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作成:森岡正博 
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エッセイ

(未発表)2002年7月11日
佐原真さんの想い出
森岡正博

 考古学者の佐原真さんが、二〇〇二年七月一〇日に亡くなった。七〇歳であった。
 佐原さんとは、一年前と二年前の春に、ある会議でお会いした。まったく研究分野は違うし、ほんの短い時間しかご一緒していない。しかし、私はとてもよい出会いをもったのだった。佐原さんが、肺ガンのため亡くなったという記事を新聞で目にしたとき、喪失感に襲われた。
 実は、私は佐原さんのことを以前に何度もお見かけしたことがあった。私の昔の職場は国際日本文化研究センターというところなのだが、そこで開催される研究会によく彼が招待されていたからだ。そのころ私は研究センターで助手であり、研究会の会場整理とか、懇親会の設定などの、裏方の作業をやっていた。たまに場違いな研究会に出席を命じられることもあり、おしゃべりな私は、そういう場でずけずけと発言していたりしたのであった。しかしながら、国際日本文化研究センターでは、佐原さんと一度もお話ししたことはなかった。懇親会などでお見かけするチャンスもなかった。いわば雲の上の人だった。
 二年前の春に、信濃で行なわれたある会議に私は出席した。参加者は数十名にのぼったが、みな同じホテルに宿泊した。そのなかに佐原さんがいた。会議場で、彼の講演と長い質疑応答を聴いた。佐原さんが考古学について語るとき、彼の全身から、よろこびが溢れていた。そういう表現しかできないけれど、もう、何か、考古学のことを考えていること自体が、至上のよろこびであるという感じなのだった。そのわくわく感が、あたり一面に放射されている感じだったのだ。研究をすることが、ここまで楽しいというのは、いったいどういう境地なのだろうと感嘆した。佐原さんのお話を聞いているだけで、こちらまで力づけられるのだ。
 この日、私ははじめて佐原さんとお話しすることができた。それは、会場から駅まで移動するためのバスに乗ったときのことであった。私が席に座っていると、突然佐原さんが、私の隣に乗り込んできたのである。そして、少しお話ししていいですかと尋ねてきた。私はびっくりしてしまった。佐原さんは言った。「実は、私はあなたのことを覚えているのです」と。彼は、もう一〇年も前の国際日本文化研究センターの研究会で、私が誰かに向かって発言した質問をよく覚えていると言うのだ。私がそのとき口にした批判は、とても面白かったと佐原さんは言った。私はあせった。なぜなら、私は研究会での自分の発言のことを、まったく覚えていなかったからである。佐原さんは、あなたの意見が聞きたいと言って、戦争と平和について語り始めた。人類はいったいいつから戦争を始めたのか。人間はなぜ戦争をするのか。彼は、考古学的な事実を説明してくれた。戦争の定義の難しさについても教えてくれた。しかし、人間の心理や社会の要因までは分からない。佐原さんは、そのように言って、あなたは戦争についてどう思うかと質問してきた。
 私は、ほとんど何も答えられなかった。ただ佐原さんの怒濤のようなお話を聞くだけで精一杯だった。佐原さんは、自分の集中している話を開始すると、もう世界がそれ一色になるようだった。まわりで何が起きているのかすら、まったく目に入らないようであった。その没入の仕方は尋常ではなかった。話題は、戦争から、土器の採取と保存へと移った。こうなると、もう私は一方的にお聞きするだけであった。この、すごい濃密な時間。バスは終点に着き、佐原さんは、議論してくれてありがとうという意味のことを言って立ち去った。予期に反した突然の襲来と、撤収。鮮烈な体験だった。
 私はこの会議中に、佐原さんをよく観察した。佐原さんは、すごい人物である。駅でバスガイドの女性が、乗客の子どもさんに「バイバイ〜」と手を振ったとき、佐原さんもそれにつられて「バイバイ〜」とバスガイドに向かって手を振った。私がホテルのプールに入っていると、佐原さんがあとから入ってきて、ばた足でぼちゃぼちゃ泳いでいたが、彼の身体には子ども用の浮き輪が、何個も装着されていたのだった。そのうちの一個は水着の中に押し込んであった。会議場はみんな靴を脱いで入るのだが、会議が終わったとき、佐原さんは自分の脱いだ靴を一瞬きょろきょろと探していたが、すぐにあきらめて、裸足のまま会場を出ようとしたのであった。会議中、彼の上着にはワイヤレスマイクが装着されていたのだが、彼は何か手に持ったほうがしゃべりやすいというので、ワイヤレスマイクの発信器のアンテナの付いた黒い箱(筆箱みたいな形状のもの)をずっと口の前に当てて発言していた。自分の声は、上着のワイヤレスマイクからきれいに拾われているのに、それにもかかわらず何の意味もない黒い箱をずっとマイクのように口に当てて鋭いコメントをしゃべり続ける佐原さん。すごいと思った。
 一年前の会議では、レストランで佐原さんと一緒になった。数人でしゃべりながら食事をした。文字はいつ発生したのかという話題になった。佐原さんは、それについては面白い学説があると言って、紹介してくれた。そのうちに、突然彼がいなくなった。しばらくすると、彼は書籍のコピーを持って現われた。自室まで戻って、資料を取ってきてくれたのだった。その学説はとても興味深かったが、それよりも、わざわざホテルの自室にまで戻ってわれわれに延々と説明してくれる佐原さんの姿に、私は何よりも感銘を受けたのだった。
 佐原さんが全身から発しているメッセージ、それは、自分の好きな研究をすること、そして研究について他分野の人間とコミュニケーションすることが、わくわくするほど楽しいということだ。ほんの短い時間をご一緒しただけであるけれど、私は佐原さんと出会えて幸せであったと思う。研究者として、そして人間としての大きさを実感することができて幸福だった。またどこかでお会いできるものと思っていたがゆえに、佐原さんの死は実感を持って受け止められない。佐原さん、よい時間をありがとうございました。