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作成:森岡正博 
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エッセイ

『ちくま』384号 2003年3月 8-9頁
ウィトゲンシュタインとポパーのどっちも好きだけど、本人には会いたくない
森岡正博


 筑摩書房から、新刊『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い一〇分間の大激論の謎』という本を送ってもらった。なんでも、いまをさかのぼること六〇年前、一九四六年のケンブリッジ大学の討論会にて、ウィトゲンシュタインとポパーが初対面。しかし、講師のポパーが話し始めるやいなや、ウィトゲンシュタインがそれを遮り、両者のあいだで火花が散り、興奮したウィトゲンシュタインは暖炉にあった「火かき棒」を振り回したというのだ。ポパーが、「そんなものを振り回して講師をおどすな」と言うと、ウィトゲンシュタインは「火かき棒」を捨てて部屋を出ていってしまった。
 映画の一シーンのようなこの出来事を、二人のジャーナリストが、あらゆる角度から徹底的に調べ上げて、読み物に仕上げたのが、この本なのだ。彼らのエピソードや、名だたる有名人たちの反応は、このうえなく面白い。ひさびさ読んだ、哲学エンタテイメントの傑作という感じである。「言語ゲーム」や「反証可能性」についての解説も、分かりやすい。
 まあ、当然のことだろうが、著者たちはあきらかにウィトゲンシュタインのほうに肩入れしている。やっぱり、おもしろさが違うからね。私もまた、この本を読んで、再度ウィトゲンシュタインに惚れ直したというわけ。学者という枠のなかで最高点にまで到達したポパーと、その枠そのものを飛び出てしまったウィトゲンシュタイン。やっぱり、後者のほうがおもしろい。
 余談だが、私はポパーを目の前で見たことがある。もうかなり昔のことだが、彼は一九九二年に京都賞というのをもらっていて、その授賞式を私は見に行ったのである。目の前に現われたのは、意外なくらい小柄な老紳士で、拍手する観客に向かって両手をひらひらと振っていたのが印象的だった。
 でも、この本によると、この好々爺も、なかなか食えない人物だったようだ。とにかく攻撃的。論争のスタイルは、「論敵の主張をねんいりに補強する。そうしておいて核心のところで崩壊させるのである」というのだからたちが悪い。もしポパーのことばを不正確に引用しようものなら、きびしく問い詰められ、「まちがいをみとめて謝罪するまでは解放されない」というわけだ。そんなポパーは、ウイーンの大富豪の息子であるウィトゲンシュタインを心底嫌っており、その学説も軽蔑していた。これが「火かき棒事件」のひとつの伏線。
 いっぽう、ウィトゲンシュタインのほうも、けっして負けてはいない。ケインズの妻のリディアが、ウィトゲンシュタインに「なんて美しい樹でしょう」と言ったら、ウィトゲンシュタインは、その言葉は「どういう意味ですか」と問い詰めて、彼女を泣かせてしまったらしい。「ひとの弱点をみつけだして、それを欠陥として攻撃する能力」は、右に出る者がいない。彼もまた攻撃的であり、小学校教師時代には、子どもたちの頭や耳を殴るのをためらわなかった。生徒の頭を平手打ちにしたという記録も残っている。ウィトゲンシュタインも、ポパーの学説を軽蔑していた。ポパーの学説の中には、なんの「哲学」も含まれていないと考えていた。そもそも、この二人の「哲学」観には天地の開きがある。これが、もうひとつの伏線。
 このふたりが、ケンブリッジで対面する。すでに学界の著名人であったウィトゲンシュタインに対して、年下のポパーはイギリスで一旗あげようとやる気満々で乗り込んで来ている。ウィトゲンシュタインのほうは、基本的に、やる気がない。ポパーは講演開始と同時に激しく挑発する。目をむくウィトゲンシュタイン。あとは想像に難くない。しかし、彼らのことを本で読んで知っているだけで、ほんとうによかった。もし彼らが同時代に活躍していたとしても、けっして知り合いにはなりたくない。そのことを私は深く確信してしまったのであった。