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作成:森岡正博 
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コラム

『京都新聞』2002年6月15日 朝刊
スポーツと国歌
森岡正博

 ご多分に漏れず、ワールドカップに釘付けである。各チームが本気でやっている試合を、連続して見ていると、これが本当のサッカーなんだと目から鱗が落ちる。
 試合が始まる前には、双方の国歌が流れる。選手たちは、グラウンドに並んで、その国歌を聞くことになる。日本戦で、その様子をチェックしてみたら、ほとんどの日本選手が口を動かしていた。ずいぶん以前に、口を閉ざしている選手がいて、一部で物議をかもしたことを考えると、いろいろな感慨に襲われる。
 国歌斉唱について、議論が高まったことがあった。日本人なのに、国歌を歌わないのは非国民だという非難もあった。国歌を誇りを持って歌わないのは、日本人だけだという意見もあった。たとえば米国を見よ。あの国では、国歌を歌わない選手などいないではないか、というわけだ。
 そのときは、なるほどなと思ったのだが、その後米国で一年ほど暮らす機会があった。ケーブルテレビで、MTV(音楽専門チャンネル)をよく見ていた。あるとき、タレント野球選手権という放送があった。それは、MTVで活躍している人気歌手やロックグループのメンバーたちが、東西に分かれて野球をするというお祭り番組だった。
 試合が始まる前、米国国歌の斉唱があった。カメラは、国歌を歌う選手たちを順番に映していった。ところが、並ぶ選手たちのなかには、帽子を不自然に深くかぶって下を向く者や、一人だけグラウンドに背を向けて拒否の意思表示をする者もいたのだった。
 それを見て、なーんだと思った。米国でも、国歌斉唱を公然と拒否する人たちはいるんじゃないか。米国人はみんな国歌を歌うというのは、あきらかな誤情報なのだった。
 そういう経験もあったので、今回のワールドカップでは、各国の代表選手が、国歌が流れているときにどうしているのかを見比べてみた。面白いことに、国歌を歌わない選手は、けっこうたくさんいるのである。たとえばイングランドチームでは、ベッカムは大声で歌っており、他の選手も歌っているのだが、カメラが移動していくと、口を閉ざしたままの選手もいる。微妙な感じで口をパクパクさせている選手もいる。
 各国選手団内部の、この微妙な多様性が面白い。カメラが迫ってきて口を開く選手もいるし、確信を持って口を閉ざしている選手もいる。大声で歌っている選手もいる。歌わない選手の中には、自覚的な者もいるのだろうし、歌詞を知らない者もいるのだろう。その多様性がもっとも少なかったチームのひとつが日本であったような印象がある。多様性はやっぱり大事だ。