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第一章 いま脳死を再考する

第1節 脳死の真実

いま脳死を再考する意味  

 ・・・(いきなり中略)・・・

 ヨーロッパ諸国やアジア諸国も、アメリカ合衆国と同じような立法を、一九七〇年代から八〇年代にかけて成立させた。ところが、これらの中で、脳死に関する「国民的な議論」が勃発したことによって、脳死に関する立法が遅れた国が存在する。デンマーク、ドイツ、日本の三国である。まずデンマークでは、一九八七年より脳死をめぐる大きな国民的議論が沸き起こった。一九八九年に、デンマーク倫理委員会は、脳死を人の死とせずに臓器移植を可能とする提案を行なった。委員会の一九八九年のレポートは重要なので、詳しく見てみたい。

 委員会は、脳死が人の死であるという考え方を否定する。なぜなら、死の基準は、それぞれの文化の中で人々が共有している「日常的な」死の経験に近いものでなければならないからである。人々の日常的経験は、科学的知識とは異なるものである。日常的経験においては、「ひとperson」のアイデンティティは、意識ある精神と肉体的な機能の統合体として把握されている。すなわち近親者にとっては、肉体と精神の双方が、「ひと」のアイデンティティを形成している。だから、脳は死んでいても人工呼吸器のおかげで呼吸と心臓の鼓動が続いている状態、すなわち身体が暖かくて通常の色つやをしている脳死状態では、死のプロセスはまだ終了していないのである。

 委員会は、このような理由から、「ひと」の死は「脳死」によって始まり、心臓と呼吸の不可逆的停止によって終了するとした。そして、本人あるいは家族の同意がある場合には、死にゆく脳死の人から合法的に臓器摘出ができるとしたのである。これは、日本の脳死論議においてよく議論された「違法性阻却論」に当たる考え方である。しかしながら、デンマーク国会はこの委員会報告を否決し、それにかわって、脳死を人の死とする脳死法を一九九〇年に制定したのであった(5)。

 ドイツは最近まで脳死法を持っていなかったが、すでに一九八〇年代から脳死の人からの移植を行なっていた。ところが、一九九二年に妊娠四ヶ月の女性が脳死となり、この女性の体内で胎児は生き続けた。だが、約一ヶ月後に流産となり、女性の生命維持装置ははずされた(エアランゲン妊婦のケース)。この事件をきっかけにして、妊娠を継続できる人間が果たして死んでいると言えるのか、女性の身体が保育器代わりに用いられたのではないかなどの国民的な大議論が起きた。その後、一九九七年にドイツの連邦議会で、脳死を人の死とする法律が制定された。その際に同時提出された「脳死を前提としない移植法案」に対して、六二六票中二〇二票の賛成があった。国会議員の約三割が、脳死を人の死としない案に賛成したという事実は、ドイツにおいても根強い脳死反対論が存在することを意味している(6)。

 日本では、一九六八年の和田寿郎による心臓移植が告発されてから、一九八三年までのあいだ、脳死はタブーになっていた。一九八五年に脳死判定基準(竹内基準)が発表されると、「脳死は人の死か」どうかをめぐって国民的な大議論が起きた。中島みち『見えない死』(一九八五年)、立花隆『脳死』(一九八六年)がベストセラーとなり、メディアの関心が集中した。一九九二年、脳死臨調が脳死を人の死とする最終答申を作成したが、同時に、脳死を人の死としない少数意見を併記して注目を浴びた。一九九七年、脳死を人の死とする法案と、脳死を人の死としない法案が衆議院に同時提出され、紆余曲折を経て、現行の臓器移植法が制定された。これは、脳死判定と臓器摘出について本人の意思表示があり、家族がそれを拒まないときに限って、脳死判定を行なって人の死とし、臓器を摘出できるとしたものである。臓器移植の意思表示があるときに限って、脳死を人の死とするという、世界的にもユニークな法律となった(7)。二〇〇〇年に、現行の臓器移植法の見直しが始まった。臓器移植法が改正される可能性もある(8)。

 ここで、以下の三点を確認しておきたい。

 第一に、ほとんどの国において、脳死に関する一般市民を巻き込んだ国民的議論は行なわれていないということ。また、大きな国民的議論が行なわれた三つの国では、脳死を一律に人の死とみなすことへの根強い疑義が表明されたこと。

 第二に、それにもかかわらず、脳死を人の死とみなして臓器移植を可能にする法律あるいはそれに準ずる規約が、これらの三国をも含む多くの国で制定されたということ(例外はイスラム諸国や第三世界諸国)。

 第三に、一九八三年から一九九七年までのあいだ、日本は多様な一般市民を巻き込んで、世界でもっとも濃密な脳死論議を行なった国であるということ。一五〇冊を超える脳死本が刊行されており、そのほとんどが一般読者を対象としたものである。英語で出版された脳死本の数ははるかに少なく、かつそのほとんどは専門書である。二〇〇一年三月時点で検索したところ、タイトルに「脳死」を含む日本語の書籍は一七一冊、そのうち現在書店で購入できるものは一四二冊である。これに対して、タイトルに「brain death」を含む英語の書籍は一七冊、そのうち現在書店で購入できるものは九冊である。日本の脳死論議は、世界でも最先端の議論をしてきた(9)。言語の壁があるので、海外にはほとんど紹介されていない。その一部は、第2節で紹介する。

 世界的に見たとき、ほとんどの国では「脳死問題」はすでに「終わった」問題として処理されている。そのなかで、デンマーク、ドイツ、日本で執拗な脳死論議がなされた。なかでも、この問題に対する日本のこだわりは一種異様であり、突出した議論の深まりを達成している。議論が低調だったアメリカ合衆国において、一九九〇年代の半ばから、生命倫理の専門家のサークル内部で脳死論議が再燃し始めてきた。一九八〇年代から九〇年代にかけての、日本の脳死論議を振り返って再検討することによって、われわれは新たな生命倫理の扉を開くことができるであろう。また、この作業は、世界の生命倫理の議論に対しても、重要な貢献をなすことになるはずである。

 アメリカ合衆国をはじめとする先進諸国は、一九七〇年代から八〇年代にかけて、「脳死は人間の死である」という前提で脳死法を作成し、臓器移植のシステムを作り上げた。ところが、一九八〇年代半ばから九〇年代にかけて、「脳死状態」の医学的解明が進み、以前には考えられなかったような驚くべき事実が明らかになってきた。

 そこで、まず第1節において、脳死の医学に関する最新の情報を整理し、移植先進国であるアメリカ合衆国で起きてきた新たな脳死論を概観する。これからの脳死論は、以下に述べる知見をもとに再構築されなければならない。

 ついで、第2節において、一九八〇年代から日本で蓄積されてきた脳死論議の中から、いわゆる「二人称の死」の問題を取り上げて、詳しく吟味する。この論点にこそ、日本の脳死論議のオリジナリティの核心部分が宿っていると思われるからである。

 さらに、第3節において、これまでほとんど議論されることのなかった「脳死の存在論」について考えてみたい。序章で述べた私の体験が意味するものについても、掘り下げてゆくつもりである。

 これら、次元の異なる三方面から脳死を再考することによって、生命学のいくつかの課題が明瞭に浮かび上がってくるはずだ。

 

(続く)

 

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