロギーを正当化する格好の道具として、日本文化の基底に存在する「古層」への回帰を掲げる危険性がないとは言えない。
  この問題を突き詰めていくと、丸山が近代を擁護するために用いたはずの「古層」論そのものが、実は一種のイデオロギーであることが明らかになる。かつてナショナリズムに積極性を見出したように、近代化が進んだ欧米諸国との関係の中で、それらの国々と完全に対置可能な、主体としての国家を日本に見出さなければならないという意識が、丸山にはあった[櫻井1998:236]。それは、明治以前の日本において近代化が準備されていたことを論じた、徂徠論と共通の認識でもある。また、明治期の日本におけるナショナリズムと民主化の両立を図った福沢諭吉の見解を、一定の留保をつけながらも丸山が擁護しようとすることにも、同じことが言える。「歴史意識の『古層』」とは、古代からの歴史の中で内在的に形成されたものというよりは、欧米と同等の主体を持とうとする意識の中で形成されたものであり、外来文化からの様々な影響にもかかわらず、日本が主体としての地位を保ち得る自己同一性を、無条件に特権化しようとする概念なのである[同上:236-237]。
  これは、村上陽一郎が、「和魂X才」と表現して批判した事態と同様であろう。すなわち、不変の「和魂」が存在することを言い立てながら、実際に日本において常に保持され継承されてきているのは、「和魂X才」と主張しつつ、外来文化を平然と取り入れるという文化パターンなのである[村上1980:219]。「古層」を批判する丸山は、一見この文化パターンを克服しているかのようであるが、上述のように、彼が復古主義を批判する時に用いた論理は、その批判対象と共有されている。「古層」それ自体は取り出せないと丸山が考えるにしても、日本の歴史の「執拗低音」としてそれを設定することで、その不変性を認めていることになるからである。「古層」の克服による主体性の獲得に日本の近代化を求めながら、一方で批判対象の中に自国の主体性を見出すという、この矛盾が不問に付されることによって、彼の民主主義とナショナリズムは両立し得たと言えよう。福沢諭吉をはじめとする近代国家としての日本の擁護者、戦前・戦時中の復古主義者、そして丸山眞男、この三者を結ぶものこそが、ナショナリズムに基づく、日本の自己同一性という幻想にほかならない。
  第二の危うさは、「古層」論に見られる丸山の消極的姿勢である。既に触れた通り、丸山は、西欧の日本化という状況が進んでいることを述べている。丸山は自然的秩序に対して作為的秩序を掲げ、これによってモダンを肯定するという作戦を立てた。そこでは、自然と作為との二項対立は、そのままプレモダンとモダンとの対立なのであり、西欧近代の作為の論理そのものに批判の刃が向けられるポストモダン状況の進展の中で、丸山はそれに対抗すべき有効な概念装置を持つことができなかった[野家1992a:581]。しかも、「自然と作為=プレモダンとモダン」という問題設定に基づいて、戦前及び戦中の日本を批判するという行為自体が不適切であろう。当時の日本にプレモダンの要素が残存し、日本精神への回帰という、プレモダンとの結合における「近代の超克」が叫ばれたとしても、それは明治期以来の、近代化の進展の中でなされてきたことである以上、モダンそのものなのである。これまでの歴史からも明らかなように、モダンの理念は時として暴力性へと反転し、そうした行為を不当に強化する役割さえ果たしてきた。
  到達した結果から判断して民主主義的伝統を発掘しようとしてもそれが見つからず、結局日本にはそのような伝統は存在しなかったという結論に達する、もしくは、逆に草の根を分けてでもそうした伝統を無理に探し出そうとする、このような行為は直線的な進歩史観によるものであると、丸山は批判する[丸山1986上:383](2)。しかし、これまで見てきたように、徂徠論をはじめとする彼の研究自体が、同じ視点からなされてきたのではないだろうか。丸山と進歩史観との強い結びつきを示しているのは、『「文明論之概略」を読む』の結論部分である。本当の世界新秩序が構想されるならば、その時我々は、福沢諭吉の言う「最上最後の目的」に向かって、論理的、歴史的に「超克」されたものだと安んじて宣告を下せると、彼は述べている[丸山1986下:302]。仮にそのような新しい秩序が実現したとしても、現在我々の依拠する秩序と比較した場合に、現状を「超克」しているとは言えないはずである。歴史的に見ても、ある秩序が全ての点において、他のあらゆる秩序よりも優れているということはない。一方の欠点を他方が克服するという構造は逆もまた真なのであり、それを本当の意味で克服と呼ぶことはできないのである[加藤1997b:130]。
  丸山の進歩史観への依拠を示す例を、もう一つ挙げてみよう。彼によれば、目的と手段の連鎖関係に盲目な場合、恣意的にあるレベルで線を引いて特定の目的を絶対化し、それがより上級の目的にとっては一つの手段に過ぎないことが視野に入ってこないのだという[丸山1986下:291]。暫定的な目的の上に「より上級の」目的を想定するという「先取り」の精神は、典型的な進歩史観にほかならない。戦後の日本社会における民主主義の深化を目指した丸山の業績は、正当に評価されるべきであろう。しかし、進歩史観に基づく秩序が崩壊しつつある現状では、丸山の思索が、必ずしも有効であるとは言えなくなりつつある。それにもかかわらず、そういった現状認識自体が、政治に携わる人々にさえ希薄であるという、一層深刻な問題がある。このような転換期において、日本社会の政治文化や歴史観を吟味していくという作業が我々には不可欠であり、そこでは歴史認識が主要な問題となる。そのための「作法」を、次章以降において検討する。

第2章 ハイデガーの問い―先取りから時熟へ

 進歩史観と、それに基づく自由民主主義の限界が、あらゆる場面で露呈されつつある今、伝統の保守か超克かという選択は無意味であり、この対立からは積極的なものは何も生まれない。むしろ、我々が依拠する枠組みを相対化し、自明性を不断に解体しつつ、検討を重ねていくことこそが重要である。このような知のダイナミズムを硬直化させないことは、歴史哲学の一つの課題であり、こうした観点からトランスモダンの「作法」を実践することが、ここでの作業となる。そこで、伝統の保守や超克といった行為において想定されている、「伝統」というもの自体が、どのような性質を持っているのかということに関する考察を、この問題について扱う出発点としたい。これは、解釈学における主要な議論の一つであるが、ここではハイデガーの見解を参照してみたい。彼によれば、全ての解釈は、一方ではこれから了解をもたらそうとするものでありながら、他方では、それが解意すべきものを既に了解していなくてはならない[ハイデガー1994上:329]。これが、いわゆる「解釈学的循環」である。我々の認識は、自らが生まれ育った共同体の伝統の影響下にあり、それから完全に独立した、客観的な認識というものはあり得ない。
  すると、伝統を否定し、それを放棄するという場合に、その対象自体が伝統の影響下で知覚されたものに過ぎず、伝統を放棄しようとして採用される方法もまた、その伝統の影響を被っているということになる。そうであるならば、そこで対象化されたものが、自らが依拠する伝統をありのままに捉えたものであるかどうかは定かではない。この点にこそ、伝統の否定による価値観の意図的な転換が、不可能であるということの最大の理由があると言えよう。すなわち、社会の変革をもたらすつもりでなされる種々の行為が、伝統の根本的な破壊をもたらしているかは、疑わしいということである。そこでは、枠組みの内部変革は実現できても、枠組みそのものの転換には至らないことが多い。また、自らが依拠する伝統は、一枚岩であるとは限らないという点にも、注意する必要があるだろう。伝統に関する上述の性質については、伝統を保守するという場合にも言えるのであり、そこで対象化された伝統の厳密性が疑わしいならば、完全な保守も不可能なはずである。
 もちろん、ここで言う伝統とは、固定的なものを意味するのではない。伝統とは、大森荘蔵や野家啓一が指摘するように、過去想起を通じて物語られることにより、絶えず新たに規定されていく、動的なものとして捉えられなければならない(1)。生活世界的アプリオリは、無時間的なものではなく、歴史的沈殿の所産であるが、その過程を通じて間主観化され、やがて自明性を獲得する時、その条件が種々の経験に対して構成的に働くという意味で、機能においては超越論的である[野家1993:254]。伝統のこのような性質を理解するならば、それを意図的に放棄する、あるいは保守するという選択肢を掲げることの不毛さは、誰の目にも明らかになるだろう。それにもかかわらず、価値観の意図的な転換や保守が可能であるということが、現在においてもほとんどの人々にとって自明であり続けているのは、近代における意識の優位性を示している。それに抗した人物の一人が、ハイデガーであった。「認識することがはじめて、主観と『世界』との交際を作るわけではなく、またこの『交際』は主観に及ぼす世界の側からの影響によって発生するわけでもない。認識は、世界=内=存在のうちにもとづけられた、現存在の一様態なのである」[ハイデガー1994上:150]。
 意識の優位性と並んで、近代的思考を規定しているものとして、未来の先取り行為を挙げることができる。例えば、ハーバーマスの「未完のプロジェクト」や、丸山眞男の「永久革命としての民主主義」は、その営みは永続的なものであっても、方向性と到達目標はあらかじめ設定されているという点で、進歩史観という「大きな物語」に依拠した、テロスへ向けての直線的進歩という理念に等しい。近代が、その暴力性や問題点を自ら改善していく作業は不可欠であるが、それと並行して、自己の枠組み自体を相対化する試みも求められる。起源とテロスの不在という荒涼とした場所において、様々な多次元の「小さな物語り」が増殖し、交錯し合いながら形作られるネットワーキングは、単一の筋立てを持たないポリフォニックな構造体であり、歴史を構成する唯一の特権的な視点を拒否する[野家1992b:679]。それが、トランスモダンの「歴史のミクロロジー」である。
  未来の先取り行為は、意識の優位性とも結びつくことが多い。古いものを超克することで、新たな時代が到来するという認識は、新しい時代の先取りであると共に、その実現のために提示される方法は、意識の優位性という近代的な自明性に依拠している。もちろん、「方法」は、こうした近代的なものだけに限定されるわけではない。したがって、本稿で用いる「作法」という言葉は、未来の先取り、意識の優位性といった、近代的な方法の問題点を自覚した上で実践される方法を表している。ただし、次章で詳述するように、近代的な方法に抗する「作法」も、同様にそれ自体が近代的な思考の枠組みに規定されているということには、常に注意する必要がある。これはハイデガーにも言えることであり、彼は近代的な方法を批判したが、特に初期の思索においては、自らの批判対象に巻き込まれていた。
  その検討に移る前に、一つだけ確認しておきたいことがある。それは、ハイデガーに対して多くの研究者が誤解している、「将来」という概念についてである。例えば、今村仁司は次のように述べる。「死に向かう存在は、自己の現実の死ではなくてその可能性を先取りする態度を同時に含む。ここからハイデガーにおける未来時間性の優位が出てくる。死ぬであろう可能性を先駆的に先取りしつつ投企する決断的企てが重視される。・・・・・・こうしたハイデガーの考え方は、死の可能性を先取りするという未来へ向けての態度をいやがうえにも強調することになる。未来とそれにむけての決断的企てという思想は、近代の未来時間性優位の極北である」[今村1995:30-31] (2)。ところが、これはハイデガーに対する理解として適切であるとは言えない。今村が言う意味での「未来」を、ハイデガー自身が批判している箇所がある。「われわれはまず、通俗的な時間概念から押しよせてくる《将来》、《過去》、《現在》などの意義を、すべて遠ざけておかなくてはならない。・・・・・・《将来》とか《過去》とか《現在》という概念は、さしあたり非本来的な時間了解から生じてきたものである」[ハイデガー1994下:214]。「ここで《将来》というのは、まだ《現実的》になっていなくて、これから存在することになるような今のことではない。ここでわれわれが《将来》というのは、現存在がひとごとでないおのれの存在可能においておのれへ向来することの《来》を言うのである」[同上:212]。したがって、ハイデガーの言う「将来」は、通常の意味での「未来」とは明らかに異なる。
  ハイデガーの問題点は、第一に、意識の優位性に関してである。「状況は、自由な自己決定において―すなわち、先廻りして規定されない、しかもそのつど規定されることのできる自由な決断のなかで―はじめて開示されるのである」[同上:177]。「先廻りして規定されない」という認識は、未来の先取りに対する批判となっているが、一方で、決断という主体的な行為による開示という点に関しては、意識の優位性を指摘できる。「不安は現存在のうちに、ひとごとでない自己の存在可能へむかう存在を、すなわち、自己自身をえらびこれを掌握する自由へむかって開かれているという意味での自由存在を、あらわにする」[ハイデガー1994上:396]。「自己自身をえらびこれを掌握する」というのも、同様に意識の優位性である。すなわち、決断や選択が必要であるという場合に、そこでは現存在の意思的な作用が求められているのであり、ハイデガー自身が批判したはずの、主体とその作用、物と働きといった思考が残存していると言えよう[田中1986:361] 。
  現存在は主観であるとハイデガーは言うが、それは通常の意味での主観主義ではない。「空間は主観のなかにあるのではなく、また世界は空間のなかにあるのでもない。空間はむしろ、現存在にとって構成的な世界=内=存在がすでに空間を開示しているかぎり、世界の『なかに』あるのである。・・・・・・存在論的に正しく理解された『主観』―すなわち現存在―が、空間的なのである。・・・・・・現存在が空間的であるがゆえに、空間がアプリオリな原理として現われるのである。このアプリオリという名称は、はじめにまだ無世界的に存在している主観に、空間がもとから属していて、主観がその空間を自分のそとへ投射するようなことを意味するのではない。空間のアプリオリ性とは、ここでは、環境世界のなかでそのときどきに用具的なものが出会うにつけて、空間が(方面として)いつも先行的に出会っているということなのである」[ハイデガー1994上:246-247]。したがって、ハイデガーが現存在について論じる時に問題になっているのは、意思的な作用ではない。
  その点を、加藤尚武の次のような主張と比較してみたい。「意識を目覚めさせている人間(現存在者)は、単に机とか時計とかの他の存在者の間に現れてくるひとつの物(存在者)ではない。むしろ目覚めている意識(現存在)は、この人間(存在者)にとっては、「Xがある」とは何かという問いが立てられる存在である(己れの存在においてこの存在そのものが問題になっている)という点で、その存在そのものが他の存在者とは違って(存在的に際立って)いる。要するに、意識のある人間は、『何のために存在しているのだろう、どこに向かっているのだろう』と常に疑問を感じているということ―この点で他の存在とは異なっている」[加藤1997b:87-88]。「この点で他の存在とは異なっている」というのは、「存在」ではなく、正しくは「存在者」であろう。加藤の見解に対する反論を、ハイデガーの言葉から引用する。「『存在と時間』の内では『意識』の代わりに『現存在』という言葉が使用されているということを、確認することで満足するならば、今やいかなる追思索さえも塞がれるのである。・・・・・・単に、『意識』という言葉に代わって、その言葉の位置へ『現存在』という言葉が登場するのでもなければ、ひとが『意識』という名称のもとで表象していることの代わりに、そのことの位置へ『現存在』と名づけられた『事柄』が登場するのでもない。むしろ『現存在』ということで名づけられているのは、まず最初に一度は位置として、すなわち、存在の真性の在り処として経験されるべきであり、それからそれに呼応するように思索されるべきであるようなことである」[ハイデガー1985:469、引用に際して語句を改めた]。
  第二に、本来性の想定が「大きな物語」につながるという点が、問題点として挙げられるが、ハイデガーの言う「本来性」も、大抵は誤解されているように思える。例えば、本来的なものが時間性の中に没落し、それが再び開示されるという構図は終末論的であると、今村は批判する[今村1992b:661]。しかし、この解釈は適切でない。下記のように、ハイデガーにとって本来性とは、非本来性と切り離された何かとして開示されるようなものではないからである。むしろ、日常の配慮的な交渉に没頭している知の在り方から、自己の存在様式としての知の在り方への変容が課題なのであり、非本来的な存在様式であることを直視し、非本来的な在り方を非本来的であると、あるがままに理解することが、本来的な在り方であると言えよう[田中1991b:120-121]。
  ハイデガーは、未来の先取りを批判するからこそ、「死」という終わりを終末論的図式では捉えない。終末論的な終わりとは、既知の時間を非本来的で堕落した時間として示す彼岸的な終末であり、そこでは新しい本来的な時間が確信されているのに対し、見知らぬ不気味なものとして出会われる終わりは、むしろ黙示思想的である[田中1991a:73]。そして、ハイデガーは、非本来性と完全に分離された、何か本来的なものの取り戻しが可能であるなどとは考えていない。「『形而上学とは何か』への序論」において、ハイデガーは次のように述べている。「形而上学の行う表象的思惟は、たとえその表象的思惟がどれほど熱心にソクラテス以前の哲学を歴史学的に我がものにしようと努力するにしても、真性のこの本質へ決して到達し得ないであろう。なぜならば、問題になっていることは、ソクラテス以前の思惟の何らかの再生ではなく―そのような企ては空しくそして背理であろう―、それとして存在がそれ自身を告知した非覆蔵性の、なお言われざる本質の到来に着目することだからである」[ハイデガー1985:464-465、引用に際して語句を改めた]。次章で扱う方法論の問題とも関連するが、ソクラテス以前の何かを取り戻すという場合に、そこで対象化され、得られたものは、現時点での認識者の枠組みの影響下で捉えられたものに過ぎない。つまり、認識者の枠組み自体は自明のものとして固定化されているのである(3)。
  本来性は、非本来的な現存在において、可能性としてのみ見出され得るのであり、両者は切り離せない、等根源的なものとして位置づけられている(4)。「現象学の現象の『背後には』、本質上、なんら別のものはひかえていない。けれども、そこで現象となるべきものが、隠れているということはある」[ハイデガー1994上:95]。「本来的な実存的了解といえども、決して在来的な既成解釈の影響をうけないわけではなく、むしろ、いつもそれのなかから出発し、それに反抗し、しかも結局はそれのために、みずから選んだ可能性を決意において捉えるものなのである」[ハイデガー1994下:324]。しかし、たとえその内容を予期できない、常に可能性にとどまり続けるものであっても、非本来性の変容として到来し得るテロスを想定することは、「大きな物語」にほかならない。
 現時点で予期された未来とは、自らの枠組みの解釈を被ったものである。「非本来的将来は、予期という性格をそなえている。・・・・・・そして、事実的現存在がおのれの存在可能をこのような形で、自分が配慮しているものごとから予期しているからこそ、現存在がなにごとかを期待したり、なにごとかを待ち受けたりすることができるのである」[同上:235-236]。未来を予期し先取りするという近代的思考に対してハイデガーが掲げたのは、「時熟」であった。しかし、それは、ただ何もせずに待てばよいということを意味するのではない。事実、彼は伝統の「解体」を試みた。「伝統は、在来のものごとを当たり前のものとして人びとの踏襲にまかせ、かつて伝統的なカテゴリーや概念が多少とも真正な仕方でそこから汲み上げられてきた根源的な『源泉』への通路をふさいでしまう。それどころか、伝統がかような来歴を人びとにすっかり忘却させることさえあるのである」[ハイデガー1994上:66]。「固定化した伝統をときほごして、その伝統が生み出してきた蔽塞状態を解消することが必要となる。この課題をわれわれは、存在問題を手びきとして古代的存在論の伝承的形態を解体し、かつて最初の―そしてそれ以来主導的となった―諸規定がそこで得られた根源的諸経験へひきもどす解体作業という意味でうけとる」[同上:68]。
 ハイデガーが解体を試みる時、過去は必ずしも否定的なものではない。「われわれの解体作業は、過去に対して否定的態度で接するものではなく、それの批判はむしろ『今日』に向けられ、そして今日有力になっている存在論史の取り扱い方・・・・・・にむけられているのである。解体作業そのものの意図は、過去を虚無のなかに葬ることにあるのではなく、それには積極的なねらいがある」[同上:69]。ハイデガーには、伝統の連続性を肯定する側面と共に、連続性を解体する側面が存在する。この二つの側面は、一見矛盾するかのようであるが、彼にとっては、そのようには捉えられていなかった(5)。「存在者は全面的に隠されているのではなく、とにかく発見されているのであるが、それが同時に歪められている。それは現われでているが、しかし仮象の様態で現われている。同様に、前に一度発見されたものが、また歪曲と隠蔽のなかへ沈みこむ。現存在は、本質的に頽落するゆえに、その存在構成上からいって、『非真理』の内にある」[同上:460]。つまり、西欧の出発点において出現した根源的な存在経験と、そうした存在経験が頽落していく歴史は一体として考えられていたのであり、根源的な存在経験の立ち現れが即座にその経験の隠蔽を誘発する、あるいは、根源的な存在経験は、その隠蔽と忘却の向こうに明滅するものとしてのみ生起すると考えられるのである[高田1996:250-251](6)。
  これまで論じてきた、未来の先取り、意識の優位性といった、モダンの自明性の破砕を試みるには、「時熟」にこそ目を向けなければならない。先取りする時間や後追いする時間がクロノス的時間に属するとすれば、カイロス的時間とは、偶然性に身を委ねつつ、機会の到来を掴み取るものであり、それは降り積もり、沈殿し、時熟する、垂直の時間性である[野家1992d:673]。我々は、近代という時代に生き、その影響を不可避に受けているのであり、そこから意図的に離脱して、異なる可能性を選択することはできない。このことをハイデガーは、次のように述べる。すなわち、「現存在は存在可能的にいつもどちらか一方の可能態のうちに立っていて、いつもそのほかの可能性を存在せず、その実存的投企においてすでにこれらの可能性を放棄してしまった、ということ」[ハイデガー1994下:132]である。だからこそ、「そのほかの可能性を選択しなかったこと、そのほかの可能性をも選択することはできないことに堪えていく」[同上:133]必要がある。時熟に備えるという行為は、自らが依拠する伝統の解釈を不断に行い、従来の自明性を解体することで枠組みを相対化し、その変容の可能性に対して備えることにほかならない。その試みがいかになされるかということについて、次にベンヤミンの思想について考察する過程において、更に詳しく論じたい。

第3章 根源の歴史への跳躍―時代の「別であり得た」可能性へ

 未来の先取りや意識の優位性が近代を特徴づけるものであるならば、それを用いて近代を超克できるはずがない。それどころか、超克という概念そのものが、極めて近代的である。進歩史観やコギトの呪縛に抗して、近代に生きる我々の、「別であり得た」可能性を模索したのがベンヤミンであった。本章では、ベンヤミンの思索において、歴史哲学の営みがいかに可能であるか、ということを検討する。それは、テクストの著者であるベンヤミンの意図を、「再構成」するということではない。再構成を目指してなされる記述においては、先行理解が自明のものとして固定化されているのであり、テクストに沈潜することで、自らの思考を揺さぶるという相対化の試みは、あらかじめ断念されていることになる(1)。この点についてベンヤミンは、次のように述べている。「唯物論的な歴史家にとって重要なことは、ある歴史的事象の構成を、ふつう『再構成』といわれていることと厳密に区別することである。感情移入というかたちをとった『再構成』は単層的である。『構成』は『破壊』を前提としている」[ベンヤミン1993b:35]。
  前章でも述べたように、「作法」を提示することは、「方法」の否定ではない。我々は自己吟味を行う際に、何らかの方法を用いなければならないが、未来の先取り、意識の優位性という、近代的な方法への批判として、その営みがなされる必要があるという意味で、「作法」という言葉を本稿では用いている。ただし、ここで近代的な方法と「作法」を正反対のものとして位置づけることは、果たして適切なのであろうか。例えば、野家啓一は、近代的な方法に代わる営みを、「反方法」と呼ぶ。「『方法の終焉』をもたらすためにも、再び『方法』が必要なのではないか。確かにそうであろう。おそらくは『反方法』という方法が」[野家1992c:246]。そして、「反方法」の系譜として、ゲーテ、ヴィーコ、ベーコンへと遡り、「ベーコンの船」の作法が語られる。「ベーコンの船には、最終目的地はない、というべきであろう。・・・・・・目的地がないとすれば、船には『方法』の象徴である海図も羅針盤も無用であろう。・・・・・・乗組員に必要なのは、最短の航路をとって目的地に到達する『方法』ではなく、潮の流れと風の向きに船をまかせて航海する『漂流の技法』であり、豊穣な自然の語りかけに耳を傾ける『享受の技法』にほかならない」[野家1992c:247]。
  このような「反方法」としての「作法」は、近代的な思考や方法と独立に与えられているかのようである(2)。しかし、近代的な思考の中で「作法」が実践されることは言うまでもないが、近代的な方法への批判としての「作法」と、それについて語る者も、近代の影響下にあるのだから、近代的な方法に代わって「作法」を採用すれば問題が片づくというほど、事態は容易ではない。それゆえ、近代的な方法を批判する方法が提示される場面で、そこで掲げられるものと、その語られ方が、更に吟味されなければならない。この点こそ、トランスモダンを論じる人々が、これまで自明のものとしてきた前提であり、そこに、方法論をめぐる大きな問題が潜んでいたと言えよう。そのような現状の厳しさを常に認識しながら、なお「作法」を実践することで、自らの枠組みが変容する可能性に対して備えること以外、我々には残されていないのである。それゆえ、本章において以下に提示する「作法」そのものの特権化がなされてはならない。
  絶対的な根拠や起源といったものを基盤に据えた方法論が近代的であることについては、これまで様々な指摘がなされてきた。ところが、問題はそれだけではないのであり、近代的な方法論を批判する者も、共有してしまっている前提がある。それは、何らかの方法があらかじめ確立されていて、それを用いて思索が行われるということである [田中2000:52](3)。例えば、ハイデガーはこの点について、次のように批判している。「すぐ使えるようになっている既知の存在構造が、それの土着性についてはつつみかくされたままで備わっていて、こういう存在構造やそれらについての概念が、なにかの『体系』の内部でもっともらしく幅をきかすということがあろう。これらは、体系のなかで『構成的』に組み合わされているために、もはやそれ以上の釈明を要しない『明白な』ものと思われ、それゆえにそれらから出発する前進的な演繹の拠点としてはたらくようになってしまう」[ハイデガー1994上:95-96]。それは、「方法が初めから、一定の事象科学に属する一定の孤立された諸々の課題にぴたりと適合して、何か交換可能な技術のようなものへと烙印を押されている」[ハイデガー1985:14、引用に際して語句を改めた]という、近代的な方法論の特徴なのである。
  たとえその営みが、自らの思考の枠組みを相対化するためになされるものであったとしても、そこで用いられる方法が、ある独立したものとして特権化されるならば、その方法自体や、それについて語る者への近代の影響は、全く考慮されていないことになる。ただし、「作法」の特権化の放棄は、特定の思想家の方法を「借りる」ということでもない。「借りる」という発想では、やはり自らの基準は固定化されたままなのであり、その基準に依拠しつつ思考を遂行する道具として、特定の方法を借用するということになり、前述の「再構成」に陥るからである。したがって、特定の方法の採用によって思考を中止してしまうような営みこそを、近代的な方法への批判そのものを吟味することで、問い直さなければならない。以上を踏まえて、自己吟味を未完の営みとして展開する可能性を記述することが、本章の狙いである。
  ベンヤミンの思索を貫くキーワードを挙げるとすれば、それは「根源」であろう。これは、歴史の出発点に存在する、すなわち、現在という時点から直線的に遡ることによってたどり着けると想定された、「起源」とは異なる。等質的で直線的な進歩の時間概念、起源という絶対的根拠、これらこそベンヤミンが異議を唱え、そこからの目覚めを試みた近代の悪夢である。根源は、起源の取り戻しや反復によって認識できるようなものではない。そのような行為は、ベンヤミンにとって、むしろ夢を深化させる害悪なのであり、後述するように、近代からの「目覚め」が試みられる。「既在についてのいまだ認識されざる知が存在するのであり、こうした知の掘り出しは、目覚めという構造をもっているのである」[ベンヤミン1994:6]。
  換言すれば、根源とは、未だ実現されていない可能性が眠る貯蔵庫にほかならない [今村1992a:12]。もちろん、ここで言う「未だ実現されていない可能性」とは、予期不可能なものであり、そうした可能性が到来し得るということが、ここで述べようとしている事態である。このことを、現時点から予期できる可能性という意味で捉えると、未来の先取り行為になってしまうことは言うまでもない。また、根源へと直線的に遡れないならば、それは覆いを取り除くことで見られるといったようなものではないことになる。「根源は、あくまで歴史的なカテゴリーではあるのだが、それにもかかわらず、生起とはいかなる共通点ももたない。根源において志向されるのは、発生したものの生成ではなく、むしろ、生成と消滅から発生してくるものなのである。根源は生成の川のなかに渦としてあり、生起の材料をみずからの律動の中へ巻き込んでしまう。事実的なものの、剥き出しのあからさまな姿のなかに、根源的なものが認識されることは決してない」[ベンヤミン1999上:60]。
  これは一見、先に触れた、ハイデガーの根源的な存在経験に関する認識に近いかのようである。しかし、ハイデガーがそれを、西欧の出発点において生成と共に隠蔽された、本来的なものとして規定したのに対し、ベンヤミンにとって、過去の呪縛は一度全て破砕されるべきものである。つまり、本来的なものをそのまま取り戻すという、ハイデガーの思索とは相容れない [三島1998:128]。ベンヤミンの言う根源は、哲学的省察から生まれ出るものなのである[今村1995:67]。それは、自明性を解体するという不断の営みによって、特別な瞬間が到来した時に実現し得る。その瞬間とは、「根源の歴史の全体が・・・・・・もろもろの形象による新たな集合となるようなかたちに描かれたときなのである」[ベンヤミン1993b:21]。「新たな集合」としての根源を、我々は事前に予期することはできない。その意味で、根源は「起源」とは正反対に、事後の形成物なのである [今村1995:112]。
 根源との隔たりにおいて、歴史は進行していく。「自然の顔貌に、はかなさを意味する象形文字で、〈歴史〉と書かれてあるのだ。バロック悲劇によって舞台上に提示される自然−史のアレゴリー的相貌が実際に目の前に現れるのは、廃墟として、である。廃墟という姿をとることにより、歴史は収縮変貌し、具象的なものとなって、舞台のなかに入りこんだのである。しかも、そのような姿を与えられた歴史は、永遠の生の過程としてではなく、むしろとどまるところを知らぬ凋落の経過として現れる」[ベンヤミン1999下:51]。上述のように、根源が「起源」と異なるならば、根源との隔たりは、「起源」なき凋落と言える。凋落の歴史の中で、もはや根源は認識できないものとなってしまった。それは、廃墟と化した歴史に痕跡をとどめるのみである。「被造物の状態はまだ恩寵の太陽を反射しているがゆえに、歴史のなかで生起する出来事そのものは、まったくの自然であるわけではないのだが、運命とは、この歴史のなかで生起する出来事にひそむ、根元的な自然の暴力にほかならない。『反射している』とはいっても、しかしそれは、アダムの罪過という沼に映っているのである」[同上:281]。この状況が『パサージュ論』においては、遊歩者の生活として描写される。「遊歩者の生活形式は、のちの大都市住民の悲惨な生活形式を、まだ仄かな宥和の光で包んでいる。遊歩者はまだ大都市への、そして市民階級への敷居の上にいる。彼は、そのどちらにもまだ完全には取り込まれていない」[ベンヤミン1995c:346]。
  根源の歴史への跳躍は、その痕跡を手がかりに行われるのであり、それは小さなものに宿る。「瓦礫のなかに毀れて散らばっているものは、きわめて意味のある破片、断片である。それはバロックにおける創作の、最も高貴な素材である。というのも、目標を正確に思い描かぬままにひたすら断片を積み上げてゆくこと、および、奇跡をたえず待望しつつ繰り返しを高まりと見なすことは、さまざまなバロック文学作品に共通する点だからである」[ベンヤミン1999下:52]。これは、ハイデガーについて論じた際に言及した、「時熟」に重なるものであると言えよう。到達目標を思い描いて、それに向けて直線的に進んでいくのが、近代的な進歩史観であった。それに対して、時熟という概念が提示するのは、自らの枠組みが変容する可能性という奇跡の待望である。
  ただし、それは何もせずにひたすら待ち続ければよいということを意味するのではなく、自明性の解体という作業が不可欠となる。そして、解体されることで散乱した歴史の断片は、再び収集されなければならない。ところが、我々の周りにはあまりにも多くの自明性が存在しており、破壊された断片もまた無数に存在する。「知るに値することの収集は基本的に完結不可能」[ベンヤミン1994:353]なのであり、この点に、根源の歴史への跳躍が極めて困難であるという、一種の絶望的状況が現れている。しかし、逆に言えば、根源が予期不可能な、未だ実現されていない可能性である以上、それが人間の認識能力の範疇を超えているのは当然であろう。こうした絶望的状況を直視しつつ、なお跳躍の可能性に対して自己を開き、それが実現し得る瞬間に備えるというのが、ベンヤミンの作法なのである。しかも、日常性においては、そうした解体作業が不断になされるということは少ない。「〈散乱〉と〈収集〉がこの宮廷の法則である。事物はそれが担っている意味に従って集め揃えられ、その存在に対する無関心ゆえに、また散逸してしまう」[ベンヤミン1999下:74]。
  収集された断片が新たに配列されることにより、根源へのパサージュが現れる可能性に対して、我々は開かれ得る。「もろもろの理念はそれぞれに、永遠不変の星座なのであり、そして、諸構成要素がそのような星座のなかに位置する点として捉えられることによって、諸現象は分割され、かつ同時に、救出されているのだ」[ベンヤミン1999上:33](4)。つまり、星座の輝きの中で根源が浮上してくるというのが両者の関係なのであり、星座の構造を構築できなければ、根源を見出すこともできない[今村1995:247]。ところが、上述のように、断片は無数に存在するため、完全な星座を構築することは不可能に近く、それゆえ、根源を浮上させることも極めて困難なのである。
  この「星座」という表現こそ、本章の冒頭で述べた、テクスト解釈の問題につながる。自明性を絶えず相対化し、その断片を収集することで「星座」が組み立てられていくのであるから、この営みが不断になされる限り、星々は常に位置を変えながら、「星座」を構成することになるだろう。解釈者の置かれた状況の絶えざる変化こそが、これらの星々を動かし、常に新たな状況布置を作り出していくのであり、その意味で、解釈者の向き合っているテクストとは、解釈者自身の状況を映し出す鏡なのである[細見1996:80]。本章でベンヤミンのテクストの解釈を、著者の意図の「再構成」としてではなく、解釈者の思考の枠組みを相対化する試みとして扱うことの意義が、まさにここにあると言えよう。ベンヤミンが用いる方法を、近代的な思考の影響とは無関係なものとして位置づけ、ある種の特権化を行うことや、ベンヤミンのテクストを解釈する自らの枠組みを固定化したままで、彼の方法を「借りる」ことの問題点は、先述の通りである。
  そういった方法をめぐる問題について、ベンヤミン自身が『パサージュ論』で述べている部分がある。「沈思家を思索家から根本的に区別するのは、沈思家はたんにある事柄について熟考するだけでなく、その事柄についての熟考をも熟考するという点である。・・・・・・いまや彼は、その事柄について沈思するよりも、その事柄についての消えうせてしまった熟考を沈思するのだ。したがって沈思家の思考は、追憶の印を帯びている。沈思家と寓意家は同じ性質をもっている」[ベンヤミン1995a:326]。ベンヤミンの言うアレゴリカーは、単に近代的でない方法としての「作法」の実践者としてだけではなく、自らの思考を吟味する営みの実践者としても理解されるべきではないだろうか。それゆえ、歴史の屑を拾うという行為において着目される「過去」は、単に過ぎ去った時代を意味するのではない。ただ過去に目を向けるのではなく、近代の文脈に規定されてなされる我々の認識そのものを吟味し、その自明性を破壊することが重要なのである。
  そうした認識から、根源へのパサージュが過去に求められる。「最後の瞬間に、バロックの死斑のなかで―いまはじめて後向きの極大の弧を描きながら、救済しつつ―アレゴリー的な見方は豹変する。・・・・・・そして、一度は悪魔の深い精神に身を委ねながら、最後にみずからの正体を顕にしたかの世界とは、神の世界にほかならない。神の世界で、アレゴリカーは目覚める」[ベンヤミン1999下:171-172]。進歩史観は、これとは反対に未来の先取りを行うが、ベンヤミンはそういった時間意識を批判する。「この天使はじっと見詰めている何かから、いままさに遠ざかろうとしているかに見える。・・・・・・彼は顔を過去の方に向けている。私たちの眼には出来事の連鎖が立ち現われてくるところに、彼はただひとつ、破局だけを見るのだ。その破局はひっきりなしに瓦礫のうえに瓦礫を積み重ねて、それを彼の足元に投げつけている。きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう。ところが楽園から嵐が吹きつけていて、それが彼の翼にはらまれ、あまりの激しさに天使はもはや翼を閉じることができない。この嵐が彼を、背を向けている未来の方へ引き留めがたく押し流してゆき、その間にも彼の眼前では、瓦礫の山が積み上がって天にも届かんばかりである。私たちが進歩と呼んでいるもの、それがこの嵐なのだ」[ベンヤミン1995c:653]。
 「歴史の天使」が押し流されていく進歩の嵐は、直線的で等質的な時間の進行を意味する。「進歩の概念を、破局の観念に基づかせなければならない。〈このままずっと〉事が進むこと、これがすなわち破局なのである。破局とはそのつど目前に迫っているものではなくて、そのつど現に与えられているものである。・・・・・・救出は、連続する破局のなかにある小さな亀裂を手がかりにする」[ベンヤミン1995c:403]。この亀裂とは、日常の自明性における、連続的な歴史が切断された瞬間である。そうした「瞬間」の力は、ハイデガーも重視している。「実存はある瞬間に、それも多くは《その瞬間かぎり》であるが、日常性を制することはできるのである。けれども日常性を消滅させることは、いつになってもできない」[ハイデガー1994下:299]。前述のように、ハイデガーの言う根源的な存在経験は、ベンヤミンの「根源」の概念とは重ならないとはいえ、そこに秘められた可能性が引き出される特別な時間として、「瞬間」が位置づけられている。「本来的歴史性は、歴史を可能的なるものの《再帰》として了解しており、そして、実存が覚悟的反復のなかで可能性へむかって運命的=瞬間的に打ちひらかれているときにのみ可能性が再帰するものであるということを、心得ている」[同上:339]。
  進歩の意識に抗している点でも、ハイデガーの認識はベンヤミンに重なる。「反復は、かつて現存していた実存の可能性に応答するのである。その可能性に決意をもって応答することは、同時に、瞬視的応答としては、今日において《過去》としてなお勢力を揮っているものに対する反逆である。反復はおのれを《過ぎ去ったもの》へ委ねることもなく、進歩をめがけることもしない。このどちらも、瞬間における本来的実存にとっては、どうでもよいことなのである」[同上:328]。ただし、ここでハイデガーが反逆を企てる過去とは、本来性を隠蔽する伝統の自明性であるのに対し、先述のように、ベンヤミンにとっては、過去の呪縛は一度全て破砕されるべきであり、本来的なものをそのまま取り戻そうとは考えない。しかも、ハイデガーの言う「決断」のような「主体的」要素は、ベンヤミンには見られないのである[三島1998:425-426]。初期の「ゲーテの『親和力』」における表現の一部などを除けば、少なくともそのように言える(5)。
  先程の引用箇所によれば、遊歩者は「市民階級への敷居の上にいる」。これは、目覚めとは正反対に、ファンタスマゴリーへの凋落である。「門は通過儀礼と関連している。・・・・・・パサージュに足を踏み入れるものは、門=道を逆の意味で進んで行く」[ベンヤミン1994:64]。ここでベンヤミンが「通過儀礼」という言葉で示しているのは、病気や亡霊から身を振りほどくことであり、パサージュに足を踏み入れることは、その逆であるという。それならば、「逆の意味」ではない歩みは、根源の歴史へと通じているはずであり、そのことが「歴史哲学テーゼ」の最後の部分で語られている。「周知のように、未来を探ることはユダヤ人には禁じられていた。律法と祈祷は、その代わりに、彼らに想起を教えている。占師に予言を求める人々が囚われている未来の魔力から、想起はユダヤ人を解放した。しかしそれだからといって、ユダヤ人にとって未来が、均質で空虚な時間になったわけではやはりなかった。というのも、未来のどの瞬間も、メシアがそれを潜り抜けてやってくる可能性のある、小さな門だったのだ」[ベンヤミン1995c:665]。
 「未来を探ること」とは未来の先取りであり、そこで機能しているのは、「占師に予言を求める人々が囚われている未来の魔力」である。それに対してベンヤミンは、「想起」という過去への視線を重視する。そのような「歴史の天使」の視線によって、「未来の魔力」から我々が解放されることで自明性が破壊された瞬間に、「敷居」もしくは「門」を通過して、根源の歴史への跳躍が実現し得るのである。ベンヤミンは、進歩史観が唱える未来は「均質で空虚な時間」であると述べ、先取り行為によって予期された未来像を批判する。可能性は、予期不可能な形で過去の中に眠っており、「目覚め」を待っている。すなわち、我々が予期することのできない、過去に眠る可能性が「門」を通って到来するのであり、「想起」という過去への視線において自明性を不断に解体しつつ、そのような機会の到来に備えるのである。それが実現するのは、歴史の連続性が切断され、「理念の星座」が構築された瞬間にほかならない。そこでは、認識者自身が認識論的メシアとなり、根源の歴史への「門」を潜り抜けるのである[今村2000:166]。
  ハイデガーが「決断」による先駆的覚悟性を掲げたのに対して、ベンヤミンは、意識の優位性には依拠しない、「静止状態における弁証法」を提示した。過去の様々な要素が救済され、その配置が適切である時、その瞬間に弁証法的像としての、静止状態の星座が出現する[今村1995:77]。つまり、破砕された自明性の断片という星々から成る、緊張に満ちた状況布置としての「星座」こそが、歴史の連続性を打破することによって出現する、「静止状態」なのである。そして、それを可能にする力が、アレゴリカーとしての「歴史の天使」の視線にある。「これによって、最小に細断されたもの、最も生気を失ったもの、最も散り散りになったものの暗号が解かれる。・・・・・・これらすべては、あの一回の豹変とともに雲散霧消してしまうのだ。・・・・・・メランコリー的な沈潜の本質とは、・・・・・・この沈潜がそこに邪悪なものを最も完璧に確保できると信ずる、その究極の対象でさえ、アレゴリーへと反転するということ、つまり、この志向が、最後に、屍骸のころがる光景の中に忠実にとどまるのではなく、背信的に復活へと寝返る、まさにその瞬間に、この沈潜の究極の対象は、己の自己表出の場である虚無を成就しつつ、かつそれを否認するのだということ」[ベンヤミン1999下:172-173]。
 「静止状態における弁証法」において、ベンヤミンは二つのことを試みている。一つは、歴史的に忘却された、過去の存在や出来事を救済することである。「思考がもろもろの緊張に飽和した状況布置において突然停止すると、そのとき、停止した思考がこの状況にひとつのショックを与え、そのショックによって思考はモナドとして結晶化する。・・・・・・この構造のなかに彼は出来事のメシア的停止のしるしを、言いかえれば、抑圧された過去を解放しようとする戦いにおける革命的なチャンスのしるしを認識するのだ」[ベンヤミン1995c:662]。ある一つの特権的な視点から描かれた物語においては、その権力作用によって、歴史的事実が歪められて伝承されたり、忘却されたりすることが常である。そうした暴力性に抗し、絶えず再編成される、動的構造の歴史を描かなければならない。このような営みによって自明性を破壊し、特別な瞬間を到来させる認識者こそが、抑圧された過去を解放するメシアなのである。
  そのことと並行して、「静止状態における弁証法」にベンヤミンが託したのは、近代のファンタスマゴリーからの覚醒であった。しかし、それはただ目覚めるというだけではない。夢と神話は、そこから目覚めなければならない幻想であると同時に、夢見られた像の中には、現実の社会を超えるものを示唆する要素があると考えられているのであり、そこでは夢からの覚醒によって過去の鎖を粉砕することと共に、過去の夢が思い起こさせる別の姿を救済するという、二つの意味での救済を同時に行うことが試みられている[三島1998:382]。近代からの覚醒とは、静止状態の星座の構築によって、根源の歴史への跳躍が実現する瞬間である。「目覚めの際に夢の要素を利用するのは、弁証法的思考の模範的な例である。それゆえに弁証法的思考は、歴史的覚醒の器官なのである。あらゆる時代は次の時代を夢見るだけでなく、夢見ながら目覚めに向かって突き進んでゆくものなのだから」[ベンヤミン1995c:356]。
  したがって、以上の二つの意味での「静止状態における弁証法」は、不可分なものとして捉えられる。近代からの覚醒が試みられるためには、無数に存在する歴史の断片を収集することが不可欠である。直線的かつ等質的に進行する単一の歴史に亀裂を入れるには、その伝統を解釈し、自明性を解体しなければならない。それによって得られる歴史の断片とは、これまで抑圧され、隠蔽されてきた存在や出来事である。これらを救出すること無しには、断片の収集は不完全にとどまるのであり、理念の星座を構成することもできない。しかし、先述のように、自明性の破砕によって得られる歴史の屑を拾うという行為が、ほぼ未完結に近いほど困難であるならば、ベンヤミンの歴史哲学は未完の営みである。「寓意家にとって事物とは、その意味を事情に通じた者にだけ明かしてくれるような秘密の辞典の見出し語でしかないのであるから、彼はどんなに事物を集めてもけっして満足しきることはないだろう。というのも、意味とはいかなる種類の反省によっても予見されえず、沈思によってそれぞれの事物から返還要求されうるものであってみれば、それだけにますます、ある事物が他の事物を代理することもありえないことになるからである」[ベンヤミン1995b:137-138]。
  この不断の試みによって、近代という思考の枠組みが相対化されたその瞬間に、根源の歴史への跳躍が可能となる。本章では、ベンヤミンが17世紀のバロック悲劇や19世紀パリのパサージュなど、「世紀」に関して用いた「根源」という概念を、近代という「時代」に関する記述へと転用し、トランスモダンの「作法」を、ベンヤミンのテクストを解釈する過程において示した。「こうした歴史記述は、エンゲルスに倣って言えば、『思考の領域の外へ』出ることを目標とすべきである」[同上:47-48]。「思考の領域の外」とは、我々が依拠する近代的な思考の枠組みの外にほかならない。ただし、たとえ近代の外部に出ることに成功したとしても、根源は生成と共に消滅する。これが、ベンヤミンの歴史哲学の未完結性を示す第二の点であろう。次の時代の「別であり得た可能性」は、その時代の到来と共に見失われる。そして、無垢の出来事から切断された大地には、再び瓦礫が堆積していくのである。

第4章 「待つ」ということ―ベンヤミンと臨床哲学

 トランスモダンの課題は、近代に内包された暴力性や欠陥構造を露呈させ、現状の改善を試みること、そしてこのことと並行して、近代という枠組みの内部を横断しながらそれを相対化し、その外部を模索することである。この二重課題において共通に見られる行為とは、自明性を破壊することであろう。特に、そうした自明性が一種の権力として機能してしまう場合が少なくないのであり、この権力作用は、国家を基礎単位とした個人主義の近代社会において、異質な他者の抹消という役割を果たしてきた。近代国家は、同一化のロジック無しには成立しなかったのであり、逆に言えば、同一化不可能なものを排除することで、それは成立したと言える[今村1994:203]。このような近代的共同体の正当性が承認される条件とは、それに参与する各個人の間に、共同性が成立しているということである。すると、互いに異質な存在である「他者」の集合体は共同体ではなく、個人が他者であり得るという可能性を排除した、互いの「複製」であるような「分身」たちによって、共同体が形成されることになる[鷲田1992:303]。ところが、そこでは個人主義の出発点にあったはずの、譲渡できない自己の固有性が二次的なものとなり、個に対して全体性を先行させるという矛盾が生じる[同上:301]。
 こういった状況を、鷲田清一はファッション論の観点から考察しているが、それが抱えている問題点を見ておきたい。鷲田は、上述の暴力性に抗する可能性を、モードの内部におけるデザイナーに見出そうとする。「S・スーディックは『川久保玲とコム・デ・ギャルソン』(1990)のなかで、たえず否定と解体をくりかえす川久保のピュアでアヴァンギャルドな作業も実際にはモードと資本主義のたえざる変化と自己増殖の過程に従属せざるをえないとしながら、そのモードの論理の先を越すためにこそ川久保は『途方もなく速いイメージの転換』を企ててきたのだと指摘している。それを承けるかのように、1992年秋の『ル・モンド』のコレクション評は、彼女の仕事を『季節風の後、モードの後』がモードとして始まるという逆説として規定し、モードから下りることがいちばんモーディッシュだというモードの現在をそこに読み取っていた」[鷲田1993:138]。しかし、そうしたイメージの転換は、モードそのものや、それに伴う権力作用までも、否定するに至るのであろうか。
 同様の例を、別のデザイナーに対する鷲田の評価の中にも見ることができる。「つまりYYは、記号とイメージの戯れとしてのモードからかぎりなく隔たった場所に立とうとするのだ。しかも、つねに現在でありつづけようとするモードそのものの力によって。このパラドックスのうちに、わたしは、矛盾するイメージをオーバーラップさせ、その折り重なるイメージを透視することで、歴史のなかに埋もれてしまった過去の声を救いだす、YYのあの深い哀悼の意思を見るおもいがする」[同上:155]。こう述べた後で、ベンヤミンの「歴史の天使」に関する記述を引用して、次のように語る。「この強風は、つねに新しい欲望を開発すべく強制してくる現代社会の不可避の論理(モードはその戦略だ)でもある。YYはそれに抵抗する。過去を見つめることによって救済への狭い扉をこじ開けようとする。モードという制度から下りることでモードの新しい地平を切り開こうとする」[同上:157]。
  ベンヤミンの言葉を引用しつつ、そのような解釈を行うことは、果たして妥当と言えるだろうか。ベンヤミンは、「歴史哲学テーゼ」の別の箇所で、次のように述べている。「アクチュアルなものがかつてというジャングルのどこをうろついていようとも、それを敏感にキャッチする嗅覚がモードにはある。モードとは過ぎ去ったものへの虎の跳躍なのだ。ただ、この跳躍は支配階級の権力下にある闘技場で行われる。歴史の自由な空の下でなされる過去への跳躍は弁証法的なものなのであり、マルクスは革命をそのような跳躍として理解していた」[ベンヤミン1995c:659-660]。大量生産・消費・廃棄型社会という構造そのものの自明性が破壊されなければ、真の「虎の跳躍」はあり得ない。つまり、モードの構造自体は、ファッション・デザインの在り方によっては揺るがないのである(1)。
  モードの論理の先を越すとか、モードから下りるとか、そういったレトリックこそ、ベンヤミンの批判の対象にほかならない。一つの流行というのは、同じ商品が大量に生産され流通することで成り立つ。ところが、流行は一時期のものでなければならないのであり、不断に「新しさ」が求められる。すなわち、モードとは、「同一性」と「新しさ」という、一見相反する両者を同時に追求するものであるとベンヤミンは認識し、それを「永遠回帰」の思想に重ねた。一方、ボードレールもブランキも、進歩には無関心であったにもかかわらず、前者は新しいものを探究し、後者は革命あるいは社会改革を目指したという点に、ベンヤミンは、モードを契機とする商品経済と同じ型の矛盾を見た[横張1995:377]。アンチ・モードなどに「新しさ」を求めることも、革命による「新しい」社会を期待することも、「新しさ」という近代的な進歩史観に基づく尺度を共有している。確かにベンヤミンも、「革命」という社会主義の用語を使うが、それは通俗的な意味とは全く異なり、むしろ従来の資本主義と社会主義が共有してきた、進歩史観そのものから解放されることを意味している。
  モードの「新しさ」の追求は、別の意味でも矛盾を抱えている。モードにおいては、新しいシーズンの到来により、前シーズンのスタイルは廃棄されるのであり、そうして「新しさ」が追い求められていく。ここでは、前シーズンと今シーズンとの間には断絶が存在しなければならないのであり、その意味での「新しさ」は、直線的な進歩の理念とは異なる。しかし、モードのこのような行為が成り立つためには、大量生産・消費・廃棄型社会の維持が可能であるという、進歩史観のオプティミズムに依拠していなければならない(2)。モードの論理の先を越すための、途方もなく速いイメージの転換や、モードという制度から下りることでモードの新しい地平を切り開くことなどは、「新しさ」の追求という点では、モードや進歩史観と何ら変わりないのであり、ベンヤミンに言わせれば、「商品経済のファンタスマゴリー」に過ぎないだろう。
 また、鷲田の議論には、「権力」という視点が見られないのも、問題であると考える。彼は、ボードリヤールの『象徴交換と死』に習って、権力がモードを手段として我々の共同意識に介入することはあるとしても、逆にモードはそうした関係の中にも浸潤していき、それを己の一極面に変えてしまうと述べる[鷲田1996:202]。これは、権力によって用いられるイデオロギーに対して、十分に自覚的であるとは言いがたい。権力がモードを利用するのは、単に共同意識を利用して、大衆操作を図るためだけではないのである。日常的な快楽にとらわれて、政治的な営みに対する無関心が進行し、大衆が批判や抵抗を何ら行わないという状況こそが、独裁政治や全体主義の温床となる。モードが政治的イデオロギーを自らに取り込むのは、一種の商業的な戦略がそこに働くからなのであり、それは権力そのものへの批判となるどころか、権力の存在自体を隠蔽し、むしろ権力に加担することになるであろう。鷲田がベンヤミンを引用しつつモード批評を行うのであれば、権力の問題を無視してよいはずがない。「支配する者は、彼らの地位を、血(警察)、たくらみ(モード)、魔術(華美)でもって確保しようとする」[ベンヤミン1993a:232]、これがベンヤミンの認識である。
 しかし、異質性の抹消をめぐる問題の核心は、その先にある。なぜなら、鷲田のファッション論は、共同体の成立における根源的な暴力性に関しては、その議論の対象としていないからである。同一化論は、自らの図式に当てはまるものは許容範囲として承認するが、そうでないものは異物として差別し、差別したこと自体が忘却されるのであり、更には、許容されたものの内部では階層構造が、外部では細かい分類表が作られる[今村1994:222]。排除された犠牲者は、他の人々と無関係どころか、逆にそうした人々の市民的関係の形成因となっているのであり、近代的市民とは、犠牲者との関係を媒介に、排除されなかった幸運なものとして互いに承認しあう人々なのである[同上:218]。近代国家の植民地政策や、通常は肯定的に捉えられる身分差別の撤廃などにおいては、本来は同一化不可能な他者が、同一化の暴力によって均質化され、その異質性を抹消された。そして、その抹消という行為自体が忘却される。同時に、同一化できなかった他者に関しては、共同体の内部では虐待行為として、外部では侵略行為として、不当な差別や抑圧がなされてきたのである。
 このような状況を前にして、その暴力性に抗するための諸実践がなされなければならない。これを考察する上で重要なヒントとなるのが、ベンヤミンの思想である。「抑圧された者たちの伝統は、私たちが生きている〈非常事態〉が実は通常の状態なのだと、私たちに教えている。この教えに適った歴史の概念を、私たちは手に入れなければならない。それを手にしたときにこそ、私たちの課題として、真の非常事態を出現させるということが、私たちの念頭にありありと浮かんでいるだろう」[ベンヤミン1995c:652]。換言すれば、我々にとって非常事態と思われている事柄も、それに対する認識は自明性の中で成立していることが多いのである。むしろ、そうした自明性が確立されて疑う余地が無い状態を破砕することこそが、本当の意味での非常事態を出現させる。そのような認識は、自明性を支える権力装置によって抑圧されたものに対して、目を向けることにおいてのみ獲得される。ここで言う抑圧とは、過去の世代のみならず、我々と共に現在生きている人々にも言えることであり、その犠牲者の存在は、常に隠蔽され、忘却されてきた。
  そうであるならば、異質性を抹消する暴力に抗するための第一歩とは、その暴力性を開示し、それによって抑圧された存在に関する記憶を覚醒させることである。ベンヤミンの言う「解放」や「救済」は、まさにこのような営みを指す。「メシアはたしかに解放者として来るのだが、それだけではない。彼はアンティキリストの超克者としてやって来るのだ。もし敵が勝利を収めるなら、その敵に対して死者たちさえもが安全ではないであろう―この認識にどこまでも浸透されている、その歴史記述者にのみ、過ぎ去ったものの中に希望の火花を掻き立てる能力が宿っている。しかも、敵は勝つことを止めてはいない」[ベンヤミン1995c:649-650]。直線的で等質的かつ連続的な時間意識という「敵」は、その犠牲者である「死者」の痕跡をも抹消しようとするのであり、「敵」は常に勝ち続けている。もちろん、ここで述べられている「敵」という言葉を、特定の主義・主張を示す立場に限定して解釈することは、適切ではないだろう。むしろ、「敵」は我々自身である。上述のように、我々の日常性そのものが、自明性の力によって異質なものを忘却させ、それについての記憶を抹消しようとする暴力に加担しているのである(3)。
  鷲田の議論に、「権力」というものに関する視点が欠けているということは、既に指摘した。しかし、鷲田の臨床哲学そのものに、まさにそうした「権力」を支えるイデオロギーとしての哲学・倫理学から身を引き剥がし、閉鎖的な研究者共同体を脱出することで、社会へとその営みをつなげていく可能性があるように思える。「ホスピタリティは希望のしるしではなく、絶望のしるしだと、ちょっとひねて考えてみることもできるとおもう。どう考えても絶望するしかない、そういう事態から眼を背けず、それを『認める』ところにしか、フムス(腐食土)としての人間(ヒューマニティ)に可能なホスピタリティはないのではないかとおもう」[鷲田1999:257]。これまでの記述からも明らかなように、ベンヤミンの思索にも、一貫して「絶望」が見られる。ベンヤミンにとって、歴史とは根源からの隔たりであり、被造物の凋落という腐蝕の過程である。輝かしい進歩史観という近代のファンタスマゴリーも、アレゴリカーの視線で捉えるならば、それは「廃墟」と化す。しかし、廃墟という絶望においてこそ、従来の自明性の中で隠蔽されていたものが見えてくる。「希望なき人びとのためにのみ、希望はわたしたちに与えられている」[ベンヤミン1995c:184]。ベンヤミンのこの言葉を臨床哲学に即して言えば、絶望によって言葉を失った人々の語りを「聴く」という行為において、その人々に希望が与えられ得る。
  では、「聴く」という行為は、どのようになされるべきなのだろうか。進歩史観においては、未来に向けてひたすら進歩することが目指されるのであり、過去に目を向けること、立ち止まることなどは許されない。また、近代哲学を規定してきた意識の優位性も、認識者の能動性もしくは「語る」ことが中心なのであり、「聴く」ことに見られるような受動性は軽視されてきた。ベンヤミンは、まさにそれらの点に着目する。歴史の連続性を切断するには、まずは足を止めて考え、亀裂を生じさせることが不可欠なのである。この過程では、テロスへ向けての直線的進歩という、「大きな物語」は断念されることになる。そのつど立ち止まって考えるという作法においては、直線的な道をひたすら前に向かって歩むのではなく、むしろ迂回していくことを選ぶ。「今日の我々に必要なのは、目的地へ向かって『直進』することではなく、むしろ『迂回』することであり、時間を短縮することではなく、むしろ時熟するに足る時間を回復することであろう」[野家1992:247]。それは、ベンヤミンがパリのパサージュに見出した、「遊歩者」の視線である。
  「叙述こそ、トラクタートの方法の精華にほかならない。方法とは迂回路なのだ。・・・・・・その第一の特徴は、意図の中断なき進行を断念することにある。根気よく、思考はつねに新たに始まり、そのつど廻り道を経て事柄の核心に立ち戻ってゆく。この不断の息継ぎが、観想の最も特有なあり方なのである」[ベンヤミン1999上:19]。言うまでもなく、ベンヤミンがここで述べている「方法」は、未来の先取りや意識の優位性といった、近代的な方法とは異なる。前章で述べたことをもう一度確認しておくと、ベンヤミンの作法を特権化するなどということがなされてはならない。何らかの方法を特権化した営みにおいては、近代的な方法への批判としての方法と、まさにその方法について語っている者への近代の影響には目を向けないため、それを用いて思索を行う者の枠組み自体は、固定化されてしまうだろう。そして、方法を特権化しないということは、特定の思想家の方法を、道具として「借りる」ということでもない。「借りる」という場合も、自らの基準は固定化されていることになる。そうした点を自覚しつつ、自らの枠組みが変容し得る可能性に備え、迂回を重ねるのである。鷲田の臨床哲学も、同様の作法を重視しているように思える。「ホスピタリティの道は、おそらく適当に休みながら、できればいっしょに休みながら、道草もして、うねうね進むしかないのだろう。が、その過程こそが大事なのだとおもう。この過程をともにすること、このぶらぶら歩きがもつ意味を、その途すがら考えつめること、そこに臨床哲学の道があるようにおもう」[鷲田1999:261]。
  自らの思考の枠組みが変容する可能性が到来する手がかりの一つが、「聴く」という行為にある。「聴く」という受動的な行為は、迂回を重ねることで、従来の自明性が解体されていく過程である。「《臨床哲学》もまたはじめから他者たちのあいだにあることになる。固有の名をもった特異な他者たちのあいだに。ということは、上空飛翔的な非関与的な思考としてではなく、じぶんが変えられるという出来事として」[同上:237]。ベンヤミンについて論じた際に言及した、「静止状態における弁証法」に見られた二つの意味での覚醒の関連性が、ここで改めて明らかになったであろう。つまり、抑圧された記憶を覚醒させるという行為によって、それを行う者の思考の枠組みが揺さぶられ、ファンタスマゴリーからの覚醒の可能性へと導かれる。「絶望している人間にしてはじめて、引用のなかに、保守する力ではなく純化する力を、連関からもぎ取り破壊する力を、発見したのである」[ベンヤミン1996:548]。「廃墟」の認識という絶望を直視する視線が、自明性を破壊するのであり、その破壊の衝撃によって、「希望の火花」が掻き立てられる。ただし、この破壊作用は能動的なものではない。前述のように、「聴く」という行為は受動的である。「苦しみを口にできないということ、表出できないということ。苦しみの語りは語りを求めるのではなく、語りを待つひとの、受動性の前ではじめて、漏れるようにこぼれ落ちてくる」[鷲田1999:163]。
  抑圧され、忘却された存在は、自らが救済されることを待っている。そこでは、「聴く」者も、そうした語りを受動性において「待つ」。それは同時に、語りを「聴く」者の自明性が破壊されることによって、認識の枠組みが変容するという可能性を「待つ」ことでもある。そこで「聴く」者を支えるのは、未来へ向けての直線的で能動的な進歩を自明のものとする進歩史観に抗する、迂回の作法にほかならない。事実、ベンヤミンは、思考する人、待つ人、遊歩者を同列に扱う。「阿片使用者、夢見る人、陶酔した人と同じく、読者、思考する人、待つ人、遊歩者も、啓示を受けた人間のさまざまなタイプである」[ベンヤミン1995c:514]。こうした作法の実践において、日常性に亀裂を生じさせる破壊作用をもたらすことに成功した瞬間に、歴史の連続性が破られ、自らの「別であり得た」可能性への跳躍が実現し得る。それがベンヤミンの言う、「静止状態における弁証法」である。意識の優位性に基づく価値観の意図的な転換という、近代哲学の方法に対して、ハイデガーが「時熟」という言葉で表現したように、自らの変容の可能性は、自明性の解体を不断に試みながら「待つ」という、受動的な姿勢においてしか実現し得ない。「彼は時間をためこみ形を変えて―期待という形で―再び放出する。それは待つ者である」[ベンヤミン1995b:19]。「聴く」ことの力とは、「待つ」ことの力なのである。

おわりに―星屑のパサージュ

  本稿で論じてきた近代の諸側面とそこに見られる問題群の関連性や、これらが共通に前提としてしまっているものを明らかにするためには、具体と抽象の相互補完的なネットワーキングの形成が重要であり、体系や絶対的根拠といった、近代哲学の自明性を解体しなければならない。「起源とテロスの不在」、「無根拠からの出発」を、トランスモダンは掲げる。ただし、近代を批判する「作法」そのものや、それについての語りも、近代に規定されているということは、常に自覚される必要がある。こうした試みにおいて、近代の自明性を破壊することに成功したならば、それは思考の断片として散乱しているだろう。ミクロロジーこそが、トランスモダンを実践する作法である。「太陽が光を失うにつれて、薄明のなかに宵の明星が昇り、夜をもちこたえて輝くように、最後に、あの最も逆説をはらんだ最もはかない希望が、宥和の仮象のうちから姿を現わすのだ。・・・・・・そして、このような最も仄かな光にこそ、あらゆる希望は依拠しているのであり、最もゆたかな希望さえも、そのかすかな光からしか成りきたらない」[ベンヤミン1995c:182]。
  根源の歴史への跳躍は、近代のファンタスマゴリーにおいて果てしなく凋落していく我々にとっては、あまりにもはかない希望であるように思えるかもしれない。それにもかかわらず、トランスモダンは、この不可能を可能にすることを試みる。「もろもろの理念は、啓示という太陽に対して、星なのだ・・・・・・。この星たちは歴史という昼のなかへ輝き出ることはなく、この昼のなかでは、たとえそれと見えぬままに作用している。この星たちは、ただ自然という夜のなかにのみ輝き出る。・・・・・・それはすなわち、救出された夜である」[同上:363、引用に際して敬体を常体に改めた]。昼の光の中では、天空に散らばる星々の光が認識されることはない。しかし、近代という光り輝く昼の自明性が破壊される時、それまで地上に降り注いでいた昼の光は静止する。静止状態という夜の中で、思考の断片としての無数の星屑が救済されるのであり、その配列が根源へのパサージュとなる。すなわち、この無数の星屑から成る星座の明滅の中に、根源が瞬間的に開示されるのであり、その瞬間に、我々は近代の外部という未知の可能性に直面し得るのである。
 

はじめに
(1)[萩原2001]で検討したように、そこで用いられているロジックは、近代社会における進歩史観の様々なヴァリエーションに共通して見られるものでさえある。
(2)従来の応用倫理学の、そのような傾向への問題意識から構想されたものが、[萩原2001]における、「参照枠としての倫理学」である。

第1章
(1)この点に関する私見は、[萩原2000]を参照。
(2)進歩史観についての丸山の考察は、[萩原2001]で扱った。

第2章
(1)この点に関する私見は、[萩原1999]を参照。
(2)三島憲一も、同じ観点に立っている。「真に自分の未来と、未来における死を見つめて過去からの可能性を引き受け、『<自分の時間>へ向けて瞬間的である』存在者・・・・・・のみが、過去において可能であったこと、つまり、ハイデガーの場合は、形而上学によって覆われる前の、永遠の生成の原理を内在させているようなギリシア的自然の取り返しを可能にしている」[三島1998:425]。更に加藤尚武の解釈も、同様である。「人間はつねに先のことが気になってならない。・・・・・・それは人間の基本的なあり方にほかならない。私たちは将来を考え、老後を思う。そして、その未来の究極には『死』が待ち構えている。・・・・・・それは『死』という未来のある時点から、時間を逆方向に見て、いま生きている自分に向かって自分をとらえているということにほかならない。先取りされた『死』の時点から、自分をもう一度見直したときに、そこに自分の全体性が見えてくるとハイデガーは言う」[加藤1997b:90-91]。
(3)ハイデガーの解体作業の狙いは、本来性の反復において、その試みに成功した認識者自身の枠組みも、変容してしまう可能性に対して開くことにある。このことは、「カール・ヤスパースの『世界観の心理学』に寄せる論評」において、明確に論じられている。「根本態度の持つ本質的な点は、それ自身を、まさしくその根本態度をいかに貫徹するかという、その仕方の内に表明している。批判的動向をいかに遂行するかというこの仕方はいつでも、解体を通してそれ自身を更新するという仕方での摂取同化ということに仕えている。その批判は、本来の意味での現象学的批判である」[ハイデガー1985:9、引用に際して語句を改めた]。
(4)ハイデガーは、現実よりも可能性にこそ、積極的な意味を見出している。「現実性よりも高いところに、可能性が立っている。現象学の理解は、ひとえに、現象学を可能性としてつかみとることのなかにある」[ハイデガー1994上:99-100]。
(5)本来性が非本来性と等根源的である以上、非本来的な現存在の変容の可能性は、伝統の連続性ゆえに保証されていると言えるのであり、同時に、その伝統自体が、根源的な存在経験の隠蔽ももたらしているのである。
(6)ここで思い出されるのが、丸山眞男が主張した「古層」であろう。それ自体は取り出せないが、歴史の「通奏低音」として響いている「古層」は、日本精神への回帰という、伝統の保守に関するイデオロギーと結びつく可能性があること、そして丸山がこの議論を行った背景にも、日本の主体性というナショナリズムが存在していたことは、既に前章で述べた通りである。同様に、ハイデガーの言う根源的な存在経験に関する言及は、本来性の取り戻しという主張が通俗的な意味へと変容する中で、彼自身も加担したナチズムのイデオロギーに結びついた。下記のような記述は、容易にイデオロギーへと転化し得る。「ともどもに同一の大義に尽力するという共同の使命感は、各自がみずから選びとった現存在にもとづいて規定されているのである。そしてこの本来的な連帯性があってはじめて、相手をその自由性において彼自身のために明け渡すまっとうな即事性も可能になるのである」[同上:268]。「現存在の経歴は共同経歴であり、共同運命という性格をおびるのである。それはすなわち、共同体の運命経歴、民族の経歴のことである。・・・・・・個々人の運命は、同一の世界の内での相互存在において、そして特定の可能性への覚悟性において、はじめからすでにみちびかれていたのである。その共同運命にそなわる威力は、相互の伝達と戦いとのなかで、はじめて発揮される。おのれの《世代》のなかでの、かつおのれの《世代》と共にする現存在の運命的な共同経歴こそ、現存在の十全な本来的経歴をなすのである」[ハイデガー1994下:326]。
  ハイデガーにとって現存在とは、上記のように共同存在であるが、日常においては、むしろ頽落した非本来的様態にあるのであり、不安に直面することによる現存在の単独化が、非本来性の変容の可能性へともたらす。「各自の自己と相手の自己は、おのれをまだ見いだしていないか、それともすでに失っている。世間は、非自立性と非本来性の様相で存在している」[ハイデガー1994上:279-280]。ハイデガーは、非本来的な現存在が本来性に対して開かれ得るには、決断こそが不可欠であると言う。「選択の取りかえしをつけることは、この選択をみずから選択することであり、おのれの自己にもとづいて、ある存在可能へ決断することである。選択を選択することにおいて、現存在ははじめて、おのれの本来的存在可能をおのれのために可能にするのである」[ハイデガー1994下:97]。
  しかし、現存在は共同存在である以上、非本来性の変容は、単独化された自己においてのみ起きるものであってはならないことになる。「本来的な自己存在とは、世間から離脱した主観の例外的な状態に宿るものではなく、ひとつの本質的な実存範疇としての世間を実存的に変容することなのである」[ハイデガー1994上:283]。つまり、決断によって、「ともどもに同一の大義に尽力するという共同の使命感」が実現されなければならないのである。そういった認識がイデオロギーへと転化するということは、決して過去の問題になったわけではない。例えば、近年のナショナリズムは、戦後民主主義の市民社会における「公共性」を、一種の「頽落」として否定し、一方で、「死への覚悟」による国家に対する忠誠を、「国民共同体」の義務として規定している。

第3章
(1)「再構成」が抱える問題は、「哲学とは何か」という問いがなされる場合にも言えることであり、その思索における結論が、あらかじめどこかに存在するという前提がある。そうした結論へ向けての思索においては、それを行う当人の思考の枠組みは自明のものとされ、絶対化されてしまう。
(2)同じくトランスモダンを提唱する鷲田清一も、アドルノの言葉を参照しつつ、次のように述べる。「『エッセイの行き方は方法的に非方法的である』―これがその宣言である。エッセイは・・・・・・始原からじぶんを組み立てたり、終極に向かって環を閉じようともしない。ひとつの理念ですべてを囲い尽くそうとすることの、あるいはすべてを見透かそうとすることの思い上がりに敏感なのだ。そしてそれゆえに、官僚のようにじぶんの用いる概念の定義にばかり拘泥している論証主義的な思考や、その『すべてを網羅することにあくせくしているみみっちい方法』よりも、はるかに緊張感のある足どりで、前進というよりぐるぐる回りをする」[鷲田1999:42]。また、今村仁司も、トランスモダンにおける「非方法」について論じている。「純粋主義が方法主義にいきつくのだとすれば、不純と異質をめざす受容的理性とエセー的思考は、非方法の道をたどるであろう」[今村1992c:267]。ちなみに、ここで今村が用いている「方法主義」という言葉は、近代的な方法を指している。
(3)確かに鷲田には、この点に関する言及もある。「方法主義批判をもっと単純なことばでいいかえると、なにかを『哲学的に』考えようとするとき、まず方法をきちんと決めてから、というやりかたに制限をくわえなければならないということである。方法は、ある意味では対象のほうが強いてくるものだ。あるいは、対象との接触のなかではじめて見えてくるものである」[鷲田1999:32]。このような認識から、「非方法」が語られることになるが、方法をあらかじめ確立することについては批判的であっても、そうした近代的な方法論への代替案として掲げられる「非方法」に関しては、その方法と、それを語る当人に対する近代の影響が無視されている。
(4)星座が「永遠不変」であるというのは、それが固定化されたものであることを意味するのではなく、むしろそのつど新たな状況布置を形成するものとして捉えられるべきであろう。アリストテレスの「種」が個々の「動物」に内在しつつ、現象の生成と消滅を超えて「永遠的」に再生産されるのと同様に、星座は、諸構成要素の有限的な性格を超えて永遠的に再生産され、持続するのである[今村2000:29]。
(5)ところが、今村仁司は、「歴史哲学テーゼ」におけるベンヤミンの作法について、次のように記している。「認識の端緒としての切断、すなわち『いま−こそ−その−とき』という瞬−視の決断(知の面と行為の面での)は、認識するものが過去へと向かうパサージュであり、可能態の過去がそこを通って到来するパサージュである」[同上:164]。それに対して、本章で引用した、ベンヤミンには「決断」という主体的な側面はないという三島憲一の言及は、同様に「歴史哲学テーゼ」を主題として論じられた箇所であり、両者の見解の相違は明らかであろう。では、この点についてベンヤミンはどのように述べているのだろうか。「こうした事態は、賭け金をなるべく最後の瞬間に賭けるという賭博師の習慣に反映している。これはまた同時に、純粋に反射的な反応の余地しか残されていない瞬間である。こうした賭博師の反射的な反応では、偶然を『解釈』している暇はない」[ベンヤミン1994:205]。「迷信深い人は、なんらかの暗示に注意を向ける。賭博師はそれに注意を払う以前に反応する」[同上]。ベンヤミンは、前出の遊歩者やアレゴリカーなどに近いものとして、賭博師を位置づける。「最後の瞬間に賭ける」という点ではハイデガーと同様であるが、それが「純粋に反射的な反応の余地しか残されていない瞬間」であり、「偶然を『解釈』している暇はない」のなら、「いま−こそ−その−とき」という「決断」に基づく、主体的な反応はあり得ないはずである。「決断」の主体的な反応は、ベンヤミンの言う「反射的な」反応と相容れない。そのような決断こそ、今村が批判する、意識の優位性なのではないだろうか。
  ベンヤミンは、次のようにも述べる。「こうした反射的反応が生じなかった場合にのみ、『来たるべきもの』がそれとして明確に意識されるようになるのである」[同上:205-206]。「来たるべきもの」が意識されるのは、ベンヤミンが拒絶する、進歩史観に基づく直線的で等質的な時間概念においてである。「賭博師によって準備されるのは、それとして彼の意識に上らなかったような未来のみである」[同上:206]。かつて今村は、本来的にあり得ることへと決断的に先駆するという初期のハイデガーの態度は、「近代精神の権化」であると述べた[今村1994:82]。まず、ハイデガーの時間意識に対する今村の批判が適切でないことは、前章で論じた通りである。次に、確かに今村は、ベンヤミンの作法が未来の先取りとは相容れないものであることを、様々な機会に言及しているが、そこに「決断」という主体的な要素を見出すのであれば、それは初期のハイデガーに近い立場に立つことになるのではないだろうか。そして、その立場は、「反射的な」反応以外では未来の先取りが行われているという、ベンヤミンの見解とは異なる。
  更に、「決断」について今村は、「可能態の過去がそこを通って到来するパサージュ」と規定するが、ベンヤミンにおいては、「可能態」という言葉は必ずしも肯定的な意味ではないという点にも、言及しておきたい。「神の国は、歴史的な可能態の最終目標ではない。神の国を目標として定めることはできないのだ。歴史的に見るなら、神の国は目標ではなく、終わりである」[ベンヤミン1999下:223]。ここで言う「神の国」とは根源を指すのであり、それが人間の認識能力を超えた概念であるがゆえに、神学的な言葉で表現されるのであろう。アリストテレスが「可能態」という言葉によって、形相という目的にまだ達していない質量を示したように、この表現においては、まだ現実化していなく、可能性にとどまっているものが、現実的なものへと発展していくということが想定される。しかし、未来において現実化するであろうテロスという想定自体を、ベンヤミンは拒絶する。「神の国」としての根源は、目標として定められるようなものではなく、我々が自明のものとする思考の枠組みが「終わり」を迎え、その変容の可能性に対して開かれ得るということを指しているのである。ハイデガーの言う「死への先駆」も、現在の思考の枠組みが、可能性としての「死」という「終わり」に達することに備えるという意味で捉えるならば、ベンヤミンと近い位置にあることになるだろう。ただし、ハイデガーの場合、そこで「本来性」を掲げ、「決断」という側面を重視しているという点に問題があることは、前章で述べた通りである。

第4章
(1)このことは、鷲田自身も自覚しているはずであり、本章で引用したモード批評と同じ著作の中には、次のような記述もある。「トレンドとしてのエコロジーは、その暗さをアース・カラーのヴェールで覆い隠してしまう。エコロジーを思想ではなく、イメージやムードに還元してしまう。だから表層的なエコロジー感覚でエコロジーを貫徹できると想像するのは、自然環境との関係を容易に制御できると考える点で、むしろ反(あるいは非)エコロジカルな態度をいまなお引きずっていると言わねばなるまい」[鷲田1993:207-208]。エコロジーをコンセプトとしたファッションが環境問題を気分的なものに解消していると批判する鷲田だが、本章で取り上げた部分では、「つねに新しい欲望を開発すべく強制してくる現代社会」への抵抗をイメージやムードに還元して、背後にある大量生産・消費・廃棄型社会の構造を捉えようとせず、気分的なもので問題が片づくかのように論じている。
(2)この点については、[萩原2000]で論じた。
(3)そうした問題の深刻さを顕著に表しているのが、次の言葉であろう。「忘却から吹きつけてくるのはひとつの嵐なのだ。そして勉学とはこの嵐に逆らっての騎行なのである」[ベンヤミン1996:160]。ベンヤミンの認識に反して、現状においては大半の学問が、逆にこの「忘却の嵐」として機能してしまっている。例えば、哲学・倫理学の営みは、自明性を不断に解体するという自己吟味からかけ離れ、単に研究業績を上げたり、既存の思想に追従することで自己満足を得たり、といった、「パズル解き」へと堕落する。また、特定の価値基準を絶対的なものとして掲げ、それが無批判なままに安易に法制化される一方で、そうした現状を放置して、現実の社会とは無関係な、研究者共同体という閉じた空間での空虚な知的営みが、これまで展開されてきた。そのような現状に疑問を持つのであれば、「忘却の嵐」に抗する学問が求められるはずである。「過去はある秘められた索引を伴っていて、それは過去に、救済への道を指示している。・・・・・・私たちが耳を傾けるさまざまな声のなかに、いまでは沈黙してしまっている声の谺が混じってはいないだろうか」[ベンヤミン1995c:646]。
 

参考文献

今村仁司(1991)「序―モダンの横断」、[今村仁司編1991]所収。
        (1992a)「エポックとしての近代―〈序〉」、[今村仁司編1992]所収。
        (1992b)「空間の再発見」、[今村仁司編1992]所収。
        (1992c)「雑種の精神」、[今村仁司編1992]所収。
        (1994)『近代性の構造 「企て」から「試み」へ』講談社。
        (1995)『ベンヤミンの〈問い〉 「目覚め」の歴史哲学』講談社。
        (2000)『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』岩波現代文庫。
今村仁司編(1991)『格闘する現代思想 トランスモダンの試み』講談社現代新書。
     (1992)『トランスモダンの作法』リブロポート。
岡野昌雄、田中敦編(1986)『古典解釈と人間理解』山本書店。
加藤尚武(1997a)『進歩の思想 成熟の思想』講談社学術文庫。
        (1997b)『20世紀の思想 マルクスからデリダへ』PHP新書。
櫻井進(1998)「定義集 歴史意識の『古層』」、[野家啓一編1998]所収。
高田珠樹(1996)『ハイデガー―存在の歴史』講談社。
武田清子編(1984)『日本文化のかくれた形』岩波書店。
田中敦(1986)「ハイデッガーにおける被投性の問題」、[岡野昌雄、田中敦編1986]所収。
   (1991a)「終わりと時間性―ハイデッガーの『死への存在』の一解釈―」、『日本の神学』第30号。
   (1991b)「初期ハイデッガーにおける言語と思惟の問題」、『人文科学研究 キリスト教と文化』第23号。
   (2000)「歴史哲学の意味と可能性について―ヘーゲルとハイデッガーにおける歴史の問題と哲学の方法―」、『人文科学研究 キリスト教と文化』第31号。
野家啓一(1992a)「直進する時間 時計仕掛けの進歩」、[今村仁司編1992]所収。
        (1992b)「反歴史哲学」、[今村仁司編1992]所収。
        (1992c)「方法の外部 漂流の技法」、[今村仁司編1992]所収。
        (1992d)「未来の廃墟」、[今村仁司編1992]所収。
        (1993)『無根拠からの出発』勁草書房。
野家啓一編(1998)『岩波 新・哲学講義8 歴史と終末論』岩波書店。
萩原優騎(1999)「トランスモダンのナラトロジー」、『わたらせ川』第5号。
    (2000)「モードの呪縛―ファッション論から考える近代社会の思想と構造―」、『国際NGOを考える』第7号。
        (2001)「参照枠としての倫理学を求めて―ネットワーキング論の試み―」、『現代文明学研究』第4号。
細見和之(1996)『アドルノ―非同一性の哲学』講談社。
丸山眞男(1961)『日本の思想』岩波新書。
        (1983)『日本政治思想史研究 新装版』東京大学出版会。
        (1984)「原型・古層・執拗低音 日本思想史方法論についての私の歩み」、[武田清子編1984]所収。
        (1986)『「文明論之概略」を読む(上・中・下)』岩波新書。
        (1992)『忠誠と反逆 転形期日本の精神的位相』筑摩書房。
三島憲一(1998)『ベンヤミン―破壊・収集・記憶』講談社。
村上陽一郎(1980)『日本人と近代科学』新曜社。
横張誠(1995)「解説」、[ヴァルター・ベンヤミン1995a]所収。
鷲田清一(1992)「分割の装置 分身たちの共同体」、[今村仁司編1992]所収。
        (1993)『最後のモード』人文書院。
        (1996)『モードの迷宮』ちくま学芸文庫。
        (1999)『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』TBSブリタニカ。
マルティン・ハイデガー(1985)辻村公一、ハルトムート・ブフナー訳『ハイデッガー全集第9巻 道標』創文社。
                      (1994)細谷貞雄訳『存在と時間(上・下)』ちくま学芸文庫。
ヴァルター・ベンヤミン(1993a)今村仁司、三島憲一他訳『パサージュ論―I パリの原風景』岩波書店。
                      (1993b)今村仁司、三島憲一他訳『パサージュ論―IV 方法としてのユートピア』岩波書店。
                      (1994)今村仁司、三島憲一他訳『パサージュ論―III 都市の遊歩者』岩波書店。
                      (1995a)今村仁司、三島憲一他訳『パサージュ論―II ボードレールのパリ』岩波書店。
                      (1995b)今村仁司、三島憲一他訳『パサージュ論―V ブルジョワジーの夢』岩波書店。
                      (1995c)浅井健二郎監訳、久保哲司訳『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』ちくま学芸文庫。
                      (1996)浅井健二郎編訳『ベンヤミン・コレクション2 エッセイの思想』ちくま学芸文庫。
                      (1999)浅井健二郎訳『ドイツ悲劇の根源(上・下)』ちくま学芸文庫。

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